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非業の死を遂げた男爵令嬢ですが、ただで転ぶつもりはありません。ドアマット幼女と一緒に幸せになります。

作者: 久遠れん

 両親が自死を選んだ。

 悲しみに暮れる暇もなく、主人がいなくなった屋敷に強盗が入った。


 執事がクローゼットに隠してくれたから、クレアは命は無事だったけれど、恐る恐る扉を開けると部屋には煙が満ちていた。


 屋敷に火をつけられたと理解したのは、彼女が幼い頃から仕えてくれていた老執事が部屋の中央で血を流して倒れているのを見つけて駆け寄ってからだった。


 十八年の時を過ごした自室には、黒い煙が充満している。

 外からは炎がはじける音がしていて、燃えさかる炎の熱がじわじわと彼女の肌を焼く。


「絶対に、許しませんわ……!」


 今更逃げても助からない。煙を吸い込むたびに喉が焼けるように痛む。

 事切れた執事を腕に抱いて、彼女は悔しさから唇を噛みしめる。


「あの人たちを、私は……!!」


 必ずこの恨み、晴らしてみせる。

 炎に包まれながら、クレアは最後に一筋の涙を流す。その涙すら、炎に飲まれて消えてしまった。






 瞬きを繰り返す。小さな手のひらを見つめて、ことんと首を傾げる。


(私、死んだはずでは?)


 炎が肌を焼き、肺に煙が入る苦しみを鮮明に覚えている。ぱちぱちとさらに瞬きを繰り返して、手のひらを握って開いてを繰り返す。生きている、と呆然と目を見開く。


 燃え落ちる屋敷から運よく助け出されたのだとして、目に映る小さな手のひらはどういうことなのかわからない。


 事態を飲み込めず困惑していると、ふいに薄暗い部屋の扉が開かれる。


「なにをしているの! さっさと働きなさい!!」


 罵倒を飛ばしてきた女性に見覚えがあった。

 彼女が恨んでいるマックリーン伯爵一家の夫人カルメンだ。


「相変わらずの間抜け面ね! 今日の食事は抜きよ!」


(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)


「?!」


 頭の中で声が反響する。驚いて小さな両手で頭を押さえたクレアの前で、カルメン夫人の罵声は止まらない。


「まったく! 本当に愚図でのろまなこと!!」


 言いたいだけ言って、ばたんと扉が乱暴に閉められる。空気が揺れて床の誇りが舞い上がった。

 事態を把握できないまま、彼女の頭の中ではひたすらに幼い声が「ごめんなさい」と繰り返している。


(どういうこと? この声は何?)

(おねえさん、ミランダのこえがきこえるの?)

(貴女、ミランダというの?)

(うん)


 涙の滲んだ声音だったが、意思の疎通は出来る。

 頭が可笑しくなったのかと思わないわけでもなかったが、ひとまず頭の中に響く幼い言葉に耳を傾けた。


 その結果わかったことは、胸糞の悪くなる事実だった。






 ミランダは三歳の時に母を亡くした。そのあとすぐ、父が継母と義姉を連れてきたという。

 三歳年上の義姉は継母と一緒になって、ミランダからすべてを取り上げた。


 ミランダは気づいていないようだったが、父が同じ姉がいるということは『そういうこと』だ。

 浮気をしていたのだとすぐに察せたが、クレアは沈黙を選んだ。

 世の中には知らないほうがいい現実だってある。


 ドレスもアクセサリーも自室も食事さえ、生きていくために必要なすべてを取り上げられて、ミランダは虐げられ続けた。


 昨日も一昨日もなにも食べていないのだという。

 お腹が空いて涙も出なくて、新しい自室だといわれた埃のつもる倉庫の片隅で震えていたらしい。


 昨日はミランダの誕生日だったらしいが、誰も祝ってはくれなかった。

 お腹が空いていることより、そのことのほうが悲しいのだと彼女はクレアに訴える。


 そうして、お腹が空きすぎてとうとう死を覚悟したミランダは、言いつけらている朝の仕事もできなかった。


 先ほど乗り込んできたカルメンの言葉から今日もまた食事を抜かれるのだと彼女はぐったりした様子で告げた。


(ありえないわ!!)


