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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
八、蛇
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最終決戦の行方

 立つ力もなくなった新九郎を、移香は静かに横たえた。その蜘蛛の身体の重装変が解ける。安らかな微笑を浮かべたまま眠る新九郎は、移香は見つめた。

「ーーうむ。やはり盛時殿は手強い相手だったようだね」

 背中からかけられる声を予期していたように、移香は立ち上がった。

 振り返ると、青い着物姿の細川勝元がゆっくりと歩み寄っていた。

 蜘蛛の赤い眼が、勝元を睨みつけた。

「新九郎の心につけ込みやがって……。何もしなくても、新九郎はあんたの事を慕ってたんじゃないのか?」

「そうだね」

 勝元は涼しい顔で答えた。


「しかし私は、優秀な者は手放したくないのだよ。私は擬身の種を植え付けて魂命果を喰わせ、獣のような暗鬼になった相手を支配したいのじゃない。暗鬼の姿にすることもなく種を植え付けておくと、種を植え付ける者は増やせるのだよ。その者は知らずの内に私の支配下に収まる。無論、それはその相手が最初から持っている性向に合わせて、欲望の方向を調整するという実に微妙な作業が必要なのだがね」

「新九郎に、いつ種を植え付けたんだ?」

「会った時からさ」

 勝元は相好を崩しながらそう言った。

「盛時殿は素晴らしく聡明で優秀な人材だ。是非、手元においておきたいと思ったのだよ。盛時殿だって、悪い気はしなかったろう」

 悪びれた様子もなく微笑む勝元を、移香は凝視した。


「そういうやり口で、幻奘も操ってたわけか」

「その通り。あの人は頑なな信仰心を持っていてね、何が仏の教えの『解脱』に至る道かを熱心に考えていた。私はその方向に、少しばかり手を加えただけだ」

「その結果が、この戦の世でもか。あんたは争いが嫌いなんじゃなかったのか?」

 苛立ちを含む移香の声に、勝元は涼し気な顔で答えた。

「争いは好まんよ。私はね、争うことなくーー支配するのが好きなんだ」

 そう言った勝元の身体が、突然に狗化怪鬼へと変化した。

 蜘蛛は身構えた。狗化怪鬼はゆっくりと、右手に指輪を嵌めてみせた。

「これが何か判るだろう? 重装輪だ。私はここで重装変する。しかし貴殿は、もう重装変するほどの霊気は残ってない。判るかね、つまり将棋で言えば詰みの二、三手前だ。盛時殿に重装輪を与え貴殿と戦わせた段階で、私の勝ちは決まっていたのだよ。さあ、戦いを始めようか」

 胸から突き出した大きな狗が咆哮を上げると、狗は大刀と小刀の二刀を抜いて手にした。それを胸の前で十字に構え、蜘蛛の方を見据える。

 ふっ、と狗の姿が消えた。


「ーーくっ!」

 急に斜め後ろから襲いかかる太刀を、蜘蛛はなんとか受ける。しかし大刀を受け止めた瞬間に、小刀が蜘蛛の肩口に斬りつけた。蜘蛛がその相手に太刀を浴びせようとした途端、既に狗はその場所から消えている。

「貴殿が並々ならぬ剣士だということは重々承知だ。迂闊に深く踏み込めば、返し技でやられかねない。傷は浅いかもしれんが、しかしこの速さは追いきれまい」

 その言葉が言い終わらぬうちに狗の姿がまた消える。と、今度は下から小刀が腹部を突いてきた。蜘蛛はそれを後退して躱すが、そこに大刀が襲いかかる。それをからくも受けるが、その腹部に狗の横蹴りが加えられた。

