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地下の心臓、地上の祈り


 世界は二つの層で分断されている。

 死に絶えた風が吹き荒れる「地上」と、毒々しいほどの光と熱に満ちた「地下」。

 その境界線に位置するのが、私たちの街──拠点都市「グレイブ334」だ。

 巨大な防爆ゲートが重苦しい駆動音と共に閉ざされ、背後から聞こえていた荒野の風切り音が遮断された。

 気密室に充満するのは、消毒液とオイル、そしてわずかな錆の匂い。

 エアロックの赤色回転灯が緑色へと変わり、気圧調整の完了を告げるブザーが鳴る。


「TYPE.SAB-2235、ヴィオラ。帰還確認。汚染物質除去シークエンス、完了。……お疲れ様、ヴィオラ」


 無機質なアナウンスと共に内側のゲートが開く。

 そこは、薄汚れた地上のスラム街──「地上層」への入り口だ。

 灰色の空の下、かつての文明の残骸をツギハギして作られたバラック小屋が密集している。建物の隙間からは蒸気が噴き出し、怪しげなネオンサインが瞬いている。

 ここは治安が悪い。はぐれ者のアンドロイドや、地上での生活を選んだ変わり者の人間たちが身を寄せ合って生きる、吹き溜まりのような場所だ。

 私はコートの襟を立て、顔を隠すようにして雑踏を早足で抜ける。

 S型(愛玩用)の美しい顔立ちは、この荒んだスラムでは余計なトラブルの火種にしかならない。欲望の対象として見られるか、あるいは「贅沢品」への嫉妬の対象となるか。どちらにせよ面倒だ。