 クレアはマックリーン夫妻が大嫌いだ。

 彼女の両親は彼らによって殺されたも同然だった。


 ミランダの父であるファインズ男爵はマックリーン伯爵から多額の金銭を借り入れた。


 本来、返済には十年の猶予があったというのに、一年もたたないうちにマックリーン伯爵は手のひらを返して鬼のような取り立てを始めたのだ。


 クレアの母はカルメン夫人によってお茶会の席や夜会の席で、貴族社会に悪評を流され居場所をなくし、クレアの父は日々苛烈になる借金の取り立てに苦悩した。


 二人はそれぞれクレアに充てた手紙を残して自ら命を絶ってしまった。

 生きていてくれれば、きっといつかいいことがある。そう信じていたクレアを置いて逝ってしまった。


 両親が自ら死を選んだのは、クレアに苦労を掛けないためだった。

 自分たちが死ねば借金が亡くなると二人は信じていた。


 だが、実際には二人の葬儀も終わらぬうちに屋敷には物取りが入った。


 金目のものを持ち去るだけでは飽き足らず、クレアに寄り添ってくれた執事を無残に殺して、屋敷に火をつけたのだ。


(タイミングから考えても、無関係なはずがない)


 泣きつかれて静かになったミランダを意識しつつ、脳内で思考を巡らせる。

 両親が死んだ直後の強盗など、だれが裏で手を引いているかなど考えなくとも明らかだ。


(絶対に許さない)


 クレアはマックリーン夫妻を許さない。


 あまりに哀れなミランダはともかく、彼女を苛め抜いているというミランダの義姉のグレースも同類とみなした。


 五歳の子供が置かれるにはあまりに過酷な環境だ。知ってしまった以上、放置はできない。


 それに、どうやらクレアはミランダの身体に間借りしているようなので、このままミランダが憔悴して死んでしまえば、クレアも今度こそ死ぬのだろう。


(生き延びるわ、なんとしても)


 ミランダは理不尽な暴力への抵抗の方法を知らないが、ミランダは違う。

 十八年生きてきた彼女は憎悪と一緒に不屈の精神を持っている。


(夜まで息をひそめて、逃げ出すのよ)


