夏休み明け
「あーくそっ! 納得いかねぇよ、深紅!」
「まだそんな事言ってるのか、初雪。いい加減受け入れてくれよ?」
休日の昼下がり。静寂が心地良い図書室の片隅で読書をしていると、初雪がもう何度目かも分からない文句を口にしてきた。いい加減煩わしくなってきた所なので、深紅は本を閉じて向き合い嗜める。
とはいえ初雪の気持ちも分かるため、あまり邪険にする事は出来なかった。
「だってよぉ、深紅。お前はヤベぇ奴を倒して世界を救ったんだぞ? なのに何でそれを秘密にしなきゃなんねぇんだよ」
初雪が話題にしているのは、夏休み中に起きた大事件の顛末について。
危険な洗脳の力を秘めた手帳に操られ、教師や生徒たちを人質に取り凶行に走った白百合瑞香。その元凶であり、世界を滅ぼし神へ至ろうとした<始まりの魔法使い>――沢木侠の恐ろしき計画。
それらの事件は犠牲者も出さず瀬戸際で解決出来たものの、深紅の活躍が日の目を見る事は無かった。<始まりの魔法使い>が巻き起こした一件は完全に隠蔽され、瑞香の凶行に関してはカバーストーリーで誤魔化される事となったのだ。
故に深紅が<始まりの魔法使い>を打ち倒し世界を救った事実は、その場にいた者たちしか知らない。真実を誰にも話す事はしないよう、緘口令も敷かれている。他ならぬブランルージュの手によって。
初雪としては親友の活躍を知らしめられないのが不満なのだろう。そんな実に友達甲斐のある奴に、もう一度丁寧に説明してあげる事にした。
「言えるわけが無いからだよ。腐っても<始まりの魔法使い>の功績は偉大だ。魔法界を発展させた立役者が、実は神になるために世界を滅ぼそうとする狂人だったなんて、明るみに出して良い事じゃない。隠せるなら隠しておくのが一番だよ」
<始まりの魔法使い>は言わば英雄。汎用魔法を生み出し、今の魔法界の根幹を作り出した偉人。最近知った事だが、彼を神と崇める宗教なども存在するようだ。
しかしその正体が星を滅ぼし神になろうと企む異常者だと明かせば、間違いなく魔法界に激震が走る。彼を英雄と崇める者たちは真実を口にした者を糾弾し、宗教関係者は自分たちが崇める神を貶されたとして過激な行動も辞さないだろう。
何より頭が痛いのは証拠が無い事。<始まりの魔法使い>の企みが事実であると裏付ける物は何も存在しないのだ。瑞香を洗脳した書物に関しては、危険過ぎるのですでにブランルージュが処分済みである。
加えて彼が悪人である事を証明するには、人工的な魔法生物化という鬼畜の所業について触れなければならない。とどのつまり、ブランルージュの身の上にも。
尊敬する恩師が人ならざるものと恐れられ、排斥されるなど絶対に受け入れられない。だからこそ深紅はむしろ進んで真実の秘匿に協力したのだ。
「けどよぉ、せっかく親友が世界を救った英雄になったんだぜ? それを俺ら以外が知らねぇってのは、何かこう、悔しいぜ……」
「気持ちは嬉しいけど、別に良いんだ。僕がなりたいのは英雄なんかじゃない。立派な魔法使いになりたいんだ」
「結局お前はそれか。相変わらずブレねぇなぁ……」
「もちろんだよ。それに今回の一件で僕が目指す立派な魔法使い像が定まったからね。むしろ確固たる目標が出来たわけだし、今まで以上に頑張っていくよ」
拳を握り、意気込みも新たに前を見据える。
立派な魔法使い――それを目指して今までがむしゃらに努力してきたものの、極めて曖昧な目標なのは否めなかった。何を以て立派な魔法使いと言えるのか、目指す上で何をすれば良いのか、それが定まらないからこそあらゆる努力を重ねるしか無かった。
とはいえ世界の危機を乗り越え、己の固有魔法の本質を理解した今は違う。深紅もようやく自分の目指す立派な魔法使い像を見つけたのだ。
目的地が分かれば、自ずと道も見えてくる。出来る事、やらねばならない事がはっきりした今は非効率極まるがむしゃらな努力は必要無く、だいぶ心の余裕が生まれていた。
