神に至る
「ふむ。私が封印されてから六百五十七年の月日が流れ、龍穴の直上には魔法使いの教育機関が建設されたか。これは上々だね」
「……お前は、何者だ?」
「私の名は沢木侠。しかし君たちの時代に名前は伝わっていないようだ。ではこう言った方が適切かな? <始まりの魔法使い>、と」
やはり瑞香の言葉は真実だったらしい。彼こそが近代魔法界発展の立役者。汎用魔法の生みの親。<始まりの魔法使い>なのだ。
しかし何故そんな偉人が学院の地下に封印されていたのか。考えれば考えるほど分からなくなりそうだった。
「お前を封印したのは、本当にブランルージュ先生なのか?」
「ブランルージュ……ああ、今はそう名乗っているのか。その通りだよ、竜胆深紅。君の言うブランルージュ・スターチスが、私をここに封印したのだ」
「嘘よっ! お母さんがそんな事するはずない!」
深紅の腕の中で、噛みつかんばかりに恵莉香が吠える。彼女にとってブランルージュは正に本物の母親。そんな信頼の置ける絶対の存在が六百年以上に渡り人を監禁していたなど、到底信じられるわけが無かった。
「盲目的な信頼というのは恐ろしいね。校長である彼女しか踏み入る事が出来ない学院の地下深くに、実際に私が封印されていたのを目の当たりにしたばかりだろう? 誰の仕業かは考えるまでも無いと思うが?」
「っ……!」
だが状況を鑑みれば侠の発言は正論だ。疑う余地は微塵も無い。
恵莉香もそれを理解しているらしく、二の句を継げずに押し黙っていた。
「……そうだな、確かにブランルージュ先生の仕業だろう。けど、何かやむにやまれぬ理由があるはずだ。あの人が私利私欲でこんな真似をするはずがない。お前は一体何故封印されていたんだ」
しかし深紅はブランルージュを尊敬し、心の底から信頼している。
何せ彼女は救いようのないクズにさえ手を差し伸べてくれたのだ。盲目的とそしられようが、そんな慈愛の化身たる彼女が悪人であるわけが無いのだから。
「ふむ。長らく封印されていたため、私も少々人との対話に飢えている。故に君の問いに答えてあげよう。だがそれには、私の目的――いや、野望を先に話さねばなるまい」
「野望、ね。その言い方、やっぱりお前は碌な人間じゃないな?」
「おやおや。近代魔法界を発展させた立役者である私ほど、魔法使いたちに貢献した人間はいないはずだが?」
「やかましい。さっさとお前の野望とやらを話せ」
「良いだろう。私の目的、それは――神へ至る事だ」
飄々とした様子で語っていた侠だが、その口から放たれたのは戯言の極みであった。
これには深紅も、そして恵莉香も状況を忘れて呆けてしまう。
「……は? 神、だと?」
「そう、全知全能たる至高の存在にして世界の支配者。私はその神という存在に至ろうとしたのだよ」
聞き間違いかと思った。幻聴かと疑った。この奇跡に満ちた魔法界ですら、あまりにも荒唐無稽で信じ難い台詞だったのだから、当然と言えば当然だった。
だが侠はまるで教鞭を振るう教師が如く、丁寧に淡々と続ける。
「知っての通り、人間という種は儚く脆い。酸素が無ければ生きられず、多量の放射線に晒されれば命の危機を迎え、極低温や超高温にも弱い脆弱な生物だ。しかし、もしそれらを克服出来たら? 新たな次元の存在へと昇華を果たし、他を超越した超常的な存在に進化する事が可能なら? それを成し遂げるための力を持っていれば? ならばやるしかないだろう。他の何を犠牲にしてでも」
「馬鹿言うな。人が神になんかなれるわけ無いだろ。頭イカれてるのか?」
「何故無理だと決めつけるのかな? 魔法使いは固有魔法という神の如き力を振るえる。それを利用すれば真なる神に至る事も決して絵空事ではないと思わないかい? 事実、聖書を紐解けば神と崇められていた魔法使いの存在を確認できるはずだが?」
「それは……」
問われ、深紅は僅かに言葉に詰まる。
確かに聖書には神の所業と思える御業の数々が散見される。石をパンに変え水をワインに変え、死を超越する。人間には不可能な所業だが、魔法使いなら不可能ではない。当時は魔法の概念が今ほど広がっていなかったのは確実なのだから、超常的な存在として崇められるのも無理はなかった。
「尤も、私が目指すのは現世で崇められる信仰対象たる神ではない。我々が存在するこの宇宙を高次元から観測できる上位存在――正真正銘、本物の神だ」
