言霊魔法
すでに身体を押さえつける重圧は消えていた。己の固有魔法を完璧に理解した事で、その力が十全に発揮されているのだろう。磁石のように床から離れなかった足は羽のように軽く、言霊魔法による拘束に完璧に抗っていた。
彼我の距離は十メートル。これならいける。深紅が確信したのも束の間、侠がオーケストラの指揮者のように両手を掲げた。
「では、汎用魔法の本家をお見せしよう」
「――っ!?」
その瞬間、生存本能がかつてないほど激しく警鐘を鳴らした。
「凝結せよ、大気に満ちる大いなる水よ。数多の鋭き氷柱と化し、我が敵を貫け――サウザンド・アイシクル」
「……じょ、冗談だろ?」
言霊が紡がれ、現れたのは鋭く尖った氷柱。
だがそれだけならば驚く事ではない。相手は汎用魔法の生みの親であり、言葉で奇跡を起こす<始まりの魔法使い>。こういった魔法なら数多くの氷柱を生み出す事も出来て当然だと深紅も考えていた。多くとも百本くらいは、と。
「ば、馬鹿な、あり得ん! お主の魔力ではここまで大規模な魔法を扱う事は出来なかったはずじゃ! お主、一体何をした!?」
だが実際に生み出されたのは、視界を埋め尽くすほどの数の氷柱。数にして数千、あるいは万を超えるほど。そんな膨大な数の氷柱が封印の間の内壁を覆い尽くし、鋭い切っ先を深紅に向けた状態で浮遊していた。
まるで数千数万の兵士に銃口を向けられているに等しい、絶望すら感じる状況下。漂う冷気も手伝い、深紅も震え上がってしまうほどだった。
「神へ至る方法を模索する実験の中で、私はある重要な事柄に気が付いた。それは魔力が多すぎれば進化を果たす前に肉体が限界を迎えてしまう事だ。娘は久遠の他にも何人かいたのだが、全員注いだ魔力に肉体が耐えられず、魔法生物となる前に身体が朽ちてしまったのだよ」
「こ、コイツ……!」
しかし他ならぬ侠が燃料を投下してくれたおかげで、深紅の心は燃え上がり奮い立つ。
ブランルージュを実験動物にした事すら許し難いというのに、他にも肉親を実験台にしていたのだ。あまりの怒りに深紅の身体は熱を持ち、冷気に抗うほどに猛っていた。
「つまり星の魔力を身体に注げば、神へ至る前に身体が爆散するのは自明の理。ならばまずはどれほどの魔力にも耐えられる肉体を作る事が先決だ。しかし、これがなかなか難しい。久遠は魔力を持たなかったからこそ、多少の魔力を注ぐだけで魔法生物と化した。対する私は魔法使い。すでに魔力を持ち完璧に制御しているが故、変異を起こすには膨大な魔力を必要とする。私の試算では魔法使い数千人分の魔力でも足りない。かといって膨大な星の魔力を矮小な我が身に適量注ぐ事も難しい。ああ、実に悩ましい。一体どうすれば神へ至れるのだ」
周囲に氷柱を控えさせたまま、侠は演技めかした大袈裟な振る舞いで苦悩の様子を演じる。非常に腹の立つ光景だったが、下手に動けば串刺しの氷像と化すのは明白。
故に深紅は大人しく話を聞く事に徹し、沸き上がる怒りは全て己の力を燃やす糧にしていた。
「そんな風に私が大いに苦悩していた折――久遠が反逆を企んでいる事に気が付いた。龍穴の魔力を用い、私を封印してしまおうという企みに。そして、私は閃いたのだ。ならばそれを利用してしまおう、と」
「何っ!? お主、わしの反逆に気が付いておったのか!?」
「ああ、そうだとも。愛しい久遠。父親想いの久遠。君のおかげで、私は神に至る目途がついたんだ」
にこりと、慈愛に満ちた笑みをブランルージュに向ける侠。
しかしその笑顔は張り付けたような薄気味悪さを感じる物であり、感情の伴っていない上っ面だけのものだった。
「私が何故自らの固有魔法の唯一性を捨て去るような真似をしたのか、考えた事はあるかい? 汎用魔法を作り上げ、それを全ての魔法使いが行使できるよう世界に広めた意味が分かるかい? 魔法界の発展のため? 自らの力を誇示するため? 他者に力を与えるため? いいや、違う。私との繋がりを作るためだ。あるいは縁、と言い換えた方が適切かな?」
「縁、だと……?」
「一度でも汎用魔法を扱えば、私との微弱な魔力の繋がりが形成される。回数を重ねれば重ねるほど、その繋がりは確固たるものとなる。そしてこの繋がりは汎用魔法の生みの親である、私を主とする一方通行のものだ。それがどういう意味か、分かるかな?」
「……まさか!?」
魔法使いの卵である深紅にも、その意味がはっきりと理解できた。
ブランルージュの発言から察するに、今の侠は信じ難いほど魔力に満ちた状態だ。ならばその魔力はどこから供給されたのか。先の話を考えれば、思い当たるのはたった一つ。
