第3話 噂の氷、彼女だけの温度
馬の背は、思ったよりも高かった。
「……しっかり掴まってください」
後ろから届くアデルの声は、さっきより落ち着いている。
けれど、手綱を握る腕には、どこか緊張が滲んでいた。
鎧越しでも伝わる、確かな体温。
(……氷の騎士、よね)
王都では彼の噂を知らぬ者はいなかった。
冷酷無比。情け容赦なし。
戦場では敵を凍りつかせるような眼で斬り伏せる、と。
「……ねえ、アデル」
「はい」
即座に返る声。 その反応の早さに、少しだけ笑ってしまう。
「怖いって、よく言われるでしょう?」
一瞬、馬の歩みが緩んだ。
「……否定はしません」
「やっぱり」
「ですが」
彼は一度言葉を切り、低く続ける。
「あなたに、怖がられたくはありません」
胸が、きゅっと締めつけられる。
「私は、怖くなんてないわ」
そう答えると、今度ははっきりと馬が止まった。
「……本当ですか?」
私が振り返った時に見た彼の瞳は、噂の氷色ではなかった。
不安と期待が混ざった、ひどく人間らしい色。
「ええ。少なくとも――今のあなたは」
セレスティーヌは、少しだけ距離を詰める。
「とても、優しい人に見えるわ」
アデルは言葉を失い、視線を逸らした。
耳元が、またわかりやすく赤い。
再び馬が歩き出す。
今度は、先ほどよりもゆっくりと。
「……あなたは、不思議な方です」
「そうかしら?」
「私は、人にそう言われたことがありません」
「フフッ。じゃあ、初めてをもらったのね」
冗談めかして言うと、彼は小さく息を呑んだ。
「……それは、光栄です」
道の先に、小さな町が見えてくる。宿屋と酒場、そして数軒の家。
「今夜は、あそこで休みましょう」
「ええ」
馬から降りると、アデルは自然に私の手を取った。支えるため――そう分かっていても、指先に熱が集まる。
町人たちの視線が一斉にこちらへ向く。刃ように整った顔立ちの騎士と、見慣れぬ美しい女。
ひそひそと囁き声が漏れる中、アデルは一歩前に出て彼女を背に庇った。
「お前たちが目にして良いお方ではない」
それだけで周囲は黙り込み、視線をもとの場所へ戻す。
宿の部屋に入ったあと、セレスティーヌは小さく息を吐く。
「……さっきの、ありがとう」
「いえ、当然のことです」
「でも私は貴族でもなんでもないわ」
そう言うと、彼は少し困ったように微笑んだ。
「そうだとしてもです」
静かな声。逃げ場のないほど真っ直ぐな言葉。
セレスティーヌはその夜、ぐっすりと眠れた。
部屋の外から感じる、彼が見張りに立つ気配が――不思議と、心を落ち着かせてくれたから。
噂の氷は彼女の前でだけ、確かに溶け始めていた。




