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選別される命:シェルター204の魔手と聖母の鉄槌


 機械軍指揮官機『南部大剣』が去ってから数日が過ぎた。

 地下都市グレイブ334は、奇妙なほど穏やかな空気に包まれていた。

 防衛戦で損傷した外壁の修復工事が急ピッチで進められ、金属を叩くハンマーの音が街のBGMとなっている。

 それは破壊の音ではなく、再生の音だ。


 住民たちの顔にも、死地を脱した安堵と、明日への希望が微かに灯っているように見えた。

 私は、カノンを抱いて地上の配給広場を歩いていた。

 今日の天気は珍しく穏やかだ。厚い鉛色の雲の切れ間から、弱々しいながらも太陽の光が差し込んでいる。

 カノンは生後数ヶ月が経ち、首も据わり、周囲のものに興味を示すようになっていた。

 私の腕の中で、彼は小さな指を伸ばし、空を舞う埃や、遠くで作業するクレーンを指差しては「あー、うー」と声を上げている。


「……そうだ、あれはクレーンだ。大きいな」


 私が無愛想に答えると、カノンはキャッキャと笑った。

 平和だ。

 あの絶望的な戦場が嘘のような静けさ。

 だが、私のセンサーは、この平和な風景の中に混じる「異物」を捉えていた。


 視線だ。

 誰かが見ている。

 それは、S型(愛玩用)として作られた私が最も敏感に察知する種類の視線だった。

 好意や思慕ではない。敵意や殺意とも違う。

 もっと粘着質で、冷徹で、まるでショーケースの中の商品を値踏みするかのような、不快な視線。

 そして、その視線の先にあるのは私ではない。

 私の腕の中にいる、カノンだ。


「……チッ」


 私は舌打ちを一つして、歩調を変えずに広場を横切った。

 視線の主は一人ではない。複数いる。

 難民や住民のふりをして雑踏に紛れているが、その身のこなしは素人ではない。訓練された人間の動きだ。

 スラムのゴロツキか? いや、それにしては装備が整いすぎている。服の下に隠した通信機や、独特の緊張感。

 何者だ?

 私はカノンを抱き直し、自然な動作で路地裏へと入った。

 人気のない、崩れかけたビルの隙間。

 予想通り、足音が一つ、ついてくる。


「……おい、そこの女」


 背後から声がかかった。

 私は足を止め、ゆっくりと振り返る。

 そこに立っていたのは、目出し帽こそ被っていないが、機能的な灰色の作業服を着た男だった。顔立ちは清潔で、栄養状態も良さそうだ。このスラムの住人特有の「薄汚れ」がない。

 男は私の顔、S型の美しい造形を見て、下卑た笑みを浮かべた。


「いいアンドロイドだ。……それに、その赤ん坊。お前の子か?」


「……拾い子だ。何か用か?」


「拾い子か。なら話は早い。そのガキ、俺たちに譲ってくれないか? 悪いようにはしねえ。安全で、清潔で、未来のある場所に連れて行ってやる」


 男が一歩近づいてくる。

 その目には、カノンを「人間」として見ている色はなかった。希少な資源、あるいは回収すべきサンプルを見る目だ。


「……断る」


「強情だな。人形が人間様の言うことを聞けねえのか?」


 男が痺れを切らしたように手を伸ばしてきた。カノンを奪おうとする手。

 その瞬間、私の中で警報が鳴った。

 こいつは敵だ。カノンを害する敵だ。


「触るな」


 私はカノンを左腕で守りながら、男の手首を右手で掴んだ。

 S型のしなやかな指先が、男の手首の関節を正確にロックする。


「ぐっ!?」


 男が驚いた隙に、私は一歩踏み込み、彼の足を払った。

 回転。

 男は宙を舞い、地面に叩きつけられた。

 私はすかさず男の腕を背中にねじ上げ、関節を極める。


「がぁっ!! 貴様、何をする……! 原初命令違反だぞ!」


「安心しろ。骨は折っていない。……少し痛むだけだ」


 私は男の首筋に冷たい指先を押し当てた。


「答えろ。何処の所属だ? 何が目的だ?」


「は、離せ! 俺は『シェルター204』の……ぐあぁっ!」


 腕を少し捻り上げると、男は悲鳴を上げて口を閉ざした。


 シェルター204。

 聞いたことがある。旧時代、政府要人や富裕層のために作られた、最高ランクの核シェルターを改装した都市国家。

 排他的で、他都市との交流を一切断っている閉鎖的な楽園。

 そんな場所の人間が、なぜこんな掃き溜め(グレイブ334)に?


