白百合 瑞香
「はあっ!? 先生が増えた!?」
「何だこれ! 幻覚か何かか!?」
驚愕と動揺が教室中に広がる中、再び瑞香の姿が左右にブレて更にもう一人の瑞香が現れる。それが何度も繰り返され、やがて教卓の周りには十四人の瑞香が集う。
煌めく金髪も、編み込んだ髪を後ろに流した髪型も、下縁の眼鏡も、身に纏った常盤色のローブも、全てが全く同一だ。ロベリアの影人形の時とはまた別種の驚愕に、深紅も開いた口が塞がらなかった。
「これが私の固有魔法。分身魔法です」
「その名の通り、自身の分身を作り出す事が出来る固有魔法です」
「固有魔法に目覚めたばかりの頃は三人が精々でした」
「ですが、今は最大で二十人は固いですよ」
増えた瑞香たちがそれぞれリレーするように言葉を紡ぎ、生徒たちに現状を説明する。
やはり幻覚の類ではなく、本当に瑞香自身が増えているらしい。これから生徒たちに触れて魔力を流すために分身した事実を考えると、明確な質量も存在する分身なのだろう。あまりの衝撃に深紅は忍者の分身も固有魔法だったのではないかと、大昔の事に思いを馳せてしまった。
「では、前の席の方々から順番にやっていきましょうか」
「あっ、し、深紅くんは、私が手伝いますので、大丈夫です……!」
「そうですか。ではお任せしますね」
「じゃあ俺は他のダチを手伝ってくるぜ! 頑張れよ、深紅!」
大勢の瑞香がわらわらと生徒たちに歩み寄る奇妙な光景をバックに、初雪も手伝いとしてどこかへ駆けて行く。
そうして周囲では十数人の瑞香が生徒一人一人に魔力の認識と制御を教えるという、なかなか珍妙な光景が繰り広げられるのだった。この人数でも多少余る生徒が出てしまうものの、瑞香たちは生徒の半数ほどの人数なのでさほど時間はかからないのだろう。
「そ、それじゃあ、深紅くん、始めるね?」
「………………」
綾女がそう口にするものの、深紅は瑞香たちに視線を注いだまま逸らさない。やはり分身の魔法はとても興味深いものであり、様々な仮説が脳を駆け巡っていたのだ。
「あ、あの、深紅くん……? やっぱり、私よりも……先生の方が、良いかな……?」
「え? あ、ご、ごめん、綾女さん。そうじゃないよ。ただ先生の固有魔法がちょっと気になってさ。あの分身ってどういう類の分身なのかなって」
「あ……そう、なんだ……良かったぁ……」
半ば無視するような形になってしまったというのに、綾女はどこかほっとした様子を見せる。深紅に好意を寄せている彼女からすれば、他の女性に魅了されているわけではないと知って一安心なのだろう。そこまで想われていると逆に深紅がハラハラしてしまうが。
「どういう類の分身、かぁ……確かに、ちょっと気になるよね……?」
「うん。本体と同じ力を持ってるのか、本体より劣った力しか持たないのか。それぞれの分身が自我を持ってて独立して動くのか、それとも本体が操作してるのか。一口に分身って言っても、実は全て本体みたいな扱いなのか。色々なパターンが考えられるよね」
中学時代に図書室で小説を読み漁っていた深紅には、分身の様々なパターンが考え付く。実際に分身を目の当たりにすると勝手に仮説が湧いてきて止められないほどだ。
汎用魔法学の時は少々余裕が無かったものの、今考えるとロベリアの固有魔法も実に興味深い。果たして<影人形>は自我を持って行動していたのか、あるいは全ての動きをロベリアが統率・制御していたのか。魔法の世界は好奇心が尽きる事は無さそうである。
「あとはアレだね。分身が見聞きした事って、元に戻ったら本体にフィードバックされるのかな? だとしたら読書とか勉強が凄い捗りそうだなぁ……」
「ふ、ふふっ。深紅くん、そんな使い方を考えるんだ?」
「えっ、ど、どうして笑うのさ? そんなに変?」
率直な感想を口にすると、何故か綾女にくすくすと笑われてしまう。
