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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
八、蛇
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幻奘

 陰野の寺院は京の南の外れの山中にある。三人が山中に分け入る頃には、既に夕暮れ時にかかっていた。

 先を行く亜夜女が、ふと足を止める。

「何かが来る」

 気配に耳を澄ませると、森の奥から枝を折る音、葉を踏む音などが騒がしく響いてきた。

「かなりの数だな」

 移香がそう言って変化すると、羅車と亜夜女もそれに倣った。

 木陰から何かが飛びかかってくる。

 それは背中から二本の蟹の鋏を生やし、全身を鎧のような殻に覆われた犬であった。

「蟹の狼鬼か」

 蜘蛛が長黒刀を閃かせる。すると二体の犬が、狼鬼から普通の犬に戻った。


「なるほど、そういう事か」

 蝙蝠はそう口にすると、襲ってきた犬に爪の一撃をくらわせた。その一撃で、犬が狼鬼から戻る。

「おーー亜夜女、お前……いつの間に?」

「霊気を集中させて当てる。お前にできて、わたしにできない訳があるまい」

 驚く百足に、蝙蝠は当然のように言い放った。何か不満げな様子だった百足も、襲ってくる蟹の狼鬼を鞭で捌いた。かなりの数がいた狼鬼だったが、三人の化怪貌士はこともなげにそれを倒していった。最後に、ひときわ大きな鋏つきの犬が現れた。

「これが化怪狼だな。やってやるぜ」

 百足が意気込んで鞭をうならせたが、そうしている横から蝙蝠が飛び出た。

「あ、待てよ! そいつはオレのーー」

 蝙蝠はものも言わず化怪狼に飛びかかり、襲ってくるその鋏を爪で撃ち落とすと、眉間に爪の当てをくらわせた。ギャン、という鳴き声を一つあげると、化怪狼はただの大きな犬へと戻り、尻尾を巻いて逃げて行った。


「うん。化怪狼が相手でも同じ要領でいけるな。よく判った」

「上出来だぜ、亜夜女」

 納得した様子の亜夜女に、移香は笑って声をかけながら、蟹の不神実を拾いあげた。ただ羅車だけが、少し不満げな顔をしていた。

「ち、オレの獲物だと思ったのに。しかし、こんな調子じゃあ張り合いがないな」

「気を抜くな、これはただの挨拶代わりだ。少なくとも相手は、俺がやってくる事を予期していた」

「オレたち、だろ」

 口角を上げてみせた羅車に、移香は軽く息をついた。

 やがて三人は陰野の寺院はと到着した。森の中に佇む寺院は、人気もなくひっそりとしている。

「此処がそうなのか? もう誰もいないんじゃ」

 訝しむ羅車をよそに、移香は警戒しながらもずんずんと寺院の奥へと入っていった。その中央の奥の間の襖を開ける。そこには八人の長老が、上座と左右に分かれて整然と座っていた。

「揃っておでましかい」

 移香は不敵な笑みを見せた。


 白い眉をぴくりと動かし、幻奘が厳かに口を開いた。

「来たか、移香。それに羅車と亜夜女、お前たちもか」

 亜夜女がすっ、と前に出た。

「幻奘様、幻奘様が赤松家の遺臣たちの襲撃を手引きしたのは本当ですか? わたしたちの親が死んだ騒乱のきっかけを作ったのは、幻奘様なのですか?」

「いかにも」

 幻奘は短く答えた。亜夜女の眼が、驚きに見開かれた。その横から羅車が飛び出す。

「野郎! 許さん!」

 しかし飛び出した羅車は、急に衝撃を受けてひっくり返った。異変に気付いた亜夜女は、三鈷杵と実を取り出す。

 三人の前に立ちふさがるように、蛸の化怪貌士と家守の化怪貌士が、消身の術を解いて姿を現した。

「仙来、沙倶利……」

 移香が唸るように呟いた。二人は変化を解く。しかしその眼は、ぼんやりとした空虚を見つめるような瞳で生気がなかった。


「チッ、暗鬼にされてるのか」

「いや……判らんが、何かが違う」

 羅車の言葉に、移香はそう返した。

「この長老たち全員が、もう既にお前の支配下にあるというのか? 蓮堂様はいないようだが?」

 移香は幻奘に問うた。剛基、寛寧も、ぼんやりとした虚ろな表情で座していた。幻奘は頷いた。

「そうじゃ。蓮堂め、察しのいい事に半化丸を呑んで逃げおった。しかし残りの者は、既にわしの虜じゃ。そしてお前たちも、いずれそうなる」

「お前が……十五年前、俺の母親を殺したのか?」

 移香は怒りに震えそうになる声を抑え、幻奘を睨んだ。

「そうじゃ」

 幻奘は頷いた。移香の全身から、怒りの霊気が発せられる。その圧に、羅車と亜夜女は一瞬たじろいだ。


「お前にやはり蜘蛛の実を渡すべきではなかった。あれはお前にとって、運命(さだめ)の実。死んだはずのお前を甦らせたのは、かなえがお前に食わせた蜘蛛の実の力じゃ。わしはまさか、かなえがまだ実を隠し持ってるとは思わず、お前も確実に殺したと思っていた。

