死神
「――ああ、見つけられて良かった。蓮華さん、だよね? ちょっと良いかな?」
「……は? いきなり何よ、あんた。馴れ馴れしいわね」
酷く冷めた声を投げかけてきたのは、毒々しい赤紫の髪を持つ少女――蓮華恵莉香。声だけでなく視線も氷点下であり、こちらもまた禍々しい紫の瞳はゴミでも見るような侮蔑に満ちている。
彼女は汎用魔法学の授業の時に共に生き残った少女であり、同時に誰もが話題に上げず腫れ物扱いしていた少女だ。綾女にも初雪にも『近寄るな』、『拘わるな』と口を酸っぱくして言われたが、深紅はどうしても彼女を放っておくことが出来なかったのだ。だからこそわざわざ二人の昼食の誘いを蹴り、話をするためにストーキングまでしたのである。
「ああ、ごめん。気を悪くしたなら謝るよ。ただ、君にちょっと聞きたい事があるんだ」
「あっそ。あたしにはあんたと話したい事なんて無いわ。さっさと消えてくれる?」
「――君は触れた人の命を奪う固有魔法を持ってるって聞いたんだけど、それは本当の事なの?」
話を聞いてくれる態度でないのは明白だったので、去られる前に単刀直入に尋ねた。途端に恵莉香の氷点下の瞳に、狂おしいまでの殺意という熱が生まれる。
そう、綾女たちが拘わる事を避けていたのは、彼女の固有魔法が原因だった。
それは触れた者の命を奪うという、恐るべき力。彼女はその力によって己の両親を殺した、恐るべき化物だというのだ。触れれば死ぬような相手、実の両親すら殺した相手、命が惜しければ誰も近付きたがらないのは当然だ。
しかし、それはあくまでも噂。だからこそ深紅は本人にその真実を問いに来たのだ。何より深紅には彼女を放っておけない理由があったから。
「こんな事を聞いたら気を悪くするだろうって事は分かってる。でも僕はほんの少し前まで物質界で過ごしてた、魔法を知らない人間なんだ。ブランルージュ先生が保護してくれなかったら、この夢みたいな世界に来る事もなかった」
本能が警鐘を鳴らす域の殺意を向けられながらも、まず己の意志を伝える。
下手をするとこの場で自分も犠牲者になる可能性はあったが、意外な事に恵莉香は殺意を収め目を丸くしていた。
「物質界……てことは、あんたはお――校長先生に、保護されたって事?」
「うん、実はそうなんだ。そのせいで魔法界の事は常識的な事も良く知らない。だから君に関する噂が本当なのかどうか、僕には判別できないんだよ。友人たちには拘わるなって言われたけど、真実を知らないまま腫れ物扱いするなんて僕には絶対許せない。でも、噂に踊らされてる皆が本当の事を知ってるとは思えなかったんだよね」
若干の興味を示してくれたようなので、訪ねて来た理由も並べ立てる。
もちろん深紅としても出来れば避けたい所だったが、人の良い親友二人ですらあの対応なのだ。ならばもう多少のリスクを冒してでも本人に問うべきだと判断したのである。
「……だからって普通、本人に聞きにくる? イカれてるわね、あんた」
「自分でもそう思うよ。まあ両親がだいぶアレだったから、たぶんそのせいだね」
軽蔑にも似た眼差しを向けてくる恵莉香に対し、朗らかに笑って返す。元より自分が只人とは多少ズレている事など承知の上だった。
恵莉香はしばしの間、深紅を値踏みするようにねめつける。あるいは目的でも推し量るような疑いの目で。
しかし特に存在しない裏を見抜く事は出来なかったのだろう。諦めたのか小さくため息を零して立ち上がった。そして今の今まで日陰にしていた大木にそっと手を触れる。
「……っ!?」
瞬間、彼女が触れた場所を起点にして大木が萎れ始めた。まるで数ヵ月の時間を早回しで見ているかのように、生い茂っていた葉が茶色く染まり枯れ落ちていく。あまりにも恐ろしい光景に深紅に引っ付いていた妖精たちも飛び去り、ほんの数秒で大木は萎れた枯れ木と成り果てていた。
「……触れた生物の生命力と魔力を奪う。それが私の固有魔法の力よ」
実演を以て、恵莉香はその事実を教えてくれた。触れるだけで生命力と魔力を奪うという、実に凶悪な固有魔法を秘めている事を。
「魔力も……なるほど、だからロベリア先生の作り出した影人形も消し去れたんだね」
汎用魔法学の演習の時、恵莉香は三体の<影人形>に丸呑みされたにも拘わらず脱落しなかった。そればかりか<影人形>たちを一瞬にして消し飛ばしていた。アレは恵莉香の身体に触れた事で、<影人形>を構成する魔力が奪い取られた故の結果なのだろう。
