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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
八、蛇
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蜘蛛対鶴

 京の街に朝陽が射す。人々は起き出し、日々の暮らしの営みを始める。家が焼かれ田畑を失い、親兄弟と別れたとしても、静かに朝はやってくる。朝陽が照らす人影の少ない通りを、移香は歩いていた。

 向かっていたのは細川勝元の屋敷である。東軍総大将の本陣として、屋敷は堅牢な砦と化していた。が、どういう訳か物見櫓に見張りはおらず、正面門に門番もいない。大きな木戸を押し開け、移香は勝元の屋敷に入った。人の気配はまるでなく、朝の静けさだけが中庭に漂っていた。

「ーーやはり来たのですね、移香どの」

 朝陽を浴びながら姿を現したのは、白地の狩衣に水色の小袴を履いた伊勢新九郎であった。

「勝元は何処だ? もういないのか」

「勝元様に御用の向きは、私が承ります」

 新九郎は涼やかな微笑を浮かべて言った。が、その笑顔には凍りついたように温かみがなかった。移香は眼を細めた。


「俺の母親を殺し、襲撃の手引きをしたのは陰野衆の総領、幻奘だった。全ての黒幕が奴の仕業と思い、俺は奴を倒した。しかし奴は死ぬ前、狗の暗鬼の姿を見せた。ーー奴は操られていたんだ。恐らく本人にも気づかれないくらいの、恐ろしいほどの巧妙さでな」

 それだけ聞いてなお、新九郎は表情一つ動かすことはなかった。新九郎は深々と礼をした。

「まずは本懐を遂げられたこと、おめでとうございます。しかしそれならば、貴方のやるべき事はもう、果たしてしまったのではありませんか? 陰野衆に戻られてはいかがですか」

「いや……俺は細川勝元を倒して、お前を救い出す。新九郎、お前は奴に操られているんだ」

「嫌だな、移香どの。私は操られてなどいませんよ。心から勝元様に忠誠を誓ってるだけです。どうしても勝元様と戦うというのならーー」

 新九郎の顔から微笑が消え、凄まじい憎悪が表情に張り付いた。

「ーー貴方を殺します」

 移香は軽くため息をついた。


「勝元の野郎、いい性格してるじゃねえか。俺たちを戦わせて、自分は高みの見物とはね。陰険な奴だ」

「それ以上の勝元様への侮辱は許しません」

 新九郎は独鈷杵を持った右手を顔の左に、不神実を持った左手を右の腰へ構えた。

挿魔(ソーマ)

 胸の中心で独鈷杵と実を刺し、その先端を水月へと刺す。新九郎の身体が、鶴化怪貌士へと変化した。

 鶴が上空へ飛んだかと思うと、氷の矢羽を撃ち出す。移香はそれを走って躱しながら、蜘蛛の姿へと変化した。

 蜘蛛が手から糸を発射する。鶴は手にした薙刀で、その糸を斬り払った。

 鶴は薙刀を八相に構え、上空から飛来してくる。その迷いのない側面への一撃を、蜘蛛は抜刀して受けた。と、薙刀は瞬時に反転して足元を襲う。蜘蛛はその変転する薙刀の動きを見切れず、脛を斬られた。


「チッ」

 蜘蛛は後退しながら間合いを取る。鶴は正面に降り立ち、真半身になって薙刀を中段に構えた。

(薙刀か……こいつは厄介だぜ)

 移香の長黒刀は特別に長くて五尺もある。しかし薙刀は普通のものでも七尺はあり、鶴の持つ薙刀はさらに八尺はあるように見えた。元々、剣と薙刀では薙刀に間合い上の有利がある。

 加えて薙刀は突くのを主とした槍と違い、斬る、突く、打つの自在さを持つ上、その攻撃箇所は面小手胴に加え、足元の脛まで射程に入る。短く使う事も長く使うこともでき、その攻撃法の多様さは剣の比ではなかった。


