憧れと使命
「――あの時は絶対クソガキが死んだと思ったね。首も手足も変な方向向いてるし、骨が飛び出てたし、脳みそも零れてたからね。むしろあれで生きてたら化物だよ」
恩師との運命的な出会いを回想しながら、深紅は親友たちに詳細を語って聞かせた。
まさか二人も深紅がどす黒い闇を抱えていたとは想像もしていなかったようで、血の気の失せた顔で呼吸すら忘れ凍り付いている。しかしそれも当然だ。話の中の深紅と今の深紅は、まるで別人と思えるほど口調も態度も全てが異なるのだから。
「二人共、心底幻滅しただろうね。そうだよ、僕はクズだ。クズとクズの間に生まれたサラブレッドで、見た目幼い子供を犯して道連れにしようと考えるゲス外道さ」
だがどちらも紛れも無く深紅であり、どちらかと言えば素の深紅は昔の方だ。
今の深紅は心優しい立派な人間になろうと、普段から善人の皮を被り努力して振舞っているに過ぎない。口調や一人称も意識して人当たり良いものに変えているだけであり、一皮剥けば小学生くらいの少女を犯してやろうと考える人でなしのクズだ。
こんな吐き気を催す程鼻持ちならない胸糞悪い畜生、どう考えても二人の親友には相応しくなかった。
「隠しててごめん。詰られても絶交されても当然だと思う。いや、むしろするべきだよ。二人は僕と違って根っからの善人で、僕なんかが友達になって良い相手じゃ――」
自ら友情を手放そうとした瞬間、深紅の視界は黒く染め上げられた。同時に頭を、そして身体を暖かな感触が包み込む。
どこまでも堕ちてしまいそうな、微睡みの中にいるが如き心地の良い暖かさ。この感覚には覚えがあった。それは深紅が子供の頃から、狂おしいまでに求めていたもの。ブランルージュの手を取る事で感じたもの。愛情溢れる人の温もりであった。
「辛かったね、深紅くん……」
「あ、綾女、さん?」
気が付けば、深紅は綾女に抱き締められていた。力強く、けれど優しく。彼女の胸に顔を埋めさせられる形で。
見上げて見れば、彼女はどこまでも優しく慈愛に満ちた眼差しを深紅に向けていた。
「大丈夫だよ。絶好なんかしない。むしろそんな辛い過去を教えてくれて、嬉しい……もっと君と、仲良くなれた気がするもの……」
「あ、ぁ……」
そして更にぎゅっと強く抱きしめてくる。
異性の胸に顔を埋めている劣情など全く湧いてこない。胸に生じるのは狂おしいまでの歓喜。決して自分が得られないと思っていた、無償の愛情を得られた喜びであった。
「ま、確かにかなり驚いたけど、俺も綾女と同意見だぜ。大体お前の育った環境を考えれば擦れちまうのも当然だろ? むしろドン底で終わらず、這い上がって立派な人間を目指すお前は、正直眩しくて惚れちまいそうなくらいだぜ」
「初雪……!」
抑えていたというのに、照れ臭そうに零す初雪のせいで遂に喜びは決壊する。沸き上がる至福の気持ちが涙となってポロポロ零れ始めてしまう。
絶交されて当然だと思っていたのは本心。それを覚悟して全てを話したのだ。けれどこんなにも素晴らしい友人たちを失いたくないと思っていたのもまた事実。
だからこそ二人が深紅の全てを受け入れてくれた事は、感涙に咽び泣いてしまうほど嬉しかった。クズの両親から生まれ、幼い少女を犯し道連れにする事すら考えたゲス外道の深紅を、二人は変わらず大切な親友として想ってくれているのだ。それが何よりも喜ばしく天にも昇る心地であり、込み上げる涙を止める事は出来なかった。
「二人共……あ、ありが、とぉ……!」
故に深紅は泣いた。気持ちの整理がつくまで、幼子のようにひたすらに。
親友たちの前で、しかも一人には抱き締められて頭を撫でられながら泣くというのは、正直な所顔から火が出そうなほど恥ずかしいものがあった。けれども二人からは両親が向けて来なかった情や慈しみの気持ちを身に染みて感じる事が出来たので、決して悪くない気分であった。
「……はい、深紅くん。これ」
しばらくしてすっかり憑き物が落ちた深紅は、少々後ろ髪惹かれながらも綾女の抱擁から抜け出た。同時に彼女は慈しみに満ちた微笑みを浮かべ、見覚えのあるハンカチを差し出してくる。
思えば彼女と仲良くなったきっかけもこのハンカチだ。たった二月ほど前の事だというのに、何だか無性に懐かしく思えてくる深紅であった。
「ありがとう、綾女さん。これは後で――」
「――洗濯して、アイロンをかけて返す……だよね? そんなのは良いから、この機に、呼び捨てで呼んで欲しいな……?」
「そ、それはまたの機会にって事で……」
どこか期待に満ちた目を向けてくる綾女に対し、慌てて誤魔化しながら涙を拭く。
自分の身の上話をすれば綾女の気持ちも冷めるだろうと思っていたのだが、どうにもそんな様子は見られない。むしろみだりに話さない秘密を明かしたせいか、余計に親密さが上がった感じだ。
クズのサラブレッド、それも強姦未遂の犯罪者である自分がどうしてここまで想われているのか、いまいち深紅には理解できなかった。とりあえず深紅たちの様子をニヤニヤと笑い見守っている初雪に、心底イラっと来る事だけは確かである。