「――ヤバい固有魔法を抱えた奴らのセラピスト、か。まあお前の魔法を考えるとそれが一番しっくり来るよな」
「うん。それはきっと、僕にしか出来ない事だからね。だったら僕がやるべきなんだ」
己の固有魔法のせいで普通に生きる事が出来ない、恵莉香のような者たちを救う魔法使い――それが深紅の目指す、立派な魔法使いであった。
何もブランルージュのような魔法使いを目指す必要は無かったのだ。そもそも深紅程度が彼女の背を追いかけた所で、二番煎じの存在にしかなれない。加えてそれでは必ず手の届かない範囲が生まれ、手を差し伸べようにも取り零してしまう者たちが出てくる。
真に必要なのは、ブランルージュにすら救う事が出来ない者たちを助ける者。誰にも救われず苦しむ者たちに手を差し伸べる者。それが可能な固有魔法を持つ以上、深紅が目指すべきはそちらだった。
「この本、危険な固有魔法に関するものなんだ。まだ途中だけど読んでみてすぐに分かったよ。世界には恵莉香さんみたいな人たちが大勢いるって事がね」
「やっぱいるのか、そういう奴ら。どんな固有魔法があるんだ?」
「常に放射線を放ち続ける固有魔法、周囲の人間から存在を認識されない固有魔法、目を合わせただけで相手を石化させてしまう固有魔法……色々あるよ。そしてそのどれもが、常に発動し続け制御できないタイプのものなんだ」
「うわっ、どれもキッツイな……」
初雪はまるで我が事のように苦々しい表情を浮かべる。
もちろん深紅も同じ胸の痛みを抱えていたが、今例に挙げた固有魔法を持つ魔法使いたちは全て過去の人物。あまりの危険性に人々に処刑されたり、辛い人生に嘆き自ら死を選ぶなど、あまりにも悲劇的な末路を辿っていた。
「だけど、僕ならそんな人たちと触れ合う事が出来る。目を見て、手を握って、話をする事が出来る。根本的な解決にはならないかもしれない。もしかしたら自己満足なのかもしれない。でも僕は彼らの力になりたいんだ。同じ絶望の底に沈んだ者として、それが出来る力を持っているんだから」
例として挙げた固有魔法を持つ魔法使いたちは、皆非業の死を遂げてしまった。それは覆しようの無い過去であり、深紅にはもうどうする事も出来ない。
しかし今の時代にも似たような力を持ち苦しむ人々がいるはずなのだ。過去は変えられないが、現在ならば努力次第で変えられる。二度と同じ悲劇を起こさないためにも、必ず彼らを救わねばならない。それが深紅の新たな使命であった。
これだけ言えば初雪も納得してくれるに違いない。そう信じていたものの、何故か彼の表情は晴れなかった。むしろ呆れの色まで見える始末だ。
「お前の気持ちや信念は分かったよ。けどよぉ、それ大丈夫なのか? そんな事やってたらまたお前にベタ惚れの女が出来そうな気がするぞ?」
「何馬鹿言ってるんだ。そんな簡単に僕なんかに好意を抱く人、いるわけないだろ」
「いるから言ってんだよ、このタコ。ほら、噂をすれば……」
笑って否定する深紅だったが、初雪は一切同意せず視線を横に向ける。釣られてそちらを見ると、書棚で形作られた通路を歩いてくる一人の女性の姿があった。
それは美しい金髪と、蒼い瞳を持つ知的な雰囲気漂うスレンダーな女性。この学院の生徒ならば知らぬ者はいない、固有魔法学の教師。夏休み中に危険な魔道具に操られ、とある事件を巻き起こしてしまった哀れな被害者――という事になっている、白百合瑞香だ。
学院や世間に広がったのはカバーストーリーの方であるが、彼女が人質を取るために生徒や教職員を脅し傷つけたのは紛れも無い事実。本来ならば何らかの形で罪を償う必要もあり、糾弾されて然るべきかもしれない。
とはいえ彼女は被害者全員から許しを得ていたし、逆に同情もされている。その理由は単純明快であり、事件で負った後遺症が全ての原因であった。
「こんにちは、深紅さん。今日も図書館でお勉強ですか? やはり深紅さんはとても真面目で向上心のある素敵な方ですね」
「瑞香さん、こんにちは。褒めて貰えるのは嬉しいですが、僕はそんな出来た人間じゃないですよ。昔はだいぶ擦れてましたからね」
