闇の気配
『さあ、フェイズ2開始だ! いっけー、影子ちゃんたち!』
「二人とも、背中合わせだ!」
「よっしゃ! 後ろは任せたぜ、深紅、綾女!」
「が、がば、頑張ります……!」
直後に<影人形>たちが三方向から広場へ流れ込んできたので、深紅たちは背中合わせに円陣を組んで迎え撃つ。壁際に纏まる事も考えたが、そこだと影が生まれてしまうので悪手である。故にこの形になるのは半ば必然であった。
『いいねいいね! 友に背中を預けるなんて美味しい展開だ! それじゃあ遠慮なく行っちゃうよ!』
「風よ、撃て! ウインド・ショット!」
「み、水よ、撃て! アクア・ショット!」
襲い掛かってくる十数体の<影人形>に対し深紅と初雪は風の魔法を、綾女は水の魔法を打ち出す。しかし倒すためには二発当てなければならず、しかも汎用魔法は呪文が必要なので一匹倒すまでにはどうしても時間がかかる。
加えて<影人形>たちは回避行動を取る上、仲間を盾にして近付くという挙動すら見せる。深紅たちを囲む包囲網は徐々に狭まりつつあり、最早敗北は時間の問題であった。
『いっけー、影子ちゃーん!』
そんな中、深紅は先ほどの少女が三体の<影人形>に襲われる姿を視界の端で捉える。人を容易く呑み込めるほど大口を開けた怪物たちに対し、少女は何ら反応を示さない。抗うそぶりも見せず、そのまま一体目に丸呑みにされ、続いて二体目が一体目ごと丸呑みにし、最後に三体目が纏めて呑み込む。
明らかに過剰な攻撃――そう思ったのは一瞬だけだった。
「ふん……」
『あちゃー、駄目か。やっぱ蓮華ちゃんには通用しないなー……』
少女を呑み込んだ<影人形>たちは一瞬で消え去ったかと思えば、煩わしそうな表情をした少女が変わらずそこに立っていた。
確かに食われたというのに、転移による脱落をしていない。つまりは丸呑みにされてから転移が行われるまでに彼女が何かしたのだろう。加えてロベリアの発言からこの結果は予測できていたものらしい。
「い、今のは……?」
「深紅、ぼさっとすんな! 奴ら来てるぞ!」
「あ、ああ! 悪い!」
かなり興味深い現象だったが、今は余計な事を考えている状況では無い。初雪に叱咤され、深紅は襲い来る<影人形>たちに向けてひたすらに汎用魔法を叩き込んだ。
「負けんなー、お前ら! そんなキモイ怪物ぶっ飛ばしちまえ!」
「そうだそうだ! 俺らの仇を討ってくれ!」
二階から同級生たちの声援が届くも、呪文詠唱が必須なので一匹倒すまでに最低でも二秒弱はかかる。そんな調子では迫る集団を迎撃する事は出来ず、やがて目と鼻の先にまで<影人形>たちが迫ってきた。
子供のような大きさを持つ影の化物たちが大口を開け、深紅たちを食らわんと群れを成して襲い掛かってくる。その光景は下手なホラーよりも恐ろしかった。
「か、かじぇ、かじぇ――」
「くそっ、これまでか!」
綾女が恐怖に言葉を噛むのに釣られ、深紅は呪文を口にするのを忘れ悪態をついてしまう。すでに<影人形>の群れは視界を覆い尽くす程の至近距離。この状況ではどう足掻こうと挽回は不可能。
悔しいが負けを認める他に無く、大口を開く<影人形>の群れを前に瞼を下ろすしか無かった。
「――いいや、まだだ! 諦めるにはまだ早いぜ!」
しかし、諦めなど知らぬと言わんばかりに初雪の声が轟き、同時に吹きすさぶ熱い風を感じて深紅は恐る恐る瞼を開いた。
「こ、これは……?」
影の化物が迫っていた眼前の光景は、いつのまにか荒れ狂う炎で満たされていた。周囲を見回してみれば炎は深紅たちを包むように渦巻き、防壁が如く展開されている。