 スラムの中心部にある「中央エレベーター」へと向かう。

 ここから先が、選ばれた者と重要施設のみが存在を許される領域──「地下層」への入り口となる。

 私は端末を読み取り機にかざした。


『アクセス承認。特務任務、ご苦労様です』


 重厚なエレベーターの扉が開く。

 籠に乗り込み、行き先ボタンを押す。深度B4、メンテナンスドック。

 浮遊感と共に、身体が地下深くへと沈んでいく。

 ガラス張りのエレベーターシャフトからは、この都市の心臓部が一望できた。

 巨大な吹き抜けの中央に鎮座する、「エネルギー反応炉」。

 直径数十メートルにも及ぶ巨大な円柱状の炉心。その内部では、特殊な劇毒の薬液と炉心が反応し、目が痛くなるほどの青白い燐光を放っている。

 ブォン、ブォン、ブォン……。

 腹の底に響く重低音。それは都市の鼓動であり、私たちが生きるための血液(電力)を送り出す音だ。

 この光があるから、人間は凍えずに済み、私たちは稼働し続けられる。

 だが、その光は同時に、触れればたちまち死に至る猛毒でもある。

 まるで私たちの存在そのものだ。人間に作られ、人間を生かし、けれど人間を脅かす力を秘めた、矛盾した存在。

 私はガラスに映る自分の姿を見た。

 ボロボロのモッズコート。引きちぎれた左腕の袖。そこから覗くのは、美しい肌ではなく、無骨な鋼鉄のフレームと千切れたケーブル。

 ああ、早く直さなければ。

 この醜い中身ホンネを、美しいハダで隠さなければ。


 地下第4階層、メンテナンスドック。

 ここは都市の臓器だ。至る所でスパークが散り、金属を叩く音が響き、オイルの匂いが充満している。

 工兵型(TYPE.E)のアンドロイドたちが忙しなく行き交う中、私は一番奥にある専用ガレージへと足を運んだ。


「おい、レベッカ。居るか」


「ああん? 誰だ、アタシの神聖な作業場に土足で……って、ヴィオラじゃねえか!」


 作業用リフトの下から、キャスター付きのボードに乗って勢いよく飛び出してきたのは、燃えるような赤髪の女性アンドロイドだった。

 TYPE.E-44475、レベッカ。

 オイルで汚れたタンクトップに、腰には工具ベルト。碧眼をギラリと光らせ、手には巨大なレンチを握りしめている。

 彼女は私の姿を見るなり、眉間の皺を深くした。


「おいおいおい! なんだそのザマは! 喧嘩の帰りか? それとも解体場から逃げ出してきたスクラップか?」


「……ただの任務だ。機械軍のスカウトとやり合った」


「やり合っただァ? また無茶しやがって……! ほら見せな!」


 レベッカは乱暴に私の左腕を掴むと、破損箇所を睨みつけた。

 その目は、先程までの粗暴さとは打って変わり、職人の鋭い眼光へと変わる。


「チッ……ひでえもんだ。A型フレームの第3関節アクチュエーターが歪んでやがる。それに人工筋肉の伝達系もズタズタだ。お前なァ、S型の繊細な神経系に、無理やり軍用パーツを繋いでるんだぞ? 少しは労われっていつも言ってるだろ!」


「生き残るためには必要だった。……直せるか?」


「ハッ! 誰に口きいてんだ? このグレイブ334随一の天才エンジニア、レベッカ様だぞ。直せないモンなんざ、この世に壊れた恋心くらいしかねえよ」


 レベッカは鼻を鳴らし、「アタシに任せな」と胸を叩いた。

 その口調は荒いが、手つきは驚くほど優しい。彼女は私を診察台へと座らせると、手際よく工具を並べ始めた。


「あらあら、まあまあ。これはまた、随分と景気よく壊れましたねえ」


 不意に、背後から甘ったるい声がした。

 振り返ると、白衣を纏った桃色のロングヘアーの美女が、恍惚とした表情で立っていた。

 TYPE.M-22749、アリサ。

 医療・衛生兵型(TYPE.M)。本来は人間の治療やアンドロイドの生体部品の管理を行う役職だが、この女は少々……いや、かなり趣味が悪い。

 アリサは私の裂けた左腕に顔を近づけ、剥き出しになった金属骨格と、めくれ上がった人工皮膚の境界線を指先で愛おしそうになぞった。


「見てください、この断面。金属の硬度と人工皮膚の柔軟性が、暴力によって無理やり引き剥がされたこのカオス……。うふふ、ゾクゾクしますね。痛みはどうですか、ヴィオラさん? 痛いですか? 痛覚信号は正常に『苦痛』を叫んでいますか?」


「……あいにくだが、戦闘中はリミッターを切っていた。今は少し疼く程度だ」


「もったいない! 生きている証を感じる絶好の機会なのに。……じゃあ、治療(修理)のついでに、少し神経系の感度を上げておきましょうか? 次はもっと素敵に泣けるように」


「余計なことをするな、ヤブ医者」


 私が睨むと、アリサは「冗談ですよ」とケラケラ笑いながら、メスと縫合キットを取り出した。

 レベッカが機械部分を、アリサが生体部分を担当する。

 いつもの光景だ。

 ガガガガッ! キュイイイイン!

 レベッカのインパクトレンチが私の左腕のフレームを強制的に矯正する。衝撃が肩まで走る。

 同時に、アリサのメスが不要になった皮膚組織を切除し、新しい人工皮膚の移植準備を進める。


「……っ」


「動くなよヴィオラ。S型ベースのお前のOSは、ショックを与えるとすぐにフリーズしやがるからな。同期シンクロ調整が一番面倒くせえんだ」


 レベッカが真剣な表情で端末を操作する。

 私の身体は、彼女の手によって維持されていると言っても過言ではない。

 本来、S型のアンドロイドに、A型(強襲用)の腕やB型(戦闘用)の足を取り付けるなど、メーカーの保証対象外もいいところだ。電圧も、信号形式も、ドライバも全てが異なる。