「何という事じゃ……貴様! その繋がりを通して、世界中の魔法使いたちから魔力を吸い上げておるのじゃな!?」
「その通りだよ、久遠。汎用魔法を世界に広げ数多の魔法使いと縁を結ぶ事により、膨大な魔力を手に入れる――君のおかげで、私はこの計画を閃いたのだ」
汎用魔法を行使した者たちから魔力を吸い上げ、己の力とする。彼は遠大極まる計画を立て実行し、膨大な魔力を手に入れたのだ。
何より恐ろしいのは、封印されるという事象を逆手に取っている事。汎用魔法を広めようと考えても、人間の生には限界がある。侠はその限界を超越するため、封印を未来へ渡る揺りかごとして利用する事を画策したのだ。何百年も先の未来、汎用魔法が数多の魔法使いに広がっている世界へ。星の魔力にも絶え得る肉体を持つ魔法生物へ至る、ただそれだけのために。
「一人一人から奪う魔力は微弱なものだが、何分数が多い。私の予想通り、今の世の中ではほぼ全ての魔法使いが汎用魔法を行使している。それもこれも君のおかげだよ、久遠。私の名前を残す事が危険と判断できる知能がありながら、自ら教育機関を生み出し汎用魔法を広めてくれるとは……君は実に親孝行者だね?」
「貴様ぁ……!」
実に皮肉めいた賞賛を送られ、ブランルージュは怒りと屈辱に唇を噛み締めていた。
汎用魔法を作り上げ、世界に広めた理由――それは世界中の魔法使いから魔力の供給を受けるためだったのだ。決して人々の生活を豊かにするためでも無ければ、魔法界を発展させるためでもない。完全に私利私欲に塗れた、薄汚い欲望が根底にあった。
「……何が<革命者>だ。何が<始まりの魔法使い>だ。何が神だ! 娘を実験台にするようなクズが、そんな大層な存在であっていいはずが無い! お前みたいなゴミに憧れた自分に虫唾が走る!」
深紅は真に邪悪な人間と言うものを初めて知った。深紅の両親もクズだったが、あの二人ですらまだマシに思える邪悪の権化。
こんなゲス野郎が<始まりの魔法使い>として称えられているという事実に、吐き気が込み上げて来るほどであった。
「ほう? では、どうするというのかな?」
「ぶっ殺す! お前が死ねば、世界は滅茶苦茶綺麗になるだろうよ!」
「なるほど。それではやってみたまえ。何千万人分もの魔力で強固に具現した物質を、君の固有魔法で無効化出来るのならね」
そう言い放った侠は、指揮棒を振るように指を動かす。直後、封印の間を埋め尽くしてた氷柱が全て、一斉に深紅へと殺到する。
回避は不可能。逃げる場所など当然無い。当たれば全身串刺しになり、瞬く間に氷像が出来上がってしまう。正に絶体絶命の状況。
だが恐れは微塵も無かった。何故なら今の深紅には、大切な人たちが力を貸してくれているのだから。
「――燃え上がれっ!!」
叫び腕を振るった瞬間、紅蓮の炎がその軌跡を描いて広がった。強固に具現した氷柱であろうと、所詮は氷。ドーム状に展開した業火に呑まれ、次々と溶け去って行った。
「いっ!? 俺と同じ固有魔法!?」
「ど、どういう事? 深紅くんの固有魔法は、自分への固有魔法の、無効化じゃ……?」
これには背後で初雪と綾女が困惑の声を上げる。
しかし侠の方はうっすらと察していたのだろう。特に驚きは見せず、むしろどこか恍惚とした面持ちで佇んでいた。
「ああ、素晴らしい。君の固有魔法は吸収複写――いや、適応複写とでも言うべきかな。自らに触れた魔法使いの遺伝情報を読み取り、対象の固有魔法に適応し影響を無効化、同時に自身がその固有魔法を扱えるようになる。何と素晴らしい魔法だ……」
そう、これこそが深紅の固有魔法の真髄。
他者に触れる事で己への固有魔法の影響を無効化すると同時に、自分もその固有魔法を行使する事が出来る力。他者のアイデンティティを拒絶するだけでなく己のものとして扱うという、無効化とコピーを併せ持ったどこまでも卑劣で恥知らずな魔法だった。深紅はその力で以て、初雪の血液から力を借り受けているのだ。
「そっか。だから深紅は、あたしが触れても平気だったんだ……」
「はああああぁぁぁぁぁっ!」
背後で恵莉香が納得の呟きを零すのを耳にしながら、深紅は更に炎を生み出し氷柱を焼き溶かしていく。
この力の真髄に気付いたのは、頭を撃ち抜かれて死んだというのに生き返った事が最大の理由だ。何せ不死はブランルージュ以外に確認されていない固有魔法。それと同じ現象が発生している以上、深紅がその力を何らかの形で行使している事は間違いない。
