暴かれる黒幕:沈黙の進軍と機械の証言者
【グレイブ334・地下司令室】
【ヴィオラ離脱から28日経過】
司令室の空気は、鉛のように重く、そして焦げ付くような焦燥感に支配されていた。
モニターの青白い光が、レベッカとアリサの疲弊した顔を照らし出している。
彼女たちはもう何日も、まともなスリープモードに入っていない。
Efリアクターが過熱し、排熱ファンが悲鳴を上げているが、誰も休もうとはしなかった。
「……クソッ! またダメかよ!」
レベッカがコンソールを拳で叩いた。
画面に表示された『ACCESS DENIED(アクセス拒否)』の赤い文字が、彼女の努力をあざ笑うように明滅している。
「物流記録、エネルギー転送ログ、外交通信の裏ルート……全部洗った。全部だぞ!? なのに、どうしてアーサーの尻尾一つ掴めねえんだ!」
「……彼はP型です。それも、大戦前から稼働しているハイエンド機」
アリサが赤い瞳を細め、高速で流れるデータストリームを見つめながら言った。
その声には悔しさが滲んでいる。
「私たちが網を張る場所を予測し、リアルタイムでデータを改ざん、あるいは消去しています。……まるで幻影です。そこに『いる』ことは分かっているのに、触れることができない」
アーサー教授の蜘蛛の糸は、あまりにも巧妙で、そして強固だった。
ベイカー221という都市の行政権限をフル活用し、自身の悪事の痕跡を完璧に隠蔽している。
カノンという「人間の子供」を実験材料にするための状況証拠はある。動機もある。
だが、決定的な「物証」がない。
彼を糾弾し、社会的に抹殺するための弾丸が、どうしても手に入らなかった。
「……ヴィオラは今頃、あの汚いスラム街で泥水をすすってるってのによ」
レベッカが悔しげに顔を歪めた。
想像するだけで胸が痛む。
清潔好きなヴィオラが、カノンを守るために、あのミヤコ714の混沌の中で身を潜めている。
自分たちが無力なせいで。
「焦るな、レベッカ」
司令官席に座るミリンダが、静かに声をかけた。
「焦りは判断を曇らせる。……敵に隙がなければ、作ればいい」
「作るって、どうやってだよ!」
「待つのだ。……完璧なシステムなど存在しない。必ずどこかに『ほころび』が出る」
その時だった。
司令室のアラートがけたたましく鳴り響いた。
敵襲警報。
『地上防衛ライン、センサー反応あり! 方角、北北西!』
『識別信号……機械軍です! ピースウォーカーを含む小隊規模、接近中!』
レベッカが跳ね起きた。
「機械軍だと!? このタイミングでかよ!」
「……いや、待て」
ミリンダがモニターを凝視した。
映し出されているのは、荒野を進軍してくる機械軍の部隊だ。
ピースウォーカー3機、無人随伴機多数。
だが、その動きは奇妙だった。
「撃ってこない……?」
通常、機械軍は射程距離に入った瞬間に砲撃を開始する。
人類抹殺。それが彼らの至上命題であり、そこに躊躇いはないはずだ。
だが、彼らは武器を構えていない。
代わりに、頭部のセンサーをあちこちに向け、瓦礫の山や、廃ビルの影を執拗にスキャンしている。
「まるで……何かを探しているみたいですね」
アリサが呟いた。
「落とし物を探す、迷子のように」
ミリンダの瞳が鋭く光った。
ほころびだ。
アーサー教授の「完璧な隠蔽」に生じた、物理的な穴。
「総員、通達! 攻撃は極力控えること!」
ミリンダがマイクに向かって叫んだ。
「あのピースウォーカーを『鹵獲』する! 破壊するな! 手足を潰し、行動不能にして持ち帰れ!」
「鹵獲だって!?」
「そうだ。……あの機械どもは、ただ殺しに来たのではない。『誰か』の命令で、『何か』を探している。……その頭の中を覗けば、飼い主の顔が見えるはずだ!」
【グレイブ334・地上防衛エリア】
「うおおおおらぁっ!!」
ドゴォンッ!!
