全ての終わり
「じゃあ、実験された娘っていうのは……」
血の気が引く思いでブランルージュに視線を向けると、彼女は苦々しい表情で頷いた。恵莉香も理解してしまったようで、深紅の腕の中で顔色を失っていた。
「……わしは元々、魔法使いではなかったのじゃよ。じゃがこやつの実験によってわしは魔法生物<ノスフェラトゥ>へと無理やり進化させられた。不死身の身体は、それによって授けられた固有魔法であり、呪いなのじゃ」
ブランルージュこそが人体実験を受けた張本人。他ならぬ当人にその事実を肯定され、深紅はあまりの怒りに一瞬立ち眩みを起こしそうになった。
「この人でなしがぁ! お前、自分の娘を実験台にするなんて、心が痛まないのか!?」
「最低! クソ野郎! よくもあたしのお母さんに酷い事をしてくれたわね!」
「元々この実験のために作った子だからね。特に痛む心は無い。むしろ不老不死という特別な存在にしてあげたのだから、感謝して欲しいくらいなのだがね」
恵莉香と共に全力で罵声を浴びせるが、侠には全く堪えた様子は無い。良心の呵責など存在しないようで、飄々とした態度を欠片も崩す事は無かった。
「先生から聞いた通りだな。コイツは完璧にイカれてやがる」
「う、うん、間違いない……この人なら、世界を滅ぼす事も辞さない……」
「……待って? 世界を、滅ぼす? それってどういう事だ?」
怒りのあまり強く拳を握りしめていると、不意に綾女が信じ難い事を口にした。思わず目を向けるも、答えてくれたのは彼女ではなく侠であった。
「言葉通りの意味だよ。私の行動の結果、世界は滅ぶ。とはいえ、意図して世界を滅ぼすわけではない。あくまでも私が神に至る代償としてこの世界が滅ぶだけだ。絶対なる神を生み出す事と引き換えなのだから、悪い話では無いだろう?」
「なっ!? 馬鹿な、どうしてそんな事に!?」
「龍穴の魔力じゃよ。こやつは自らを<神>と言う名の魔法生物に進化させるため、星の魔力を全て自らの肉体に取り込むつもりなのじゃ」
ブランルージュの口から語られた、始まりの魔法使い沢木侠の壮大なる計画の全貌。それは自らを神へと進化させるため、この星を生贄に捧げるという度し難いものであった。
星の魔力とは人間の身体で例えれば血液。身体を巡る血液が全て無くなってしまえば、人は生命活動を維持できない。ならば魔力を全て失った星が辿る末路など、考えるまでも無かった。
「……ブランルージュ先生、申し訳ありませんでした。僕は、少々あなたの事を疑っていました。本当は先生も、他人を監禁するような悪人なのではないか、と」
遂に現状を完全に理解した深紅は、まずブランルージュに心からの謝罪を送った。尊敬の気持ちが僅かとはいえ揺らぎ、彼女が悪人かもしれないと疑った事に対して。
「今、ようやく理解しました。コイツは封印されて当然の化物です。先生は僕の憧れの人のまま、何も変わっていませんでした。どうかあなたを疑った僕を許してください」
<始まりの魔法使い>、沢木侠――彼は間違いなく危険な人物だ。テロリストなどという生易しい物ではない。自らの欲求のためにこの星を滅ぼす事を厭わない狂気、それに対して何ら負い目を感じていない精神性。人間とは思えない正真正銘の化物である。
人を監禁するなど言語道断だが、理解の及ばない化物なら話は別だ。むしろ何故殺さなかったのか疑問に思えるほどだった。
「良いのじゃよ。状況だけ見れば疑われて当然じゃからな」
「殺さず封印という形を取ったのにも、何か理由があったのですか?」
「何者であろうと、目的を達成しようとした瞬間が一番気が緩むものじゃ。故にわしは人体実験を受けた後も従順な娘として振舞い、チャンスを窺った。そしてこやつがこの場で神に至る儀式を始めようとした寸前、龍穴の魔力を用いて封印術を施したのじゃ。わしの力ではそれが限界だったのじゃよ」
「ああ、あれは私の人生最大の誤算だった! まさか従順な娘が突然裏切るなど、一体誰が予想出来ようか!」
「アホか。人体実験によって人間を止めさせられたというのに、それでも父親を慕う娘などおらんわ」
大仰に額に手を当て嘆く侠と、彼に侮蔑の眼差しを向けるブランルージュ。
恐らく彼は人の心が理解できないのだろう。最早深紅には侠が人の皮を被った醜い化け物にしか見えなかった。身も心も完全に怪物、決して分かり合えない存在だ。
「――であれば、私が神に至る様を大人しく見学するわけではないのかな?」
「当たり前じゃ。とはいえ道具が無い以上、再封印はせぬよ。ここでお主を、確実に殺す」
「ほう? 君にそれが出来るのかな、久遠?」
「ぐっ……!」
啖呵を切るブランルージュだったが、挑発染みた侠の言葉に固い表情で沈黙する。
相手は近代魔法界を発展させた立役者である<始まりの魔法使い>。更にどれほどゲスで外道であろうと、紛れも無く彼女の実の父親。確実に打倒できる自信は無く、また心優しい彼女からすればこんな外道でも手にかけるのは心苦しいのだろう。
「先生は一人じゃない。やるなら僕らも相手になる」
「ああ、そうだな。こんな化物、見過ごせねぇよな」
「こ、怖いけど、この世界を滅ぼすっていうなら、止めるしか……!」