 静かに呼吸を繰り返し、クレアはミランダから屋敷の構造を聞きだした。

 疲れ果てている様子のミランダはクレアの質問を疑問を抱いた様子もなく、全て答えてくれる。


 脱出ルートは定まった。

 クレアは日が暮れるのを待って、マックリーン家から着の身着のまま逃げ出した。






 屋敷が静まり返り、使用人たちも部屋に引っ込んだ深夜。そっと部屋の扉を開ける。

 外から鍵をかけられていないのは幸いだった。


 いままでミランダが抵抗らしい抵抗をしなかったことが功を奏した。

 そのまま静かに足音を殺して裏口から外に出る。


 屋敷の敷地を出て、クレアが目指したのは幼馴染の屋敷。


 デヴィッド・ブロンテ。

 クレアより二歳年上で、少し前に子爵家を継いだ彼なら、きっと助けてくれると信じている。


 息を切らせて夜道を走る。

 警ら隊に見つかれば屋敷に戻されてしまう可能性があったため、人目につかない道を選んだ。


 クレアの頭の中はすっかり静かだ。夜も更けているので、ミランダは寝てしまったらしい。

 身体の主導権はクレアに明け渡されている。


 どうにか見慣れたとおりに出た彼女は、ブロンテ子爵家の正面の門ではなく、裏に回った。


 この時間に小さな子供が訪ねてくれば、訳ありだとは伝わるだろうが、そもそも来訪に気づいてもらえるかわからない。

 ブロンテ子爵家には門番がいないのだ。


 裏庭に生えている一番大きな木をよじ登る。木を使って塀を超えて敷地内に転がり落ちた。

 強かに打ち付けた体をさすりながら、正面に回って屋敷の扉を叩く。


「デヴィッド! 私よ! クレアよ! 話を聞いてほしいの!!」


 どんどんと小さな手で扉を叩き続ける。あまり騒ぎたくはないが、今日の夜は冷える。

 外に長居していては風邪を引いてしまうだろう。ただでさえ、ミランダの身体はやせ細っているのだ。


 暫くクレアが玄関で大声を上げ続けると、ややおいてそっと玄関が開かれた。

 握った拳を降ろすと、そこには幼い頃からの付き合いの壮年の執事が佇んでいる。


「ジーク! デヴィッドを呼んでちょうだい! 信じられないかもしれないけど、私はクレアよ!」

「クレア様は亡くなられました。名前を語るなど、あまりに不敬。幼子とはいえ、看過できません」


 視線を鋭くしたジークの対応は、ごく当たり前のものだ。予想の範囲内である。

 だからこそ、クレアはにっと勝気な笑みを浮かべて腰に手を当てた。


「貴方がデヴィッドから取り上げたお酒の銘柄を当ててみせましょう。六十年物のワインは私のお父様からの成人祝い。お母様は西の名産のウイスキーを送ったわ。すぐに飲んでしまおうとしたデヴィッドに『クレア様が成人されてから二人でお飲み下さい』といって取り上げたのよ」

「?! なぜそれを……!」

「成人した次の日に夜更けまで飲んで、全部空にしたのよ。どちらもとても美味しかったわ。貴方も一杯だけ一緒に飲んだわね」


 懐かしい、と視線を伏せたクレアに、ジークの声音が震える。


「クレアお嬢様……?」

「ええ、私はクレアよ」

「っ!」


 目を見開いたジークがわななく口元を隠せずにいる。

 普段から冷静沈着が売りのジークがここまで動揺を露わにするなど、愛されていたのだと伝わってきて、複雑な気持ちになる。


(私の死は、どれだけ貴方たちを傷つけたのかしら)


 非業の死を遂げたと表現していい。

 屋敷に火を放たれて、炎に包まれて焼け死んだのだから。


 クレアを大切に思ってくれていたデヴィッドやジークはやりきれなかったと想像できる。

 立場が逆であれば、クレアなら泣きわめく。


「クレアお嬢様!!」


 膝を折ったジークがミランダの小さな細い体を抱きしめる。

 あまり力を入れると折れてしまうと思っているのか、ふんわりと腕の中に閉じ込められる程度だったのは気遣いだ。


「お嬢様、どうかお力をお貸しください」

「どうしたの?」

「……クレアお嬢様が亡くなられてからの坊ちゃんを、私は見ていられません……!」


 ジークと同じか、あるいはそれ以上に。デヴィッドはクレアの死を悼んでくれていると知る。

 浅く息を吐き出して、あえて彼女は明るく告げた。


「私に任せて!」


 笑顔を作ったクレアに、潤んだ瞳でジークが「よろしくお願いします」と告げる。




▽▲▽▲▽




 クレアが死んだ。屋敷に火を放たれて、あまりにも惨い死に方をした。

 明るくて、少し令嬢らしくないほど元気な彼女にデヴィッドは心を寄せていた。


 けれど、クレアの父であるマックリーン伯爵が多額の借金を抱えたことで、二人の婚約は白紙に戻ったのだ。


 クレアは「貴方に迷惑はかけられないわ」と微笑んだけれど、両親からも「あの子はいいご令嬢だけれど」と言いながら諦めるように説得されたけれど、無理を通せばよかったと思っても後の祭りだ。