しかし本体に経験がフィードバックされる分身の最高の使い方といえば、深紅にはそれしか思い浮かばなかった。何せ二人に分身すれば二倍、三人分身なら三倍の効率で勉学や読書が行えるのだ。未だ魔法界の常識に疎い深紅にとっては、喉から手が出るほど欲しい固有魔法であった。
などとどこか恥ずかしい思いをしていると、不意に机に影が降りる。見れば瑞香の内の一人が深紅たちのすぐ隣に立っていた。怒られるのかと一瞬肝を冷やしたが、どうにもそういうわけではないらしい。何故なら彼女は微妙に口元を緩めており、まるで先ほどの綾女と同じく笑っているように見えたから。
「あなたはとても面白い発想をしますね。まさかそこまで深読みされるとは思いませんでした。私の固有魔法を目にした男性は、基本的に下世話な事しか考えないのですがね」
「下世話? 一体何を考え――あっ、そういう……」
一瞬意味が分からなかったが、『男』と『下世話』という内容で思い至る。
男なら複数人の女性を同時に抱くのは、ある種の夢と言っても差し支えない。それは深紅も同じだ。そして瑞香の固有魔法はそれを可能とする力であり、なおかつ彼女自身が知的でクールなスレンダー美女なのだ。固有魔法に舞い上がっていなければ、きっと深紅も真っ先に酒池肉林を思い描いたに違いない。
「あなたは確か……ああ、スターチス校長が物質界で保護した魔法使いの方ですね」
「あ、はい。竜胆深紅と言います」
「では竜胆さん。分身はそれぞれ『私』という自我を持って独立して動きます。本体とスペックは遜色ありません。魔力も持っているので汎用魔法を行使する事が出来ます。ですが彼女たちはあくまでも分身であり、固有魔法を行使できるのは本体である私一人です。しかし代わりに分身が得た経験や記憶は本体である私に還元されます。あなたの推測通りですね」
「や、やっぱり!」
元来教える事が好きなのか、瑞香は丁寧に己の固有魔法の性質を語ってくれた。
想像通りの素晴らしい魔法であり、深紅は大いに興奮してしまう。分身出来るのが本体だけというのは欠点かもしれないが、それ以外では本体と全く同じ事が出来る時点で凄まじい能力である。何よりも経験が本体にフィードバックされるのが反則である。
「という事は、学生時代はそれを使って勉強とかをしたんですね!?」
「ふふっ。友人には良く反則技と言われたものです。ですが最終的に精神的疲労も帰って来るので、そこまで良い物では無いんですよ?」
「あ、そうなんですか。でもそれを差し引いても凄い魔法だ……」
固有魔法を選んで身に着ける事が出来るのなら、深紅としては瑞香の魔法が喉から手が出るほど欲しかった。
とはいえ実際に選んで身に着ける事が出来る場合、実行するかどうかは別問題だ。深紅としては自分が増えるなど許せないし、万が一増えてしまったら即座に分身の息の根を止めてしまいたくなる。そして自分がそう思っているのだから、分身もまた同じ事を考えるのだろう。少なくとも分身魔法が深紅に向いていないのは明らかだった。
「し、深紅くん! 早くやろう! 時間、無くなっちゃうよ!」
「あっと、そうだった」
もっと瑞香と色々話したい所だったが、妙に大きな綾女の声で授業に引き戻される。
魔力の認識と制御など、どれほどの時間がかかるか分からない。未知の事象も自分なら簡単に達成出来ると考えるような傲慢さを、今の深紅は持ち合わせていなかった。
「それじゃあ綾女さん、お願いできるかな?」
「う、うん。じゃあ、その……両手を、握らせてね……?」
「うん。どうぞ」
掌を上に向けて両手を差し出すと、綾女は顔を真っ赤にしながら自らの手を重ねる。すべすべとした小さな手、けれどとても暖かい女の子の手だ。自分にそんな資格は無いと分かってはいるが、どうにも胸が高鳴ってしまう深紅だった。
「うぇへへ……!」
しかし綾女が少々気持ち悪い笑いを零し、だらしない笑みを浮かべた事でその気持ちも多少引いてしまう。深紅の手を握るくらいでそこまで喜ぶなど、正直な所いまいち気持ちが理解できなかった。
