PARTS1(1/2)
朝4時30分。
そんな時間の概念が異世界にも通用するというのが、七星舞衣には不思議だった。時計が鳴り始める前にベッドから起きあがる。調度品がひとつもない殺風景な部屋にある机の上にある携帯端末のアラーム機能をオフにする。
昨日、日本から届いた手紙が目に入った。開けっ放しにしてしまっていた便箋を丁寧に締めたあと、いつものように傍らの棚にいれる。
部屋の中央に座り、ゆっくりと息をつきながら10分程ストレッチをした。舞衣がいた地球でも通用する、10分間だ。パジャマを脱いだ舞衣は、宿舎の個室に備わっているシャワーブースで汗を洗い流す。
シャワーを止めたあとで、鏡を見やると、写っているのは、身長173cmの自分の姿。切れ長の目に、薄桃色の唇は小さく引き結ばれている。濡れた黒髪は鎖骨に張りつき、すらりとした肢体はしなやかで、日々の鍛錬が確かに刻まれていた。それでも、あまり陽に当たらないためか、肌は白い。
ふと昨日確認した手紙の内容を思い出し、舞衣は息をついた。世界を超えて届けられた、家族からの言葉。
『毎日あなたのことの思ってます。無理はしないでね』
『義姉さん、元気にしてますか? わたしたちは元気です。義姉さんが家を出て2年経っても、少し実感がわきません。本当は義姉さんに甘えたいこともありますけれど、我慢します。でも、次帰ったときは覚悟してくださいね』
『舞衣、フェリオンで頑張っているのは知っているよ。だが、得た知見を活かして日本で活躍することもできるんじゃないか? 今度戻るときは、時間をかけて話さないか』
血縁のある実母と、義妹、義父からのメッセージ。そのどれもが舞衣を慮ってのものだとわかる。けれども、と舞衣はシャワーを止めて鏡の前の自分をもう一度見る。
今は日本に戻るわけにはいかない。まだなにもつかんでいないのだから。
食事をとるには、宿舎の食堂へと足を運ぶ必要がある。舞衣は黒を基調とした所属している組織の制服に着替えて部屋を出た。胸元には『FIO』というロゴ。
〈FIO〉――正式名称は、"Ferion Investigation Organization"。日本語に訳すのなら、フェリオン調査機構というところだ。文字通り、日本の政府主体でフェリオンの調査・研究を行う機関である。
食堂に着けば、二〇〇人は入るスペースに、一〇~二〇人程度が食事を取っているのが遠目にもわかった。
いるのは大きく三グループに大別される。まず、食堂から入って最も奥側である、日光が当たる窓側の席に座っている者たち。舞衣と同じ〈FIO〉の黒い制服を着て、背姿からでも四〇~五〇代とわかる男たちが等間隔に並んでいるエリアだ。〈FIO〉の中でも高い位についているエリートだ。骨伝導スピーカーを身につけ、PDAで何かを探しながら片手間でシリアルを口に運ぶといった、忙しなさがある。
一方と、舞衣は食堂の中央あたりに居座るもう一つのグループに目をやる。大半はハーフであり、日本人と風貌がそもそも異なる。服装はどれもラフな私服だ。〈FIO〉のエリートとは異なり席を近くに寄せて雑談をしていた。
彼らは、〈FIO〉とは別にフェリオンでの活動にかかわる技術的な支援のためにやってきた〈企業〉の者たちである。〈企業〉の文化か、それとも本国の風土のせいかはわからないが、明るい印象を与える。
そして、食堂の入口付近で、静かに食事を摂る〈FIO〉の制服を着た若い日本人たちだ。同じチームの者が数人で固まって、少しだけ話しつつ、けれども中央の〈企業〉の人間よりは控えめに過ごしている。
舞衣はいつもの風景の食堂の中へ入り、胃への負担が少ないメニューを選んで、入口側の席に着いた。
「おはよう、七星。眠れたか?」
食べ始めてすぐ、青年の声がすると同時に、舞衣の右斜前の席に一人の青年が座った。短く刈り込んだ黒髪、まだあどけなさが拭いきれない目はつり気味で、鼻筋の通ったすっきりとした顔立ちをしている。