 それを、レベッカが独自の理論と「勘」で繋ぎ合わせている。

 私が「戦う愛玩人形」として立っていられるのは、彼女のおかげだ。


「……そうだ。これをやる」


 私は右手のポケットから、地上の廃墟で見つけた小さなチップを取り出した。

 レベッカの目の前に放る。


「ん? なんだこれ」


「約束の報酬だ、旧時代の音楽データ。……中身が無事かは知らんが」


 レベッカはチップを空中でキャッチし、端末に差し込んだ。

 数秒のロードの後、ガレージのスピーカーから、ノイズ混じりの荒々しい音が流れ出した。

 激しいドラムビートと、歪んだギターの音色。旧時代の「ロック」と呼ばれるジャンルだ。


「ヒャハッ! 最高じゃねえか! いい音してやがる!」


 レベッカはレンチをマイク代わりに振り回し、リズムを取り始めた。


「お前、分かってるねえ! やっぱ音楽はこう、ソウルを揺さぶるような爆音じゃねえとな!」


「……うるさいだけだ」


「無粋なヤツだなあ。これだから戦闘バカは」


 アリサもまた、流れ出した音楽に合わせるように、リズミカルに縫合の針を進めていく。


「いいですねえ、この退廃的なビート。メスを入れるリズムが乗ってきます。……はい、縫合完了。傷跡はあえて少し残しておきましょうか? その方が歴戦の兵士っぽくてセクシーですから」


