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はじまりのはじまり

「境界の灯」番外編になります。

 教会の中にまで張り巡らされた世界樹の根が輝き、生い茂る葉が揺れ始めた。

 周りの神父たちは、この世界樹の動きを知っている。


 ――魔王の代が変わったのだ。


 神妙な顔で、司祭長は世界樹の幹の元へ向かうと、幹に浮かんだ文字を読む。

「……世界樹からの天啓です。新しい【魔王】はフェンリル。狼型の魔族です。」


 教会の鐘が鳴り、新しい魔王の誕生を知らせた。




「……この音は?」

 賑わう城下町の果物屋の店頭で、試食をしていた男が、教会の方向に顔を向けた。

「アンタ、知らないのかい?これは、【魔王】の代が変わった合図だよ。」

 果物屋の女主人は、旅人の男に口を出した。

「世界樹様から、【魔王】が変わるとお知らせが来るんだ。今回はまともな奴だといいけどねぇ。」

 そう言いながら、女主人は腕を組む。

「……流石中央の教会だ。世界樹からも愛されている。」

 そういうと、果物を口の中に放り込み、シャリシャリと男は食べ始めた。

 ふふっと思い出し笑いをするかのように笑う。


「とても美味しかったです。じゃあ、これと……あと、これを2つずつ。お祝いの贈り物として。」

「はいよ、お兄さん、可愛らしいからね。もう一個おまけしとくよ。……それで?お祝いって誰かの誕生日かい?」

 果物を袋に詰めて、旅人に渡す。

 それを丁寧に受け取り、朗らかに笑みを浮かべた。

「えぇ、そんなところです。」

 代金を払い、再び歩き出した男は、教会の方向を向く。


「皆がまるで、祝福してくださっているようですね。……【魔王】様。」

 小さく笑い、細い路地裏に入った男は、黒い羽根を残して消えていた。



 それは、大きなあしで袋を優しく掴むと、力強く羽ばたいた。

 喧噪の絶えない町を、楽しそうにみつめている。


「……【魔王】の称号を持つものとして、彼は優しすぎますが、きっと良い方向に導くと、私は信じていますよ。」


 戦乱の時代にできた【魔王】の称号は、やがて世界樹の力をも巻き込み、一新された。

 他種族に代が変わるごとに、世界樹を通して広く知らされ、諍いが起これば、真っ先に責を問われることになる。

 魂に刻まれるその称号は、今や魔族の象徴と同時に、内外から狙われうる呪いにもなっていた。


「それでも、狂ったあの方より、ずっと良い。」


 バサリと大きな音を立て、下降した。

 地に着いた足は、人の形をしている。


「ただいま戻りました。フェンリル様。」

 黒髪を揺らして、洞穴を覗き込む。


 中央の国から出て、自然に囲まれた森の中、ひっそりとある洞穴が彼らの拠点だった。

 【魔王】になって日の浅いフェンリルは、先の戦いで消耗している。

 称号の力があるにしても、今は格好の的であろうと警戒して、身を潜めていた。


「……遅かったな、フギン。何かあったのか?」

 そこには、洞穴には似つかわしくない、大きな白銀の、美しい狼が佇んでいた。


 気のない返事を気にすることなく、「フギン」と呼ばれた魔族—―肩まである美しい黒髪と女性のような整った顔立ちの男は、アーモンドのような目を細めて笑った。


「あぁ、申し訳ありません。中央の国で貴方が【魔王】になった鐘を聞いていました。本当に鳴るんですね、あれ。」

「……俺とお前は精々20歳違いだろう?前の鐘は、親父世代。聞いたことが無くて当然だろ?」

 くだらない事を言うなとばかりに、フェンリルはため息を吐く。

「遅くなって怒っていますか?お祝いにお土産も買ってきましたから、機嫌を直してください。」

 ほら、とフギンは袋から果実を一つ取り出し、フェンリルへ献上する。

 それを見たフェンリルは、仕方がなさそうに果物を受け取った。

 口に運ぶと、文句のありそうな目でフギンを見つめて、フェンリルは咀嚼する。