無論深紅はこんなものを作り出した覚えは無いし、深紅に抱き着き震えている綾女も同様だろう。ならばこの炎の竜巻を作り出したのは――
「初雪、これはお前がやってるのか?」
「おう、これが俺の固有魔法だ! 火を操れるんだぜ? カッケェだろ!」
初雪は炎の防壁に手を添えた状態で首だけ振り返り、そう同意を求めてきた。
友人たちの窮地にその力を振るい、あまつさえその力が炎を操るという主人公染みたもの。こんなもの返す言葉は決まっている。
「ああ! カッコ良すぎだよ、初雪!」
「す、すごい、です……!」
「へへっ! だろぉ!?」
望み通りの言葉を聞いて気を良くしたのか、初雪は渾身のドヤ顔を向けてくる。しかしそれも許せてしまうほどの素晴らしい対応だった。
何故なら炎は燃やし照らすもの。今正に深紅たちを食らわんとしていた<影人形>たちは、突然発生した炎という名の光に飲み込まれて消え去ってしまったのだ。初雪が最後の最後まで奥の手を隠していたからこそ、見事一網打尽に出来たわけである。
『ぐあーっ! うちの可愛い影子ちゃんたちが全員焼死したー! 発火魔法使いがいるなんて聞いてなーい! こんなのクソゲーだね、クソゲー!』
「よし! これで俺らの勝利だな!」
非常に悔しそうなロベリアの声が響き、勝利を確信した様子の初雪が炎を消し去る。
炎が過ぎ去った後、周囲の<影人形>は一体残らず消え去っていた。見れば二階には諸手を上げて勝利を祝う同級生たちと、手足を振り乱し地団太を踏むロベリアの姿がある。
そして広場の片隅には、先ほどの少女が相も変わらず冷たい表情で立っていた。当然の如く脱落はしなかったらしい。一体彼女は何者なのか、どうやって脱落を防いだのか、何故深紅に対して狂的とも取れる悪感情を向けてきたのか。どこまでも謎が尽きない不気味な少女であった。
とはいえ、今は友人たちと勝利の喜びを分かち合う時。故に深紅はもう一人の友である綾女に視線を向け、労いの言葉をかけようとして――彼女がぼんやりとした表情で虚空を眺めている事に気が付いた。
「綾女さん? どうかし――」
「し、深紅くん、上っ! 水よ、撃て! アクア・ショット!」
「えっ!? あっ!?」
その数秒で、深紅は二度息を呑んだ。
一度目は綾女が突如として真上に手を挙げ、水の魔法を放った事。二度目は釣られて真上を見た瞬間。大口を開けた<影人形>が、水の塊で迎撃されながらも落下してくる光景を目の当たりにした時。勝利を確信した瞬間という最も油断するタイミングでの、上方からの奇襲であった。
弾けた水の塊のせいでご馳走を前に涎を垂らしているように見えてしまい、深紅は本能的な危機感を覚え考えるよりも先に身体と口が動いていた。
「水よ、撃て! アクア・ショット!」
危うい所で水の魔法を行使。放たれた水の塊が直撃し、今度こそ<影人形>が消え失せる。代わりに雨のように滴る水が深紅たちに降り注ぐも、三人とも寸での所で脱落を免れる事が出来るのだった。
『不意打ちにも対処! エクセレント! それが最後の一体だよ! というわけで、戦闘終了! 勝者は君ら新入生だー!』
最後の性格の悪い不意打ちをも乗り越えた深紅たちに、今度こそロベリアは賞賛の声を送ってきた。実はまだ伏兵を忍ばせているのではないかと疑ってしまうが、まるで勝利を称えるが如く謎の踊りを、しかも数体の<影人形>をバックダンサーとして踊っているのでさすがにそれは無さそうだった。