ではどのような状況下なら行使できるのか。その条件に思い至ったのが、かつて綾女が口にしていた疑問であった。
「けど、それだったら何で深紅は生き返ったんだ? 校長先生にもその血にも触れてないだろ?」
「<魔操輪>じゃよ。アレを身に着けるだけで汎用魔法が使えるようになる事、不思議に思わんかったか? 言霊魔法の持ち主である<始まりの魔法使い>――その血族であるわしの血を触媒にする事で、誰にでも汎用魔法が行使出来るようにしているのじゃ」
背後から耳に届くのは答え合わせ。
やはり<魔操輪>にはブランルージュの身体の一部が素材として使われていたらしい。深紅の固有魔法はそこから彼女の遺伝情報を読み取り解析し、彼女の魔法を複写していたのだ。だからこそ死を免れる事が出来たのである。
「そ、そっか。だから先生は相互通信の魔法で、深紅くんとお話出来てたんだ……」
どちらかが相手の身体の一部を身に着けていないと行使できない、相互通信の汎用魔法をブランルージュが行使出来たのもそれが理由だ。彼女が深紅の一部を身に着けていたのではなく、深紅を含む全生徒が<魔操輪>を通し彼女の一部を身に着けていたのだ。
深紅の胸の内にあったあらゆる疑問は、今正に殺到する氷柱を溶かし尽くすが如く氷解していた。
「食らえええぇぇぇぇっ!!」
「炎の竜よ。迎え撃て――ヴォルカニック・ドラゴン」
全ての氷柱を溶かし尽くした深紅は、そのまま燃え盛る炎を撃ち放つ。
しかし対する侠は言霊魔法によって、蛇の如く長い胴を持つ炎の龍を生み出し迎え撃った。広大な封印の間ですら狭苦しそうなそのサイズは、正に正真正銘の東洋の龍。とぐろの中心に守られた侠には深紅の炎など届かないばかりか、次の瞬間龍が牙を剥いて襲い掛かってきた。
「クソッ、何てデタラメな力だよ!」
迫る炎の龍から逃げ回り、必死に炎で迎撃を試みる。しかし何度直撃させようと龍が消え去る事は無い。一人一人から奪った魔力は僅かとはいえ、魔法使い数千万人分の魔力で強固に構成された恐るべき炎なのだ。先程は物質的な相性で対抗する事が出来たものの、魔力量の差もあってはどうにもならなかった。
「砕けろ、大地よ。その顎に我が敵を呑み込め――クラスタル・ムーブメント」
「なっ――うあっ!?」
「し、深紅くんっ!?」
次いで紡がれた言霊に応じ、封印の間に激震が走る。大理石のように硬い床が地割れでも起こしたかのように崩れ、あるいは地面から岩の塊がせり出し、封印の間は一瞬にして岩石地帯と化した。
突然の揺れ、更に地割れと地盤沈下に足を取られ、駆け回っていた深紅は派手に転倒してしまう。
「ま、マズイ。早く逃げないと――!?」
痛みに呻きながら身体を起こそうとするも、時すでに遅し。目の前には鎌首をもたげる炎の龍が佇んでおり、深紅は蛇に睨まれた蛙の如く固まるしか無かった。
「確かに君は強い。複数の固有魔法を振るう者など、それこそ聖書の登場人物にしか覚えは無い。しかし所詮は借り物の力。君の傷が塞がり切っていない事を考えるに、久遠とは異なり完全な不死ではないだろう」
隆起した地面の向こうで、侠が淡々と見解を述べる。
悔しい事にその予想は正解だった。初雪ほど広範囲かつ強力な炎を扱う事は出来ず、未だに深紅の身体に刻まれた負傷も治り切っていない。適応複写といっても、その本質は劣化コピー能力に近いのだろう。
加えてこの魔法には一つ、致命的な欠陥がある。それは行使できる固有魔法は常に一つのみという制約。炎を扱えば負傷の治癒が滞り、逆に治癒を優先すれば炎を操る事が出来ないのである。
自分が万能で無敵の存在ではないと把握していたからこそ、深紅は炎の龍から逃げ惑っていたのだ。本家の不死身の固有魔法を十全に行使出来たのなら、怪我など気にせず炎の龍も無視して正面から突貫していた。だが劣化した力を当てにするにはあまりにもリスクが高過ぎた。
「つまりは――灰になるまで燃やし尽くせば、君も死ぬ」
恐ろしい処刑方法が耳に届いた瞬間、眼前の炎の竜がその咢を開く。その咥内で煌々と渦巻き燃え上がる炎は、まるで罪人を罰する地獄の業火のようだった。
「ぎゃあああぁあああぁああぁぁぁっ!!」
「し、深紅ぅぅぅぅ――!!」
炎の龍が食らいついた途端、深紅の全身は灼熱に呑まれた。
炎の竜巻の内部に取り込まれた如き尋常でない熱風が、身体を瞬間的に焼き溶かしていく。肌が沸騰し溶け崩れ、炭となって崩れ落ちる。例え本家の不死身の魔法があろうと意味を成さないほど、圧倒的な速度で肉体は崩壊していった。