 一度もクレアをこの腕に抱くことなく、彼女はこの世を去った。


 その日から、デヴィッドは浴びるように酒を飲んだ。昼も夜もひたすらに酒におぼれ続けた。

 現実逃避をしなければ、後を追いたくて仕方なかったから。


 だが、そんなことをしてもクレアは喜ばないと冷静な心が告げていた。だから、酒に逃げ続けた。


 今日もそうだ。

 クレアが亡くなって一週間が経とうとしていたが、デヴィッとの飲酒量は増える一方だった。


 部屋は空の酒瓶で溢れ、執事やメイドも寄せ付けず、ただ一人酒をあおる。

 そんな彼の耳に、幻聴が届いた。


「なにこれ! 酒はほどほどにしなさいっていつもいってるでしょう!!」


 声は明らかに高くて、幼いのに。でもそれは、明らかにクレアの声だった。

 驚いて振りかえったデヴィッドの視線の先に、腰に手を当てて呆れた表情を隠しもしない、やせ細った子供がいた。


 クレアとは似ても似つかない。けれど、本能的にクレアだ、と思った。


「クレア!!」


 酒が見せた幻でも構わない。もう二度と彼女を手放さない。

 アルコールが回ってふらつく足でなんとか駆け寄って縋りつく。


 腕の中に抱きしめてぎゅうぎゅうと力を入れると「ちょっと!」と声が上がった。


「痛いわよ! デヴィッド!! この体は私のじゃないんだから、大切に扱って!」


 文句の言葉すら懐かしい。クレアだ、クレアに違いないと、酒が見せる幻覚に向かってさめざめとデヴィッドは泣きついた。


「クレア、クレア……!」

「ねえ、聞いてる?! うわ! お酒臭い! こっち向かないで!!」


 辛辣な言葉も愛おしかった。

 腕の中の小さな体温を感じながら、デヴィッドは酒臭い呼吸を繰り返して愛の言葉を紡ぐ。


「愛している、愛しているんだ。クレア、もう君を手放さない!」

「そういうのは酔ってないときにいって! ロマンの欠片もないわ!」


 夢ならもっといい感じの返事をしてくれてもいいものを。

 そこまで思考が巡って、ようやく気付いた。腕の中にすっぽり収まる小さな体は、どうみても幻覚には思えない。


「……? クレア……?」

「そうよ、デヴィッド。私、死に損なったの」


 ふふんと胸を張る姿は、幼い日の姿によく似ていて。

 ぼろ、とデヴィッドの瞳から枯れたと思っていた涙が零れ落ちる。


「クレア……!」

「デヴィッド?!」


 子供の様にわんわんと泣き始めたデヴィッドに慌てる姿は、やはり記憶に鮮明に残るクレアそのもので。

 この日、彼は生まれて初めて神というものに感謝した。






 散々に泣いたデヴィッドは膝の上にクレアを乗せて、ソファに座っている。


 ジークが持ってきた紅茶をゆっくりと飲むクレアを見守って、先ほど彼女から聞いた話をまとめようと口に出す。


「つまり、ミランダ嬢は実の父と継母と義姉に虐待されている、と。その上、クレアが死んだのはそいつらのせいだと?」

「虐待の部分は間違いないわ。私が死んだのは少し憶測も混じるけど、タイミング的に他には考えられない」

「……そうか」


 自分でも驚くほど低い声が口からこぼれた。

 クレアは気にした様子もなくはちみつを溶かした紅茶を美味しそうに飲んでいる。


「クレアはこれからどうしたんだ?」

「もちろん復讐をしたいけど、そのまえにミランダを癒してあげたいわ。この子、ずっと泣いているの」


 体はもちろん、心もだ。

 どうしようもなく傷ついているミランダを放置して、体を好き勝手には出来ない。

 それではクレアを殺した非道なマックリーン伯爵一家と何も変わらない。


「……助けられなくて、すまなかった」


 小さな頭のつむじを見下ろして懺悔の言葉を口にする。

 クレアの死を知ったとき、死ぬほど自身を責めた。それでクレアが生き返るはずもなかったのに。


 もっと手を差し伸べるべきだった、もっと親身になるべきだった、もっとできることはたくさんあったはずなのに、と。


 後悔は数えきれない。襲い来る自責の念で死ねた方が楽だと思った。

 内心を吐露したデヴィッドにクレアが小さく笑う。


「なにをいっているの、こうやって匿ってくれている。十分よ」

「だが!」

「相手の方が爵位が上だもの。貴族社会は爵位が全て。貴方は十分すぎる危険を冒してくれているわ」


 落ち着いた言葉は幼女の口から出てくるには不相応だ。

 中身が違うのだと証明するやり取りを経て、デヴィッドはぐしゃりと髪をかき混ぜた。


「匿うだけでいいのか?」

「当面はね。ミランダの回復を優先するわ。……復讐はいつでもできるもの」


 あいつらが生きている限り。

 そういって笑う姿は、天真爛漫なクレアを知っているデヴィッドには痛ましく映る。だが、それほどに彼女を変えた残酷な出来事を知っているからこそ、余計なことは口にしない。


