第7話 互いの秘密
夜の雨がやんだあと、街は少しだけ優しく見える。
濡れたアスファルトがネオンを映して、遠くのビルまで光を運んでいた。
私はその中を、からすと並んで歩いていた。二人ともほとんど言葉を交わさない。ただ、同じ歩幅で進んでいるというだけで、不思議と落ち着いていた。
「……寒くない?」
からすがそう言って、コンビニの袋からペットボトルの紅茶を差し出してくれた。
少しぬるくなったそれを受け取ると、手の中に残る微かな温度が、胸の奥まで滲んでいった。
「ありがとう。こういう夜、意外と冷えるね」
「うん。雨上がりは風があるから」
からすはそう言って、空を見上げた。曇りの切れ間から、少しだけ星がのぞいていた。
あの人は、いつも穏やかに見える。
でも、どこかで何かを隠している気がする。私が男を怖がるように、からすにも――きっと「怖いもの」があるのだ。
それを聞いてはいけない気がして、私はいつも口をつぐんでしまう。
「ふくろうってさ」
からすが急に立ち止まって、私の顔を覗き込んだ。
「前に言ってた、“眠れない夜が多い”って、今も?」
「……うん。たまにね。雨が降ると、特に」
「そう」
それだけ言って、からすは歩き出した。
私の答えに何を感じたのか分からない。でも、その短い沈黙の中に、彼女の優しさがあった。
バー「Siri」に着くまで、私たちはまた黙って歩いた。
夜風が店のドアベルを鳴らし、薄暗い店内の明かりがふわりと頬を照らす。
Siriさんがいつもの笑みで「おかえり」と言ってくれた。
からすはカウンターに腰を下ろし、私はその隣に座る。
静かな音楽が流れていて、グラスの氷が時々音を立てる。
――この音が、好きだ。
何も考えずにいられる、数少ない時間の音。
「ふくろうは、何か秘密を持ってるでしょ?」
唐突に、からすが言った。
その声は、穏やかだけど逃げ道を与えない響きをしていた。
「……秘密?」
「うん。別に言わなくてもいいけど。なんとなく、そう感じる」
私は思わずグラスを見つめた。氷がゆっくり溶けて、透明な水になっていく。
「誰だって、あるでしょ。話せないことくらい」
「そうだね」
からすは目を伏せて笑った。その笑顔の影に、一瞬だけ寂しさが見えた。
――あ、と思った。
この人も、きっと何かを抱えている。
「じゃあ、からすは?」
私も聞き返してみた。
「秘密、ある?」
「あるよ。たぶん、言ったら嫌われるようなやつ」
軽い調子で言うのに、声が少し震えていた。
その震えが、どこか私の心の奥を撫でていった。
「……そんなの、言わなくていいよ」
「そう?」
「うん。だって、私も言えないし」
その言葉に、からすは少しだけ口角を上げた。
でも、目は笑っていなかった。
店を出る頃には、夜風が乾いていた。
空はまだ暗いのに、遠くの街の灯が白く霞んで見える。
からすと並んで歩くと、ふとした拍子に肩が触れた。
その一瞬の距離の近さに、胸がざわめいた。
――怖い。
けれど、逃げたくない。
この人の隣だけは、安心できる。
そう思ってしまった自分が、少し恥ずかしかった。
「ふくろう」
「うん?」
「もし、いつか過去の話をしたくなったら、その時はちゃんと聞くから」
「……ありがとう。でも、その時が来るかはわからないよ」
「いいよ。来なきゃ来ないで。それでも、私はここにいる」
からすの声は、静かだった。
だけど、その静けさの中に、確かな力があった。
私は思わず、足を止めた。
そして小さく笑った。
「じゃあ、私も。もし、からすが話したくなったら、ちゃんと聞く」
「約束?」
「うん。約束」
からすは軽く頷いて、ポケットから折りたたみ傘を出した。
また、ぽつりと雨が降り始めていた。
二人で一つの傘に入る。
狭い空間の中で、互いの体温が近づいていく。
言葉もいらなかった。
私たちはただ、雨音を聞いていた。
――秘密は、きっと誰かに触れるためにある。
そう思えた夜だった。。