「……ミリンダに突き出す。そこで洗いざらい吐いてもらうぞ」


 私は男を気絶させ、引きずるようにして地下へのゲートへ向かった。

 胸騒ぎがする。

 これは、ただの誘拐未遂ではない。もっと大規模で、悪質な何かが動き出している。


 地下司令室。

 拘束された男は、尋問室の椅子に縛り付けられていた。

 ミリンダが冷徹な瞳で彼を見下ろし、デスクの上には男から没収したデータチップや通信機が並べられている。


「……解析完了だ」


 ミリンダがモニターにデータを表示させる。

 そこにはグレイブ334の住民リスト、特に10歳以下の子供たちのデータが詳細に記されていた。

 健康状態、遺伝子情報、推定寿命。

 まるで家畜の管理台帳だ。


「『シェルター204』。……やはりか」


 ミリンダが不快そうに吐き捨てる。


「彼らの目的は『人材回収』だ。ただし、条件付きのな」


 ミリンダが指し示したデータの一文を見て、私は反吐が出る思いだった。


 『回収対象:遺伝子汚染率5%以下の幼年個体のみ。成人および汚染個体は廃棄とする』


「……子供だけを攫う気か」


「そうだ。シェルター204は極度な純血主義、人間至上主義を掲げている。だが、閉鎖環境ゆえに近親交配が進み、遺伝子プールが劣化しているらしい。……だから、外部から『新鮮な血』を取り入れようとしているのだ」