「ああ、おはよう進藤。……ん?」
舞衣が同僚の進藤宙に目を向けて、それから彼が手に持った食事の乗ったプレートを一瞥して嘆息した。
「出撃前は軽くしておけと、何度も言っただろう、進藤」
「知らねぇのか、七星? 寝るのにも体力がいるんだよ。つまり朝は腹が減る。腹が減ったら、食わないとな」
「食べるにしても、ハムとソーセージ、それにスクランブルエッグ?……少しは栄養のバランスを考えたらどうだ?」
「けど七星、タンパク質は筋肉をつくるのに必要だろ?」
舞衣は、進藤の身体を改めて見やり、思わず目を伏せる。制服の袖口から覗く前腕には意外としっかりした筋肉がついているが、肩幅は狭く細い印象が拭えない。舞衣は相応だと思うが、本人が目指すのは筋骨隆々のたくましい男だということなので、ふとした罪悪感が湧いた。
「……そうか、悪かった」
「何に対して謝った!? なぁ、可哀想に言うのはやめてくれないか!?」
「進藤宇! 誰の許可を得てお姉様と話してるのですか?」
と、そうしているうちに今度は横から、場違いな少女の声がしてそちらを見やる。長い髪をツインテールにまとめた少女が仁王立ちしていた。ぱっちりとした大きな瞳は黒曜石のように輝き、ふっくらとした頬に気丈な表情を浮かべている。制服のサイズはやや小さめだが、胸のあたりだけは合わないのか、そこだけが窮屈そうにみえる。
「ひとまず、お前の許可を取る必要がないことだけは確かだ、朝比奈彗葉」
「何を言っていますのこの男子は? お姉様も何か言って――あいたッ!?」
「静かにしなさい、朝比奈」舞衣は彼女の額めがけて軽く手刀を叩いた。
「うぅう、わかりましたー」
「だいたい、お前その歳でお姉様ーもないだろう」
「女性を年齢で判断してはいけないのは、マナーどころか常識ですよ、進藤宇? だから彼女ができないんですよ」
「おま、年下だから甘めに接していたらつけあがんなよー」
「は、そうせざるの間違いでは?」朝比奈は悠然と微笑み、舞衣は辟易した様子をうかべた。
「仲がいいのはわかったから、静かにしなさい」
「「…………」」
舞衣が諌めたことでようやく二人はおさまったが、視線はなおもぶつかっている。
「まったく……」
「隊長は今日も大変ね~」
今度は正面の席。空いているのをいいことにストンと女性が座った。腰まで届くゆるやかなウェーブがかった髪は、赤みのあるブラウン。飄々としているが、琥珀色の瞳は鋭い知性を宿している。服装は動きやすいシンプルなブラウスにタイトなパンツを合わせていることからも〈企業〉の人間だ。
「エレナさんも冗談言ってないで――」
「賑やかでいいじゃない」
「すぎるのも問題ですっ!」憮然と言う舞衣に、進藤と朝比奈が互いに顔を見合わせる。
「言われてるぞー、朝比奈」
「自分のことはわからないものですね、進藤宇?」
「……はぁ」
これが平常運転だし、二人の技術も信頼はしている。
……けれど、もう少ししまらないか?……
だが、すっと目を細めたエレナが一言添える。
「とはいえ、今日は大事な日だから、少しは気を引き締めましょうか」
エレナに向き直った三人が揃って意味を理解し、顎を引く。
「そろそろミーティングよね、食べ終わったら行きましょう?」
三〇人程度が入れる中規模なミーティングルームの後方の端にある机が空いていたので、舞衣たちは固まって座った。ほどなくして、〈FIO〉の黒を基調とした制服を着込んだ者たちが連続して入室する。その後に私服姿の、つまり〈企業〉の人間がまばらに続いた。
室内は無機質なデザインで統一されており、前方の壁には数枚の大型スクリーンが埋め込まれている。
持参のPDAを準備する間に、部屋の前のほうの扉が開き、スーツを着た一人の男が入ってきた。
黒沢紘一――〈FIO〉における戦略アナリストというのが肩書であるが、権限のいたるところは大きい。
