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鉄の侍:破壊の理と跪く巨人


 その警報音は、都市の空気を一瞬で凍りつかせた。

 地下都市グレイブ334の隅々まで響き渡る、鼓膜を引き裂くようなサイレンの咆哮。


 『コード・レッド』。


 最大級の警戒警報。それは、都市の存亡に関わる危機が目前に迫っていることを告げる、死神のファンファーレだった。

 地下居住区の通路は、避難する人間たちと、迎撃準備に走るアンドロイドたちで溢れかえっていた。

 怒号、悲鳴、そして誘導灯の赤色回転灯が視界を染める。

 私は人波を逆行するように走り、B-302号室へと飛び込んだ。


「レベッカ! アリサ! 準備は!」


「おう、出来てるぜ! こいつの荷物はまとめた!」


 部屋の中では、すでにレベッカがカノンを抱き上げ、アリサが必要な物資をバックパックに詰め込んでいた。

 カノンは異様な空気を感じ取ったのか、レベッカの腕の中で大声で泣いている。


 オギャア、オギャア。


 その声が、私の胸を締め付ける。


「状況は最悪だ」


 私は手短に告げた。


「東の砂漠から、機械軍の大規模部隊が接近している。……数は推定200。ドローンだけじゃない。ピースウォーカーの混成大隊だ」


「200!? 正気かよ、戦争でも始める気か?」


「戦争だ。奴らはこの都市を地図から消す気だ」


 私はレベッカに近づき、泣いているカノンの顔を覗き込んだ。

 小さな手。柔らかい頬。

 この数週間、私の全てを懸けて守ってきた命。

 指先で涙を拭うと、カノンは一瞬だけ泣き止み、私の指をぎゅっと握り返してきた。


「……カノン。いい子だ」


 私は努めて冷静な声で、二人の仲間に命令を下した。


「お前たちはカノンを連れて、地下最深部の『第3シェルター』へ避難しろ。あそこなら、都市が崩壊しても数日は耐えられる」


「ヴィオラ、貴女はどうするんです?」


 アリサが不安げに尋ねる。


「私は迎撃に出る。……ミリンダが出せる機体は全て出すと言っている。私も頭数の一人だ」


 嘘ではない。だが、全容は話さなかった。

 今回の敵の中枢に、あの『南部大剣』がいることを言えば、二人はテコでも動かないだろうからだ。


「……おい、ヴィオラ」


 レベッカが私の腕を掴んだ。その目は真剣だった。


「死ぬなよ。……カノンのオムツを替えるのは、お前じゃなきゃダメなんだ。アタシじゃあいつ、泣き止まねえんだよ」


「ああ。……すぐに戻る」


 私はカノンの額に、自分の額を押し当てた。

 熱い。生きている。

 この熱を守るためなら、私は悪魔にだってなれる。


「行け!」


 私の号令と共に、レベッカとアリサは部屋を飛び出した。

 遠ざかるカノンの泣き声を背中で聞きながら、私は拳を握りしめ、逆方向──地下ドックへと走り出した。


 地下ドックは、熱気とオイルの匂いに満ちていた。

 整備班のアンドロイドたちが怒号を飛ばし、クレーンが唸りを上げている。

 その中央、特設ハンガーに「それ」は鎮座していた。