「……店先の人間が言ってましたよ。今回の【魔王】は、まともな奴だと良いな、と。」

 そう言って、フギンはフェンリルの横に腰を下ろすと、そのまま体を預ける様に寝転がった。


「……そんなこと心配されなくたって、フェンリル様は前の【魔王】より、遥かに良い【魔王】なんですけどね。」

 フギンの細い指がフェンリルの首元に伸び、毛を梳く。

 滑らかな感触に安心したようなフギンの顔。

 横目でそれを見て、フェンリルは少しだけ、目を細めた。

「……そうだな。」

 暗い洞穴に、声が響いた。



 フギンは目を伏せて、自分の大好きだった「魔女様」に思いを馳せた。


「綺麗なものは時間に限りがあるからこそ、美しい。」

 フギンは、魔女がそう言っていたことを思い出す。

 親しかった友人を生き返らせようと、彼女は禁忌である魂を用いた魔法を研究していた。

 天才である彼女は魔法を完成させた。

 しかし、友人に使う前にそれをやめたのだ。


 群れからはぐれ、死にかけていたところを拾われたフギンは、首を傾げる。


「私の友達はね、病気だったけど最後の最後まで生きようとしたの、その姿は美しかった。それを本人じゃない私が、茶々を入れるべきじゃないと思ったのよ。」

 もちろん、さみしいけれどね。そう言って魔女は仕方がないと哀しそうな顔をしていた。

 まだ幼かったフギンは、その言葉の意味を理解する事は難しかった。

 しかし、数年のうちに思い知ることになる。


 魔女の元に、人間離れした美貌を持つ男がやってきた。

 背が高く、しっかりした体躯を持ち、銀色の美しい髪を肩に流している。

 その整いすぎた美貌は、どこか不自然で、冷たい金色の瞳が微笑むと余計に寒気を覚えるほどだ。


 魔女は美しいものを好む、だからこそ審美眼が鋭い。

 その男に漂う気配を見逃さず、口を開く前に、それが人間ではないと気づいたのだ。


「貴方……、獣臭いわ。」

 魔女が顔を歪める。


 一瞬の沈黙の後、彼女の胸元から鮮血が噴き上がった。

 その時、フギンは何一つできなかった。


 綺麗に咲いた花が、突然無理矢理もがれた様な有様。

 その惨さに、美しさとは姿だけの話ではないと理解した。


 怒り狂った男は、美しい姿を醜くゆがめて正体を現す。

 その正体は【魔王】だったのだ。


 その時は分からなかったが、今は理解できる。

 魔女の力を、自らの延命の為に使わせようとしたのだ。

 あの時の出来事を思い出すと、今でも背筋が震えだす。

 身を隠しながら、唖然と様子を見ていたフギンを【魔王】は睨みつけ、せめてもの土産として、乱暴に足を掴み、そのまま連れていった。


 恐れを抱いた魔族を使役できる、という【魔王】の特権でフギンは命令された。

 一つ目は、師事していた魔女の知識で、自分を延命させること。

 もう一つは、必要とあらば「材料」にできる様に――自分の息子を監視せよ、というものだった。


 【魔王】の最大の誤算—―それは彼の息子フェンリルは、冷静な視点で誰がどんな理由で、自分の元に送り込まれてきているのかをほとんど察していた事だろう。


 数日の後、フギンは【魔王】の指示通り、フェンリルの元へ魔法の教師として送り込まれた。

 魔族にとって魔法は、周囲から吸い取った魔力で発動する時間がかかる攻撃方法だ。

 圧倒することを優先する魔族にとって、魔法は直接の武力より下という立ち位置だった。

 だが、人間を相手にするのならば話は別で、厄介なのは魔術師だった。

 人間の魔法の発動は、身体に貯めた魔力を使う。

 その為、魔族や魔物の魔法を発動する時間より早い。

「それならば、今後相手する事になる魔術師への対策を知っておくべきだ。」という名目で、フェンリルに魔法教育を与えられる事になったのだ。

 もちろん、監視という裏の名目は伏せたまま。


 フェンリルは、フギンを一瞥すると興味なさげに視線を逸らす。