 鶴が薙刀を振りかぶり向かってくる。大きく振り下ろされる薙刀の刃を、頭上で受けようとした瞬間、薙刀の刃は脛に飛んできた。蜘蛛はからくも間合いを切って、それを躱す。しかし、すぐに喉元を狙う突きが下から襲い、蜘蛛はそれを剣で受け流した。不意に、目の前で鶴の身体が左右を転身する。と同時に、薙刀の柄が蜘蛛の刀を払った。

 それは力を込めて払ったものではなく、体を使って払った技であり、蜘蛛の剣はいやおうなしに横へ逸れる。そのがら空きの水月を目がけ、鶴は薙刀の石突きで突いてきた。

「グッ!」

 その霊気を込めた一撃に、蜘蛛は後ずさる。身体を貫通する霊気の衝撃に、蜘蛛はなんとか耐えた。

「……新九郎、お前がこれほどの使い手だとはな」

「傀儡操体之術は、人を操るために自身の身体を自在に操れなければなりません。長く重いものを操作する時は、腕力ではなく体でなければ機敏に扱うことはできない。武器を扱う真の極意は、力に頼らぬことにあります」

 鶴はそう言うと、再び薙刀を中断に構えた。


 薙刀は古来より使われてきた武器であったが、その技の多彩さゆえに習熟の難しい武器であり、一般的な武器としては浸透しなかった。この時代に生まれ始めた足軽などは習熟した武技を当然持たない雑兵であり、彼らは横に並んで槍を構え、上にあげて振り下ろし叩く、という集団戦法をとるようになるのである。

 一方で剣や薙刀などの扱いを、より精密に追及する武術の流派が生まれ始めている。新九郎が見せる薙刀の扱いも、そのような新しい流れの中に生まれた技術と言えた。


 蜘蛛が脇構えから上段へ繰り出す剣を、鶴は下がりながら薙刀の刃部で受けつつ、刀の反りに添わせるようにして刃を反転させて刀を下に落とす。蜘蛛はその刃の落とされる流れを利用し、そのまま手の内で刀を回転させ、返す刀で逆の側面から斬りつける。剣を握り込むのではなく、柔らかく握ることでしか生まれない太刀使いであり、移香はこの太刀で鶴の右手を打った。

「衝!」

 斬り落とすのではなく、霊気の当てを入れる。鶴が怯んで後退するが、まだ変化は解けない。移香が生み出した太刀使いも、まだこの時代には新しい、精妙な剣技の一つと言えた。

「さすがは移香どのだ。やはり貴方は強い」

 新九郎はてらいのない声で感嘆した。と、鶴は指輪を取り出し、中指に嵌める。

「それはーー」

「そう、重装輪です。勝元様が、私にくださったものです」


 鶴の霊気がみるみる上昇し、その胸に鶴の頭部が浮彫のように現れる。と同時に、もう二枚の羽が生まれ、翼は四枚へと増えた。

「一気にかたをつけますよ」

 鶴は上昇すると、上空から冷氷弾を撃ち始めた。蜘蛛はそれを長黒刀で払うが、ふと見るとその刀身に氷がまとわりつき始めているのに気づく。そして周囲はいつの間にか、吹雪のような凍気に囲まれ、足元にも肩にも雪のような氷の結晶が付着していた。

(このままじゃ動けなくなるぜ)

 蜘蛛は自らも重装輪を取り出し指に嵌めた。蜘蛛の浮彫が胸に現れ、身体が一回り大きくなる。蜘蛛は全身から霊気を放ち、身体に付着した氷を吹き飛ばした。

「新九郎!」

 蜘蛛が跳躍する。蜘蛛は上空に鶴まで一気に飛び、刀を振った。鶴が薙刀でそれを受ける。二人の刃と刃がぶつかり合い、霊気の波動が閃光を放った。


「新九郎、目を覚ませ! お前は勝元に操られ、奴に心を奪われているだけだ」

「これが私の意志、私の心だ! 貴方に何が判る!」

 鶴が薙刀を払うと、蜘蛛は地上に落ちていく。鶴は落下する蜘蛛目がけて、薙刀で斬りつけた。

「私は勝元様に認めてもらうのだ!」

 その一撃が空を切る。空中で動けるはずのない蜘蛛が不意に横に移動したことに、鶴は驚いた。鶴は落下しながら横の庭木に糸を放ち、それを引き寄せる力で方向転換したのだった。