「ありえない。余計無理に決まってる」
「可能だ。小規模実験を行い、成功を確認した。私は、神の座に至る事が出来る」
それは確信を持った言葉。自信に満ちた断言。彼は本気で信じているのだ。自身が全能の神に至る事が出来る、と。あまりの誇大妄想と大言壮語に、深紅は気が遠くなりそうなほどの馬鹿馬鹿しさを覚えた。
「へぇ、実験ね。不思議なお薬でもキメてトリップしたか?」
「いいや。娘の肉体に私の魔力を注ぎ、人間の上位種への進化を試みた」
「……は?」
馬鹿馬鹿しさのあまり嘲り半分に尋ねた所、返って来たのは人道から外れた答え。これには深紅の脳が一瞬理解を拒んだ。何故ならそれは人体実験、しかも己の子供を使用した畜生にも劣る下劣な行為だったのだから。
「魔法生物とは、生物が自らの抱えた魔力に適応して姿を変えた存在。言わば進化を遂げた新次元の生物だ。内包する魔力が強大であればあるほど、より強靭で優れた生物へと進化を遂げる。そして条件さえ整えば、人間も魔法生物へ進化するのだ。私はこれに目を付けた。実験の結果、我が娘は不死なる存在へ進化を果たした。人間の人工的進化は可能なのだ。後はより大規模に、実践するのみ」
「不死なる、存在……?」
人間も魔法生物になり得る。それ自体は感づいていたので驚きは無い。
故に意識を奪われたのは実験体の末路。不死なる存在へ進化させられた、哀れな子羊たる少女。何故だろうか、深紅はその少女に思い当たる節があるような気がした。
「――風よ、集え! 全てを引き裂き、千々に斬り裂け! ストーム・ブレイド!」
「うわっ!? な、何だ!?」
更に思考を広げようとしたその時、深紅の横を大気が歪んで見えるほどの烈風の嵐が通り過ぎた。砲弾を思わせるそれは恐ろしい速度で一直線に侠へと向かうが、彼の身体に触れた瞬間に消し飛び霧散する。
侠は何もしていない。まるで接触した瞬間に無力化されたように、そよ風すら残さず掻き消えたのだ。
「やはり汎用魔法は通用せんか。これはマズい状況じゃのう……」
「お母さん!」
「ブランルージュ先生! ご無事でしたか!?」
暴風の通り道を辿れば、そこには封印の間の入り口に立つブランルージュ。シャンデリアに圧し潰されたせいで、純白のローブは真紅に染まっていてかなり痛々しい姿だった。
どうやらこの場に踏み入るなり、問答無用で侠に対し攻撃魔法を放ったらしい。慈悲深い彼女にしては情け容赦が欠片も無いが、これほどの異常者を前にしては至極当然の対応にも思えた。
「うむ。煎餅のようにのされていて動けんかったが、お主の友人たちが助けに来てくれたのじゃ」
「し、深紅くん、大丈夫!?」
「助けに来たぜ、親友!」
「初雪!? それに綾女さん!?」
一歩遅れて封印の間に踏み入ってきたのは、この学院で出来た深紅の親友たち。初雪と綾女だ。まさかこんな状況で再会できるとは思わず、深紅は驚愕と喜びの狭間で揺れ動いてしまう。
「一体どうして二人がこんな所に? 夏休みで実家に帰ったんじゃ……」
「それが綾女の奴、固有魔法でお前を覗き見て――」
「そ、そんな事より! 校長先生から、聞いたよ! は、<始まりの魔法使い>を、止めないと!」
状況説明を求めた所、苦い顔をした初雪の説明を綾女が途中でぶった切った。妙に顔を赤くして、慌てた様子で冷や汗をたっぷり流した綾女に。
その反応、そして初雪が途中まで口にした言葉で深紅は何となく全貌を察したものの、今はあえて触れない事にした。確かに今は神に至ると豪語する異常者をどうにかする事が先決だ。
「おやおや。実の父親を殺そうとするなど、何と惨い事をする。君をそんな親不孝者に育てた覚えはないぞ、久遠?」
「娘に親殺しを決意させるような計画を立てるお主が悪いんじゃろうが! その様子だと、六百年経っても腐り切った性根に変わりはないようじゃのう!?」
「ち、父親!? <始まりの魔法使い>が、ブランルージュ先生の!?」
驚愕の事実に、深紅は目を剥いて両者を見比べる。
だが可能性が無いわけではなかった。ブランルージュは<始まりの魔法使い>と同じ時代を生きた魔法使い。ならば血縁関係があっても別に不思議ではない。久遠と呼ばれても否定しない辺り、恐らくそれが彼女の本当の名前なのだろう。
とはいえ深紅としては認めたくない事実であった。何故なら侠とブランルージュが親子だという事は、ある恐ろしい事実を証明する情報なのだから。