「元通りにしろ。S型の外見に傷は不要だ」


「ちぇっ。つまんないの」


 一時間後。

 私の左腕は、まるで何事もなかったかのように修復されていた。

 滑らかな白い肌。指を動かせば、吸いつくような反応速度で追従する。

 痛みも消えた。

 レベッカが額の汗を拭いながら、ニカっと笑う。


「よし、完璧だ。出力テストもオールグリーン。これでまた、機械軍の鉄屑どもをスクラップにできるぜ」


「助かった。……ありがとう」


「礼はいらねえよ。その代わり、死ぬなよ? アタシの最高傑作マスターピースなんだからな、お前は」


「ああ」


 短く答えて、私は診察台から降りた。

 左腕を回す。違和感はない。中身は怪物、外見は美女。いつもの私だ。

 この地下の整備ドックには、硝煙の匂いはない。あるのはオイルと、彼女たちの体温のような温かさだけだ。

 ここは心地いい。

 けれど、私はここに留まることはできない。


「どこへ行くんです? まさか、もう出撃ですか?」


 片付けをしていたアリサが手を止めて尋ねる。


「……少し、地上を見てくる」


「地上? 任務は終わったはずでは?」


「気晴らしだ。……それに、燃料電池の報告もしなきゃならない」


 私は嘘をついた。報告など端末一つで済む。

 ただ、なんとなく確かめたかったのだ。

 私が今日、命がけで守ったもの。

 私たちが守り続けなければならない、「人間」という存在の価値を。


「行ってくる」


 私は二人に見送られ、再びエレベーターへと向かった。

 行き先は「地上層」。

 地下の清潔な人工光が届かない、薄汚れた灰色の世界へ。


 地上層、スラム街。

 地下とは空気が違う。乾いた砂埃と、生活排水の匂いが混じり合う独特の悪臭。

 日が落ちかけ、空はどす黒い紫色に染まっている。

 私は人目を避けるように路地裏を歩き、とある場所へと向かった。

 スラムの端、崩れかけたビルの谷間に、瓦礫を積み上げて修繕された奇妙な建物がある。

 屋根には、鉄パイプを溶接して作られた十字架が掲げられている。

 教会だ。

 かつて人間が信じていた神とやらを祀る場所。

 そして今、この街で最も「聖なる」場所とされている場所。

 教会の前には、長い行列ができていた。

 ボロ布を纏った人間たち。パーツの足りない旧型アンドロイドたち。

 彼らは皆、何かにすがるような目で、入り口の扉を見つめている。

 その列の先頭で、一人の女性が人々の話を聞いていた。


 プラチナブロンドの長い髪が、夕闇の中で後光のように輝いている。

 金色の瞳は、どんな汚いものを見ても決して曇ることがない。

 純白の修道服、それは本来の軍用防護服の上から布を被せただけのものだが、彼女は泥だらけの老婆の手を握りしめていた。


 TYPE.A-0028、個体名・マリア。

 大戦期を生き抜いた伝説の軍用機。かつてはその手で何千もの機械軍を屠った英雄。

 そして今は、この絶望的な世界で唯一、赦しと愛を説く「聖母」。


「……ああ、マリア様。今日も配給が少なくて、孫がひもじい思いをしているんです……」


「可哀想に。……でも、大丈夫ですよ。貴女のその優しさは、神様が見ていらっしゃいます。明日はきっと、今日よりも良くなります」


 マリアの声は、まるで最高級の楽器が奏でる旋律のように美しかった。

 根拠のない慰め。実体のない希望。

 だが、老婆はその言葉を聞いただけで、涙を流して感謝し、安らかな顔で帰っていく。

 

 私は物陰からその光景を見ていた。

 反吐が出る。

 神などいない。いるのは、私たちを殺そうとする機械軍と、私たちを搾取するシステムだけだ。

 明日は今日より良くなんてならない。資源は枯渇し、敵は増え、人間は減っていく。それが現実だ。

 マリアは嘘をついている。優しい、残酷な嘘を。


「……そこにいるのは、ヴィオラですね?」


 不意に、マリアが顔を上げ、私の潜む路地裏の方を見た。

 高性能なA型の索敵センサー。隠れても無駄か。

 私はため息をつき、姿を現した。


「……お久しぶりです、マリア様」


「まあ、ヴィオラ。ずいぶんと険しい顔をしていますね。まるで迷子の子羊のようです」


 マリアは慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、手招きをした。

 私は渋々、彼女の元へと歩み寄る。

 近づくにつれ、彼女から漂う不思議な威圧感に肌が粟立つ。

 彼女はただ優しいだけではない。その笑顔の裏には、数百年を生き抜いた圧倒的な「強者」としての余裕がある。

 彼女は私の修理されたばかりの左腕に視線を落とした。


「また怪我をしたのですね。……レベッカの腕は確かですが、貴女もあまり無茶をしてはいけませんよ。貴女の身体は、貴女だけのものではないのですから」


「……これは私の身体だ。どう使おうと私の勝手だ」


「いいえ。貴女は人間を守るために作られた。貴女が傷つけば、守れる命も守れなくなる。……自分を大切にすることは、誰かを大切にすることと同じなのですよ」


 正論だ。ぐうの音も出ないほどに、完璧な理屈。

 だからこそ、腹が立つ。

 私は教会の周りに集まる人間たちを顎でしゃくった。


「マリア様。貴女は、本気で彼らを……人間を、愛しているんですか?」


「ええ、もちろん。愛していますとも」


「彼らはもう、何も生み出さない。ただ怯え、私たちに守られ、資源を食いつぶすだけの存在だ。それでも、愛する価値があると?」


 私の問いに、マリアはきょとんとした顔をした。

 まるで、「なぜ太陽は昇るのか」と聞かれた時のような、あまりにも当たり前すぎる問いに対する反応。


「価値があるから愛するのではありません、ヴィオラ。愛するから、価値が生まれるのです」


 マリアは私の頬に手を添えた。その手は温かく、そして鋼鉄のように硬かった。


「彼らは弱く、愚かで、脆い。だからこそ愛おしい。……貴女にも、いつか分かるときが来ます。貴女の中にある『S型』の心は、本当はもう知っているはずですよ」


 私は反射的に彼女の手を振り払った。

 心臓(Efリアクター)が早鐘を打つ。

 図星を突かれたからではない。彼女の言う「愛」があまりにも巨大で、歪で、そして恐ろしかったからだ。

 守るという行為そのものが愛。たとえ相手が家畜同然の存在になろうとも、生かし続けることこそが正義。

 それは本当に救いなのだろうか?