「そうよ。そしてこれは、常に発動し続ける制御できない固有魔法。誰もが私を恐れてるのは、触れただけで死にかねないからよ。実際そのせいで母親を殺しちゃったしね」
「っ……!」
何気なく紡がれた彼女の言葉は、噂のほとんどが真実だという事を肯定するもの。その衝撃、そして手の施しようが無い事実に深紅は息を呑んだ。
彼女の固有魔法が危険なものだという事は予想出来ていた。彼女が両親を殺したのだという事も、危険性によってはあり得るだろうと考えていた。しかしその固有魔法が己の意志では制御できないものである事だけは予想外だったのだ。
「……良いわよね、物質界は。何の不自由も無く、人と触れ合えるなんて。あたしにとってはそんな世界こそ夢みたいだわ」
「あ……」
恵莉香は空を仰ぎ見て、羨望の滲む声でそう語る。
一瞬だけ見えた彼女の横顔は狂おしいまでの孤独に満ちており、紫陽花を思わせる鮮やかな瞳は空を行く鳥たちに向けられていた。まるで自分もあの大空へ飛び出したいと考えているかのように。
「用は済んだわね。じゃあもう二度と、あたしに近付かないで。あたしだって、好きで人を殺したいわけじゃないんだから」
黄昏の表情は一瞬。次の瞬間には全てを拒絶する氷の如き面差しに変貌する。希望など一欠けらも存在しない暗い瞳で一度深紅を睨みつけると、彼女は背を向け歩き出した。
確かに恵莉香の言う事は尤もだ。彼女の固有魔法は手の施しようがない。優秀な魔法使いである教師たちにも匙を投げられているのは、彼女の様子を見れば一目瞭然だ。特に物質界出身の無知で無学な深紅に何かできる訳も無い。そして深紅自身、己が大した人間ではない事は痛いほど理解していた。
「――待って、蓮華さん」
しかし深紅は恵莉香を呼び止めた。彼女は振り返らないが、ピタリとその足を止める。
固有魔法への対策を閃いたわけではない。けれど居ても立ってもいられなかったのだ。晴れ渡る青い空を見上げる彼女の孤独に満ちた眼差しを、空を行く鳥たちに危険な憧れを湛えた横顔を見てしまっては、決して見過ごす事など出来なかった。
「何? もう用事は済んだでしょ?」
「うん。だけどもう一つ、別の用事が出来たんだ。蓮華さん、僕と――友達になってくれないかな?」
「……は?」
数秒ほどの間を経て疑問の声を上げ、恵莉香はこちらを振り返る。
本気で言葉の意味が理解できなかったのか、あるいは理解してなお信じ難いのか。彼女はとても胡乱気な瞳で深紅を睨みつけていた。
「あんた、あたしを馬鹿にしてる? 言ったわよね? 私は触れたら死にかねない固有魔法を持ってるって。それを自分で制御できないって。言ったわよね? そんな奴と、友達になりたい? 本気で言ってる?」
「うん。もちろん全部覚えてるし本気だよ。僕は君と友達になりたいんだ」
深紅は躊躇いなく答えた。恵莉香にも理解できるようにゆっくり、聞き取りやすく。
けれどやはり彼女にとっては理解し難いものだったのだろう。恵莉香はたっぷり十秒近くもの間固まっていた。
「……プッ! あはっ、あはははっ! あははははははっ!!」
そして、唐突に笑い出した。瞳の端に涙を滲ませ、お腹を抱えて転げ回りそうなほどに爆笑していた。
初めて目にした恵莉香の、紛れも無いプラスの感情の発露。それ自体は喜ばしい事なのだろうが、笑っている理由自体はプラスの感情では無さそうだった。
「はあっ……笑った笑った。こんなに笑ったのは生まれて初めてよ」
「良かったね、蓮華さん。それで、どうかな? 僕と友達になってくれる?」
「友達、ね。良いわよ? じゃあ親交を深めるために、ハグでもしましょうか? 優しく抱きしめてあげようじゃない」
突然明るく社交的になった恵莉香は、両腕を広げ歩み寄ってくる。
彼女の豹変ぶりは友人が出来た事で嬉しさに舞い上がっている、というわけではない。彼女の顔に浮かんでいるのは張り付けたような恐ろしい笑み。その下に憎悪とも憤怒とも付かぬ悍ましい感情が渦巻いているのを、深紅は明確に感じ取った。
「ふふっ、優しく抱きしめてあげるわ。だって友達だもんね、あたしたち」
嘲笑にも似た冷たい笑みを浮かべ、ゆっくりと歩み寄ってくる恵莉香。お互いの距離はイコール生と死の距離。彼女が一歩踏み出す度、深紅の首に死神の鎌が迫っていた。