「それが、この街の子供たちか」


「ああ。地上の過酷な環境で生き残った子供は、遺伝的に強靭だからな。彼らにとっては喉から手が出るほど欲しい『資源』だ」


 資源。

 人間が、同じ人間を資源と呼ぶのか。

 親を見捨て、子供だけを奪い、自分たちの都合のいいように洗脳して労働力や繁殖の道具にする。

 機械軍の方がまだマシだ。奴らは人類を平等に「害悪」として抹殺しようとするだけ、潔い。


「現在、都市内に潜伏している工作員は推定30名。……今夜、一斉に行動を開始する計画のようだ」


 ミリンダが告げる。

 今夜。

 ターゲットは、難民キャンプや孤児院、そして各家庭の子供たち。

 カノンもそのリストに入っている。


「……許せない」


 私のEfリアクターが、怒りで熱を持つ。

 カノンを、あんな連中の道具になどさせてたまるか。

 この街の子供たちもだ。彼らは泥にまみれながらも、必死に生きている。それを「資源」として収奪するなど、断じて認められない。


「ミリンダ。……『掃除』の許可を」


「許可する。……ただし相手は人間だ。原初命令の制限がある以上、殺害はできない。制圧し、追放しろ」


「了解。……手加減は約束できないがな」


 私は尋問室を出た。

 やるべきことは二つ。

 一つは、都市内のゴミ掃除。

 そしてもう一つは、何よりも重要なカノンの安全確保だ。

 私が出撃している間、カノンを無防備な部屋に置いておくわけにはいかない。レベッカやアリサも頼りになるが、相手が武装した人間集団となると、彼女たちでは荷が重い。

 もっと強く、もっと容赦のない「守護者」が必要だ。

 心当たりは、一人しかいない。


 地上のスラム街。

 夕闇が迫る中、私はカノンを抱いて走った。

 行き先は、街外れの廃教会。


「ヴィオラ? こんな時間にどうしたのです」


 教会の扉を開けると、マリアが祭壇の花(廃材で作った造花)を手入れしていた。

 彼女は私の殺気立った様子を見て、すぐに穏やかな表情を引き締めた。

 私は手短に事情を説明した。

 シェルター204の工作員。子供の誘拐計画。そして今夜、この街が狩り場になること。


「……なるほど。嘆かわしいことです」


 マリアは静かに呟いた。

 その声は穏やかだが、周囲の空気が一気に冷え込んだ気がした。

 彼女はアンドロイドの中でも最古参のA型。数多の戦場を見てきた彼女にとって、人間同士の醜い争いは最も忌み嫌うものの一つだろう。


「マリア、頼みがある」


 私はカノンを彼女に差し出した。


「この子を……カノンを預かってくれ。それと、街の子供たちをここに集める。ここなら、誰も手出しできない」


 マリアはカノンを受け取った。

 カノンはマリアの腕の中で、安心しきったように笑っている。

 彼女はカノンの頬を指で撫で、そしてゆっくりと顔を上げた。

 そのプラチナブロンドの髪が、ステンドグラス越しの光を受けて輝く。

 聖母の微笑み。

 だが、その瞳の奥には、機械軍すら震え上がらせるような、底知れない凄みが宿っていた。


「任せなさい、ヴィオラ。……この教会は聖域です。迷える子羊を休ませる場所」


「ああ、頼んだ」


「でも……」


 マリアは入り口の方へ視線を向けた。

 そこには、すでに異変を察知して避難してきた数人の子供たちが、不安そうに身を寄せ合っていた。


「聖域を土足で踏み荒らし、子羊を盗もうとする狼には……神に代わって『お仕置き』が必要ですね」


 ニコリ、と彼女は笑った。

 美しい。そして、恐ろしい。

 グレイブ334最強のアンドロイドが、子供たちの守護者となった瞬間だった。


「安心しろ。狼の群れは、ここに来る前に私が減らしておく」


 私はカノンに別れを告げ「いい子にしてろよ」と頭を撫で教会を飛び出した。

 日は完全に沈んだ。

 夜の帳が下りる。

 それは、狩りの時間の始まりだ。


 地下都市、第4居住ブロック。

 ここは難民が多く暮らすエリアだ。

 迷路のように入り組んだ通路の影に、数人の男たちが潜んでいた。

 シェルター204の工作員たちだ。

 彼らは暗視ゴーグルを装着し、手には麻酔銃やスタンロッドを持っている。


「……ターゲット確認。C-12区画の子供だ。親は寝ている。今のうちに……」


 リーダー格の男がハンドサインを出し、ドアのロックを電子ピッキングツールで解除しようとする。

 カチリ、と音がして、ドアが開く。

 男たちが音もなく部屋に侵入しようとした、その時。

 ヒュンッ!