「それで、どこまで話したっけ……ああ、そうだ。僕が賭けに負けた所か。でも考えてみれば負けるのは当然だ。何と言っても先生の固有魔法は不死だからね。本当は最初から僕に勝ちの目は無かったんだ」
ニヤつく初雪のせいで込み上げてきた恥じらいを誤魔化すために、中断していた話を続ける。
あの時は魔法という概念など空想の物だと断じていた。だからこそブランルージュの固有魔法が、不老不死という生物の枠組みを超越した力である事など知るわけが無かった。そもそもあの力が固有魔法だという事に気が付いたのも、初めての固有魔法学の授業を終えてからだ。
故にあれは出来レース。最初からこちらの負けは仕組まれていた詐欺紛いのギャンブルだ。しかしあの時の深紅にも、そして今の深紅にも敗北による悔しさや屈辱など微塵も無かった。
何故なら自らの敗北はすなわち、超常の力が存在する証。魔法が存在する世界へ、ブランルージュは深紅を誘ってくれたのだ。喜びと感動を抱く事こそあれ、怒りや屈辱など覚えるはずも無かった。むしろ絶望の底から自分を救い上げてくれた彼女に対し、崇拝にも似た憧れを胸に抱いたほどである。それこそが今の深紅の原点であり、根幹を為す鮮烈な思い出だった。
そこからはトントン拍子に事が進み、あれよあれよという間に入学式を迎えたわけである。入学まで一週間はあったはずだが、衝撃が大きすぎてその頃の事はいまいち思い出せなかった。ブランルージュにお金を渡され、促されるままホテルに宿泊し療養していたはずなのだが、何を食べてどう過ごしたのかはさっぱりである。
「生きる事を諦めてた僕に、あの人は魔法の世界っていう素晴らしい居場所をくれた。立派な魔法使いになるっていう、生きる目標を与えてくれた。立派な魔法使いが具体的にどんな人を指すのかはいまいち分からないけど、悩み苦しむ人を見捨てる人間じゃないって事だけは分かる」
恵莉香を放っておけない理由は、正にそこに起因する。
自分を救ってくれたブランルージュが深紅に望んだのは、清く正しい立派な魔法使いになる事。賭けの結果を抜きにしても、それは尊敬する大恩人から与えられた使命。ならばどのような悪評を浴びせられようと、全身全霊を賭して成し遂げる他に無かった。
一度命を捨てた以上、深紅の命は寸での所でそれを拾ったブランルージュのもの。彼女の願いを全うする事こそが、今の深紅の使命であり、存在理由であり、全てなのだ。
「だから僕は、蓮華さんを救ってあげたい。僕みたいに生きる事を諦めて、絶望のあまり全てを投げ出す前に。ただ今はその方法が分からなくて、とにかく話しかける事しか出来ないんだ。その程度の事しか出来ない無力な自分に、何だか悲しくなってくるよ……」
「そ、そんな事無い! 深紅くんは、頑張ってるもん……!」
僅かな弱音を零してしまった直後、普段は控えめな綾女が拳を握って力説してくれた。深紅はとても頑張っているのだ、と。確信を持った表情で。
「だな。わりぃ、ストーカーみたいだなんて言って。お前がそんな高潔な事考えてるのに気付けなかった、頭の悪い俺を許してくれ」
初雪も同じ気持ちなようで、何とも罰が悪そうに謝ってくる。
どうやら二人とも深紅の行動理由に納得してくれたらしい。例えどれほど忠告されようと恵莉香に近付くのを止めるつもりは無かったので、二人が受け入れてくれて胸を撫で下ろす事が出来た。
「ありがとう、二人とも。でもやってる事が犯罪スレスレなのは事実だから、気にしなくて良いよ」
「あ、それはちゃんと自覚してたんだな……」
初雪も綾女も、安堵しつつも呆気に取られたような複雑な表情を浮かべる。
一応深紅も最低限の常識は持っているのだ。手段を選ばず悪評も無視しているだけで、自分が黒寄りのグレーな行為を働いているのは理解していた。何なら恵莉香が物質界で言う裁判所や警察などの出る所に出れば、確実に深紅が負けるだろう事は自覚している。
「じゃ、じゃあ、これからは私達も一緒に考えてあげるね? あの固有魔法をどうにかする事は無理だろうけど、それでも孤独や寂しさを埋めてあげられる方法が、きっとあるはずだから……」
「そうだな。誰とも触れ合えないなんて可哀そうだもんな。俺らも手を貸すぜ、深紅!」
「二人とも……うん、ありがとう!」
素晴らしい友たちを持った事に感動を禁じ得ない深紅は、胸に込み上げる熱い想いのまま笑顔を浮かべる。
クズとクズから生まれた最悪のサラブレッドであり、昔は不良以上に擦れていた深紅にすら親友が二人も出来たのだ。人の温もりを知り、優しさを知る事が出来たのだ。ならば恵莉香にだってその権利や資格があるはずだし、深紅以上に幸せになるべき存在なのは間違いない。
だからこそ、何としても彼女を救いたい。親友たちとの絆を確固たるものとして感じながら、深紅は心からそう願うのであった。




