一時の別れ
広大な大自然の中に佇むアサナト魔法学院は、中世の時代に建造された古城を流用した学び舎だ。
しかし地理的に地球のどの辺りに存在する学院なのかは知られていない。生徒や教師に日本人の名前が多いので、恐らく日本のどこかと推測する事は出来る。とはいえ物質界とは異なる次元に存在するため、場所が判明しても特に意味は無い。そもそも学院への出入りもまた、魔法的な方法によって行われているからだ。
一つは汎用魔法によるテレポート。尤もこれは高学年にならなければ解禁されない魔法なので、低学年の生徒たちはもう一つの方法でアサナト学院を訪れ、あるいは一時的に帰郷するために離れる事となる。
「そんじゃあな、深紅! 二学期にまた会おうぜ!」
清々しい笑みを浮かべた初雪が、虚空に古めかしい鍵を差し込み捻りを加える。すると鍵を起点に光の扉が生成され、それが開くと向こう側には見た事も無い牧歌的な田舎の風景が広がっていた。
これこそもう一つの移動手段である魔道具――<ヤヌスの鍵>。魔力で以て離れた空間と空間を繋げ、思い浮かべた場所への移動を可能とするワープゲート生成装置である。一見非常に便利だが使用する魔力がかなり大きいため、乱用は出来ないのが難点だ。
加えて<魔操輪>と同じくロックがかけられており、学院内から学院外、あるいはその逆へ飛ぶ場合しか使用できない。加えて出発点か到着点が必ず学院の大広間で無ければならないのだ。
とはいえこれも主に生徒の安全を考慮した上での対応らしい。学院内は濃密な魔力に溢れているため、下手に<ヤヌスの鍵>を使用すると座標が大幅にずれて非常に危険な事態になるそうだ。唯一大広間でだけ安全に使えるので、完全に帰郷のためだけに用意された魔道具であった。
「うん。お土産話とか期待してるよ、初雪」
「おう! 話だけじゃなくて、うちの地域の名産品とかも持ってきてやるからな!」
手を振りながら光の扉の向こうに踏み出し、去っていく初雪。やがてその扉は一人でに閉まると、宙に溶けるように消え去って行った。
後に残ったのは光の残滓と、生徒たちが集った大広間の光景。遂に夏休みを迎え、皆が友達に別れを告げて里帰りしていく少々物悲しい光景だ。最初はかなりの人数が集っていたので賑やかだったが、いつのまにやら静寂が広がりつつあった。
「そ、それじゃあ私も、もう行くね……深紅くん……」
やがて綾女も<ヤヌスの鍵>を用いて光の扉を作り出し、深紅に別れを告げてくる。
当然ながら彼女も帰郷組なため、しばしのお別れだった。
「うん。綾女さんも、戻ってきたら実家での事とか色々聞かせてくれると嬉しいな?」
「う、うん。あんまり面白い話は無いかもだけど、いっぱい、聞かせてあげるね? だから……」
はにかみつつ答えたかと思えば、綾女は突如として感情が抜け落ちた能面の如き表情に変貌し、深紅の肩に視線を注ぐ。そこにあるのは――
「えへへ、深紅~♪」
背後から深紅に抱き着き、おんぶ状態で甘えて頬ずりをしてくる恵莉香の姿。
綾女と顔を合わせると諍いが絶えない彼女も、今は実にご機嫌だ。ブランルージュも学校に残るため、彼女の義理の娘である恵莉香も当然ながら残留組なのだ。つまりは綾女に邪魔されず深紅に甘える事が出来る。そのため最高に機嫌が良く、反面綾女は憎悪すら感じるほどにご機嫌斜めなのだろう。
「……あんまりその女に、気を許しちゃダメだよ」
背筋が凍るほど冷たい声音で忠告を残し、扉の向こうに足を踏み出す綾女。
何故だろうか。恵莉香に抱き着かれて温もりを感じているというのに、血の気が失せるほどの肌寒さを感じてしまった。
「じゃあね、深紅くん……また、会おうね……?」
「う、うん……」
暗い瞳で不気味な笑みを浮かべ、扉が閉まり切るまで綾女はずっとこちらを見つめていた。親友との別れだというのに、寂しいと感じるよりもまず安堵を感じてしまった深紅は薄情者なのだろうか。
そして綾女が作り出した光の扉も消え去り、大広間には耳が痛くなるほどの静寂が満ちる。見れば周囲にはほとんど人の気配は無く、深紅たち以外に三人ほど生徒がいる程度であった。どうやらすでに帰郷組は全員去ってしまったらしい。
いつも一緒にいた親友二人と離れ離れになってしまった実感に、一種の寂寥感が湧いてくる。今さっき別れたばかりだというのに、もう彼らに会いたくなってくる堪え性の無い深紅であった。
「……ふうっ。やっとあのウザい女がいなくなったわ。これで心置きなく、深紅とイチャイチャできるってものね!」
「君は以前から何も気にしてなかったような気がするけどね……」
とはいえ、寂しくとも孤独を感じる事は無かった。背後からおぶさるように引っ付いてくる恵莉香がいるのだから当然だが。