身長は日本人にしては高く、一八五cmはあるか。短めに整えた黒髪を几帳面に撫でつけ、つり上がった目やほっそりとした顎のラインは鋭利であり、ひややかな印象を与える。年齢は四〇前後だが、それより若く見えるのは、眼の奥に野心めいたものが見えるからか。黒沢は部屋の前で、舞衣たちの方へ向き直り口を開いた。
「おはよう、諸君。それでは、アズレア鉱床の獲得に関するブリーフィングをはじめる」
落ち着いた声で言うと彼の背後にフェリオンの地形が映し出された。
「まずは、鉱床についてわかっていることを――」
黒沢の説明を聞きつつ、舞衣は自分でもPDAに表示されている資料に目を通しながら、状況を振り返る。
そもそも鉱床が必要である理由は、鉱床で取れるフェリコンやフェリニウム――現地の言葉で言えば、魔金や魔鋼――という価値のある素材があるからだ。特にフェリコンは先端AIの開発に必要不可欠である。だからこそ、〈FIO〉や〈企業〉が組織を立て、フェリオンという未知の世界へと進出しているのだ。
今回、資源獲得のために作戦を展開するアズレア鉱床は、〈FIO〉と〈企業〉とも友好関係を持つフェリオンのルヴァルディア帝国領内にある。が、帝国のモノかというと実際は違う。
「アズレア鉱床には一体の強力な竜がいることがわかっている」
四つ足の蜥蜴の背中に翼が生えた、そんな竜の姿が黒沢の背後に映し出された。地球ではファンタジーでしか存在し得ない生物が、フェリオンの生態系には実際に組み込まれている。
全長にして約二〇メートルはあろうか。巨躯に加えて、強硬な鱗を持ち、さらには翼による飛行能力を有する。フェリオンの魔法使いたちで討伐するとなれば相当数の犠牲は必至だ。しかし、〈FIO〉と〈企業〉には化け物に対抗するための兵器がある。
「これを三部隊のアルカナギアによって包囲し、掃討するのが今回の作戦だ」
作戦の概要としては、移送車でアルカナギアを運び、険道にさしかかったところでアルカナギアを降車。それから鉱床へと近づき、竜を討つという。
概要の説明が終わり、黒沢が作戦の詳細について話す中、隣の進藤が小さく呟いた。
「こういうとき、もし航空機みたいなのがあれば楽だと思うんだよなー」
「ダメに決まっているでしょう? 宇くん」
進藤がぼやくのも、そしてエレナがたしなめる理由もよくわかる舞衣である。
もちろん、航空機にアルカナギアを格納して運べるのにこしたことはないが、二つの点から現実的ではない。
まず第一に、巨大な竜はなにもアズレア鉱床だけに棲んでいるわけではない。珍しいが多様な竜の存在は確認されており、竜の特性として制空権の意識が強いことがわかっている。だから、航空機が襲撃される恐れがある。
二点目は、いわゆる政治的な問題。万が一にでも〈FIO〉が航空能力を手に入れれば、〈FIO〉の活動がフェリオン世界の侵攻とみなされる。まだ未知数なことのほうが多いフェリオンにおいて帝国の協力を得られなくなる事態は避けなければならないはずだ。
「最後に、留意事項も伝える。これは資料には載っていない」
舞衣たち含め〈FIO〉のアルカナギアのパイロットは一度PDAから頭を上げて、黒沢の方へと向いた。
「数日前より、〈原理派〉と思われる複数の魔法使いたちが鉱床周辺を哨戒している」
ブリーフィングルームがわずかにざわつく。〈原理派〉といえば、異世界から来た人間を追い返すということを目的としたいわばレジスタンスだ。戦力が魔法使いで構成されており、魔法使い一人で数十人の地球の兵士相当の力がある。そのためアルカナギアを用いて、ようやく無力化できるというのが現状だ。また〈原理派〉にはもう一つ厄介なものがある。
「知っての通り、〈原理派〉は二年前に奪取した《A・ヴェリタス》を保有している。危険性はアルカナギアに乗る諸君にはもはや説明はいらないはずだ」
