固有魔法
アサナト魔法学院に入学して五日目。まだ入学して日も浅いが、深紅は素晴らしい学院生活を謳歌していた。
初日に親友が二人も出来た事はもちろん、汎用魔法学での活躍も良い方向に働いた。二人のおかげで活躍出来た深紅にもたくさんの友人が出来て、休日はまたあの魔法サバゲーをする約束もしているのだ。
物質界で暮らしていた時とは比べ物にならない、充実した薔薇色の学院生活。食事は毎日ご馳走で美味しく、素晴らしい友人たちに恵まれ、常に満ち足りた日々。夢か死に際の幻覚かと疑ってしまい、毎朝頬を抓って確かめてしまうほどである。
そんな夢のような日々にどうにも舞い上がってしまう深紅だったが、今日は誰もが興奮した様子を見せていた。朝食の席で見かける誰も彼も、どこかそわそわとして落ち着かないのである。無論授業中も同じであり、皆勉学に全く身が入っていない。それは初雪も同じであり、普段通りなのは綾女くらいである。
だが深紅も皆の気持ちは理解できたし、同じ興奮を抱えていた。何故なら今日この日、金曜午前中最後の授業は誰もが心待ちにしているものだったから。
「固有魔法――それは魔力を持つ人間が振るう事の出来る、属人的な異能の事です」
その授業――固有魔法学は、担当教師である白百合瑞香の端的な結論から始まった。彼女は艶めく金髪を揺らし、常盤色のローブの裾をはためかせて歩きながら語る。
とはいえ大多数の男子生徒は彼女の言葉よりも、彼女の容姿に興味を惹かれているらしい。皆気もそぞろで鼻の下を伸ばしていた。二十代前半で若々しくも知的な雰囲気漂う、クール系スレンダー美女が教師なのだから仕方の無い事かもしれないが。
「水をワインに変えたり、海を引き裂き道を作り出したり、星天の動きに干渉したり、死者を蘇らせたり……固有魔法の存在は大昔から確認されています。尤も例に挙げた御業はかなり特殊な部類ですね」
「何か凄い聞き覚えあるな、それ……」
次いで紡がれる具体的な例に、深紅はかなり度肝を抜かれた。
魔法界ではどうか知らないが、瑞香が口にした魔法の数々は物質界では最も有名と言って差し支えないものだ。何故ならそれらは聖書に登場する偉人たちが行使した御業。神の子、あるいは神そのもの、または神のしもべと呼ばれるような者たちが起こした奇跡だ。
彼らの奇跡が固有魔法と称されるのなら、聖書の偉人たちもまた魔法使いという事を意味する。物質界の宗教団体が耳にしたら、憤怒のあまり魔法界に宗教戦争を仕掛けてきそうな驚天動地の内容である。
しかしそれは同時に、深紅にも神の如き力が宿っている可能性があるという事。すでに捨て去った物質界の事情よりも、深紅にとってはその事実の方が何よりも重要だった。
「本日皆さんに教えるのは、魔法使い一人一人が持つ自分だけの魔法――固有魔法についてです。さて、この中ですでに固有魔法に目覚めている方はいらっしゃいますか?」
瑞香は眼鏡の奥で煌めく蒼い瞳を生徒たちに向け尋ねる。
やはり皆これは気になる事なのだろう。ほぼ全員が周囲を見渡し、誰が手を挙げているのかを確認していた。
といっても手が上がったのはたった三本。一人は当然初雪で、これは何も問題無い。挙げた手にこれ見よがしに炎を纏わせ、これが俺の固有魔法だと言外に主張しているが、自己主張の強い彼の性格を考えれば当然とも言える。
二人目は見知らぬ男子生徒。手を挙げているからには彼もまた固有魔法を得ているのだろうが、魔法サバゲーの時に脱落していた辺り戦闘向きではないのだろう。故に彼もまた問題はない。問題は最後の一人である。
「あれ!? 綾女さんもなの!?」
「んぇ? そうだったのかよ。どんな固有魔法なんだ?」
「ひ、秘密……」
何ともう一人は綾女。控えめに、おっかなびっくりといった感じに手を挙げていたのだ。まさかまさかの親友二人がすでに固有魔法に目覚めているという新情報に、深紅は開いた口が塞がらなかった。
「ふむ、三人――いえ、四人ですか。今年は少なめですね。では手を挙げて下さった方々の中で、分かりやすく派手な固有魔法を扱える方はいらっしゃいますか?」
「四人……?」
先程手を挙げていたのは三人だ。けれど瑞香はまるで思い出したように四人と訂正していた。