「昔がどうあれ、今はとても誠実で優しい人ですよ。記憶を失い右も左も分からず不安に囚われていた私に、この世界の事を付きっきりで丁寧に教えてくれましたから。そう、とても優しく……」
「っ……」
頬を朱色に染め、恥ずかしそうに視線を逸らす瑞香。あまりの可愛らしさに深紅は言葉に詰まってしまったほどだ。
その姿は今までの瑞香を知る者からすれば、信じ難いほど初心で魅惑的。まるで別人とも思える変貌を遂げた理由は、事件の後遺症で彼女が記憶喪失になってしまったからだ。
対外的には洗脳の後遺症により記憶を失った事になっているが、実際には侠の手で魔法に関する記憶を根こそぎ奪われた結果だ。一時的な健忘症ではなく記憶そのものが奪われ消失したので、二度と記憶は取り戻せない。
加えて元々魔法界で生まれ育った瑞香にとって、魔法とは子供の頃から拘わりのあるものだった。故にそれらを全て奪われた彼女は、意識を取り戻すと幼児帰りでも起こしたかのような有様になっていた。
こうなると再び教育を施すしか無く、彼女の両親や親族に預けるのが得策だったが、生憎とすでに天涯孤独の身だったらしい。そのため彼女の世話と教育を誰に任せるべきか悩んでいたブランルージュに、深紅は自ら立候補したのだ。魔法界の者には教える事が難しいほど初歩的かつ常識的な事でも、物質界出身の深紅にとっては単なる復習に過ぎないほど簡単だったから。
「え、えっと……それで、僕に何かご用ですか?」
「あ、そうでした。実は、その……クッキーを作ったので、是非とも深紅さんに食べて頂きたくて……迷惑でなければ、受け取ってくださいませんか?」
その結果がこれ――頬を染め、もじもじしながら小袋を差し出してくる瑞香の姿。
夏休みをフルに使って瑞香に様々な事を教え、記憶の喪失に伴う不安や恐怖に対しても全力で親身に接した結果、彼女は深紅に好意を抱いてしまったのだ。まさかこんな結果になるとは予想もしておらず、今更後悔しても完全に後の祭りであった。
「迷惑なんて事ありませんよ。ありがとうございます、瑞香さん」
「あ、ぅ……で、では、その! 失礼しますね!」
瑞香は羞恥に耐えられなかったようで、深紅がクッキーの小袋を受け取るとすぐさま走り去って行った。耳まで顔を真っ赤にした実に乙女な反応を必死に隠しつつ、深紅たちが纏っているのと全く同じ黒いローブの裾をはためかせながら。
そう、彼女は再びこの学院の生徒として一からやり直す事になったのだ。あくまで深紅が教えたのは魔法界の一般常識と自分の知り得る知識であり、それ以上は授業で習う方が効率的だからだ。なので今の深紅と瑞香は同級生。教師が生徒に愛を伝えるのは大問題だが、今の瑞香は深紅と同じ生徒の一人。故に何も問題は無いものの、傍から見ると実に禁断の香りが漂うイケナイ光景であった。
「うわぁ……」
加えて彼女のアピール自体は非常に露骨。何気なく小袋を開いて中を見ると、そこにはピンク色のクッキーがぎっしりと詰まっていた。
しかも形はハート型であり、それを貫く形でチョコレートによる矢が飾り立てられている。さしずめ『あなたにハートを射抜かれました』という、瑞香なりの愛の表現なのだろう。ふわりと漂う香ばしい香りが食欲を刺激し、ハートマークと相まってまるで自分を食べて欲しいと主張しているようにも思えてしまった。
「………………」
恐る恐る視線を横に向けると、そこには若干死んだ目で小袋の中を覗き込む初雪の姿。先の一幕も相まって、全く言い逃れできない状況であった。
「いや……これはその、刷り込みみたいなものだから……」
「理由が何だろうが惚れられてんのは現実だろうが」
醜く悪あがきしてみるものの、バッサリと一刀両断されてしまう。
自分のようなクズが複数人から好意を寄せられているという事実に、何だかとてもこそばゆい思いを感じる深紅だった。初雪の妬み嫉みが滲む視線のせいで余計に。
エピローグだけど2話分あります。次で終わりです。