 風を切る音と共に、先頭の男の足元に何かが突き刺さった。

 コンバットナイフだ。

 硬いコンクリートの床に、深々と突き立っている。


「なっ……!?」


「こんばんは。夜更かしは肌に悪いぞ」


 男たちが振り返る。

 通路の奥、配管の上で私はしゃがんでいた。

 P90を構え、S型の暗視モードで彼らの怯えた顔を捉える。


「貴様、何者だ! アンドロイドか!?」


「グレイブ334の清掃員だ。……害虫駆除のな」


 私は配管を蹴って飛び降りた。

 着地と同時に、一番近くにいた男の懐へ滑り込む。


 原初命令:人間を殺してはいけない。


 了解済みだ。殺しはしない。

 だが、痛みを与えてはいけないとは書いていない。


「ぐあっ!」


 私は男の持っていたスタンロッドを奪い取り、その腹部に強烈な一撃を叩き込んだ。

 電撃と衝撃で、男が白目を剥いて崩れ落ちる。


「撃て! 撃てェ!」


 残りの工作員たちが麻酔銃を乱射する。

 遅い。

 私は壁を蹴り、天井のパイプにぶら下がり、弾道を立体的に回避する。

 S型のしなやかさと、A型のパワー。

 翻弄される彼らにとって、私は悪夢そのものだろう。


「この野郎! 人形の分際で!」


 一人が実弾の拳銃を抜いた。

 殺意のある攻撃。

 それならば、こちらも容赦は不要だ。


「……眠れ」


 私は背後へ回り込み、男の頸動脈を正確に圧迫した。

 数秒で男の力が抜け、床に沈む。

 数分後。

 通路には、呻き声を上げて転がる工作員たちの山ができていた。

 私は通信機を取り出し、ミリンダに報告する。


「第4ブロック、制圧完了。……次は地上へ向かう」


 地下の掃除は順調だ。

 だが、本命は地上だ。

 あそこには工作員の本隊、重武装した車両部隊がいるとの情報がある。

 そして、奴らが狙うのは、子供たちが集められたあの場所。


「……急がなければ」


 私は地下通路を疾走した。

 マリアがいるとはいえ、敵の数は多い。

 子供たちに、そしてカノンに、指一本触れさせるわけにはいかない。



 地上、スラム街の端に佇む廃教会。

 瓦礫を積み上げて作られたその場所は、今夜、静寂ではなく、荒々しいエンジンの咆哮と、タイヤが砂利を噛む音に包まれていた。


 『シェルター204』の工作部隊・本隊。

 装甲強化された大型トラックと、数台の軍用バギーが教会を取り囲んでいる。

 ヘッドライトの強烈な光が、教会のボロボロの扉を無遠慮に照らし出していた。


「出てこい! 隠れているのは分かっているぞ!」


 拡声器を通した怒鳴り声が響く。

 工作部隊のリーダーらしき男が、トラックの荷台から降り立った。

 彼は防弾ベストにアサルトライフルという重装備で固め、その周囲には同様に武装した部下たちが二十名ほど展開している。

 彼らの目は血走り、焦燥と欲望で濁っていた。地下での潜入作戦が失敗し、強引な手段に出たのだろう。


「中にいる『資源ガキ』どもを差し出せ! 我々は保護しに来たのだ! 抵抗するなら、このボロ屋ごと焼き払うぞ!」


 男が威嚇射撃として、空に向けて数発発砲した。

 乾いた銃声が夜空を引き裂く。

 教会の中にいる子供たちは、恐怖で身をすくませているはずだ。

 ギィィィ……。

 重い扉が、ゆっくりと開いた。

 男たちは一斉に銃口を向ける。

 だが、現れたのは子供たちの集団ではなかった。


 たった一人の、美しい女性だった。

 TYPE.A-0028、マリア。

 質素な修道服を纏い、プラチナブロンドの髪を夜風になびかせ、彼女は静かにステップを降りた。

 その手には武器などない。

 ただ、胸の前で組まれた手と、悲しげな表情だけがあった。


「……夜分に騒がしいですね」


 マリアの声は、銃声の余韻すら消し去るほど透き通っていた。

 拡声器も使っていないのに、その場にいる全員の耳に届く、不思議な響き。


「ここは神の家です。……そして、子供たちが眠る聖域。お引き取りください」


「はっ、アンドロイドか!」


 リーダーの男が鼻で笑った。


「聖域だと? 笑わせるな。ただの鉄屑置き場だろうが。……おい、どけ! 邪魔をするなら貴様もスクラップにしてやる!」


「お断りします」


 マリアは一歩も引かなかった。

 その顔には、変わらず穏やかな微笑みが張り付いている。

 だがその瞳、金色の瞳だけが感情を映していないガラス玉のように冷たい光を放っていた。


「子供たちは渡しません。……貴方たちのような『悪い大人』には」


「チッ、交渉決裂だ! やれ!」


 リーダーの号令と共に、部下の一人がマリアの足元を狙って発砲した。

 威嚇だ。アンドロイドとはいえ、銃撃を受ければ恐怖で従うと思ったのだろう。

 ダンッ!

 マズルフラッシュが闇を照らす。

 放たれた5.56mm弾が、音速でマリアの脚部へと迫る。

 ──カキンッ。

 硬質な音が響き、アスファルトの上に潰れた弾頭が転がった。

 マリアは動いていなかった。

 いや、動いたのだ。

 人間の動体視力では認識できない速度で。

 彼女はスカートの裾をわずかに揺らしただけで、飛来した弾丸を「指先で摘み」、弾き落としていた。


「……は?」


 撃った男が、呆然と口を開ける。

 何が起きたのか理解できていない。


「……危ないですね」


 マリアは困ったように眉を下げた。


「教会の中で火遊びはいけませんと、教わりませんでしたか?」


 次の瞬間、マリアの姿が掻き消えた。

 ドンッ!