「し、深紅くん、今から魔力を流すから……目を閉じて、流れ込んでくる力を、深く感じてね……?」
「うん、よろしく」
そう指示され、深紅は素直に瞼を閉じる。
暗闇の中、感じるのは周囲の喧騒。そして手を握る綾女の温もりだけ。
「ん……?」
しかし次の瞬間、形容しがたい感覚が両手を通して身体に流れ込んでくるのを感じた。熱でも振動でも無く、痒みでも痛みでも無い、ただただ漠然と感じる何か。それが綾女に握られた両手を伝い、全身に広がっていた。
「魔力とは魂から生み出される高次元のエネルギーです。先程は身体に秘められていると言いましたが、どちらかと言えば魔力は次元の異なる領域に存在しています。肉体はあくまでも魔力を引き出す門のような物、あるいは貯めておく器のような物に過ぎません。異なる次元から己の肉体を通し、魔力が溢れる様子をイメージしてください」
「異なる、次元……」
暗闇の中、瑞香の良く通る声がアドバイスとして耳に届く。
次元の異なる領域といえば、深紅にはマルチバースや平行世界といった概念が浮かんでくる。そういうわけではないのだろうが、その方がイメージしやすいのは確かだった。
故に深紅はひたすら頭に思い描く。自分自身が別次元に繋がる門であり、その向こうにはマルチバース――多元宇宙が広がっているのだと。それら無限に広がる多元宇宙から力を借り受け、己の身体を通して現世に下ろすのだと。
「……お、おおっ? これか? これかな?」
すると己の身体の奥深くから、全身に何かが広がっていくのを感じた。相変わらず形容しがたい感覚だが、この感覚は間違いない。汎用魔法を行使した一瞬に感じられる、己の身体に満ちた魔力であった。
恐らく汎用魔法の授業が固有魔法学よりも先にあったのは、先に少しでも魔力というものを感じて貰うためなのだろう。
「わっ……! す、すごい、たった一度で……!」
「素晴らしいですね、深紅さん。そうです、それが魔力です。後はその魔力が己の身体を常に巡っている様子をイメージしてください。器である肉体が励起し、魂が活性化され、いずれ固有魔法が目覚めます」
「肉体を巡る……血液みたいなイメージかな?」
己の身体の奥深くに生じた魔力が、全身を巡って行く様をイメージする。身体の末端や頭部へと向かい、最終的に再び身体の奥へ戻ってくるように。
そのやり方は間違いではなかったのだろう。心なしか深紅は全身に力が漲る感覚を覚えていた。恐らく異世界ものの小説で言う、魔力による身体強化に近い状態なのだろう。今なら物凄い勢いで飛んだり走ったり出来るような気さえしていた。
「そ、そう! そうだよ、深紅くん! 凄い! こんなすぐに出来るなんて……!」
握った手から魔力を流し続けていた綾女は、深紅の身体の内で起きた変化を如実に理解したのだろう。まるで我が事のように喜び、握った手をぶんぶんと振ってくれた。
「じゃあこれで、そのうち僕にも初雪や先生たちみたいな固有魔法が……!」
「ええ、もちろんです。その調子で毎日魔力を全身に巡らせていけば、遅くとも一月以内には固有魔法が覚醒します」
「やった!」
思いの外簡単に魔力を認識・制御出来た事もあり、胸の内に喜びが溢れてしまう。自分だけの魔法を手に入れる事が出来るなど、考えるだけで胸が躍る。
果たして深紅の固有魔法はどのようなものか。深紅は願望とも妄想ともつかない考えを頭の中で巡らせるのだった。
「まあ場合によっては、己の固有魔法を判別する作業は途轍もない苦行になるのですが」
「だ、大丈夫だよ、深紅くん! もしそうなっても、私、応援するから……!」
「え……?」
しかしそんな甘い夢も、瑞香と綾女の不穏な言葉に急速に色褪せて行く。
考えてみれば固有魔法の判別方法については、まだ瑞香からの説明は無い。クラスの全員が魔力の制御に成功すれば説明してくれるのだろうが、何やら果てしなく不安になってくる深紅であった。




