PARTS6(1/2)
……ぼくは……?
茫漠とした意識がゆっくりと持ち上がると、見知った《A・ヴェリタス》のコクピットの中にいると気づく。だが、緊急用の明かりが辛うじて灯っているぐらいで、《A・ヴェリタス》の外の景色はわからない。目の焦点が定まってくると同時に、記憶も蘇ってくる。
……そうだ、マイさんと戦いになって、あの"銃"を防ぐために、魔法を使ったあと《A・ヴェリタス》が止まったんだ。それから……。
多数のアルカナギアに取り囲まれ、《A・ヴェリタス》ごと拘引されたのを思い出した。と、正面の通信用の画面だけが点く。
映っているのは、黒髪を撫でつけ、冷たい目をしたイセカイジンの男。
「……ぼくが誰だかわかっての蛮行ですか?」
伝わるように日本語で話しかけると、男は口の端だけ釣り上げ言う。
『私の間違いでなければ、あなたはエリオス・ルヴァイン……帝国の王子ですよね?』
男が流暢にフェリオンの言葉を話したのに素直に驚いてしまい、画面の向こうの笑みが深まる。
『私は、黒沢紘一……あなた方でいうイセカイから来たフェリオンの調査を指揮する者です』
「……侵略の間違いだろ?」
『ああ、なるほど。既に「アレ」をご覧になったのでしたね』
男の笑みが暗くなるのを感じとるが、思惑通りには進めさせるつもりはない。
「ぼくを人質に帝国と交渉するというのなら無駄なことです。父は自分の国と親族と天秤にかけて、国の繁栄を迷うことなく選ぶ男です。ぼくごときの命で、有利に運べると――」
『……ふっ、はは……くくく……』
画面の中の黒沢が突然に笑いだし、エリオスは呆気にとられる。
「一体なにがおかしいっ」
『いや失礼。あなたの考え方が実に子どもらしく可愛らしかったので、つい』
帝国とイセカイジンの間には、複雑な力関係が働いているは知っている。だから、エリオスは黒沢が帝国との交渉の材料に利用するものだと信じて疑っていなかった。しかし浅はかだと男は言う。
「何を……企んでる?」
『お教えしましょう。あなたと《A・ヴェリタス》を使って、帝国を侵略します』
「不可能です。《A・ヴェリタス》はそれほど強い機体ではない」
まったくもって拍子抜けだった。《A・ヴェリタス》の転移の魔法があれば、帝国を脅かせるとでも思ったのか。だが男は首を横に振る。
『我々を侮らないでいただきたい。《A・ヴェリタス》の魔法の正体はわかっております、転移は力の一旦。その本質は空間の操作にある……違いますか?』
笑みを浮かべたまま、確信を持ったものの声音であり、エリオスがなんと答えようと構わないというふうでもあった。
「……それが、どうかしましたか?」
せめてものの抵抗とばかりにエリオスは憮然と答えるが、黒沢は大して気にすることもなく続ける。
『アルカナギアを人よりも大きく作らなければいけなかった理由、その理論の先へ到達することができるということです。《A・ヴェリタス》とともに貴方が逃亡したときは、計画が頓挫したかのように思いましたが、諦めなくてよかった。私の願いは今、果たされる』
この男は一体何を言っているのだと思うのと《A・ヴェリタス》のコクピット内に光が灯るのは同時だった。
『起動シークエンスに入りました。ではお互い、よい凱旋にしましょう』
黒沢が画面から消えると、入れ替わりに文字列が現れる。赤色の文字が急激に画面を埋め尽くしたかと思うと、黄色の文字が流れ、最後は緑色の文字で、"SUCCESS"と出る。不自然な挙動に気味悪さを感じ取ったときだ。
《A・ヴェリタス》の視界を示すモニターが暗がりの工舎を映し、重いものが動く独特な機械音がコクピットにも響いた。《A・ヴェリタス》の頭上から光が差し込んできたのがわかる。
閉ざされていた建物の天井が開いたのだと気づいたとき。
『まずは飛行能力のテストからだな』
黒沢の声だけが聞こえてくるのと同時に、エリオスは頭の中をまさぐられるような不快感を押し付けられた。
しかしエリオスに構うことなく、《A・ヴェリタス》がゆっくりと上昇する。
……なんだ……
建物を抜け、周辺の森が観察できるようになったころ。視界の端に映る機体の腕が《A・ヴェリタス》のものではないのに気づく。それは数日前に見た巨大アルカナギアのものだった。
===
〈原理派〉の拠点の会議室に、アストリアは一人、必死に筆を走らせていた。銀髪が乱れているにもかかわらず、焦燥にかられた表情からは血の気が失せていた。
……エリオス……エリオスっ!
