蜘蛛と化す行者
行者は飛丸に正面蹴りを喰らわせた。飛丸の体が、意外なほどの勢いで吹っ飛ぶ。飛丸はしかし途中で踏ん張ると、行者を睨んだ。
「なんだお前、何処かで見たような……? あ、貴様は俺の部下を皆殺しにした奴だな!」
「頭まで飛蝗並になったようだな」
行者は不敵なほど色気のあるせせら笑いを浮かべた。
「貴様、貴様は確か殺したはず」
「お前の勘違いだ。ーーさて、お前に訊きたいことがある。お前に不神実を与えたのは誰だ? 山名豊之か、それ以外の誰かか?」
「お前に答える必要はねぇ」
飛丸は答えながら、抜き身で襲いかかってきた。行者はそれを後退しながら錫杖で払う。
「はな!」
不意に声があがって新九郎は振り返った。はなの父親が包丁を片手に、決死の形相で捕まってるはなに向かっていく。新九郎もそれに合わせて動いた。
杖を手の内から繰り出すようにして玄太の足を払い、八作の首に分銅紐を巻き付けて引っ張る。自由になったはなは、駆け寄ってきた父親にすがるように抱きついた。
「早く逃げるんだ!」
新九郎は叫んだ。はなは潤んだ目で新九郎を見返したが、一つ頷くと父親とともに駆け出した。
行者は飛丸と戦っていた。飛丸の力感のこもる剣を、錫杖を自在に操り防いでいる。しかし防戦なのは確かだった。
「お前もこのままじゃ面白くなかろう」
押し込もうとする剣を錫杖で堪えながら、行者が不敵な笑みを浮かべた。
不意に堪えていた錫杖を緩め、飛丸がつんのめる瞬間に行者は脇をすり抜けた。
右手を懐に入れると、何か取り出す。
(あれはーー実)
行者は右手に紫色の実を持ち、さらに左手に三鈷杵を持っていた。三鈷杵は銀でできているようだった。右手は実を持ったまま人差し指と中指を立て、その右手の甲に三鈷杵を持った左手を添えるようにして胸の前で合わせる。
「挿魔」
行者は真言を唱えると実に三鈷杵を突き刺した。その実からどろりと果汁が滴る。そのまま左手をくるりと返すと、行者は自身の左胸に三鈷杵を突き刺した。
「なーー」
新九郎が思わず声を洩らす。しかし真の驚きはここからだった。
コオォォォ…と行者が息吹を吐いた。
目が赤く光り出す。その目がより大きくなると同時に、頭部が骸骨のように白くなっていった。
全身が変化していく。骨格が隆起し筋肉が膨れ上がる。背中の衣服の上から、真っ黒な虫の脚が八本も生えてくる。
実を突き刺した三鈷杵が、左胸に埋もれるかのように消えていく。口元は牙を閉じこめるように、一端大きく裂けた後に堅く結ばれる。
そしてその額に、まん丸の赤く光る眼がもう一つ現れた。
「蜘蛛……」
変化を終えた行者の姿を見て、新九郎は身震いした。そこにいるのは、人間のように二本脚で立ちつつ、背中に八本の脚を持つ巨大な蜘蛛の怪物だった。
「お前も変化するとはな」
「これで面白かろう?」
行者が蜘蛛の顔のまま笑った。いや、笑ったのが判った、というべきだろうか。とにかく口元を歪ませた。
と、次の瞬間、蜘蛛の姿が消えた。
衝撃音を眼で追うと、飛蝗が蜘蛛に殴られて吹っ飛ばされていた。飛丸は地面に落ちそうになるところで羽を広げ、空中で制止した。
「貴様、やってくれたな」
「こんなもんじゃないさ」
口元を拭う飛丸に、行者が愉快そうに答える。飛丸が刀を持って襲いかかった。行者も腰の刀をぬく。月光に抜き身の刀身が光った。
飛丸が切りつけた、と思った瞬間、行者の刀が閃いた。いきなり飛丸の右手が、刀を持ったまま吹っ飛ぶ。切り落とされた右腕が、地面にぼたりと落ちた。
(なんだ?)
新九郎は震撼していた。
(いったい、何をしたというのだ?)
新九郎は喘ぎながら、蜘蛛の姿になった行者を凝視した。
(何をしたのかは判らなんだが、この技で一味を全滅させたのに違いない)
見ると飛丸は地面に降り、口惜しそうに無くなった右腕の切り口を押さえている。
「くそっ、やってしまえ!」
飛丸が左腕を振ると、手下の者たちが一斉に行者の方へと向かってきた。そのほとんどは、既に飛蝗へと変化している。
あまりの数の多さに、行者蜘蛛も後方に飛び退きながら防御する。その隙に飛丸は、切り落とされた自分の腕を拾った。
「印字を打て!」
飛丸が叫ぶと、手下たちは石を拾って投げ始めた。この頃、戦に混じる集団のなかに『印字打ち』と呼ばれる者たちが現れていた。石を投げるだけであるが、集団戦ともなると威力がある。
加えて投げるのは飛蝗の怪物たちであり、明らかに普通の者が投げる威力ではない。それを四方から投げつけられるのを、行者蜘蛛は剣で払いながら移動してかわした。
その合間を縫うように、飛丸が切れた腕の切り口を合わせてつなごうとしている。少し合わせていると、やがて切り傷の跡すら判らないようになった。
(ああやって腕を再生したのか)
ふと気づくと、飛蝗どもに追われている行者蜘蛛がこちらに向かって走ってきている。気づいた時には行者蜘蛛が背中を合わせるように回り込んでいた。
「なーー一体?」
動揺している間にも、飛蝗どもは二人を取り囲んで石を投げてくる。新九郎はそれをなんとか杖で打ち払った。
「おい、傀儡子!」
飛んでくる石を剣で打ち落としながら、行者蜘蛛が呼びかけてくる。新九郎も飛んでくる石を払いながら答えた。
「何です」
「少し加勢しろ」
突然の蜘蛛の言い分に、新九郎は戸惑った。