 ふんっ、と鼻で笑う。

「……どうせ、お前もアイツの指示で俺を監視に来たんだろ?ご苦労な事だな。」

 苦虫を噛み潰したような表情で呟く。


 フギンは彼に同情した。

 すでに何人か魔族が送り込まれているらしい。

 カラスの姿で、ぴょんぴょんとフェンリルの近くまで移動して、誰にも聞こえない様に、彼の耳元で囁いた。

「……あなたも大変ですね。」

 その言葉に、フェンリルは体勢をそのままに、フギンの方向へ視線だけ動かした。

 驚いたように目を丸くしている。

 彼はなるべく動かない様に、それなら……、と静かに言葉を紡いだ。

「……【魔王】を殺すのに、一枚噛まないか?」

 ようやく機会が訪れた。

 待ち人が来たことに、フェンリルは口をわずかに吊り上げた。



 それから数か月で【魔王】は死んだ。

 既にフェンリルは、裏で準備を進め、フギンと同じように連れてこられた魔族を見定めて協力を持ち掛けていた。


 連れてこられた魔族は【魔王】の特権で、使役させられ直接手は出せなかった。

 それならば、彼らには間接的に支援してもらい、自分が直接手を下すことを選んだ。

 その間接的な支援に魔法は最適だとフェンリルは考えた。

 既に彼は魔法も使い様だと理解していたのだ。

 しかし、残念ながら彼の魔法の扱いは拙い。

 協力者の魔族たちもそれは同じ。

 だからこそ、魔法に長けた魔族を待っていた。


 玉座の間に広がる血の海に、フェンリルは嗤った。

「ようやくだ。……ようやく俺は自由になれる。」

 肩で息をする彼を、フギンはじっと見つめていた。

 どこか放っておけない彼が、気がかりだった。


 その後、使役させられていた魔族たちは解放され、正式に【魔王】の称号はフェンリルのものとなった。


「……お前は帰らないのか?」

 魔族たちを見送り終わり、馴れ馴れしく自分の背に乗るフギンに顔を向けながら、フェンリルは言った。

 その問いにフギンは、はぁとため息を吐いた。

「お世話になった魔女様がもういないんです。帰る場所なんてありません。」

「……そうか、その、なんだ……、悪かったな。」

 フェンリルは自分でないにしろ、身内のやったことにバツが悪そうに眉を顰める。

「新しい【魔王】なんですから、そんなにすぐ頭を下げてはいけないですよ。」

 バサバサとフェンリルの背中から飛び、彼の目の前の地面に移動する。

「……あなたこそ、これからどうするつもりなんですか?【魔王】になったからには、これからあなたに、強い魔族がけしかけてくるでしょう?場合によっては人間も。」

 フェンリルは、視線を上に向けた。

「あまり……考えていなかったな、そこまで考える余裕がなかった。」

 でしょうね。とフギンは呟く。

 彼の【魔王】を倒すという執念は凄まじかった。

 しかし、それを達成した彼からは、抜け殻とまではいかないが、あんなに激しく燃えていた炎が、今では静かに揺れる灯りのようになっている。


「【魔王】は魔族の象徴です。あなたは、魔族をどうしたいですか?」


 優しくフェンリルに問いかける。

 空には夕日が沈みかけ、二匹の顔は日に照らされていた。

「……そう、だな。――俺は無駄な戦いはしたくないな。……もう疲れた。」

 そう言って、フェンリルは視線を上げて夕日を眺めた。

「……どうせなら、お前とその魔女様とやらみたいに、争わない方法でどうにかできればいいんだが。まぁ、種族的に厳しいかもしれないな。」

 そうぼやく様に言ったフェンリルの姿を、フギンは輝く眼で見つめた。

 希望を見つけたように感じた。

 そして、彼のその気持ちを守らねばならないと、使命感のようなものが芽生えたのだ。

「それがあなたの目指す魔族の姿なら、私は全力であなたを支えましょう。」

 そう、自然と言葉が溢れた。

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