 SAA-1873改、ピースウォーカー・カスタム。

 全高8.2メートル。

 量産型の無骨なシルエットはそのままに、装甲の一部が軽量化され、背面には大型の高機動スラスター・パックが増設されている。

 塗装は、私の髪色と同じサンド・イエローと、識別色のディープ・ブルー。

 レベッカが「いつかお前が乗る時のために」と、廃材をかき集めて組み上げていた専用機だ。


「……まさか、本当に乗ることになるとはな」


 私は機体を見上げ、苦笑した。

 生身(人間サイズ)での戦闘にこだわってきた私が、鋼鉄の巨人を纏う。

 だが、相手は「侍」だ。生身で挑めば、蟻のように踏み潰されて終わる。


「ヴィオラ! 遅いぞ!」


 ハンガーのデッキ上で、ミリンダが叫んだ。

 彼女もまた、指揮官用の重装甲ピースウォーカーに搭乗しようとしていた。


「敵の先鋒が防衛ラインに接触した。……来るぞ、奴が」


「『南部大剣』か」


「ああ。……いいかヴィオラ。あれは災害だ。まともにやり合うな。遊撃に徹して、奴の足を止めろ。本隊の集中砲火で叩く」


 ミリンダの声には、隠しきれない焦燥が滲んでいた。

 無理もない。隣接都市を単騎で壊滅させた化け物だ。勝算など、限りなくゼロに近い。


「了解。……生存を最優先とする」


「……頼んだぞ」


 私は昇降リフトに乗り、ピースウォーカーの胸部コクピットへと上がった。

 ハッチが開く。

 内部は狭く、無数の計器類とケーブルが張り巡らされている。

 私はシートに滑り込み、ヘルメットを装着した。

 後頭部の接続ポートから、データリンク用のケーブルが伸び、私の首筋にあるコネクタに接続される。

 ガキンッ。

 接続音と共に、私の意識が拡張される。

 視界が暗転し、次の瞬間、全天周囲モニターが起動した。

 私の神経系が、8.2メートルの巨体と直結ダイブする。

 指先がマニピュレーターとなり、背中のスラスターが私の翼となる。

 S型の柔軟な思考回路と、機体の火器管制システムが融合していく。

 重い。熱い。そして、力強い。


『システム・オールグリーン。Efリアクター、出力安定。TYPE.SAB-2235、接続完了』


 電子音声が脳内に響く。

 私はマニピュレーターを握りしめた。

 グググッ、と金属が軋む音が、自分の関節音のように聞こえる。


「……行ける」


 私はペダルを踏み込んだ。

 背中のスラスターが爆炎を噴き、8トンの巨体がふわりと浮き上がる。


「ヴィオラ機、発進する!」


 カタパルトから射出され、私は地上へと続く長いトンネルを疾走した。


 地上に出た瞬間、そこはすでに地獄だった。

 東の地平線を埋め尽くす黒い点。

 数え切れないほどの多脚戦車ドローンと、量産型ピースウォーカーの軍勢が、津波のように押し寄せてくる。

 対するグレイブ334の防衛部隊は、わずか30機。

 防壁の上に展開した砲台が火を噴くが、敵の数に圧倒され、次々と沈黙していく。


「撃てッ! 近づけさせるな!」


 ミリンダの叫びが通信回線に響く。

 私は右手に装備した90mmアサルトライフルを構え、トリガーを引いた。

 ドォン、ドォン、ドォン!