 しかし翌日、お前は里の外れで倒れているところを発見された。そして、その手には蜘蛛の実が握られていたのじゃ。わしは全てを悟ったが、再びお前を殺すのは危険だと考えてそのままにしていた。お前は鶏化怪鬼になったわしの姿以外は見ておらん。そのままにしておけば、遺臣たちの一味の仕業だと考えるだろうと思ったのじゃ。

 お前が成長し、不神実を渡すとき、お前は無作為に蜘蛛の実を選んだ。その事は何も覚えていないはずなのにじゃ。わしはこれも仏の導きなのかと、内心動揺した。しかし事が露見すれば、わしの方が断罪されかねない。わしはお前を注意深く見守りながら、期を待つことにした。……お前はやはり、鶏化怪鬼が里の者だという事に気付いておった。その事をお前がこの前に喋った時、やはりか、とわしは思った。もう急がねばならない。お前より先に西陣南帝を殺して不神実を奪えば、お前も鶏の実は山名宗全が渡したものと思うだろう。そう思い牙峰と詞遠の二人に実の奪還を命じていたが、奴らは失敗した。そしてお前はやってきた。全てを知ってな」


「いや、判らないことがある。あんたは何故、陰野の里に襲撃を手引きしたんだ? その後、あんたが逃げたのならまだ判る。そのまま総領として、里に居続けた理由はなんだ? そもそもの、あんたの目的は何だ?」

 移香の問いに、幻奘は深くため息をついた。

「お前たちに話しても判るまい」

「ーーなんだとっ!」

 いきりたつ羅車を、亜夜女が軽く制した。

「じゃが話しておいてやろう。これは、ここにいる長老たちにすら明かしたことのない、わしの真摯な求道の結論なのじゃ。

 ーーお前たち、『解脱(げだつ)』とは何か判るか?」

 唐突な問いに、移香たちは戸惑った。答えは求めておらぬ様子で、幻奘はそのまま話を続けた。


「仏教が生まれた古代陰土(インド)の地では、仏の教えの前に(ヒン)(ドゥー)教という教えが世を支配していた。その教えでは世に神がおり、世界は六道を輪廻する仕組みとなっているとされたのじゃ。その六道とは、六つの世界を生まれ変わり転生することで、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つを差している。人は生前の業に合わせて、それぞれの世界に転生する。良き行いの者は天界、悪しき行いの者は地獄というようにじゃ。

 しかし釈迦は、その輪廻そのものを否定したのじゃ。品導の教えを否定し、その輪廻の輪それ自体から抜け出すこと。それが仏の教えであり、『解脱』じゃ。何故、『解脱』せねばならぬのか? それは仮に天界に転生したとしても、その後には今度は地獄に行くかもしれぬ。また『より良い世界に転生したい』と欲する。それは欲じゃ。結局、六道にいるうちは、欲の虜でしかない。

 人間界に生まれるも同じことじゃ。人に生まれることが、決して幸せなのではない。むしろそれは四苦八苦ーー苦しみなのじゃ。生老病死、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦。人の世は不幸と苦しみに満ちておる。だからこそ、この苦しみの輪から解脱せねばならぬ。その解脱のために『悟り』が必要なのじゃ。

 この解脱のためには、煩悩があってはならぬ。その煩悩から解き放たれること、それが悟り。それを人々が思い知るためには、人の世が煩悩を生むようなものであってはならぬ。善行をなして、功徳を積む? そのような事は、仏の教えではない。仏の教えとは、『解脱』であって善行などではないのじゃ。善行や幸福、人の生き死ににこだわるなどは、煩悩でしかない。その執着を捨て去るために、人の世は地獄でなければならん」


 幻奘がそこで言葉を切った時、移香は口を開いた。

「それで……あんたは、この世を地獄にするために不神実をばらまいたってのかい?」

「『不神実』とは、何か? それはこの世に『神の不在』を知らしめる法具なのじゃ。神がいれば人は神に救いを求め、それにすがり頼ろうとする。自ら解脱する道を忘れるのじゃ。神が不在と知って初めて人は、己の力で解脱する道ーーつまり仏の道を求める。不神実とは、そういう意味での法具なのじゃ。判るか? 昨今巷で流行っておる、『救い』を解く念仏などは、仏の教えではない。そのような『救い』の願望そのものから解き放たれること、それが悟りなのじゃ。わしはこの世を地獄にすることによって、この世に絶望をもたらし、『救い』を断念させる。これがわしの布教の道、方便なのじゃ」

「ーー理屈は沢山だぜ! てめぇがやったことは、俺たちを含めて何の罪もねえ子供らから親を奪い、泣いて暮らす苦しみを与えただけだ!」

 羅車そう吐き捨てると、三鈷杵を口に咥えて不神実を突き刺した。その不神実を持って、腹に突き刺す。

挿魔(ソーマ)!」

 羅車が百足化怪貌士の姿へと変化する。


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