 風圧。

 撃った男の目の前に、いつの間にかマリアが立っていた。

 距離、ゼロ。


「ひっ!?」


「貸してごらんなさい」


 マリアは男の手からアサルトライフルを優しくしかし絶対的な力で取り上げた。

 そして、両手で銃身を握ると、まるで濡れた雑巾を絞るかのように、鋼鉄の銃身を捻り上げた。


 グニャリ。

 飴細工のように曲がる銃身。

 男は腰を抜かしてへたり込んだ。


「ば、化け物……!」


「撃て! 全員で撃てェ!」


 リーダーが叫ぶ。

 パニックに陥った工作員たちが、一斉にトリガーを引く。

 数十丁のライフルから放たれる弾幕。

 通常のアンドロイドなら、ハチの巣になって終わる。

 だが、相手はマリアだ。

 世界大戦を生き抜き、機械軍を恐怖させた「最古にして最強」の個体。


 彼女は舞った。

 修道服を翻し、弾丸の雨の中を優雅に歩く。

 首をわずかに傾けてヘッドショットを回避し、手をかざしてボディへの弾丸を掌(特殊硬化装甲)で受け止める。


 そして、流れるような動作で工作員たちの懐に入り込んでいく。


「お仕置きが必要ですね」


 彼女の手刀が、男の武器を持つ腕を打つ。

 骨は折らない。だが、武器を持つ神経だけを正確に麻痺させる一撃。

 あるいは、武器そのものを破壊する。

 銃身をへし折り、弾倉を握りつぶし、ナイフを指で弾き飛ばす。


「ああああっ! 俺の腕が!」


「銃が……動かねえ!」


 暴力の嵐ではない。

 それは一方的な「武装解除ディスアーム」だった。

 マリアは誰一人として殺さず、傷つけず、ただ彼らの「牙」だけを抜き取っていく。

 その圧倒的な実力差に、男たちの戦意は瞬く間に崩壊した。


「ひ、退け! 逃げろ!」


 リーダーがトラックへ逃げ込もうとする。

 だが、運転席のドアを開けた瞬間、そこにマリアが座っていた。


「……どちらへ?」


「う、うわあああああッ!!」


 リーダーの絶叫が夜空に響き渡り、やがて静寂が訪れた。


 私が教会に到着したのは、全てが終わった後だった。

 地下から地上へ駆け上がり、息を切らせて広場へ飛び込んだ私は、その光景に絶句した。


 教会の前には、スクラップの山ができていた。

 ひしゃげたアサルトライフル、へし折られたナイフ、そして走行不能になったトラック。


 その周りで、シェルター204の精鋭部隊だったはずの男たちが、地面に転がって震えている。

 誰一人死んでいない。血も流していない。

 だが、彼らの目は完全に死んでいた。

 絶対的な恐怖と無力感に、心を折られた者の目だ。


「……遅かったですね、ヴィオラ」


 スクラップの山の上に腰掛け、マリアが微笑んでいた。

 その修道服には、汚れ一つ、煤一つついていない。

 腕の中には、スヤスヤと眠るカノンがいる。この騒ぎの中で、一度も目を覚まさなかったようだ。


「……掃除は終わったようだな」


 私はP90を下ろし、ため息をついた。


「相変わらず、デタラメな強さだ」


「あら。子供たちを守るには、これくらい嗜みですよ」


 マリアはカノンをあやすように揺らしながら、転がっている男たちを一瞥した。


「彼ら、随分と行儀が悪いので、少し厳しく叱ってしまいました。……『原初命令』があるので、命までは奪えませんでしたが」


 その言葉を聞いた男たちが、ビクリと震えた。

 彼らにとって、殺されるよりも恐ろしい体験だったに違いない。


 翌朝。グレイブ334、地上ゲート前。

 捕縛されたシェルター204の工作員たちは、一列に並ばされていた。

 ミリンダの指揮の下、治安部隊によって装備を全て剥奪され、身一つになっている。

 彼らに対する処分は「追放」だった。


