西陣南帝の告白
「幻奘……だと?」
移香は刀の切っ先をピタリと南帝の首筋につけた。
「貴様、嘘を言ってるんじゃないだろうな」
「誓って本当だ! 助けてくれ!」
移香は険しい顔で黙り込む。南帝は拝むように両手を組んで頭上に掲げ、額を地面にこすりつけていた。
「後胤として地方で名を上げたわしを、南朝勢は迎えいれた。わしは南朝後胤として贅沢な暮らしをさせてもらった。しかしある時、畠山義就から密かに使者が来て、『西軍に迎え入れたい』との書状が送られてきたのだ。わしは迷った。このまま吉野の里で暮らすか、西軍に迎えられ、天子として世に出る賭けをうつか。そのわしの迷いを見透かすように、幻奘が二人きりの時に、わしに囁いたのだ。『お前が偽物であることは判っている』と」
移香は眉をひそめた。
「わしは恐ろしくなった。このまま正体をばらされ殺されるのではないか。しかし幻奘は続けて言ったのだ。『この実を持って、西軍へ行け』と」
南帝は顔を上げた。
「わしはどういう事なのかと訊いた。幻奘は、『この実を持っていけば、南朝の後胤として認められる。これを持っていけ。そしてこの事を誰にも明かすな』とわしに告げたのだ。あとはその通りにした。わしは……それだけなんだ!」
必死な形相で語る南帝は、目をつぶって握った拳を頭上にあげた。その握った手が、ぶるぶると震えている。なりふり構わぬその姿を、移香は怒りを含んだ目で見つめた。
やがて移香は刀を納めた。
「……何処へなりと消え失せろ」
移香がそう言うが早いか、南帝は飛ぶように逃げ出していた。
「ーー移香斎殿、どうかしたのかね?」
細川勝元が訊ねるのに、移香は首を振って答えた。
「こっちの話だ。ーーあんた、新九郎を頼んでいいか」
「それは構わないが。貴殿はどうする?」
「俺にはやるべき事がある」
移香はそれだけ言うと、その場を足早に立ち去った。
山を下ろうとする移香の前に、羅車と亜夜女が現れる。羅車は移香を見つけると、誇らしげに口を開いた。
「おう、移香! やったぞ見てくれ。オレはやった!」
「馬鹿、はしゃぐな。ーーどうした移香?」
亜夜女が移香の様子に訝しむ。移香はむっつりと黙ったまま、二人を見つめた。ただならぬ雰囲気に、羅車も亜夜女も無言で移香に問いかけた。
「お前たちに、話しておくことがある」
移香は真面目な面持ちで口を開いた。
「十五年前、吉野の里が襲われ、俺の母は死んだ。……お前たちの親も、その時の戦で亡くしたと聞いている」
「ああ、そうだ。それがそうかしたのか?」
答えを返した羅車に同意するように、亜夜女も頷く。
「お前たちには無関係ではないから話しておこう。俺の母は十五年前、鶏化怪鬼に殺された。そしてそいつはーー幻奘だった」
「何だって?」
羅車が驚きの声をあげる。移香はかいつまんで、細かい事を話してきかせた。話を聞き終えた亜夜女が移香に言った。
「ーーつまり、あの遺臣たちの襲撃を手引きしたのは幻奘様だったと……そういう事か」
「そうだ」
「信じられるか!」
羅車が憤りながら声をあげた。移香は静かに羅車を見た。
「信じたくないなら、信じぬがよい。俺はこれから陰野の寺院へ行き、幻奘に会う。俺は陰野衆を裏切った身で、もはや敵だ。だがお前たちは違う。陰野衆に戻り、与するもよし。好きにするがいい」
移香はそれだけ言うと、話は済んだというように踵を返して歩き始めた。
「待て、移香!」
去ろうとする移香の背中に、亜夜女が声をかける。
「もしお前の話が本当なら……お前は敵が待ち構えるなかに独りで行こうというのか?」
移香は少し立ち止まったが、振り向くこともせずそのまま歩き始めた。
「ーーおい、移香!」
その背中に羅車が怒鳴りつける。
「…お前を、行かせるわけにはいかねえ」
「羅車!」
凄みをきかせた羅車の声に、亜夜女は困惑した顔を見せた。移香は背中を向けたまま立ち止まった。
「今なら判るぜ。お前は俺たちを含め、里の誰にも心を許してなかった。誰がお前の敵なのか判らなかったからだ。その秘密を心に隠していたからな。けど俺は、つっかかっていく俺を無視するお前が許せなかった。俺を同格に見てないと思ったからだ」
羅車は走って移香の前に回り込むと、その胸倉を掴んだ。
「なめるなよ! お前の言うことが本当なら、誰が仇が判ったんだろ。だったらもう、俺たちを信じていいんじゃねえのか! それとも俺たちじゃ、足手まといだってのか!」
「羅車……」
移香は驚きに眼を見開いた。
「お前を独りで行かせるわけにはいかねえ」
目にうっすらを涙をため、顔を上気させた羅車を見て、移香は眼を細めた。その傍に亜夜女が寄り、移香の肩に手をかけた。
「お前の仇は、わたしたちの仇でもある。一緒に育ってきたんだ。わたしはお前を信じるよ」
「亜夜女……」
移香は呆然と呟いた。が、我に返ったように、不敵な笑みをみせた。
「まあ、来るがいいさ。ただし……勝手に死ぬなよ」
「お前もな」
「どうして、そういう言い方しかできないのだ」
呆れ声を出した亜夜女の言葉に、移香は笑みを洩らした。
三人は連れ立って、陰野の寺院へと向かった。




