始まりの魔法使い
「――では、これにて授業終了です。レポートなどは特にありませんが、魔力操作の練習を欠かさずにお願いします。まあこれを習熟しないと固有魔法に目覚めないので、言われずともやるとは思いますが」
そうして魔力操作に精を出していると、やがて固有魔法学の講義が終わりを迎えた。全体の進捗は七割といった所であり、この調子なら来週の固有魔法学で生徒全員が魔力の制御に成功しそうだ。瑞香の教え方が良い事、また教える瑞香が物理的に増えるおかげというのもあるのだろう。
「まだ鐘が鳴るまでには少し時間がありますね。ではどなたか質問はありますか? この授業に関係の無い質問でも、勉学に関係のあるものなら答えますよ」
「は、はいっ!」
瑞香が教室の生徒たちに視線を向けた直後、深紅はビシッと手を挙げた。無知で無学な深紅は知りたい事が山ほどあるのだ。教師の専門的な知識を得られるこのチャンスを逃すわけには行かない。周りを見渡せば、幸いな事に手を挙げているのは自分だけだった。
「では、竜胆さん。どうぞ」
「あの、えっと……汎用魔法って、そもそも何なんですか?」
少し悩んだものの、とりあえず一番気になった事を尋ねる。周囲からすれば質問の意図が不明かもしれないが、こう尋ねる他に無かったのだ。
固有魔法が属人的な異能ならば、汎用魔法は一体何なのか。それが深紅の抱いた疑問である。<魔操輪>を身に着けた状態で呪文詠唱を行えば発動する奇跡の力――そう表現するのは容易いが、何故そのような条件と手順で魔法を行使出来るのか不思議だった。固有魔法の発動に面倒な手順が必要無さそうな辺り、汎用魔法だけ別の法則に従っているように感じられたのだ。
魔法界の者たちはそういうものだと受け入れているのかもしれないが、物質界出身の深紅はどうにも気になって仕方が無かった。
「ふむ。あなたらしい問いですね。着眼点が違います」
幸い意味不明な問いと断じられる事は無く、瑞香はむしろ嬉しそうに微笑んだ。
「それは魔法史の授業で行う事ですが、聞かれた以上はお答えします。今よりおよそ六百七十年ほど前、とある魔法使いがいました。彼は己の知識と技術、そして他に類を見ない固有魔法を結集させ、全ての魔法使いが己の固有魔法を扱えるように体系化された技術を生み出しました。それこそが汎用魔法です」
やはりというべきか、瑞香は極めて専門的な答えを返してくれた。
まだその歴史――もとい魔法史を知らない者たちは大勢いたようで、周囲からは感嘆の声が上がる。とはいえ深紅の脳裏は新たに生じた疑問で埋め尽くされていたが。
「その魔法使いの固有魔法は何だったんですか?」
「言葉に魔力を乗せて紡ぐ事で、あらゆる奇跡を可能とする力――とどのつまり、言霊魔法です」
更に質問を重ねて返ってきた答えに、深紅は目から鱗が落ちる思いだった。
汎用魔法の行使に何故呪文詠唱が必要なのか。それは言葉で以て奇跡を紡ぐ言霊魔法が根底に存在するからだ。原理的に考えると、恐らく創作物で頻繁に見る無詠唱などは不可能なのだろう。
後は<魔操輪>にどのような役割が存在するかだが、その辺りは質問するほどの物でも無さそうだった。汎用魔法の発動時に魔力を<魔操輪>に吸収される感覚がある事を考えると、発動に必要な触媒の一つと推測する事は容易だった。正しく魔法使いの杖である。
「彼は汎用魔法を作り上げ、それを世界中の魔法使いに広げました。物質界の人間たちに悪魔憑きとして排斥されていた魔法使いたちは、彼のおかげで魔法使いとしての存在と力を確立させていったのです。汎用魔法を用いる事で、魔法使いたちの生活・戦闘レベルは飛躍的に向上しました。他にも魔法の力を用いた道具――魔道具の考案、魔法生物の進化理論の提唱、魔力の性質に関する研究など、彼の偉業は枚挙にいとまがありません。近代魔法界は彼のおかげで発展しました。数々の偉業に敬意を表し、彼は多くの名で呼ばれています。<革命者>、あるいは<魔法の始祖>、最も有名なのが<始まりの魔法使い>ですね」
妙に熱が入って来た瑞香の教えに、またしても深紅は目から鱗が落ちる思いだった。
固有魔法とは魔法使い個人個人が授かる、自身の特別性を証明する力。それを他者にも扱えるようにするなど、自身の特別性を消し去るに等しい行為だ。
恐らく<始まりの魔法使い>は人々を愛し慈しむ天使のような存在だったのだろう。でなければそんな真似、絶対に出来るわけが無い。間違いなくブランルージュのような立派な魔法使いだ。深紅はここに来て憧れの人がもう一人増えるのを感じた。
「これが竜胆さんの質問に対しての答えです。さすがにこれ以上説明してしまうと魔法史の教諭に怒られてしまいそうなので、後は授業で質問すると良いでしょう」
「あ、先生! 最後にもう一つだけ、もう一つだけ質問しても良いですか!?」
瑞香の若干お茶目な台詞に生徒たちの笑いが広がる中、好奇心を抑えられなかった深紅は続けてねだってしまう。
さすがにこれは怒られるかと思ったが、意外にも瑞香はクールな表情を緩めて微笑むのだった。
「学習意欲の高い生徒は好きですよ。魔法史の教諭はお冠になるかもしれませんが、知的好奇心の前では些細な問題と割り切って頂きましょう。それであなたは何が知りたいのですか?」