「あぶねー、最後の最後で騙されちまったぜ! けど、今度こそ俺らの勝利だな!」
「うん、初雪がいなかったら負けてる所だったよ。ありがとう」
「気にすんな! 俺らはマブダチだからな!」
深紅と肩を組み、清々しい笑みを浮かべる初雪。これ以上ないくらいに距離が近いが、その友情はとても心地良かった。
「綾女さんもありがとう。君が不意打ちを察知してくれたおかげで、無知で魔法に慣れてない僕も生き残る事が出来たよ」
「かひゅ……! ど、どういたし、まして……うぇへへ……」
感謝の笑みを向けると、綾女は一瞬息が詰まったかのような変な声を出し、だらしなく頬を緩めた。
ロベリアによる『<影人形>が全員焼死した』という詐欺発言からの不意打ちは非常に悪質であり、それを見事に察知した綾女の鋭さには舌を巻く他に無い。確かに戦闘終了とは言われていなかったが、あの場面で不意打ちが来るなど誰も想像しなかっただろう。彼女は本当によく対処できたものだ。
案外綾女も何らかの固有魔法を持っていて、それによって不意打ちを察知したのかもしれない。
「あ、そうだ。一緒に生き残ったあの子にも――」
「――それはやめとけ、深紅。アイツには近づかない方が良いぜ」
「えっ?」
一応あの少女とも勝利を分かち合おうと考えたのだが、いきなり声のトーンを落とした初雪に止められてしまう。しかも初めて見るほど真剣な表情で。これには深紅も心底驚いた。勝利の興奮に舞い上がっていた所に、まるで水でも浴びせかけられたかのように。
「うん。それだけは、止めといた方が良いよ……」
挙句に綾女まで険しい表情で同意するのだから、開いた口が塞がらない思いだった。
二人が苛めを良しとするような人間ではない事は分かっているからこそ、この冷めた反応が全く理解できなかった。
確かにあの少女は面識のない深紅に対し、狂気に近いレベルの殺意を向けてきた謎の多い人物だ。それだけで避けるには十分な理由かもしれない。しかし心根の優しい二人がここまで言うなど、どうにも信じられなかった。
「どうして近付かない方が良いの? あの子には何かあるの?」
「下手に近付くと、死ぬからだ。だから、絶対アイツには近付くなよ」
「うん。絶対あの子には近付いちゃ駄目だよ、深紅くん」
「死ぬ……」
そうして二人の口から飛び出したのは、魔法の世界でも受け入れ難い衝撃の言葉。彼女に近付くと死ぬという、確信を持った物言い。冗談には思えないほど、二人の顔つきは緊迫感に満ちていた。
「――すげぇな、お前ら! あんな化物に良く勝ったな!」
「俺らの仇を取ってくれてありがとな!」
「本当ありがとう! ねえねえ、君の名前教えて!」
やがて深紅たちは一階に降りてきた同級生たちに勝利を称えられ、胴上げでもするのかと思えるほどもみくちゃにされてしまう。
しかし彼らも深紅たちを囲み褒め称える事はすれど、あの少女の元へ向かう事は無い。彼女は遠く離れた場所に一人ぽつんと佇み、ぞっとするほど冷めた表情で立ち尽くしている。周りの誰もが、そしてあの少女自身がこの状況を当然の事として振舞っている事が、酷く不気味に思えて仕方がない。
勝利の余韻に浸りつつも、深紅は手放しで喜ぶ事は出来なかった。この夢と希望に満ち溢れた光り輝く魔法の世界で、異物の如く際立つ彼女の存在に後ろ髪を惹かれて。
1章はこれで終了。綾女さんが不意打ちに気付いたのにはちゃんと理由があります。
あと初雪の固有魔法に名前が無くて先生の固有魔法に名前がついてるのは、詰め込み切れなかった設定の名残です。その辺はまた後程。




