第5話 仮の住処、近すぎる距離
北へ向かう旅は、数日を要した。
山道に差し込む冷たい風は王都よりもずっと澄んでいる。
馬を進めるたび、空気が軽くなるようだった。
「寒くありませんか」
アデルが、気遣うように言う。
「平気よ……少し、だけ」
そう答えると、彼は何も言わずに外套を脱ぎ彼女の肩にそっと掛けた。
「ちょっと――」
「風邪を引かれては困ります」
言葉は淡々としているのに、動作があまりにも自然でセレスティーヌは何も言い返せなくなる。
やがて、小さな街が見えてきた。
「ここが俺の故郷です」
やがてこの街に似つかわしくない大きな邸宅が見えてくる。
「帰ったぞ」
王都にあってもおかしくないような手入れの行き届いた家。
「……ここが?」
「はい。俺の北の家です」
「「おかえりなさいませ」」
「セバス、マーサ、粗相の無いように頼む」
「「かしこまりました」」
扉を開けると、温かな空気が流れ出した。 暖炉にはすでに火が入っている。
「留守の間も、彼らに管理を任せています」
「……本当に、用意が良すぎるわ」
思わずそう言うと、彼は少しだけ視線を逸らした。
「あなたを迎える場所に、不備があってはならないので」
胸が、また熱くなる。
「こちらでお過ごしください」
「綺麗……」
美しい家具、絵画1つみても私好みだ。女性が使うことを想定しているような内装――
「ここにいけてある花は私が一番好きなスミレよ。まるで私のために用意されたお部屋みたいね」
「……た、たまたまです」
「旦那様は『あの方が好きな花だから』と、必ずこの花をいけるように指示されていらっしゃいました」
「ま、マーサ!」
マーサの言葉にアデルは一瞬、固まった。
「もしかして私のこと?」
「いえ、あの、あ、いや……」
「私が好きな花って知ってたの?」
「た、たまたまです……。たまたま、気に入っていただけたようで何よりです!」
少しだけ、声が強い。
しばし沈黙のあと、彼は観念したように言った。
「偶然、セレスティーヌ様と侍女の会話が聞こえてしまって……」
「そう……」
侍女のアーニャとの会話だろう。
ただ一人だけ私のことを慕ってくれた人だ。
彼女だけは最後まで私の味方でいてくれた。
夜。暖炉の火の音だけが部屋に響く。
簡単な食事を終えたあと。
「……少し良いかしら?」
「はい」
「アデル」
「はい」
「本当にありがとう。ここまで、連れてきてくれて」
少し間を置いて、低い声が返る。
「俺の方こそ」
そして、ほんの一瞬の沈黙のあと。
「……こうして、同じ屋根の下にいられる日を、長く想像していました」
セレスティーヌは何も言えなくなった。
追放は、終わりではない。
それは、静かに始まる“合図”だった。
そして彼女はまだ知らない。
この仮の住処が、やがて“帰る場所”になることを。