「あの、<始まりの魔法使い>の名前は何て言うんですか?」
しかしその問いを口にした瞬間、瑞香の微笑みは一気に強張った。
これだけ丁寧に説明してくれているにも拘わらず、彼女は<始まりの魔法使い>の名を一切口にしていないのだ。それほどまでの偉業を成した者ならば、幾ら六百年以上前の人間だろうと名前くらいは伝わっていてもおかしくないというのに。
彼女の反応からすると、どうやら何かマズい事を聞いてしまったらしい。もしかすると<始まりの魔法使い>とは『名前を言ってはいけないあの人』のような扱いなのかもしれない。そう危惧して周囲に視線を向けるも、誰も恐怖に青ざめているものはいなかった。深紅が瑞香にばかり質問するのがお気に召さないのか、綾女だけは頬を膨らませてこちらを睨んでいたが。
「……申し訳ありませんが、その問いにはお答えできかねます。というのも、彼の名前は謎に包まれているのです」
「えっ、名前が分からないんですか?」
「はい、いかなる文献にも残っていません。ただスターチス校長が同じ時代を生きていたはずなので、もしかするとご存じかもしれませんね。私が何度尋ねても教えては頂けませんでしたが」
どう考えても不自然な状況に、深紅は内心で首を傾げる。
確かに六百年という歳月は相当なものだ。しかし魔法界を大いに発展させた立役者の名前が一切残っていないというのは、普通に考えて異常である。中学校の頃の歴史の教科書を開けば、六百年以上前の偉人の名前など吐いて捨てるほど見つかるのだ。にも拘らず名前が残っていないなど、意図的に情報を消されたとしか思えなかった。
「まあここは前向きに考えましょう。名前が分からないという事は<始まりの魔法使い>の名前は試験に出ないという事ですからね。さて、それでは他に質問はありますか?」
瑞香が丁寧に教えてくれるため質問する気になったのか、他の生徒たちもちらほらと手を挙げる。
何故名前が残っていないのか大いに気にかかる所だったが、深紅はそれ以上質問しようとは思わなかった。さすがに一人で質問し過ぎて他の生徒たちに迷惑だし、何より<始まりの魔法使い>ほどの存在なら敵も多かったのは自明だ。恐らくそういった者たちの妨害や嫌がらせによって名を消されてしまったのだろう。深紅はそう結論付けるのであった。
アサナト魔法学院は広大な緑溢れる山奥に佇む、空気の美味しい環境である。校舎の周囲は緑も整えられており、まるで自然公園か植物園のような心地良い雰囲気を感じられる場所だ。
とはいえ、生徒の立ち入りが許されているのはそこまで。森の深い所への立ち入りは禁止されており、またその場所からは途端に樹海の如き様相となるので、誰も立ち入ろうとは考えなかった。そこまで立ち入らずとも、十分に面白い物が見られるからだ。
「これは、妖精……?」
森の浅い場所を歩く深紅は、周囲を飛び交う生物たちの姿に息を呑んだ。
それはどう見ても正に妖精。デフォルメされた小さな人型の生物が、透き通った小さな羽根を羽ばたかせ周囲を楽しそうに舞い踊っているのだ。加えて仄かに身体が光っているのだから、こんな生物を表す単語は妖精以外に思い浮かばなかった。
これは恐らく、入学式で見たのと同じ系統の生物――魔法生物に違いない。どうやらこの森には魔法生物が数多く生息しているらしく、周りを見れば角の生えたウサギやスライムとしか呼称できない生物の姿も見受けられた。
「凄いな、さすがは魔法界。本当にファンタジーだ」
感動を胸に抱きつつ、深紅は歩みを進めて行く。
固有魔法学の授業を終えたので今は昼休み、とどのつまり昼食の時間。にも拘らず深紅が森の中を歩いているのは、とある人物の後を追っているからだ。
「うわっ、ちょっ!? 髪引っ張るな!」
その人物が歩いて行った方向へ向かう最中、妖精たちが深紅の髪を引っ張るという暴挙に走る。妙に人懐っこく悪戯好きなのはさすが妖精と言うべきか。
「あれ、君たち……?」
しかし視線を向けて見れば、妖精たちは笑ってなどいなかった。むしろ先に進もうとする深紅を引き留めるように、必死になって髪やローブを引っ張っている。まるでこの先に何か恐ろしい存在がいる事を察知しているかのように。
そして妖精たちの反応で不意に気が付く。動物と魔法生物がはびこる森の中だというのに、不気味な静寂が満ちている事に。先ほどまで聞こえていた鳥のさえずりや生き物の気配が、綺麗さっぱり消え去っている事に。
「ありがとう、心配してくれてるんだね。でもごめん。僕は行かないといけないんだ」
とはいえ、深紅はこの先に用があるのだ。故に小さな妖精たちの手を優しく解き、命の気配が感じられない森の中を躊躇いなく歩む。妖精たちもさすがに諦めてくれるかと思ったものの、どうにも気に入られたのか数体ほどは深紅に引っ付き離れようとしなかった。
そうして歩みを進めると、徐々に視界が開け広場のような場所が現れた。小さな湖があり、その畔に大木がそびえ、風に草木が揺れる実に穏やかな光景だった。ただし大木の近くに、死の気配を振りまく一人の少女が腰かけていなければの話だが。