「貴様ら……! 正気か!?」


 リーダーの男が、屈辱に顔を歪ませて叫んだ。


「我々は選ばれた人間だぞ! 汚染されていない純粋な遺伝子を持つエリートだ! こんな汚染区域の荒野に放り出されたら、生きていけるわけがない!」


 男は私やマリア、そしてミリンダを睨みつける。


「アンドロイド風情が、人間にこんな真似をしてタダで済むと思っているのか! 我々のシェルターが黙っていないぞ!」


 ミリンダは冷徹に鼻を鳴らした。


「黙っていないなら、かかってくればいい。……次は徹底的に叩き潰す」


 私は一歩前に出た。

 腕にはカノンを抱いている。

 男はカノンを見て、未練がましく手を伸ばそうとしたが、私の視線に射すくめられて手を引っ込めた。


「お前たちは言ったな。『子供たちは資源だ』と」


 私は静かに告げた。


「その傲慢さが、お前たちの敗因だ。……ここの子供たちは、お前たちが思うほど弱くない。そして、資源でもない」


 スラムの瓦礫の影から、子供たちがこちらを見ていた。

 昨夜、マリアに守られた子供たちだ。

 彼らの目は、怯えていない。この過酷な世界で生き抜く強さを秘めた目をしている。

 それに比べて、温室育ちのこの男たちの、なんと脆いことか。


「安心しろ。お前たちが『資源』と呼んだ子供たちは、ここで強く生きる。泥水をすすり、鉄屑を拾い、それでも笑って生きる」


 私はゲートのスイッチを押した。

 重い扉が開き、外の荒野──熱風と放射能と機械軍が支配する世界──が広がる。


「……選ばれなかったのは、お前たちの方だ」


 私の言葉に、男は顔面蒼白になり、絶望の叫びを上げて荒野へとよろめき出た。

 部下たちもそれに続く。

 彼らに生存能力はない。

 機械軍に見つかるか、飢え死にするか。あるいは、自分たちが差別していた「汚染された外の世界」の現実に押しつぶされるか。

 ゲートが閉ざされ、彼らの声は聞こえなくなった。


 騒動が終わり、広場には日常が戻りつつあった。

 私はマリアに向き直り、深々と頭を下げた。


「ありがとう、マリア。……貴女がいなければ、カノンを守りきれなかったかもしれない」


「いいえ、ヴィオラ。礼には及びません」


 マリアはカノンの頬を指でつつき、微笑んだ。

 カノンはマリアから貰った飴玉(配給の砂糖菓子)を握りしめ、ご機嫌だ。


「人間とは……時として、機械軍よりも愚かで、悲しい生き物ですね」


 マリアが遠くを見るように呟く。


「同族を選別し、傷つけ合い、自らの首を絞める。……それでも」


 彼女は視線を私とカノンに戻した。


「それでも、守らなければならない。……それが私達の呪いであり、そして誇りでもあります」


 原初命令。

 人間を守れ。


 あんな愚かな連中でも、人間だ。守らなければならなかった。

 だが、私たちは「子供たちを守る」という選択をすることで、その命令の矛盾を乗り越えた。


「……ああ。そうだな」


 私はカノンを強く抱きしめた。

 この子は、あんな大人にはしない。

 命を選別するような傲慢な人間には育てない。

 誰かの手を取り、共に生きる強さを持った人間に育てる。


「行こう、カノン。……レベッカとアリサが、心配して待ちくたびれてる」


 カノンが「あー!」と元気な声を上げる。

 私はマリアに別れを告げ、地下への道を歩き出した。

 背中で、教会の鐘(鉄パイプを叩く音)が、昼の訪れを告げていた。

 外敵だけでなく、内なる敵をも退けたグレイブ334。

 この歪で優しい「墓場」で、私たちの奇妙な家族の絆は、より一層強固なものになっていた。


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