「ぐあッ!」

 蜘蛛は吹っ飛ばされ、地面に転がる。狗が猛速度から姿を現し、口を開いた。


「私の唯一の敵は山名宗全だけだった。しかし私は宗全に対抗するために豪獣化したくはなかったのだよ。何故なら化怪鬼も魂命果を喰らい続けると、段々と魂が獣化してくるのだ。品位を好む私は、豪獣化するために魂命果を喰らわずとも、それに対抗できる力を探究した。それがこの重装輪だ。しかし貴殿が宗全を倒してくれて、本当に良かったよ。これでもはや私に敵はいない。私の好む、私のための争いのない世界がようやく成就するだろう!」

 狗の姿が消える。蜘蛛もまた素早く移動するが、その移動中に斬りつけられる。大刀を躱しても小刀、小刀を受けても大刀の攻撃を喰らい、蜘蛛の身体はどんどんと傷を増していた。蜘蛛はそれでも一つ所に留まらず動いていたが、全てを先回りされ、蜘蛛の全身は傷だらけになっていった。


 やがて蜘蛛の足が止まった。蜘蛛は肩で息をし、長黒刀をだらりと下に構えている。狗は愉快そうに声をあげた。

「どうやら、もう立っていられないようだね。私の重装変もそろそろ切れるだろう。ここらでお終いにしよう」

 狗の姿が消えた。次の瞬間、蜘蛛の右横に、不意に狗の姿が現れる。しかし、それはまだ狗の攻撃が届かない距離だった。

「なーー何故?」

「かかったな」

 蜘蛛が不敵に笑った。狗は慄く眼で自分の足元を見た。そこには霊気でできた蜘蛛の糸が絡まっている。

「こ、これはっ!」

 気づくと狗は、蜘蛛を中心とした蜘蛛の巣の上にいた。その足を動かそうとした時、さらに蜘蛛の糸が絡まる。


「新九郎ほどお人好しじゃないんでね。俺は人を騙すのさ」

「貴様、わざと攻撃を喰らいながら、巣を張ったのか!」

 蜘蛛はその巣の上を、なんなく近づいてくる。

「お、おのれ!」

 狗はまとわりつく蜘蛛の糸を霊気の波動で振り切りながら、近づいてくる蜘蛛に斬り込んだ。その瞬間、狗は己の間違いに気づいた。

「そう、これが本当の罠だ」

 斬り込んだ狗に、蜘蛛が後から踏み込んで先を取る。巣に絡めとるのが罠なのではなく、その恐怖で無防備な攻撃を引き出すことこそ移香の張った罠だった。

 狗の首筋に長黒刀が当たる。

「衝!」

 霊気の波動が閃光を放つ。


 狗の化怪鬼は倒れ込み、不神実を吐き出して勝元の姿へと戻った。

「う……馬鹿な…私の……争いのない世ーー」

 這いつくばった勝元は、身体から出た黒い不神実を拾い、もう一度口にしようとする。しかし不神実はもはや体内に吸収されず、勝元を変化させることはなかった。

 その姿を見ながら、移香もまた変化を解いた。

「一つあんたに訊いておこう。吉野の里の襲撃は、あんたの計画か?」

 勝元は生気のない眼で移香を見上げた。

「いや……私じゃない。しかし、いずれ『まつろわぬ民』どもは、排除するつもりだった……」

「あんた、正直だな」

 移香は苦笑した。不意に、勝元が呻き声をあげる。勝元の手が萎れ、その顔が急速に衰えていく。山名宗全に起きた現象と、同じものだった。


「ーーお父上!」

 その勝元の身体を覆うように、飛び出してきた者がいる。娘の葵だった。葵は父親の身体を背にし、移香を睨みつけた。

「お父上を殺すなら、わたくしも一緒に殺してください!」

 移香は渋い顔をした。

「どの道、その様子じゃそう長くはないだろう。せいぜい養生させるがいいさ。が、こいつは貰っておくぜ」

 移香はそう言って近づくと、狗の実を拾って懐に入れた。

「じゃあな」

 移香はそう言うと、まだ眠っている新九郎を肩に担ぎ、細川勝元の屋敷を後にした。



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