「殺すなら任せて。あたしがほんの少し触れるだけで終わりよ」
だからこそ、深紅たちも戦う意思を見せる。
先の一幕で汎用魔法が通用しない事は明らかであり、攻撃的な固有魔法を持たない深紅と綾女は戦力外と言って差し支えない。しかし世界の存亡がかかっている以上、例え素手であろうとも戦う覚悟が出来ていた。この世界を、引いては大切な人たちを護るために。
「――君たちの足は、その場から離れない」
「っ!?」
だがその戦意は瞬く間に挫かれる。
深紅たちは甘く見ていたのだ。<始まりの魔法使い>という存在の強大さを。言霊魔法の力を。
「うおっ!? 何だこれ、足が動かねぇぞ!?」
「ぬ、縫い付けられたみたいに、地面から、離れない……!」
「これが言霊魔法じゃ! 奴が魔力を以て紡いだ言葉は、全て現実の物となるのじゃ!」
「嘘でしょ!? 何それ反則過ぎない!?」
侠の言霊により、初雪たちは突然足の裏を地面に接着されたが如くつんのめる。彼らは必死に足を持ち上げようとするが、決して地面から離れない。
理不尽極まる言葉の魔法。言葉を紡ぐだけで全てを現実のものとする奇跡。何らかの限界はあるはずだが、正に魔法使いの名に恥じない凄まじい固有魔法であった。
「じゃが、ここまで強制力は高くなかったはずじゃ! 一体、何故ここまで強力に!?」
「ぐっ、うぅっ……!」
驚愕に目を剥くブランルージュを尻目に、深紅は何とか一歩踏み出す。
他者の魔法の影響を受けない固有魔法を持っているにも拘わらず、言霊魔法の効力は深紅にも及んでいた。まるで足が磁石と化したが如く、床から離れる事を拒絶している。それでも無理やり踏み出す事が出来たのは、やはり深紅の固有魔法が多少は抗っているのだろう。
「行け、深紅! 動けねぇけど、俺が援護する!」
「う、おおおぉぉぉっ!!」
重圧に耐えて不格好に走りながら、拳を握って侠との距離を詰めていく。同時に深紅の横を赤い炎が蛇のようにうねり走り抜ける。
その正体は初雪が固有魔法で作り出した炎の蛇。動きを封じられていても、固有魔法の行使まで封じられたわけではない。だからこその初雪の援護であった。
「――出でよ水蛇、迎え撃て。アクア・サーペント」
しかし侠が呪文を口にした途端、彼の周囲に水で編まれた蛇が現れる。それも初雪が生み出したものより倍は大きい。水蛇は侠を包むようにとぐろを巻くと、迫る炎蛇に大口を開けて食らいついた。
元よりサイズ差があるせいか、初雪の生み出した炎蛇は瞬く間に水蛇に呑まれ消えていく。とはいえ迎え撃つという役目を終えたせいか、同時に水蛇も宙に溶けるようにして消滅した。
「う、嘘だろぉ!? せっかく考えた俺の大技が一口かよ!」
「だったら、あたしも汎用魔法で!」
「む、無理だよぉ! 先生の汎用魔法も、通じなかったんだよ……!」
「その通りじゃ。奴は汎用魔法の生みの親であり、世界に広めた張本人。問答無用で無力化出来る故、牽制にもならん」
「だったらこれはどうだ! そのスカした面をぶっ飛ばしてやる!」
初雪の援護のおかげで距離を詰める事が出来た深紅は、侠の顔面目掛けて拳を振るう。
魔法使いとは思えぬほど野蛮な行為かもしれないが、汎用魔法が通用しないのはブランルージュの挨拶代わりの一撃と先の会話で明らかになっている。そしてこの場にいる者の中で攻撃的な固有魔法を持つ者は、初雪以外では接触が必須の恵莉香のみ。ならばどれほど無様で野蛮であろうと、殴り倒す他に道は無かった。
「ふむ。彼女の記憶通りだね。どうやら君は他者の固有魔法の影響を受けないという、特殊な固有魔法の持ち主のようだ。恐らく以前までの私の言霊魔法ならば、完全に跳ねのけて自由に動けただろう」
しかし鈍重な動きでは拳を当てる事は出来ず、侠には悠々と躱されてしまう。
深紅が動ける事に驚きを見せないのは、やはり瑞香の記憶を奪った事で何もかもを既知としているのだろう
「しかし面白いね。私が生み出した汎用魔法を行使する事が出来る辺り、何もかも完全に無力化する力ではないようだ。もしかすると他にも何か秘められた力があるのかもしれない。出来れば調べてみたい所だね」
「くっ……!」
数度拳を躱された後、最後には拳を片手で受け止められてしまう。痩せ型の見た目に反してその力は強く、動きの拘束に抗っている事もあり振り解けなかった。
負けじと眼前の侠を睨みつけるが、彼の暗い瞳には殺意や敵意は浮かんでいない。ただただ目の前の興味深い生物に対する、冷たい好奇心が浮かんでいるのみ。深紅はその悍ましさに気圧され、思わず息を呑んだ。
「だが最優先は神へ至る事。少々口惜しいが、君にはここで死んで貰おう――銃よ、我が手元に来たれ」
その隙を狙って紡がれた言霊が、侠の手の中に拳銃を呼び寄せる。魔力によって具現化したのではない。倒れ伏した瑞香の懐から弾かれたように飛んできたのだ。
驚愕と共に状況を理解した時には、すでに己の額に銃口が向けられていた。
「さらば、竜胆深紅。すぐに彼らも同じ所へ送ってあげよう」
「あ……」
そして――発砲。耳をつんざく銃声が、致命の銃弾と共に深紅の頭部を貫く。
それは避けようのない明確な死。反動で背中から倒れる深紅は、自分の意識が瞬く間に闇に落ちて行くのを感じた。