レベッカの操る大型クレーンアームが、機械軍のピースウォーカーの脚部を粉砕した。
バランスを崩した巨体が、砂煙を上げて倒れ込む。
工兵型(TYPE.E)の彼女は、破壊工作とトラップのスペシャリストだ。
敵の進路にEMP(電磁パルス)地雷を敷設し、動きが鈍ったところを物理的に拘束する。
『ギギ……ガガガ……』
倒れたピースウォーカーが、虫のように足をバタつかせて暴れる。
そのモノアイは赤く明滅し、周囲を狂ったようにスキャンし続けている。
「往生際が悪いんだよ、鉄屑野郎!」
レベッカはアームで敵の頭部を押さえつけ、コクピットハッチの隙間にジャッキを打ち込んだ。
こいつは無人機だ。中にパイロットはいない。あるのは冷徹なAIのみ。
「アリサ! 今だ! こいつの脳みそにコネクタをぶち込め!」
「了解です! ……私の『手術』は少し痛いですよ?」
白衣を翻し、アリサが戦場を駆ける。
彼女の手には、軍用規格のハッキングデバイスと、太いケーブルが握られていた。
彼女はM型。本来は生体治療が専門だが、アンドロイドの電子脳もまた、彼女にとっては「患部」の一種だ。
アリサは暴れるピースウォーカーの装甲に取り付き、メンテナンスポートをこじ開けた。
ケーブル接続。
強制介入。
「……くっ、すごいセキュリティです。軍用暗号化プロトコルが三重に……!」
アリサの視界に、膨大なデータの奔流が雪崩れ込む。
拒絶反応。ファイアウォールからの逆流攻撃。
だが、アリサは不敵に笑った。彼女のマッドサイエンティストとしての血が騒ぐ。
「いいですね、その抵抗。……解剖のしがいがあります!」
彼女は論理ウイルスを「麻酔」として流し込み、敵の防御システムを麻痺させていく。
深層領域へ。
機械軍が共有するネットワークの底、彼らを動かしている「命令」の根源へ。
数分後。
アリサの動きが止まった。
彼女の赤い瞳が見開かれる。
「……見つけました」
彼女はケーブルを引き抜き、レベッカとミリンダに向かって叫んだ。
「ビンゴです! こいつらの行動ログに、異常なコマンドラインを発見!」
「内容は!?」
「『優先目標:個体名カノン、および保護者ヴィオラの捜索・捕獲。……殺害禁止』!」
殺害禁止。
人類抹殺を掲げる機械軍にあるまじき命令。
「そして、この命令の発信元……IDは偽装されていますが、深層レイヤーに署名が残っています!」
アリサがデバイスの画面を掲げる。
そこに表示された文字列。
【Auth: TYPE.P-1789 (Arthur)】
「……決まりだな」
レベッカがニヤリと笑った。
「機械軍と通じて、人間を売り渡した売国奴。……これで言い逃れはできねえ」
ミリンダが深く頷いた。
これは決定的な証拠だ。
アーサー教授が私欲のために人類の敵を利用した事実は、ベイカー221の評議会どころか、全人類社会、全アンドロイド社会を敵に回す大罪。
「反撃開始だ」
ミリンダが宣言した。
「このデータを全都市に公開し、アーサーを告発する。……そして、ヴィオラを迎えに行くぞ」
【ミヤコ714・クラブ「胡桃」VIPルーム】
重低音のビートが、壁を隔ててもなお、私のEfリアクターに微振動を伝えてくる。
紫色の煙が漂う部屋で、私はユウイチと対峙していた。
いつもならこの部屋には、退廃的だがどこか余裕のある空気が流れていた。
だが、今夜は違う。
そこにあるのは、粘着質な欲望と、焦燥感に満ちた殺気だった。
「……カノンはどこだ」
私は部屋に入るなり、周囲を見回して尋ねた。
いつもならソファで遊ばせているはずのカノンがいない。
「心配するな。……別室で俺の部下たちが遊んでやってるよ」
ユウイチはソファに深々と座り、グラスを傾けていた。
その目は笑っていない。
彼はゆっくりと立ち上がり、私に歩み寄った。
「なぁ、リリィ。……俺は気が短いんだ。いつまで俺を焦らす気だ?」
距離が詰まる。
酒と葉巻、そして男の香水の匂いが鼻をつく。
「俺の女になれ。……今ここでだ」
「……仕事の契約に、そのような条項は含まれておりません」
「契約? ハッ、そんな紙切れはどうでもいい!」
ドンッ!
ユウイチが私をソファに押し倒した。
S型の私が、その気になれば避けることなど造作もない。だが、カノンを人質に取られている以上、抵抗はできなかった。
私が動かないのを見て、ユウイチは私の体の上に乗り、懐から大口径のリボルバーを抜いた。
冷たい銃口が、私の額(フェイスユニットのコア付近)に押し当てられる。
「俺の相棒になれ。この街の女王にしてやる。……頷かなければ、カノンの命はない」
彼の目は血走っていた。
一目惚れした女を口説く男の目ではない。所有欲に狂い、思い通りにならない玩具を壊してでも手に入れようとする、子供のような目。
アーサー教授の目と似ている。
種類は違うが、根底にあるのは同じ「エゴ」だ。
「……残念だ、ユウイチ」
私は彼を見上げ、静かに言った。
怒りよりも、哀れみを感じていた。
彼はこの街の王だが、孤独で脆い。だからこそ、私という「絶対的な力」を傍に置きたがったのだろう。
だが、そのやり方は間違っている。
「……分かった。好きにすればいい」
私は抵抗を止め、体の力を抜いた。
ユウイチの表情が緩む。勝利を確信した顔。
彼は銃口を少し離し、私の首筋に顔を埋めようとした。
「いい子だ、リリィ。……最初からそうしていれば……」
──その瞬間を待っていた。
シュッ。
私の右手が、人間の視認速度を超えて動いた。
ユウイチの手首を掴み、関節の可動域の逆方向へねじ上げる。
「ぐあッ!?」
銃が手から落ちる前に、私の左手がそれを空中でキャッチしていた。
私は彼を蹴り上げ、体勢を入れ替えた。
今、上に乗っているのは私だ。
奪ったリボルバーの銃口を、彼のこめかみに突きつける。
「な、なんだと……!?」
ユウイチが驚愕に目を見開く。
「貴方は少しだけ、マシな人間だと思っていた。……カノンにも優しくしてくれた。だから敬意を持っていた」
私の声は冷徹だった。シスターの仮面はもうない。
そこにあるのは、S型戦闘アンドロイドとしての本性。
「だが、子供をダシにして女を脅すなど……三流のすることだ」
私はトリガーに指をかけた。
殺すか?