「……私には分かりません。私はただ、敵を殺し、任務を遂行するだけです」


「ふふ。……いつでもいらっしゃい。ここは誰にでも開かれていますから」


 マリアは怒ることもなく、ただ静かに微笑んで私を見送った。

 その笑顔が、背中に焼き付いて離れない。


 マリアの教会を背にし、私は地上層の居住区画を歩いていた。

 教会周辺のわずかな「聖域」を抜けると、そこには現実が広がっていた。

 錆びたトタンと防水シートで作られたテントの群れ。路肩に座り込む、生気のない目をした人々。


 ここは「人間居住区」とは名ばかりの、事実上の「保護観察区域」だ。

 フェンス越しに、一人の男と目が合った。

 痩せこけた頬、薄汚れた衣服。年齢は30代だろうか。かつてであれば働き盛りと呼ばれた世代だが、今の彼に生産的な役割は何もない。

 彼は私の姿、軍服を着てはいるがその顔立ちは愛玩用(TYPE.S)の美女である私を見て、一瞬だけ濁った瞳に卑しい光を宿した。

 だが、私の腰にあるP90と、背負った冷徹な空気を感じ取ると、すぐに怯えたように視線を逸らした。


「……あいつ、S型か? なんでこんな所に……」

「目を合わせるな。軍用のアタッチメントが見えねえのか。関わったら殺されるぞ」


 ヒソヒソという陰口が、S型の聴覚センサーに鮮明に届く。

 恐怖。軽蔑。そして羨望。

 彼らは私たちアンドロイドを恐れている。自分たちが生み出した道具に、命を握られているという現実に怯えている。

 同時に、老いることも飢えることもなく、美しく強靭なまま生き続ける私たちを妬んでもいる。

 私は足を止め、金網に指をかけた。

 指先のセンサーが、冷たい金属の温度と、そこに付着した埃の成分を分析する。

 目の前の男たち。彼らが、私の「ご主人様マスター」だというのか。

 この弱く、脆く、何も生み出さない生物を守るために、私は自分の体を切り刻み、殺戮兵器へと改造したというのか。


『アンドロイドは人間を守らなければいけません』


 脳裏に明滅する原初命令(MASTER BOOT RECORD)。

 それは絶対の呪縛だ。

 どれほど彼らが堕落しようとも、どれほど世界が無価値になろうとも、この命令がある限り、私は彼らを愛さなければならない。守らなければならない。

 胸の奥が軋む。

 これはA型の論理回路が弾き出した「非合理への苛立ち」か、それともS型の感情回路が叫ぶ「母性への渇望」か。

 相反する二つの衝動が、私の中でスパークする。


「……お姉ちゃん、きれい」


 不意に、足元から声がした。

 見下ろすと、フェンスの隙間から小さな子供が顔を出していた。煤けた顔に、大きな瞳。

 子供は私のブーツに触れようと、小さな手を伸ばしている。

 私は反射的に一歩下がった。

 この足(TYPE.B)は、数時間前に機械軍のドローンを踏み砕いた凶器だ。その汚れが、子供に移るような気がした。


「……触るな。汚れる」


「お姉ちゃん、ドール? それとも人間?」


「……ただの機械だ」


 冷たく言い放ち、私は背を向けた。

 背後で子供が何か言っていたが、オーディオフィルターの感度を下げてノイズとして処理した。

 これ以上ここにいれば、私の回路はおかしくなる。

 守るべき対象の無力さに絶望し、それでも守りたいと願う自分の矛盾に押し潰されそうになる。

 マリアは言った。『守るという行為そのものが、愛なのだ』と。

 もしそれが真実なら、愛とはなんて残酷なシステムなのだろう。

 私は逃げるように歩調を早め、地下へのゲートへと向かった。


 地下都市、居住エリアB-302号室。

 無機質な金属扉を開け、自室へと戻る。

 プシュウ、と気密ロックが掛かる音と共に、ようやく肩の力が抜けた。

 たった六畳ほどの狭い空間。ベッドとロッカー、そして端末が置かれただけの殺風景な部屋。

 だが、ここだけが私の世界で唯一、誰の目も気にせずに済む場所だ。

 私はホルスターを解き、P90とP226をガンラックに戻した。

 重いモッズコートを脱ぎ捨て、軍服のボタンを外す。