 地上に降り立った蜘蛛は上空を見上げた。

「勝元はお前を認めちゃいない。利用してるだけだ」

「黙れ!」

 鶴が上空から薙刀を持って襲いかかる。蜘蛛は飛んで後退しながらそれを躱すが、鶴は四枚の翼でそれに追いすがる。鶴が薙刀を振った時、またもや空中で蜘蛛の身体は横に逃げた。鶴の薙刀が空を切った。


「新九郎、勝元はお前の父親に認めてもらいたい気持ちに付け込んで、お前を操っている。お前の本当の心は、そんな小さいものじゃなかった」

「うるさい!」

 鶴が冷氷弾を連続で放つのを、蜘蛛は全て斬り払う。鶴は薙刀を振るってくるが、それは冷静さを欠いた、力任せの棒振りへと変わってしまっていた。

「私は父からも、誰からもーー私のことを認めてもらえなかった。ただ勝元様だけが、私を認めてくださったのだ。その勝元様に報いること、それが私の心なんだ!」

 鶴の薙刀を敢えて受けて、蜘蛛は間合いを詰めて鶴の間近に顔を寄せた。

「違うね。俺が会った時のお前は、もっと大きな心を持っていた。真っすぐな気持ちで、この今の世に生きる沢山の人たちのことを想っていた。独りだけで生きてきた俺は、お前のそんな生き様に打ちのめされたんだ。自分でも気づかないうちになーー」

 蜘蛛は右手を剣から離し、薙刀を掴んだ。そして左手の柄で鶴の脇腹に当てを打った。

「くっーー」

 鶴は呻きながら、薙刀を掴んだ蜘蛛の手を、その上から握る。もう一方の手で薙刀をくるりと返し、手首を極めて蜘蛛を地面に跪かせる。その上で膝蹴りを入れる鶴の動きを、蜘蛛はからくも躱して間合いを取った。


 少しずつ負傷した二人は、無言で見つめ合った。やがて鶴は中段に、蜘蛛は正眼に構えをとる。

「俺はお前に救われたんだ…。俺はまだその借りを返しちゃいない」

 蜘蛛が間合いを詰める。それは薙刀なら届く間合いで、剣では届かぬ間合いだった。だが、鶴はまだ動かない。鶴は蜘蛛の正眼の構えに、射すくめられたように動けなかった。中心を正確にとった蜘蛛の剣が、さらに深間に入ってくる。鶴はたまらず動いた。

 先に動いた鶴の動きに、蜘蛛がその起こり頭を捉えて入り込む。鶴の斬撃は蜘蛛が入ったことによって外れ、逆に蜘蛛は鶴の入ってくる先を打つ。蜘蛛の刀が、鶴の面を正確にとらえた。

「衝!」

 まばゆい白色光が、辺り一面に放たれる。

 光の止んだ時、鶴の身体は新九郎の姿へと戻っていた。


「新九郎!」

 倒れ込む新九郎の身体を、蜘蛛が支える。新九郎の身体に一瞬、青い犬の暗鬼の影が重なった。その額から擬身の種が飛び出して枯れると、新九郎は力なく移香の腕になだれ込んだ。新九郎の頭は蜘蛛の肩辺りで止まった。

「私は……本当に…操られていたのですね……」

 新九郎はかすれる声で、そう口にした。移香は何も言わず、ただその身体を支えていた。

やがて新九郎は力なく泣き始めた。泣き崩れていた。

 その新九郎に移香の声がした。

「俺はお前のことを認めている……。どんな高い位の奴より、どんな金持ちより、どんなに頭のいい奴より、どんなに強い奴より。俺は、人々の幸せを願うお前のことをーー誰よりも認めてる。……それで、我慢しとけ」

 涙がとめどもなく零れ落ちるなかで、新九郎は微笑んだ。微笑を浮かべたまま、新九郎は意識を失った。


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