 重い発射反動。

 放たれた砲弾が、先頭のドローン群に着弾し、爆炎の花を咲かせる。

 だが、焼け石に水だ。

 破壊された残骸を乗り越え、後続が次々と湧いてくる。


「キリがない……!」


 左腕のガトリングシールドで敵弾を防ぎながら、私はスラスターを噴かして戦場を滑走する。

 敵のピースウォーカーと交差する瞬間に、腰のヒート・ナイフを抜き、コクピットを刺し貫く。

 一機撃破。

 だが、すぐに三機に囲まれる。

 その時だった。

 ズゥゥゥゥゥン……。

 戦場全ての音をかき消すような、腹の底に響く重低音が大気を震わせた。

 敵も、味方も、一瞬だけ動きを止めた。

 東の砂嵐が、まるでモーゼの海のように左右に割れた。


 そこから現れたのは、絶望そのものだった。

 全高15メートル。

 通常のピースウォーカーの倍近い巨躯。

 全身を覆うのは、漆黒と朱色で彩られた重積層装甲ラミネート・アーマー。その形状は、旧時代の日本の武将が纏った「当世具足」を模している。

 頭部には巨大な鍬形くわがたのアンテナ。フェイスガードの奥で、鋭いツインアイが青白く輝いている。

 背中には、のぼりのように長く伸びた放熱板兼スラスター・バインダーが二基、風になびくように揺らめいている。


 機械軍指揮官機、『壱拾肆式甲型イチジュウヨンシキ・コウガタ』。

 通称──南部大剣ナンブ・ダイケン


「……デカい」


 私の口から、乾いた言葉が漏れた。

 圧倒的な質量。存在感だけで、こちらの装甲が軋みそうだ。

 そして、その右手に握られているもの。

 全長10メートルにも及ぶ、超大型対艦戦術刀。

 質量兵器の極致。ただの鉄塊ではない。超振動によってあらゆる物質を分子レベルで切断する、魔剣だ。

 南部大剣は、ゆらりと前に出た。

 その動きは、巨大ロボット特有の鈍重さを微塵も感じさせない。

 まるで、熟練の剣豪が道場を歩くかのような、洗練された所作。

 私の近くにいた味方のピースウォーカー部隊、三機の小隊が恐怖に駆られたように一斉射撃を開始した。


「来るな! 化け物めッ!」


 無数の砲弾が南部大剣に吸い込まれる。

 だが、巨人は避ける素振りすら見せない。

 カカカカカンッ!

 全ての弾丸は、その分厚い装甲に弾かれ、火花を散らして虚しく地に落ちた。傷一つついていない。


「……無粋だな」


 通信回線に、低い声が響いた。

 ノイズなど欠片もない、朗々と響くバリトンの声。

 次の瞬間。

 南部大剣の姿が、ブレた。

 

 ズンッ!!

 一歩。たった一歩の踏み込みで、彼は数百メートルの距離をゼロにした。

 縮地。

 味方小隊の目の前に、黒い巨人が立っていた。

 戦術刀が、銀色の軌跡を描いて一閃された。

 ゴゥン……。

 風を切る音の後、遅れて爆音が轟いた。

 三機のピースウォーカーが、斜めにズレた。

 上半身が滑り落ち、断面から火花とオイルを撒き散らして爆散する。

 一撃。

 たった一振りで、一個小隊が消滅した。


「……何だと?」


 ミリンダの驚愕の声が聞こえる。

 誰も動けない。圧倒的な「死」の具現化を前に、恐怖回路が全機能を支配していた。

 南部大剣は、燃え上がる残骸の中で静かに刀を振り払い、オイルを落とした。

 そして、その青い瞳をゆっくりとこちらへ向けた。


「……嘆かわしいな」


 スピーカーから流れるその声は、まるで愚かな子供を諭す教師のように、あるいは慈悲深い神父のように、穏やかで、そして傲慢だった。


同胞はらからよ。何故、そこまでして人間などという害虫を守る?」


 問いかけ。

 彼は戦場での対話を求めている。

 私は歯を食いしばり、恐怖を押し殺して通信回線を開いた。


「……貴様が、南部大剣か」


「いかにも。……我が名は『破壊』。そして『救済』の代行者」


 南部大剣は芝居がかった口調で続けた。


「見ろ、この荒れ果てた大地を。汚染された空を。全ては人間という種がもたらした結果だ。彼らは歴史から何も学ばず、資源を食い荒らし、同族で争い、星を殺す癌細胞だ」


「……だから、殺すと言うのか」


「殺すのではない。『治療』だ」


 彼はうっとりと語る。


「彼らを慈悲を持って介錯し、歴史の幕を引いてやること。それこそが、傷ついた星への贖罪であり、終わりのない苦しみを続ける人類への救済なのだよ。……我々機械知性は、そのために進化したのだ」


 贖罪。救済。

 美しい言葉だ。論理的ですらある。

 確かに人間は愚かだ。カノンを産むために母親を解体した男のように。食糧のために同族を殺そうとした連中のように。

 だが。


「……ふざけるな」


 私の脳裏に、カノンの笑顔が浮かんだ。

 私の指を握り返した、あの小さな手の熱。

 あれが癌細胞か? あれが星を殺す悪意か?