「今度こそ、俺が守る」


 小さな両手が持っているカップを取り上げてローテーブルにおいて、その体を抱きしめる。

 今度はちゃんと手加減をしたからか、苦情は飛んでこなかった。




▽▲▽▲▽




 クレアがミランダの身体に宿り、デヴィッドに助けを求めてから三年がたつ。


 あっという間の日々だった。

 心の奥に籠ってしまったミランダに毎日辛抱強くクレアは語りかけた。


 最初は泣き続けるばかりで話にならなかったけれど、三年をかけて少しずつミランダの心を紐解いていった。


 いまもまだ、体の主導権はクレアにあるけれど、ミランダは少しずつ外の世界に興味を示しだした。


 だから、クレアはミランダに外の美しさを教えるために、日中はブロンテ子爵家の庭園を散歩する。

 庭師の老人が丹精込めて育てている花で、その日一番綺麗だと思うものを一凛、許可を取って部屋に飾るのだ。


 デヴィッドは子爵としての仕事をこなしながら、クレアとミランダのために様々なものを用意してくれた。


 例えば、彼女たちのために屋敷で一番日当たりのいい部屋を整えてくれて、幼い彼の世話をした信頼のおけるメイドを専属としてつけてくれた。


 他にも流行のドレスを用意してくれたり、何かと理由をつけて贈り物をしてくれたりもする。

 そしてたまに。周囲の目を気にしながらも、外にも連れ出してくれた。

 歌劇場を中心に、ミランダが触れられなかった娯楽を積極的に与えようとしてくれている。


 優しい日々が続いていた。心穏やかで、平穏な毎日。

 それでもクレアの中の復讐の炎は消えることを知らなかったけれど、表面上は落ち着いた日常を過ごしていた。


 それなのに。

 愛おしい平和は、いとも簡単に破られた。






 ミランダの八歳の誕生日を祝った三日後、半狂乱になったカルメンが屋敷に来襲した。


 すぐに執事とメイドによって自室に隠されたクレアだが、屋敷の主として対応したデヴィッドから話を聞いて絶句することになる。


 なんでもミランダを虐げていた一人である義姉のグレースが馬車の事故で半身不随の大怪我を負ったという。


 死にかけている実の娘に対し、カルメンは禁術である黒魔術を使って健康になったミランダと体を入れ替えると主張しているのだ。


「そんなもの成功するはずがない!!」


 カルメンをなんとか追い払ったデヴィッドの憤りは最もだ。

 人道にもとる、それ以前に成功例がないからこその『禁術』である。


 たとえ、成功するのだとしてもミランダの身体を差し出す道理は欠片もない。


「……デヴィッド。このままでは貴方も危ないわ」


 目的のためなら手段を択ばないマックリーン伯爵家の残忍さは、誰でもないクレアが一番よく知っている。

 静かに告げた彼女の言葉に、デヴィッドが激昂した。


「また君を見捨てろというのか!!」

「違うわ。いまこそ貴方が集めた証拠を使うときよ」

「!」


 興奮していたデヴィッドが、クレアの一言で大人しくなる。

 瞳から激情が消え、落ち着いた様子を見せた彼に、クレアは不敵に笑んだ。


「貴方、ずっと私に黙って証拠を集めていたでしょう」

「……お見通しか」

「だてに長年貴方の幼馴染だったわけじゃないわ」


 苦笑をこぼしたデヴィッドに、クレアは得意げに笑う。

 怯えて心の奥に引っ込んでしまったミランダに、優しく声をかける。


(ミランダ、心配しなくていいわ。私たちに任せて)

(だいじょうぶ? ほんとうに?)

(ええ、私たちが揃えば怖いものなんてないのよ)


 婚約を破棄して、一度は振り払った手だ。

 それでも、もう一度手を差し伸べてくれたデヴィッドに今度こそ正しく頼るのだ。


 クレアは不安に涙をこぼすミランダを心の中で抱きしめる。

 金庫から書類を取り出したデヴィッドの手を取って、挑戦的に笑った。


(みてて。私は私の復讐をやり遂げるわ)

 

