盗賊・飛丸
男たちは鉈や刀をはじめ、思い思いの武器を手にしている。目をぎらつかせた男たちを連れて飛丸が向かったのは、商人の中根忠兵衛の屋敷であった。
中根忠兵衛は街道の荷運びを始め、九州や四国の産物、唐物を取り扱い大きな財産を成した一大商人であった。その広い屋敷は堅牢な塀に囲まれており、しかも中には武装した警護兵が何人もいるという話だった。
闇夜の中、大門傍の塀まで近づいた飛丸は、男たちに向かって言った。
「いいか、相手が何人いようが俺たちの相手じゃねえ。一人残さず殺して、一切合切を手に入れるんだ。売れそうな女はさらってもいいが、手向かったり泣きわめくようなら殺してしまえ。いいな」
へい、と一味の者が返事すると、玄太が小さく声をあげた。
「しかしお頭、この塀の中にどうやって入るんで?」
「俺が内側から開けてやる」
そう言うやいなや飛丸の目が、緑色に光り始めた。
(あの時のーー変化か)
その緑色の目は巨大に膨れ上がっていき、背格好も不気味な様子で変わっていく。やがて飛丸の顔は飛蝗のようになり、背中からは虫の羽が生えていた。
牙の生えた口を歪ませると、飛丸は羽を広げて飛び上がった。その奇怪な姿を見せた飛丸に、誰も怯えを見せない。新九郎自身もそうだったが、飛丸の変化に対し何の違和感も持たなかった。
(『種』を植え付けられたせいか)
新九郎は一人納得した。
宙に舞い上がった飛丸は塀を飛び越し、闇の向こう側へと消えた。何かどさりと倒れる音と、小さな呻き声。しばらくすると、家の大門が内側から開けられた。
警備の者らしい二人が倒れる傍に、飛丸が立っている。
「行け」
飛丸が人の姿に戻りながら、顎をしゃくる。それを合図に男たちは屋敷へと押し込んだ。
あちこちで怒号と悲鳴があがる。
屋敷内で容赦のない虐殺が始まっていた。
新九郎も松明を片手に屋敷のなかへ上がり込む。部屋を一つずつのぞき込みながら歩を進めると、既に事切れた者たちが血の海の中で倒れていたりした。
奥の部屋へ入ると、女が数人、身を寄せあって倒れていた。格好からすると、奥方とおつきの女房が二人。奥方をまず刺し、女房たちは互いに自分たちの胸を短刀で突いたようだった。さらわれ、弄ばれるより死を選んだということらしかった。
(むごい事を……)
新九郎は目を細めた。
と、何処からかコトリ、と物音がした。女たちが倒れている後ろの、押入の中からに思えた。新九郎はゆっくりと近づいて、その襖を開けた。
中には荷物が置いてあるだけで、中に人がいそうな気配はない。ふと、新九郎はその床下に気配を感じた。
(押入の中に隠れ部屋が)
新九郎にはそこに誰かがいる、と直感した。
「ーーおい、残ってる者はいねえか」
不意に背後からかけられた飛丸の声に、新九郎は振り返った。
「へえ、もう誰もいないようです」
「そうか」
新九郎はその場を離れたが、飛丸はまだ立っている。
「いいや、匂うな。女の匂いだ」
飛丸は倒れた女たちを足で転がすと、その背後にある押入に目を止めた。新九郎はぎくりとしたが、飛丸は構うことなく押入に近づいた。中に顔を突っ込むと、荷を放り出す。やがて押入の中から、「ヒッ」という短い悲鳴があがった。
飛丸は髪を掴んで、床下から無理矢理一人の娘を引きずり出していた。
「おい、新入り、隠れてるのを見逃してるじゃねえか」
飛丸は愉快そうに娘の髪を掴んで宙に浮かせると、新九郎に笑って見せた。
「すいやせん」
「どうやらこの家の娘ごらしいな。ーーなかなか上玉じゃねえか」
飛丸は娘の顔の前まで自分の顔を近づけると、脅すように娘を眺め回した。怯えきった娘の目からは涙が流れ、喉からは声にならない嗚咽が洩れていた。