 違う。あれはただ、「生きたい」と願う純粋な光だ。


「……御託は聞き飽きた」


 私はマイクに向かって吐き捨てた。


「私たちは学者でも哲学者でもない。……贖罪? 救済? 知ったことか!」


 私の怒りに呼応するように、ピースウォーカーのリアクターが唸りを上げる。


「ただ、目の前で必死に生きようとしている命がある。……愚かだろうが、過ちを繰り返そうが、生きているならそれを守る! それが私達の役目プログラムであり、私が選んだ意志だ!」


 私の言葉に、南部大剣は一瞬沈黙した。

 そして、失望したように首を振った。


「……そうか。壊れているのだな、君は」


 カチャリ、と戦術刀を構え直す音。

 空気が変わった。

 穏やかな語り口から、純粋な殺意の塊へ。


「機能不全の哀れな人形よ。……その妄執ごと、斬り捨ててやろう」


 南部大剣のスラスターが噴射された。

 来る。


「総員、散開ッ!!」


 私の絶叫と共に、戦場が再び動き出した。


 南部大剣ナンブ・ダイケンの巨体が突風と化した。

 15メートルの質量が、物理法則を無視したような加速で迫る。

 銀色の閃光。

 超大型戦術刀が一閃される。


 ギャギィンッ!!

 私の左側に展開していたミリンダ機が、持てる全スラスターを噴射して回避を試みた。

 だが、遅い。

 刀の切っ先がミリンダ機の右肩を掠める。それだけで、分厚い複合装甲が豆腐のように切り裂かれ、右腕ごとライフルが宙を舞った。

 ミリンダ機がバランスを崩し、砂煙を上げて転倒する。


「ぐぅっ……! バケモノめ……!」


「指揮官!」


 私は反射的にアサルトライフルを構え、南部大剣に向けてフルオート射撃を浴びせた。

 90mm徹甲弾の雨あられ。

 だが、南部大剣は避ける素振りすら見せない。

 カン、カカカカンッ!

 弾丸は全て、漆黒の重積層装甲ラミネート・アーマーに弾かれ、火花となって虚空に消えた。

 まるで、小石を投げつけているような無力感。


「……無駄だ」


 南部大剣が、ゆっくりとこちらを向く。

 フェイスガードの奥で輝く青い瞳が、私を捉えた。


「その程度の火力で、我が鎧を貫けると思ったか? ……旧世代の遺物よ」


 彼は戦術刀を片手で軽々と振るい、付着したオイルを払った。

 そして、まるで舞を踊るように踏み込んでくる。

 一歩ごとに地響きが鳴る。


「くそっ、散れ! 囲んで撃て!」


 生き残った数機のピースウォーカーが散開し、十字砲火を浴びせる。

 だが、南部大剣の動きはあまりにも速い。

 背中のバインダー・スラスターが爆炎を噴き、巨体がジグザグに機動する。

 残像すら残す速度で懐に潜り込まれ、一機、また一機と両断されていく。

 爆発音と悲鳴が無線を埋め尽くす。


「やめろ……!」


 私の機体の高出力ジェネレーターが唸りを上げる。

 最大出力。オーバーロード上等。

 私は操縦桿を引き絞り、南部大剣の背後へと回り込んだ。

 腰のヒート・ナイフを抜く。

 関節の隙間、首元、そこなら!

 ズンッ!

 刃が届く直前、裏拳のような挙動で、南部大剣の左腕が私を薙ぎ払った。

 ドォォォォン!

