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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
八、蛇
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幻奘の真実

「これでお前を支配すれば、すべて終いじゃ。ご苦労じゃったな、移香」

 せせら笑いを含みながら、蛇の眼が赤く光る。しかし蜘蛛はその視線を避けることもせず、逆に睨み返していた。

「ーー何故じゃ? 何故、お前にはわしの蛇眼がきかん?」

「その眼力もまた霊気の力。なら、自身の霊気で跳ね返せるさ」

 移香の言葉を聞いて、蛇は眼を光らせるのを止めた。

「なるほどのう。では、お前は支配せずに殺すより他あるまい」

 そう言うが早いか、蛇はきなり左手を伸ばしてきた。尾だったはずのその手の先が、いつの間にか蛇の頭になっている。


 蜘蛛はそれを体を開いて躱したが、その直後に上から降ってきたものに背中を打たれて飛ばされた。

「くっーー」

 それはさっきまで頭部だったはずの、首の先から伸びた蛇の尾だった。左手先の蛇の頭が消えると、首の先の方に頭が現れる。首から先の先端と、左手先の先端を、頭と尾で瞬時に交換できるのだと移香は察した。

「頭と尻が入れ替わるなんざ芸としては面白いがーー一回見りゃ十分さ」

 蜘蛛は長黒刀を脇に構える。

「強がりを言いおって!」

 首が伸びて、蛇の頭が牙をむいて襲いかかってくる。と同時に、左手の尾が蜘蛛の胴を薙ぎにかかった。

 瞬間、蜘蛛は跳躍して左手の尾を足下に躱すと同時に、刀を斬り上げて襲いかかる首を斬り上げた。

「げぇぇっっ!」

 蛇が奇声をあげて後退する。落としたと思った頭部は左手の先にあり、首から伸ばした尾はすっぱりと切断されている。どうやらすんでのところで、頭と尾を入れ替えたようだった。


「なんじゃお前は! 蜘蛛の実がそこまで強いなど……ありえんことじゃ!」

「実の格の問題じゃない。お前なんざ、俺が今までに戦った相手に比べれば、武術的な腕はまったく格下さ」

 移香は軽く言い放った。

「おのれ……愚か者の虫の分際で、もはや許さぬ!」

 蛇はそう言うと、急激に霊気を高め始めた。

「なーーまさか、これは……」

 蛇の身体が膨れ上がり、首から伸びていた胴も左手も短くなる。その代わりに下半身から足がなくなり、一本の太い蛇の身体へと変化していく。肩の上に蛇の顔が現れ、二股に分かれた舌を絶え間なく出し入れし始めた。蛇の下半身はどんどんと長くなり、人の倍ほどの大きさになった上半身を、天井を突き破るほどの高さに持ち上げた。

 部屋中にとぐろを巻く蛇の巨体が、蜘蛛を襲う。蜘蛛が尾の攻撃を避けると、その胴体は柱をたやすくへし折った。その壊れた柱の支えていた天井が傾く。


(いかん、ここで戦えば、部屋にいるもの全員が天井の下敷きになる)

 室内にはまだ、意識を取り戻さない長老や亜夜女たちが倒れている。移香はそう考えると、外に向かって走り出した。

 屋敷の中の廊下を、下半身が蛇の幻奘が追ってくる。移香は中庭へと飛び出した。

「フフ……仲間を巻き沿いにせぬためか、移香。お前は他人のことなど気にせぬように見えて、その実、人に対する執着が強いのじゃ」

 移香は中庭の真ん中までくると、蛇を振り返った。

「俺も知らなかったが、どうやらそうらしいな。あいつに指摘されるまで、俺も気づかなかったよ」

「あいつとは誰じゃ?」

 移香は、ふと黙った。

「あんた、人に対する愛おしさを捨てたのかい?」

「そんなものは、執着に過ぎん! くだらぬことじゃ。わしの支配に下れば、そんなものから解放されるぞ」

 蛇はそう言うと、赤い眼を光らせて蜘蛛を凝視した。


 蜘蛛は眼を反らそうとするが、反らせない。眼を閉じようとしても閉じることができない。

(くっーー格段に高い霊気でこっちを圧倒してくる。このままでは、奴に乗っ取られる)