しかし突然、娘は袂から懐刀を取り出し、飛丸の腹に深々と突き刺した。飛丸は低く呻いて、娘を掴んだ手を離した。
どさりと床に落ちた娘は、泣きながら懐刀を構え、飛丸に向けていた。
「あーー」
新九郎が思わず近寄ろうとすると、娘は必死の形相で懐刀の切っ先を新九郎に向ける。新九郎は立ち止まった。
「おいおい、痛ぇことしてくれるじゃねえか」
押さえた腹部から血を垂らした飛丸が、笑いながら声をあげた。娘は懐刀を飛丸に向ける。
すると飛丸の形相が、見る見るうちに奇怪な飛蝗の姿へと変化していった。
「ヒッ、ヒッ、ヒィッーー」
目の前に広がる異様な光景を前に、娘が恐怖のあまり息を詰まらせる。構えた懐刀の切っ先がぶるぶると震えた。
飛蝗の姿になった飛丸が、のそりと娘に近づいた。娘は恐怖のあまり絶叫した。
「騒ぐんじゃねえよ」
飛丸は無造作に娘の首を掴んで持ち上げた。娘が息を詰まらせながら、懐刀を振り回す。しかし飛蝗の姿をした飛丸の体は、つけられた傷があっと言う間に消えていった。
(なんという回復力だ)
苦しくなった娘が攻撃を止め、首を掴んでる手をなんとかしようともがく。しかし次の瞬間、ごきり、という鈍い音がすると、娘の頭がだらりと横に崩れ身動きがなくなった。
新九郎はひそかに息を呑んだ。
姿を人間に戻した飛丸は、うっちゃった娘の体に掌を向ける。すると娘の体から、あの魂命果を取り出した。
「お前の分だ、ほれ」
飛丸は魂命果を新九郎に投げてよこした。
新九郎はそれを受け取る。手の平に乗った赤黒く光るその実を、新九郎は凝視した。抑えきれない欲望が身の内にせり上がってくる。
(美味そうだーーこれにかぶりついて、果肉を喰らい果汁をすすりたい。ああ……今すぐ喰いたい、誰にも渡すものか!)
新九郎は餌をひったくった猿のように背を向けると、部屋の隅へ走ってうずくまった。
「クク…まあ、ゆっくり味わいな」
振り返ると、飛丸が倒れていた女たち三人から魂命果を取り出していた。それを手にすると、飛丸は部屋を出ていった。
新九郎は改めて魂命果を見た。
赤黒い実は信じられないくらいの、極上の誘惑を醸し出していた。これを食えるなら死んでもいい、と新九郎は本気で思えた。
新九郎は口を開け、それにかぶりつこうとした。
しかしその瞬間、自分に懐刀を向けた怯えきった娘の顔が思い出された。
新九郎は震える手で、ゆっくりとその実から口を離した。
後ろを振り返ると、娘と女三人が倒れている。新九郎は立ち上がると、娘の遺体に近づいた。若々しかった娘の顔は皺だらけになり、水分を吸収された干し柿のようになっている。他の三人も同じだった。新九郎は手にした実を見た。
(この実は、娘の残りの命を吸い取ったものだ)
まだ美味そうに見える。とてつもなく美味そうに見える。だが新九郎は懸命にその衝動を抑えると、魂命果を懐にしまいこんだ。
(これを食べるわけにはいかない)
新九郎は部屋を出て、他の様子を見て回った。
少し先の部屋で、玄太と八作が血に染まった鉈を持って立っていた。傍には飛丸と、倒れた男の死体が四体転がっている。
飛丸は魂命果を取り出すと、玄太と八作にくれてやった。二人はわき目もふらず、それにかぶりついた。
飢えた犬のように二人は実を喰い尽くした。すると二人の顔に異変が起きた。その顔に幻灯を重ねるように、飛蝗の顔がうっすらと浮かび上がったのである。新九郎はその様子を見て悟った。
(あの実を喰らうと、いずれ山で見た者たちのように飛蝗に変化するようになるに違いない)
新九郎は実を喰らって呆けている玄太と八作を見て眉をひそめた。
(そしてあの実を欲したなら飛丸に従うしかない。そういうからくりだ)