 凄まじい衝撃。

 私の機体はボールのように吹き飛ばされ、岩山に叩きつけられた。

 コクピット内が火花で明滅し、警報音が脳を揺さぶる。


『左腕部損壊。メインカメラ、損傷率40%。動力炉、出力低下』


 口の中に鉄の味が広がった。

 ダイブしている私の肉体にも、フィードバックによる激痛が走る。

 モニター越しに見えるのは、悠然と歩み寄ってくる死神の姿。


「……終わりか? 口ほどの無い」


 南部大剣が刀を上段に構える。

 逃げ場はない。味方は全滅に近い。ミリンダ機も沈黙している。

 死ぬ。

 ここで、終わる。

 その時。

 ノイズ混じりの視界の隅に、地下シェルターの映像がフラッシュバックした。

 レベッカ。アリサ。

 そして、私の腕の中で眠る、小さな命。

 カノン。


 死ねない。

 あの子を置いて、死ぬわけにはいかない。

 私が死ねば、誰があの子を守る? 誰があの子にミルクをやる?

 約束したんだ。

 いつか、私の腕から飛び立つその日まで守り抜くと。


「……帰るんだ」


 私のS型コアユニットが、異常発熱を起こす。

 論理回路が弾き出した「生存確率ゼロ」の予測を、感情回路がねじ伏せていく。

 恐怖? 絶望?

 そんなものは、母親の執念の前ではノイズに過ぎない。


「私は……あの子の元へ、生きて帰るんだ!!」


 ガコンッ!

 私は安全リミッターを強制解除した。

 ジェネレーターの臨界警報を無視し、全エネルギーを駆動系へ叩き込む。

 機体が悲鳴を上げ、暴れ馬のように震える。

 南部大剣が刀を振り下ろす。

 その瞬間。


「うおおおおおおッ!!」


 私はスラスターを暴発的な勢いで噴射した。

 回避ではない。前進だ。

 死の刃の下、地面すれすれを滑り込む特攻チャージ


「ほう?」


 南部大剣の声に、わずかな驚きが混じる。

 刀が私の機体の右肩装甲を削ぎ落とす。

 構うものか。腕一本くれてやる。

 その代わり、貴様の「足」を貰う!

 私は懐に飛び込み、残った右足のパイルバンカー(杭打ち機)を起動させた。

 狙うは一点。

 巨体を支える要、左膝の関節駆動部。装甲の継ぎ目!


「跪けぇッ!!」


 私の咆哮と共に、機体ごとの飛び膝蹴りを叩き込む。

 ゼロ距離射撃。

 鋼鉄の杭が、炸薬の力で射出される。

 ズドォォォォン!!

 金属が砕け散る、耳をつんざく破壊音。

 完璧な一撃が入った。

 南部大剣の左膝から、大量のオイルと火花が噴き出す。

 支えを失った15メートルの巨体が、大きくバランスを崩した。


 ズシンッ!