という事はすでに固有魔法に覚醒していた生徒が手を挙げなかっただけで、彼女はそれを知っていたのだろう。だとすればその生徒は恐らく――
「ではあなた――は、リアトリス教諭の授業で披露したそうですね。ではあなた、前へどうぞ。せっかくなので皆さんに固有魔法を披露してあげて下さい」
「しょうがねぇなぁ? よーし、みんな見てろよ?」
「ちぇっ」
などと考えていた所で、指名された男子生徒が誇らしげな表情で前へと出て行く。すでに汎用魔法学の授業で盛大に固有魔法を披露したというのに、どうやら初雪はまだ物足りないらしい。指名されなかったため肩を落としていた。
「手を下げたって事は、綾女さんの固有魔法は派手なやつじゃないんだ?」
「う、うん。むしろ凄く地味で、傍目からだと分からないから……」
「へー。どんな固有魔法なんだろう。気になるなぁ」
「し、深紅くんにも、これだけは、秘密……」
何やらとても恥ずかしいようで、綾女は頬を赤く染めて俯き縮こまってしまう。こんな反応をするとは一体どのような固有魔法なのだろう。途轍もなく興味を引かれるが、踏み込んで嫌われたくは無いので好奇心を押し殺すしかなかった。
「行くぜ! 俺の固有魔法、とくと見やがれ! うおおぉぉっ!」
やがて教卓の前に辿り着いた男子生徒が、両手を高らかに挙げて叫ぶ。
しかし特に変化が見られず、教室には沈黙が降りる。もしや不発か、あるいは目立ちたがりの嘘か、誰もがそんな事を考え始めたその時――教卓の上に置かれた冊子やペンなどがゆっくりと浮き上がり始めた。
「えっ、何だ!? 手の込んだトリックか!?」
「す、スゲェ……物が浮いてる……!」
その光景に教室中に騒めきが走り、誰もが目を丸くして食い入るように眺める。
ペンや冊子といった瑞香の私物らしきものが、重力を忘れたように五十センチほど浮かび上がっているのだ。浮かび上がった物体の上下左右を瑞香が軽く手で払って見せるも、浮遊する物体は変わらずそこにあり続ける。更に教卓を横に退けても宙に留まっている。それは正しく超常の力が働いている証であった。
「これが、固有魔法……!」
紛れも無いオンリーワンの力。それが自分にも秘められているという事実に、深紅は心が浮き立つのを感じた。目の前の男子生徒や初雪の例を考えるに、各々異なる何らかの力を行使できるのだろう。他人と固有魔法が被る事もあるのかもしれないが、それでも己の身に秘められた力というのは魅力的であった。
「ありがとうございました。念力魔法、ですかね? 素晴らしい魔法でしたよ」
「へへっ、まあ当然だよな?」
「そんな固有魔法持っててあの影ちゃんに速攻やられたの? あんた弱いわねぇ」
「うるせぇ! あの化け物には効かなかったんだし仕方ねぇだろ!? あと今は軽い物浮かせるのが精々だしよ!」
自信満々に念力を披露した男子生徒だが、女子生徒に笑われて力の弱さを自ら吐露しながら席に戻る。
どうやら魔法サバゲーの時に生き残れなかったのは、<影人形>に念力が通用しなかったのが原因らしい。影で構成された<影人形>が完全な実体を持っているとは思えないので、物体に働く念力が通用しないのも納得だった。そもそも通用したとして、小物を浮かせる程度の出力ではまず間違いなく無意味だろう。
「皆さん、御覧になりましたか? 今のが固有魔法です。特殊能力や異能力、と言った方が幾分分かりやすいかもしれませんね。物質界でそういった力を持つ者たちも稀にいますが、彼らもまた魔法使いなのです。自身がそうだと気付いていないだけで」
「なるほどね。じゃあ幽霊が見えるとか言う自称霊能者の中には、本当にそういうモノが見える固有魔法を持った人がいるのかな?」
「た、たぶん……あ、そういう幽霊が実は魔法生物だったっていう事例も、あるよ?」
「そんな事もあるんだ。何か夢が壊れるっていうか、崩されて論理的に組み直されてる感じだなぁ……」
瑞香と綾女のおかげで、着実に深紅の中に魔法界の常識が蓄えられていく。この分だとネッシーやビッグフットといった未確認生物も本当は魔法生物に違いない。また一つ賢くなったが、同時に夢やロマンといったものが若干失われた気がした。