エリオスが捕縛されたのを空の上から呆然と眺めることしかできなかった自分が恨めしいと、何度も思った。だが、〈原理派〉の旗印であるアストリアまでもがイセカイジンたちの手に落ちれば、組織は瓦解する。寸前で自制したことにより、あるいはそれゆえに、今アストリアは自分自身を苛んでいた。
エリオスがイセカイジンたちに囚われた際の、移送場所の予測位置と、起こり得るシナリオの整理。既に十数通りの可能性の検討を行っている。けれど、エリオスや《A・ヴェリタス》の不在から、有効な戦術を見いだせないでいた。
……まだ、一三歳の少年にわたしたちは期待しすぎていた……
「少し休まれてはいかがですか?」
〈原理派〉の誰でもない声に、はっと顔を上げると、いつの間にいたのか、レオニードが目を眇めて斜向かいの席に座っていた。神出鬼没の帝国のもう一人の王子を前に、糾弾や疑問を口にすることなく、アストリアは想定していたシナリオの一つを口にする。
「イセカイジン側から帝国に打診でも?」
「質問に答えるのならば、いいえ」
「まだなの? エリオスだって頭が回らないわけではないわ。自分の命が危ういと感じれば、身分だって明かすはずよ」
「……確かに、状況が公平であればそうすることにも価値があり、イセカイジンはエリオスを人質として帝国に交渉を持ちかけるでしょう」
含みのある言葉に、ただでさえ平静を失っているアストリアは相手の立場を顧みることなく言う。
「もったいぶらずに教えて、あなたは何が起こると予想してるの?」
レオニードは困った顔をするが、やがて真顔になり言った。
「侵略です」
「まさか――」
「いいえ、エリオスと《A・ヴェリタス》の両方がイセカイジンに渡ったときに決まってしまったのです」
レオニードの思いもかけない真剣な口調に、目を見開くアストリア。
「確かに《A・ヴェリタス》は優れたアルカナギアよ。でも、だからって侵略ができるほどの戦力には――」
「そう勘違いするのは無理からぬことです。エリオスは〈原理派〉に対して、ほとんど力の一旦しか見せていないからです」
「力の一旦……まさか、砲弾の前で無傷だったのはエリオスが別の魔法の使い方をしたから」
アストリアが思い出したのは《A・ヴェリタス》が捕縛される直前に見せた奇妙な現象だった。音や光からも砲弾は放たれたのは間違いなかったが、《A・ヴェリタス》は健在だった。
「ご明察です。あの力こそ、イセカイジンが《A・ヴェリタス》を欲しがった理由になると考えています。幸いに、侵略の基点となるアルカナギアの破壊はしました。再建造の前に《A・ヴェリタス》とエリオスの奪還を――」
そこで言葉を不意に止めて、レオニードは懐から小さな金属板を取り出し、耳元に当てると、みるみるうちに険しい顔になった。事態はさらに悪い方へと向かっているということだけアストリアにはわかった。
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早朝の四時三〇分。舞衣は一睡もできないまま、自室のベッドから身を起こした。部屋の中の冷蔵庫を開けて水を取り出して飲みながら数時間前のことが頭から離れなかった。
《A・ヴェリタス》が数多くの《D・スレイヤー》に掴まれ、連れ去られてしまった光景――
黒沢は、帝国に無断で巨大アルカナギアを製造していたこともあり、エリオスをただで帝国へと返すとは考えにくい。
物思いに耽る舞衣を醒ますように、携帯端末のコールが入る。エレナからだった。
『舞衣ちゃん、唐突に悪いわね。一つ訊いていい?』
いつもの明るさがない、硬い口調のエレナの声がした。