《A・ヴェリタス》については、舞衣も知っていた。先日も襲撃されたアルカナギア――《P・ガーディアン》から得られた一〇秒にも満た
ない戦闘記録も閲覧している。〈企業〉によって開発されたアルカナギアが、自分たちにあだなすとは皮肉なものだと思った。
彼はブリーフィングをこう締めくくる。
「ともすると〈原理派〉の妨害が考えられる。しかし、どのような敵が立ちはだかろうと、日本のためにも、アズレア鉱床を獲得しなければならない」
「〈企業〉から来ているハンドラーもいること、忘れちゃってるのかしらねー」
苦笑気味に揶揄をこぼすハンドラーの一人でもあるエレナを責められるはずもない。他の部隊のハンドラーたちも似た反応だ。冷笑をたたえながら聞き流しているといった風である。
フェリオンでの活動は、日本政府が作り上げた〈FIO〉と外国の〈企業〉の合同で行われ、互いの協調が必要である。が、現状は日本がフェリオンへと行き来できる〈ゲート〉を領土内に持つことからも、〈FIO〉が主体となり作戦を進める立場だ。だが、主導権がないことに苛立つ〈企業〉の感情があり、日本として牽制したい気持ちも、舞衣とて理解する。
……だが、はっきりとハンドラーの前で強調するのはどうだろうか。
ハンドラーであるエレナとそれなりに親しく付き合っている舞衣としては黒沢の傲慢な態度に思うところはある。もっとも当のエレナは、いつものことかと適当に受け止めてくれているのが救いだ。
アズレア鉱床を手に入れること自体、舞衣にとっても異存はない。ただ、自分自身の熱があるかと言われれば、答えは曖昧なものになる。確かに日本にいたときと異なり、選んでフェリオンに来た。そして、最も高い倍率のアルカナギアのパイロットとして志願し、幸いにもなれた。しかし、鉱床を獲得するという結果が、自分にとって何なのかはわからない。それとも得たときに初めてわかるものなのだろうか。
と、考えていたところで周囲の隊員たちが立ち上がっていく音が聞こえてくる。どうやら、黒沢のブリーフィングが完全に終わったらしい。
「行きましょう、お姉様」
朝比奈に促されて、彼女とともに更衣室へと向かった。
===
「アズレア鉱床近辺に、アルカナギア……ですか?」
「ええ、同志が発見したそうよ」
〈原理派〉の拠点の一つである屋敷に、エリオスとアストリアはいた。
屋敷は元々とある下級貴族のものだったが、いつしか手つかずとなり、〈原理派〉が買い取ったものになる。領土としては帝国内とはなるが、首都からは距離があり、かつ国境付近でもないことから、監視の目も薄くなる地帯だ。
気品を残しながらも、長年の放置による古びた雰囲気を纏っていた。高い天井には細やかな装飾が施され、壁には以前の持ち主のものと思われる紋章が飾られている。かつての栄華の名残はあるが、今では役割を変え、〈原理派〉の作戦会議の場となっていた。
大きな窓から差し込む陽光が、重厚な木製の机に広げられた大量の書類を照らしている。机の上には、ほかにも精巧に作られた地図や封蝋付きの手紙が並ぶ。
アストリアは、机の前で椅子に座りながら神妙な面持ちで、エリオスに話しかけていた。先日の街の潜入のために着ていた質素な服装ではなく、深い青のドレスを纏っている。エリオスはというと黒のベストと白いシャツを身にまとい、細身のパンツにロングブーツを合わせた格好だ。
「間違いなく、採掘の拠点づくりを行う可能性が高いわ。竜がいるのは知ってるけれど……」
「複数のアルカナギアに囲まれたら、竜とてわかりません」
すでにアストリアが何をエリオスに求めているのか理解し、彼は幼い顔に似合わない目つきで頷く。心苦しいものを感じながら、それでも告げた。
「エリオス、アズレア鉱床に赴き、《A・ヴェリタス》によってアルカナギアを排除しなさい。鉱床に近づくのがどういうことか、竜ではなく、あなたの力で示しなさい」
「わかりました」