 焦りながら移香は体内で霊気を高め、蛇眼の力を跳ね返そうとした。しかし眼力は強く、跳ね返すことができない。

 移香は自らの手で、自分の持った刀を自分の喉に近づけていた。対抗しようとする力を凌駕し、操る力が迫ってくる。その刀が、移香の喉に触れた。

(まずいぜ)

 移香が歯噛みした瞬間、蛇に向かって何かが投げつけられた。それは小脇に抱えられる程度の甕であったが、蛇がそれを腕で防ぐと、割れて中から液体が飛び出した。

「なんじゃ、これは? ーー般若湯か?」

 般若湯とは僧侶たちの間での隠語で、酒のことである。蛇は酒を頭からかぶり、動揺していた。移香は蛇力の支配が途切れた一瞬をついて、指に重装輪を嵌めた。

「重装変!」


 蜘蛛の身体が一回り大きくなり、胸にもう一匹の蜘蛛が浮き上がってくる。蜘蛛はさらに長さを増した長黒刀を、青眼に構えた。

「誰じゃ、わしに酒を飲ますなどーーむ、お前のその姿はなんじゃ? お前もまさか豪獣化したというのか!」

 突進してくる蜘蛛に対して蛇は掌から毒液を放った。しかし蜘蛛はそれを斬り払うと、前に突き出された右手に刀を振るった。

「斬!」

 蛇の右手が飛んだ。蜘蛛は長黒刀を下段に構える。地面に、蛇の右手首が音をたてて落ちた。

「グウッーーオォッ!」

 蛇が腕を抑えて呻く。蜘蛛は赤い眼を爛々と輝かせ、静かに口を開いた。

「……お前は、母上の右手を斬り落として殺した。今、その報いを受けろ」

「待て! やめろ!」

「お前には地獄が似合いだ」

 蜘蛛は突きを繰り出すと、蛇の胸を刺し貫いた。


「衝!」

 霊気の当破が最大限で送り込まれる。剣で胸を貫かれたまま、蛇化怪鬼は不神実を口から吐き出した。その不神実は、真っ黒になっていた。

 蛇の身体が縮み、そして幻奘の姿に戻る。そうなってから移香は、胸に刺したままの剣を、斬り上げて身体から出した。

「ぐあっ!」

 短い呻き声をあげて幻奘が倒れる。切り裂かれた身体から、大量の血が流れ出し始めた。

 移香はその様子を目を細めて見下ろしていたが、不意に幻奘の身体に異変が起きた。

 移香は眼を見開いた。

「こ……これは何じゃ?」


 幻奘の身体に、うっすらと影が重なっている。幻奘は、自らの手が青い体毛に覆われてることに衝撃を受けていた。幻奘の身体に重なった影ーーそれは青い狗の影であった。

「狗化怪鬼……」

 移香は驚愕のなかで呟いた。

 幻奘は血を流しながら立ち上がったが、不意に胸から擬身の種が飛び出し枯れた。幻奘から、狗暗鬼の影が消えた。

「わ……わしは…操られておったのか? 馬鹿な…そんなことが……」

 幻奘が血を吐いて倒れる。、信じられないものを見るように眼を見開いたまま、幻奘は絶命した。

 移香は全身を貫く衝撃に、慄然としていた。


「ーーいやあ、大丈夫だったかね、移香」

 そこに現れ声をかけたのは、蓮堂であった。

「蓮堂様……。蓮堂様が甕を投げつけてくれたのですね」

「幻奘様は頑なに戒律を守る御方だったからね、少しは動揺するんじゃないかと思ってやてみたのさ。  ところでそなたの、その変化は何だい?」

 蓮堂は好奇心剥き出しの顔で移香の重装変姿を上から下まで眺めまわした。そうしてるうちに、重装変は解け、移香は変化自体を解いた。

「蓮堂様、中で倒れてる皆を頼みます」

「それは任せたまえ。だが、そなた何処へ行くつもりなのだ? もう仇討ちは終わったのだろう」

 移香は暗くなっていく空を見据えた。

「俺も……お人好しになってみようかと」

 移香は軽く口角を上げた。


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