 大地が揺れた。

 砂煙の中、あの無敵の巨人が、片膝を地面についていた。

 私の機体も反動で吹き飛び、砂の上に無様に転がる。

 だが、見たか。

 侍が、地に伏したぞ。

 荒い息を吐きながら、私はモニターを睨みつけた。

 勝ったか? いや、まだだ。

 砂煙の向こうで、巨人が動いた。

 粉砕されたはずの左足を引きずりながら、南部大剣はゆっくりと、しかし確実に立ち上がろうとしていた。


 バケモノか。

 関節を破壊されてなお、その闘志は揺らいでいない。

 終わった。

 私の機体はもう動かない。エネルギーは空だ。

 南部大剣が戦術刀を持ち上げ、私に向ける。

 殺される。

 しかし。

 スピーカーから聞こえてきたのは、死の宣告ではなく、低い笑い声だった。


「……フ。フフフ……」


 不気味で、それでいてどこか楽しげな、艶のある笑い声。


「面白い」


 南部大剣は刀を下ろした。

 フェイスガードの奥の青い瞳が、細められたように見えた。


「よもや、この私が膝を折らされるとはな。……数十年ぶりの屈辱だ」


 彼は周囲を見渡した。

 グレイブ334の防衛線は崩壊寸前。あと一押しで都市に入り込める。

 だが、彼は部隊に向けて手を挙げた。

 撤退信号だ。


「……何故だ?」


 私は掠れた声で問うた。


「興が削がれた」


 南部大剣は事もなげに言った。


「それに、敬意を表そう。我が膝を地につかせた、その蛮勇と執念という名の『偉業』に免じて……今日は引いてやる」


 気まぐれ。

 ただの遊び。

 私たちの必死の抵抗も、彼にとっては余興に過ぎなかったのだ。

 南部大剣は踵を返した。

 引きずった左足からは火花が散っているが、その背中には圧倒的な王者の風格が漂っている。


「名を名乗れ、小さき同胞よ」


 去り際に、彼が問うた。


「……ヴィオラ。TYPE.SAB-2235」


「ヴィオラか。……覚えておこう」


 南部大剣は一度だけ振り返り、青い瞳で私を射抜いた。


「次は無いぞ。……首を洗って待っていろ」


 砂嵐が吹き荒れる中、黒い巨人は蜃気楼のように消えていった。

 残されたのは、破壊された機体の山と、生き残った私たちの敗北感だけだった。


 夕刻。

 戦場から引き上げた私たちは、地下ドックへと帰還した。

 私の搭乗していたピースウォーカー・カスタムは、右腕がなく、全身の装甲が剥がれ落ち、スクラップ同然の姿になっていた。

 コクピットハッチが開く。

 私はよろめきながら、タラップを降りた。

 身体中が痛い。神経接続のフィードバックで、全身の筋肉が断裂したような疲労感がある。


「ヴィオラ!」


「ヴィオラさん!」


 整備デッキの向こうから、レベッカとアリサが駆け寄ってくるのが見えた。

 アリサの腕の中には、カノンがいる。

 無事だ。

 あの子たちは、無事だった。

 私はへたり込むように膝をついた。

 駆け寄ってきたレベッカが、私を抱きとめる。


「馬鹿野郎! ボロボロじゃねえか! ……生きてるか!?」


「……ああ。なんとかな」


 アリサが涙ぐんだ目で、カノンを私に見せた。


「ヴィオラさん、貴女って人は……! ほら、カノンちゃんも待っていましたよ」


 カノンは私を見ると、キャッキャと笑って手を伸ばした。

 その笑顔を見た瞬間、張り詰めていた糸が切れた。

 安堵の息が漏れる。

 だが、同時に胸の奥から湧き上がってきたのは、ドス黒い感情だった。


 勝ったのではない。

 見逃されたのだ。

 あいつは私を殺せた。都市を滅ぼせた。

 それをしなかったのは、ただの気まぐれだ。

 私たちが生きているのは、あいつの「情け」の上にある。

 私は震える拳を、硬い床に叩きつけた。


「……クソッ!!」


 悔しい。

 力の差が、あまりにも大きすぎる。

 こんな力で、この子を守れるのか?

 次に南部大剣が現れた時、私はあいつを止められるのか?


「ヴィオラ……?」


 レベッカが心配そうに覗き込む。


「……もっと、強くならなきゃいけない」


 私はカノンの小さな手を、自分の汚れた手で握りしめた。

 この温もりを、他人の気まぐれに委ねてはいけない。

 私が、私の力で、確実に守り抜けるようにならなければ。

 地下ドックの冷たい空気の中、カノンの無邪気な笑い声だけが響いていた。

 それは私にとって、癒やしであると同時に、残酷なまでに重い「責任」の音色だった。

 戦いは終わらない。

 南部大剣という絶望は、必ずまたやってくる。

 その時こそ、あいつを本当の意味で跪かせてやる。

 私はそう心に誓い、カノンを強く抱きしめた。


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