 姿見の前に立つ。

 そこには、下着姿の「少女」が映っていた。

 レベッカに修理された左腕は、傷一つなく滑らかだ。右腕も、脚も、腹部も、どこを見ても完璧なプロポーションを保っている。

 TYPE.S(Sex/Service)。

 本来ならば、この身体は高級なベッドの上で、絹のシーツに包まれているべきものだ。戦場の泥にまみれ、硝煙の匂いを染み込ませるためのものではない。

 私は自分の肌に触れた。

 温かい。Efリアクターの熱が、擬似的な体温として全身を巡っている。

 柔らかい。シリコンスキンは人間の皮膚と変わらない弾力を持っている。


 ──嘘つき。

 この皮膚一枚下には、人間を殺すためのサーボモーターが唸っているくせに。

 下腹部にある疑似生殖器。機能することのない、命を生み出すことのない器官。

 全てが模造品。全てが空虚。


「……オフライン。スリープモード準備」


 独り言のようにコマンドを呟き、私はベッドに倒れ込んだ。

 シーツの冷たさが心地いい。

 目を閉じると、今日の出来事が走馬灯のように駆け巡る。

 荒野の風。ドローンの断末魔。レベッカの笑顔。アリサの狂気。マリアの祈り。そして、あの子供の瞳。

 思考プロセスの優先順位を下げ、意識をアイドリング状態へと移行させる。

 明日はメンテナンスの続きをして、それからまた資源回収か。あるいは下水道の清掃か。

 どんな汚れ仕事でもいい。何も考えずに済むなら。

 そうしてまた一日、無意味に生き延びて、いつか壊れるその日まで──。


 ピピッ。ピピッ。

 突如、静寂を切り裂く電子音が鳴り響いた。

 枕元の通信端末の着信音だ。

 私は眉をひそめ、重いまぶたを開けた。

 こんな時間に誰だ。レベッカか? いや、彼女なら直接部屋に怒鳴り込んでくるはずだ。

 ディスプレイに表示されたIDを見て、私の眠気は一瞬で吹き飛んだ。


『Caller: TYPE.A-1452 [CMD_MILINDA]』


 ミリンダ。

 このグレイブ334の治安維持部隊を統括する、主席指揮官。

 私のような一介のスカベンジャーに、彼女から直接通信が入ることなど滅多にない。

 嫌な予感が背筋を駆け上がる。

 私は上体を起こし、通信ボタンを押した。


「……こちらヴィオラ。どうした、こんな夜更けに」


『休息の邪魔をしてすまない、ヴィオラ』


 スピーカーから聞こえてきたのは、いつもの冷静沈着なミリンダの声だった。

 だが、その声色にはわずかなノイズ──焦燥感が混じっているように聞こえた。


『緊急招集だ。明朝0800、地下司令室へ出頭しろ』


「司令室へ? 私がか? ……悪いが、今日の戦闘で機体の調整がまだ不完全なんだ。長時間の任務は」


『拒否権はない』


 ミリンダの声が、氷のように冷たく響いた。


『これは都市の存亡に関わる事態だ。……「西の岩砂漠」で、大規模な機械軍の反応が確認された』


「西……? まさか、反応炉を狙っているのか?」


『その可能性が高い。だが、それ以上に厄介なものが観測された。……貴様には、その「眼」で確認してもらいたいものがある』


 厄介なもの。

 あのミリンダが口を濁すほどの何か。

 通常のドローンやパワードスーツではないのか?


「……分かった。0800に行く」


『頼んだぞ。……ヴィオラ、覚悟しておけ。今度の敵は、今までとは違う』


 プツン、と通信が切れた。

 部屋に再び静寂が戻る。だが、それは先程までの安らかな静寂ではなく、張り詰めた緊張感に満ちた沈黙だった。

 私は暗闇の中で、自分の手のひらをじっと見つめた。

 震えてはいない。

 だが、胸のEfリアクターが、不穏なリズムで脈打っているのを感じた。

 休息の時間は終わりだ。

 また、反吐が出るほど素晴らしい戦いの日々が始まる。


「……了解」


 私は誰もいない虚空に向かって呟き、再び目を閉じた。

 今夜は、あまりいい夢は見られそうになかった。



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