「固有魔法に目覚めるためには、まず己の内に存在する魔力を制御する必要があります。すでに固有魔法に目覚めている方々には申し訳ありませんが、授業の足並みを揃えるためにもしばし辛抱してください。休息を取っても構いませんし、友人の手伝いをするのも構いませんよ」
「よし! じゃあ俺が深紅を手伝って――あ、いや、綾女が深紅の手伝いをしてやれよ。俺はその辺の奴らに教えてくるからさ」
「う、うん。ありがとう……」
「なーに、良いって事よ!」
深紅の左右で何やら親友たちが通じ合っている様子を見せる。初雪はともかく、綾女もだいぶ慣れて来たらしい。最初は初雪にびくびくしていたというのに、今ではどこか照れ臭そうに笑っていた。
「綾女さん、手伝ってくれるの? ありがとう」
「ど、どういたしまして……うぇへへ……」
魔力の制御とやらをどのように行うのかまだ分からないが、博識で賢い綾女が手伝ってくれるのなら百人力である。その嬉しさのままに笑いかけると、彼女はどうにもだらしない笑みを浮かべた。言っては悪いが少々個性的な笑い方である。
「ではまず魔力とは何か。そこから説明をしていきましょう。皆さん、教科書の五ページを開いてください」
そうして、まずは魔力についての講義が始まる。てっきり常識として知られている事なので飛ばされると思っていたのだが、瑞香はかなり丁寧に教える教師のようだ。これ幸いと深紅はペンを握り、一言一句聞き逃さないように耳を傾ける。彼女の良く通る声はするりと頭に入ってくるため、魔力についてすぐに詳細な知識を得る事が出来た。
魔力とは魂が生み出す高次のエネルギーであり、魔法使いならば誰もが持っている力。逆に言えば魔力を持っている者は皆魔法使いであり、魔力を持たない魔法使いというのは存在しないらしい。
高次のエネルギーという評価に偽りは無く、その本質は現実を改変する力。魔力を持って生まれた動物が魔法生物へ至るのも、魔力を持つ者が奇跡のような力を振るえるのも、魔力の持つ性質である現実を改変する力の御業に他ならない。
魔法使いとは魂に秘められた己の力を解放し、魔力の持つ現実改変能力と、己自身の意志の力によって現実に具現化する者――そんな知識を得た深紅だったが、想像よりも理論的だった事に驚いてしまった。
中学時代に深紅が図書館で読み耽っていた小説の中では、魔力が存在する世界でもそれがどのようなものなのか、どのような過程を経て魔法となるのかに触れたものは少なかったのだ。とはいえここまで詳しく解説されると、魔法使いというよりは特殊能力者という印象が強くなってどうにもロマンが薄れてしまうのだった。
「――では、これから魔力の認識と制御の訓練を始めます。方法はとても簡単です。私があなたたちの身体に触れて魔力を流す事で、強制的にそれを認識させます。あとはその感覚を逆算し、自分の身体に秘められた魔力を認識してください」
「えっ、先生が? どうやって先生一人でクラス全員に対してそんな事を……」
「し、深紅くんには、私がやってあげるよ……!」
綾女がとても健気に、しかしどこか熱を帯びた表情でそう語るが、どうにも深紅は瑞香の言葉の方に意識を奪われていた。
魔力を流すのにどれだけの時間が必要かは不明だが、生徒一人一人に触れて感覚を理解させ認識させるなど、どう考えても時間がかかりすぎる。すでに固有魔法に目覚めている者たちを抜きにしても、まだこの教室には三十人以上の生徒がいるのだ。とてもではないが、授業の時間が足りるとは思えなかった。
「そこのあなた、良い着眼点ですね。確かに一人一人に魔力を流していくなど、魔力を認識させるという目的もあって非常に時間がかかります。相手が一人ならともかく、集団相手では効率的ではありません」
深紅の呟きを耳にしたのだろう。瑞香は眼鏡の奥の瞳を深紅に向けると、どこか得意げに見える微笑みを浮かべて言葉を続けた。
「ですが、それならば話は簡単です。私も集団になれば良いのです」
「はい?」
「――|<我こそは多くの者なり>《レギオン・ソリトゥス》」
瑞香がぽつりと口にした瞬間、彼女の姿が一瞬左右にブレて見えた。かと思えば正常に戻った時には、何とその場に二人の瑞香が立っていた。どちらも全く同じ顔、同じ表情、同じ服装の瑞香が。