少々くっつきすぎだし、背中に感じる柔らかな質量のせいで生き地獄のようなものであるが、この温もりだけはとても有難かった。
「――おや、あなたたちは学院に残るのですね」
などと感慨に浸っていると、背後から声をかけられる。
振り返るとそこに立っていたのは一人の教師。美しい金髪に端正な面差し、クールで近寄り難い印象を持つ女教師であるが、その実態は仕事の時間に秘密の部屋を探す好奇心の強い女性――白百合瑞香だった。
基本的に生徒以外で残るのは寮母や料理人、最低限の雑務員くらいだが、どうやら彼女も残留組らしい。好奇心旺盛で学院の調査をしている彼女が人のいなくなるこの時期を逃すとは思えないので、考えてみれば当然の成り行きかもしれない。
「はい、瑞香先生。彼女はともかく、僕は帰る家がありませんので」
「あたしは深紅と一緒に残る! どのみちお母さんと一緒に残るつもりだったしね!」
「仲がよろしくて何よりです。しかし蓮華さんと触れ合える者がいるとは、いつ見ても驚きですね。自身への魔法の影響を無効化する力――とても素晴らしい固有魔法です」
メガネの位置を直し、好奇心に溢れた瞳で賞賛の言葉を投げかけてくる瑞香。
すでに深紅の固有魔法は教師たちも知る所であり、その性質から好奇の目を向けられることも多々あった。前例のない固有魔法であるため、固有魔法学の教師である瑞香も関心を持っているようだ。瞳の奥にはある種怪しげな光が煌めいている。
「ありがとうございます。正直魔法を使っている気分が薄いのは残念ですが、この力のおかげで恵莉香さんを救う事が出来たので本望です」
「恵莉香さんなんて他人行儀だよ~。エリーって呼んで? ダーリンでも良いよ?」
「本当にグイグイ来るね、恵莉香さん……」
仮にも教師の前だというのに、我関せずといった感じでひたすらに甘えてくる恵莉香。おまけに熱烈なカップルの如き呼び方を求めてくる始末。
恵莉香にとって深紅が唯一無二の存在である事は理解しているが、ここまで依存していると将来がかなり不安だ。その内何とかしなければならないと分かってはいるものの、どうしても甘く対応してしまう深紅だった。
「蓮華さん、あなたは竜胆さんの事が好きですか?」
「うん、大好き!」
「それはどれくらいでしょう?」
「死ぬほど好き! 深紅がいなくなっちゃったら、あたし生きていけないもん!」
瑞香もその辺りの懸念を理解しているのか、恵莉香に対してかなり踏み込んだ問いを投げかける。とはいえ他ならぬ恵莉香が何の躊躇いも無く剛速球のストレートを返すので、反応に困っているのか酷く感情の抜け落ちた表情を浮かべていた。
これが冗談や誇張表現なら笑い飛ばす事も出来たが、相手は自殺しかねないほど絶望に染まった目をしていた恵莉香。実際に深紅に何かあったら躊躇いなく後を追って来る確信があったので、深紅としても答えが重すぎて愛想笑いも出来ないほどだった。
「……なるほど。愛されていますね、竜胆さん?」
口調はからかうような、しかし表情だけは怖いほど真面目な瑞香。どうやら彼女も下手に突いて良いような軽い話題ではないと察したらしい。一つ頷くと、別れの挨拶も無くそのまま立ち去って行った。
仮にも教師が全てを生徒に押し付け逃げるのはいかがなものかと思ったが、命を賭けて恵莉香を救おうとしたのは紛れも無く深紅本人なのだ。ある種の責任があるのは否めないので、去っていく瑞香の背を未練がましく見つめる事しか出来なかった。
「それじゃあこれから何しよっか? こんな広い学校に人がほとんどいない機会なんて早々無いんだし、廊下でイチャイチャとかする? それとも教室でエッチな事する?」
しかし話の中心人物である恵莉香には、最早悲壮感など欠片も無い。瞳を期待と喜びに輝かせ、呆れ果てるしかない行為を提案してくる。
「しないよ。第一そういうのは恋人同士でする事だよ? 僕らは友達なんだから、イチャイチャするのもさすがに駄目だと思うな」
「やだー! 不純異性交遊するの~!」
「堂々ととんでもない事を言ったね……」
仮にも女の子だというのに、躊躇いなく不埒で不道徳な事を叫ぶ恵莉香。
彼女を救う事は出来たが、代わりに強い依存というまた別の問題が生じてしまっているのは実に頭の痛い状況であった。かといって自分には救った責任があるので、彼女の過去も加味して考えると邪険にする事も出来ない。そのため深紅はべたべたくっついてくるくらいなら受け入れ、それ以上はのらりくらりと躱していた。綾女の気持ちに気付かない振りをしているのと同じく、クズである自分には女性を幸せにする事など出来ないから。