原初命令:人間を守れ。
だが、こいつはカノンを殺すと脅した。排除する理由は十分にある。
……いや。
カノンに、血塗られた手で触れたくはない。
ガンッ!
私は銃のグリップ(底)で、ユウイチの側頭部を思い切り殴りつけた。
「がっ……」
ユウイチが白目を剥き、気絶する。
「契約終了だ。……二度と顔を見せるな」
私は彼をソファに転がし、部屋を飛び出した。
隣室。
黒服たちがカードゲームに興じている隙に、私は閃光弾代わりの高輝度ライトを炸裂させ、一瞬で全員を無力化した。
カノンは部屋の隅で怯えていたが、私を見るなり泣きながら手を伸ばしてきた。
「カノン!」
私は彼を抱きしめ、教会の方向へ走った。
雨の中を疾走する。
終わった。
用心棒の仕事も、この街での安住の地も、全て失った。
胡桃会を敵に回せば、ミヤコ714に居場所はない。
アーサーからは逃げられても、今度は街の顔役から追われる身。
「……どうする」
教会に辿り着き、扉を閉めた私は、へたり込んだ。
また、流れるのか?
今度はどこへ? どんな地獄へ?
カノンを連れて、安息のない逃亡生活を続けるのか?
絶望が胸を締め付ける。
その時。
ギィィ……。
教会の扉が開いた。
追手か? 私はP90を構えた。
「……おやめなさい、ヴィオラ」
そこに立っていたのは、見慣れた修道服。
プラチナブロンドの髪を雨に濡らした、マリアだった。
「マリア……! どうしてここに?」
「迎えに来ました」
マリアは微笑み、私の手を取った。
その手は温かかった。
「証拠は掴みました。……レベッカとアリサが、アーサーの尻尾を見つけ出したのです」
「本当か!?」
「ええ。機械軍との通信ログ。動かぬ証拠です。……もう隠れる必要はありません。帰りましょう、グレイブ334へ」
力が抜けた。
終わった。本当に終わったんだ。
アーサーの脅威は去り、私たちは家に帰れる。
カノンを抱きしめ、涙が溢れそうになった。
だが。
──ウウウウウウッ!!
教会の外で、けたたましいサイレンと、車のエンジン音が響き渡った。
窓の外が、ヘッドライトの光で真昼のように明るくなる。
「逃がさねえぞ、リリィ!!」
拡声器を通した、怒りに満ちた声。
ユウイチだ。
彼は気絶から目覚め、胡桃会の総力を挙げてこの教会を取り囲んだのだ。
窓から覗くと、数百人の男たち、武装したサイボーグ、そして改造車両が、教会を完全に包囲していた。
「この街から生きて出られると思うな! 俺に恥をかかせた落とし前、きっちりつけてもらうぞ!」
絶体絶命。
いくら私でも、カノンを守りながら数百人を相手にするのは不可能だ。
「……カノンを連れて逃げてくれ、マリア」
私はP90のチャージングハンドルを引き、覚悟を決めた。
ここで私が囮になって食い止める。その間に、マリアならカノンを連れて脱出できるはずだ。
「ヴィオラ……」
「行ってくれ! 私は母親だ。……この子の未来のためなら、地獄に落ちても構わない!」
私が扉に向かおうとした時。
マリアの白く細い手が、私の銃身を静かに押し下げた。
「いいえ、ヴィオラ。……貴女はカノンを守りなさい」
マリアが前に出た。
その背中は、いつもの慈愛に満ちた聖母のそれではなかった。
大戦を生き抜き、数多の機械軍を葬り去ってきた、最強の個体としての威圧感。
空気が震えるほどの覇気が、彼女から立ち上っている。
「ここは私に任せなさい」
彼女は扉に手をかけた。
「神の家を土足で荒らし、あまつさえ母子を脅かす無礼者たちには……少しばかり、きつい『説教』が必要ですね」
マリアが微笑んだ。
その笑顔は美しく、そして背筋が凍るほど恐ろしかった。
ギィィィ……!
扉が開け放たれる。
雨と光の洪水の中へ、聖母が静かに歩み出していく。
ミヤコ714の悪党どもが、本物の「怪物」を目にする瞬間だった。