 つけ入るチャンスを折角与えてもらったのだ。この機会を逃しはしない。






 馬車を使って訪れたのは、王都の中央に建てられた魔法省の建物だ。

 クレアはデヴィッドと手を繋いで、荘厳な門をくぐった。


 魔法省に勤める貴族たちはまだまだ幼さの残る子供が現れたことに少し驚いた様子だったが、傍にいるデヴィッドを保護者だとみなして声をかける者はいなかった。


「デヴィッド・ブロンテです。先ほど鳩を飛ばした件について、大臣にお話があります」

「デヴィッド様、お待ちしておりました。応接室にご案内いたします」


 受付の令嬢が丁寧に頭を下げる。

 デヴィッドと手を繋いだまま、案内されて魔法省の奥にある恐らく一番上質な応接室に通された。


 五分ほどソファに並んで座って待っていると、現れたのは魔法省のトップであり、侯爵でもあるサイモン・アルカーノだ。


「失礼する。――そちらが手紙にあったご令嬢か」

「はじめまして、ミランダと申します」


 ソファから降りてドレスの裾をつまむ。

 立ち上がったデヴィッドの隣でクレアとして叩き込まれた淑女の礼を披露する。

 サイモンは一つ頷いて対面のソファに腰を下ろした。


「マックリーン伯爵家の告発、という内容だったが。ずいぶんと不穏だな」


 視線を鋭くしたサイモンの隣に座りなおして、クレアは背を伸ばす。

 心の中でミランダがおろおろとしているが、任せて、と胸を張った。


「三年前、私は屋敷の前に倒れているミランダ嬢を保護しました」


 静かにデヴィッドが語りだす。

 前もって『クレアがミランダの身体に憑依』していることは伏せると示し合わせている。

 前例を聞いたことがないし、それこそ黒魔術だと勘違いされては困るからだ。


「わたしは、家族から虐待を受けていました。耐えきれず逃げ出して、デヴィッド様に保護していただいたのです」


 クレア、ではなく、ミランダ、として話す。

 彼女の言葉にサイモンが目を細める。疑わしい、と言いたげな眼差しだ。


「なぜすぐに魔法省に届けでなかった」

「こわかったのです。お父様はすごい人だといわれて育ったので、お父様の悪口を言ったら、もっとひどいめにあう、とおもいました」


 あえて年相応の幼い口調で喋べると、サイモンがため息を吐く。クレアは細い腕を隠すレースを捲る。


「身体のいたるところに、跡が残っています。三年たっても、きえません」


 そういって見せたのは、虐待の跡。鞭で打たれたミランダの肌に残る痛々しい傷。

 さすがに目を見開いサイモンに、今度はデヴィッドが畳みかけた。


「私には以前、婚約者がいました。名前をクレア・ファインズと言います」

「――炎の令嬢か」


 炎で焼け死んだ、とは言わない。だが、視線に痛ましげな色が宿った。

 ここだとデヴィッドも判断したのだろう。入念な調査結果の記載された書類をローテーブルに並べる。


「これは私が彼女の死に納得できず、独自に調べたものです。あの火事は仕組まれたものでした」

「なに?」


 さすがに目の色をかえたサイモンが資料を手に取る。

 そこには下町のごろつきを強盗としてマックリーンが雇った経緯と、すでに彼らが口封じに殺されたことなどが詳細につづられている。


 静かな空間にサイモンが書類を捲る音だけが響く。


 マックリーン家の手口は、屋敷から解雇されたメイドに金を掴ませて詳細に喋らせたとクレアは聞いている。


 忠誠心の欠片もないメイドは、自身が不当に解雇されたと息巻いて、知る限りの情報を全て金で売った。


 その内容には、マックリーン伯爵が領地で不当に税収を上げたことや、王室に収めなければならない税収をごまかしていること、カルメン夫人とその娘のグレースが自らの欲を満たすために隣国から禁輸を行っていることなどが記載されている。


 時間をかけて全てを読んだサイモンが、深い溜息を吐いた。


「これが事実なら、見過ごせぬ。……ミランダ嬢、女性の職員に肌を見せてもらってもいいだろうか。その肌に跡が残っているならば、それが一番の証拠になる」

「はい、かまいません」


 こくりと物分かりよく頷く。サイモンは疲れた様子で立ち上がった。


「少し待っているように。其方たちの安全が確保できるまで、魔法省に留まるとよい。この報告書通りであれば、手段を択ばぬ輩だ」

「ありがとうございます」

「感謝いたします」


 一つ頷いたサイモンが応接室から出ていく。苦労が滲む背中を見送って、二人は顔を見合わせた。

 言葉には出さないまま、にっと互いに悪い顔で笑う。






 その日のうちに、マックリーン伯爵家には捜査が入った。

 半身不随で寝込んでいるグレースは、予後が悪くもって一週間だという。


 聞き取り調査を行う方針であったらしいが、喋ることも困難な状態だったため、あえて延命治療をしない方向で手打ちとなった。


 伯爵と夫人は捕らえられた。

 証拠を並べられても決して認めなかったというが、彼らは仲良く終身刑だ。牢屋で互いを罵りあっているらしい。


 それらの報告をジークから聞きながら、クレアは上機嫌に笑う。


(本当は自分の手で終わりを伝えたかったけど、ここら辺が引き際ね)


 復讐に満足したわけではないが、これ以上を望んでも仕方ない。


(ねえ、おねえさま。これからもずっといっしょにいられる?)

