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第3話 夜に似合う目

雨は、さっきまで降っていたらしい。

ビルの明かりが濡れた舗道に反射して、街全体が少し霞んで見えた。

歌舞伎町の夜はいつもざわざわしていて、でも私の周りだけ、音が遠い。


「……ねぇ、こっち」

からすが、傘も差さずに歩いていた。

黒い髪がしっとりと濡れて、首筋に張りついている。

彼女の後ろ姿を見つめながら、私はゆっくり歩いた。


バー「Siri」を出たあと、なんとなく「外の空気が吸いたいね」と言われて。

ただ頷いて、ついてきてしまった。


夜の街は、湿ったアスファルトの匂いがした。

私は傘を持っていたけれど、からすは断った。

「濡れるの、嫌いじゃないの」

そう言って笑った顔が、どこか寂しそうだった。


「ふくろうって、夜が似合うね」

「褒めてる?」

「もちろん。夜の目をしてる」

「なにそれ」

「ちょっと怖くて、ちょっと優しい目」


私は笑えなかった。

怖いのは、夜じゃなくて人なのに。


「……からすは、怖くないの?」

「なにを?」

「男の人とか。街とか」

「怖いものはあるけど、怖いって言っても変わらないから、あんまり考えない」

「それ、強いね」

「強くないよ。慣れただけ」


からすはそう言って、信号の光を見上げた。

青が彼女の頬に反射して、まるで別人みたいに見えた。

その横顔を見ていると、胸の奥が少しあたたかくなって、すぐ冷たくなった。


「……私さ、街を歩くの、ほんとは怖いの」

「うん、知ってる」

「なんで知ってるの」

「目が、いつも逃げてる」


その一言が、まっすぐ心に刺さった。

私は黙って、歩道のタイルを見つめた。

濡れた靴の音が、トン、トン、と響く。


「でもね、ふくろう」

「なに?」

「逃げてもいいと思う。怖いときは、ちゃんと逃げていい」

「……そんなこと言う人、初めて」

「いいじゃん、逃げるの得意そうだし」

「ひどい」

「ふふ」


笑い声が、夜の中で小さく弾けた。

その音だけで、少し心が軽くなる。


からすといると、不思議だ。

話すたびに、怖い記憶が一瞬だけ遠のく。

でも同時に、近づくのも怖い。

この人を信じたら、また壊れるかもしれない。


「ふくろう」

「ん?」

「今度、朝まで一緒に飲もうよ」

「……朝?」

「夜明けの街って、意外と優しいよ」

「夜明け、嫌い」

「どうして?」

「終わっちゃうから。夜が、静かなのに」


からすは少しだけ目を細めて、

「じゃあ、終わらない夜を探そうか」と言った。


私は何も言えなかった。

そんな夜、あるわけないのに。

でもその言葉が、少しだけ嬉しかった。


二人で自販機の灯の下に立って、缶コーヒーを買った。

からすはブラック、私はカフェオレ。

「らしいね」と言われて、少し笑う。


夜風が頬を撫でて、髪が揺れる。

からすの横顔が街灯に照らされて、ほんの一瞬、誰かに似て見えた。

私が昔、心を壊された相手に。


心臓がぎゅっと縮まって、息が浅くなる。

「……ふくろう?」

「なんでもない」

「顔、白いよ」

「大丈夫」


嘘だった。

けれど、からすの手が軽く私の肩に触れた瞬間、

その嘘は少しだけ、許された気がした。


「ほら、帰ろ。風邪ひく」

「うん」


歩道に落ちた街灯の光が、二人の影を細く伸ばしていた。

距離は、まだ少し遠い。

でもその距離を怖いと思わなかったのは、この夜が初めてだった。


つづく

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