「エレナさん、いったい――」
『数日前。宇くんや彗葉ちゃんのコールに出なかったことがあったわよね。本当はなにをしてたの?』
ひゅっ、小さく息を飲み込んでしまう。重要な情報を隠蔽していたことの後ろめたさはあった。だが、エリオスを連れ去った〈FIO〉への不信感から、舞衣はエレナに伝えることを決める。
「実は――」
舞衣は秘匿された工舎と、秘密裏に製作されていた飛行能力を持つと思われる巨大アルカナギアがあったことを話した。
『……まさか、そんなものが……』
「すみません、エレナさん」
『〈FIO〉と〈企業〉の関係性からして仕方がないわ。気がかりなのは、《A・ヴェリタス》の移送先も〈企業〉には知らされていないということ――え、映像通信? 黒沢から?』
舞衣のPDAにも通知が来ているのがわかり、一斉通知であることはわかった。渦中の人物からの情報ということもあり、舞衣もエレナもほぼ反射的にリンクを開いた。
『日本人の諸君。我々は、今日という日まで不安定なフェリオンの中で日本のために調査をしてきた。ときには命を危険にさらし、あるいは帰ってこなかった者もいた。だがしかし、その苦悩も今日という日で終わる。なぜなら、フェリオンにいる下等生物たちは我々にひざまずくのだから』
黒沢が言い終えると映像が切り替わり舞衣は目を疑った。
「あのときの巨大アルカナギア……っ」
だとしたら、映像自体は巨大アルカナギアが保管されていた工舎の屋上あたりのカメラから撮られているのか。見上げるような角度から映された巨大なアルカナギアを見つつ、胸部と頭部への違和感に気づいた。
『翼によって、空を飛ぶというFSを実現してる? 頭部は《A・ヴェリタス》……胸部も、観音開きみたいな作りね、コレ。まるで《A・ヴェリタス》がアルカナギアを着てるようね』
全体的に大きな手足と胴の上から突き出た頭部は、体全体のバランスからすると不自然に小さい。エレナの言う通り、一体のアルカナギアと捉えるよりかは、《A・ヴェリタス》が拡張されているのだと見たほうがよさそうだ。
《A・ヴェリタス》を伴って空を飛んでいる理由とはなにか、舞衣にはわからず、映像を見つめるしかない。
『ほう?』
通信映像の端に黒い点が映り、すぐに竜の形になった。
『竜ね……アズレア鉱床のものとは別個体のようだけど。アルカナギアに縄張りが荒らされたとでも思ったのかしら』
竜はその巨体に向かって突進するが、巨大アルカナギアは驚くほどの軽やかさで避けた。
『諸君に見せよう、《Z・アセスダント》の力を』
巨大アルカナギア――《Z・アセスダント》が片腕を突き出し、手のひらを広げたとたん光条が閃く。その先には竜がいて――
Gyaaaaaaa!?
通信映像からの音声はないはずなのに、舞衣は竜の悲鳴を幻聴した。
光条を当てられた先である翼は焼き溶け、竜は堕ちた。
『あれも魔法、FSだというの……単騎で竜を一撃で屠ることができて、空を飛ぶアルカナギアなんて』
『そもそも我々は、ここ(フェリオン)にピクニックをしにきたわけではない。国富のためだというのを忘れていないだろうな。今や日本が『世界』で優位に取れるのは、技術ではなく資源になる。だとしたら、資源確保のための最上の選択肢をとるのは至極当然のことではないか』
黒沢の言葉を思い出す。もし《Z・アセスダント》が帝国の首都に降り立てば、間違いなく降伏を余儀なくされる。フェリオンの諸国すらも、団結したところで敵うことはない。
『戦争にすらならないわ。一方的な侵略……。でも――』
嫌悪感を隠そうとしないエレナに対して、舞衣は映像を見つめることしかできなかった。