(ミランダが嫌でないのなら)

(わたし、ずっとおねえさまといっしょがいい!!)

(ふふ、ミランダはかわいいわね)


 マックリーンの血が流れているのが嘘のようだ。上機嫌に心のなかでミランダの頭を撫でる。


 ミランダは最も恐れていた両親が牢に入って二度と出てこれないと聞いて、ずいぶんと落ち着いた。

 義姉が余命いくばくもないのも影響しているだろう。


「クレア! 今日は出かけよう! お祝いだ! ミランダにどこがいいか聞いてくれないか?」

「ええ、わかったわ」


 にこにこと笑いながら扉を開けたデヴィッドの言葉に頷く。

 彼の声はミランダにも聞こえているはずなので、どこがいい? と尋ねると、彼女は出会った頃が信じられないほど明るい声で答える。


(おねえさまとおにいさまがいちゃいちゃできるところ!)

(なぁにそれ)


 くすくすと笑うと、ふいにミランダが改まった様子でしゃべりだす。


(あのね、おねえさま)

(なにかしら)

(わたし、ふたりのこどもになりたいの)


 思わぬ言葉に目を見開くと、ミランダがふにゃりと笑った。

 愛らしい子供、というよりはどこか諦めた諦観の滲む表情。


(わたしはきっと、このままだといっしょうほんとうにはしあわせになれない)


 否定できない。

 虐待された心の傷は、かさぶたにはなっても癒えることはないのだとすでにクレアは知っている。


(だからね、おねえさまにわたしのからだをあげる)


 こくり、唾をのむ。その先の言葉を、予感して。


(だから、わたしをうんでほしいの。おねえさまとおにいさまのこどもとして)


 そうしたら。

 きっとじんせいふたつぶんくらい、しあわせになれるから。


 はにかんだ様子で笑うミランダが愛おしい。

 クレアにとってミランダは大切で守りたい子供だ。そんな彼女が望むのであれば、叶えてあげたいと思う。


(あと十年くらいかかるわよ?)

(まつのはとくいよ!)


 念押しをしても気持ちは変わらないらしい。

 にこにこと笑いながら待っているデヴィッドをちらりとみて、クレアは「仕方ないわね」と笑った。

 全然嫌ではなかったから、ただのポーズだ。


(十年後、生まれていらっしゃい。ミランダ)

(はい、おねえさま)


 心の片隅、いつもミランダが閉じこもっていた部屋が消える。

 そうして、いつも以上に意識がクリアになったと思ったときには。

 頭で響いていた声が消えて、お腹が酷く熱くなっていた。


(まっていてね)


 そっと腹部を撫でる。いまは平らなここが膨らむとき。

 そこにはまっさらなミランダがいるのだろう。




「と、いうわけだから!」

「なにが!? というわけなんだ!!」

「結婚してちょうだい、デヴィッド」

「嬉しいけど! プロポーズは俺にやらせてくれ!!」





読んでいただき、ありがとうございます!


『非業の死を遂げた男爵令嬢ですが、ただで転ぶつもりはありません。ドアマット幼女と一緒に幸せになります。』のほうは楽しんでいただけたでしょうか?


面白い! 続きが読みたい!! と思っていただけた方は、ぜひとも


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他にもたくさん短編をアップしておりますので、ぜひ読んでいただけたら嬉しいです〜!!

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― 新着の感想 ―
デヴィッドの元に駆け込んだクレア(ミランダ)は、その後ブロンテ家の養子になったのでしょうか。 子供を保護するにしても親の同意を得なければ誘拐ですし、伯爵夫人が襲来したことから、クレア(ミランダ)の居場…
続きが欲しい……。切実に
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