傀儡操心之術
若者は間髪いれず、次の演目を始めた。それは平家物語の一幕であった。既にこの頃には平家物語は貴賤男女を問わず誰もが知っている物語であった。その一部を大きく取り上げ、一つの演目にしたのである。
同じ事は先頃出始めた能にも言えた。能は源氏物語や平家物語の一部を取り出し、一つの演目に仕上げていた。既知の親和性を利用しつつ、それを細かく表現することでより細心な情緒表現を可能にしたのである。若者の人形芝居はその手法を能から取り入れていたのだった。
時事的なもので人を集め、そこからじっくりとした演目を見せる。若者は終わると箱を地面に置き、そこに投げ入れられた幾ばくかの金を集めた。 街頭の演目だけで食っていけるほどの金が集まるのか。無論、そうではない。むしろ街頭でやる演目は有名になることが主眼であって、それを聞いた権力者から呼ばれるのが、この時代の芸能者の処世術である。
権力者に招かれて一夜の座興に謝礼を貰うことはもちろん、お気に入りの庇護者になってもらえるならそれに越したことはない。能の世阿弥は三代義満のお気に入りになることで、自身の芸を大きく世に広めた。しかし将軍が代替わりし、六代将軍足利義教になってからは、その庇護の対象が音阿弥に移り、そこで斜陽を招いたともいう。
ただ若者はそんな事を意に介した様子もなく、街道沿いの小さな食い物屋に入った。粗末な作りの小屋に、幾つかの席が用意されただけの小さな店だが、そこには人がちらほらと座っていた。
「いらっしゃいませ」
声をかけてきたのは、若い娘であった。お世辞にも綺麗とは言い難い店に不釣り合いな感じの清廉な印象を与える娘であった。
「お酒もあるんですね。それと…料理を少し」
「ありがとうございます」
娘の笑顔に、若者は何か救われた気がした。
食事を摂りながら店の様子を見ていると、小さな店の割には客足は絶えず、娘はかいがいしく働いていた。娘の父親が奥で料理を作っているらしく、「おとっつぁん」と声をかけながら、娘は忙しく動き回った。
客足が落ち着いてしばらくすると、娘が若者の席へと近寄ってきた。
「人形使いの方ですよね」
「ええ」
娘はにこりと笑った。
「あたし、昼間お使いの最中に見たんです。凄くよかった」
「それはどうも」
娘が微笑むと、別の席から声があがった。
「なんだい! やっぱり、はなちゃんも若くて男前がいいのかい」
「そりゃおめぇ、おめぇみたいなむさくるしいのより、男前がいいに決まってんだろ」
四人ほどで酒を飲んでる男たちが、娘に声をかけてきたのだった。娘は若者に小さく「ごめんなさい」と言うと、男たちの席に向かって近寄っていった。
「ーーそんなんじゃありませんよ、旅の方が珍しいから」
「そうかい、そうかい」
「はなちゃんもお年頃だしなあ」
男たちは笑いながら、はなと呼ばれた娘の酌を受けて盛り上がっていた。
その様子を微笑ましく見ていた若者は、ふと耳に入った後ろの席の声に注意の先を変えた。
「ーーだからよ、飛丸の親分が集合をかけてるらしいんだ」
(飛丸?)
若者は振り向くことなく、耳をそばだてた。
「けどよ、親分は美作の連中と一緒に死んだんじゃなかったのかよ?」
「それが生きてたらしいんだ。で、また仲間を集めてるって話だがーーおい、古い連中がいなくなってる今、俺たちが腹心になるいい機会なんじゃねえか?」
「そ、そうかもしれねえな」
「集合場所は例のお堂で、明日の子の刻だそうだ。今から向かえば、明日には十分に着く。どうだい玄太、お前行くか?」
「ようし、いいじゃねえか。行こうぜ、八作」
後ろで話している二人が席を立つ気配がした。娘を呼んで勘定を済ませる段になってから、若者は二人の様子をちらと振り返って見た。一人は赤ら顔で鼻が大きく、髪を束ねて結んだ男。もう一人はごま塩をかけたように顔に点々があり、頭が禿げかかっている男。
二人が連れ立って店を出る様子を見届けると、若者は自分も席を立った。
「娘さん、ごちそうさま」
「ありがとうございます。もうお発ちですか?」
「ええ」
「そう。じゃあ道中、ご安全に」
娘の笑顔に名残を感じつつ、若者は店を出ると男たちを探した。薄暗くなった町の中、すぐ先の通りを歩いている二人に気づくと、若者はその後をつけた。
二人が小さな路地に入る。しばらく歩いた後、赤ら顔が不意に少し離れた脇の木へと駆け寄った。
「おっと、小便、小便」
もう一人は背を向けたまま待っている。若者はその背後へ素早く駆け寄った。
「もし」
不意にかけられた若者の声に、ごま塩顔が驚いて振り返った。その瞬間、若者は男の目の前に、紐につけられた小物をぶらさげて見せた。
それは透明な結晶でできた曲玉であった。
急に目の前に現れた曲玉に、男は吸い込まれるように目を寄せて見入った。
「そう、貴方はその玉から目を離せない」
男の目の前で、玉がきらきらと光りながらゆっくりと左右に揺れた その揺れる玉を、男の目が追っている。
「貴方はその玉から目が離せず、段々、瞼が重たくなってくる もう耐えられず、目を閉じてしまう」
男は言われるがままに目を閉じてしまった。若者はその目の前と後頭部に手を添えると、男の頭をぐるりと一回転させた。
「さあ、貴方はふわーっと気持ちよくなっていく。もう、気持ちよすぎて私の声しか耳に入らない」
目を閉じたままの男の口元が、だらしなく笑みを浮かべる。
「目を開けると、貴方のそばに私が立っている。私は貴方の昔からの友人で、新九郎という。私たちはとても仲良しだ、いいね。それでは目を開けよう」
ぱん、と若者は手を打つ。男ははっと目覚めると、若者の姿を見て我に返った。
「おや、新九郎じゃねえか。どうしたんだ、こんなとこで」
「何を言ってるんだ、お前が呼ぶから来たんじゃないか」
若者はにっこりと微笑んだ。そこへ小便を終えた赤ら顔の連れが戻ってくる。
「いやあ、悪ぃ悪ぃ……で、誰だこいつは?」
「こいつは俺の昔からの友でよ、え~と……なんだっけ?」
「新九郎です、よろしく」
「そうそう、新九郎よ。俺の昔からの連れよ」
赤ら顔は怪訝そうな顔をしたが、若者は構わずにっこりと微笑んだ。
(こ奴にも後で、傀儡操心之術をかけねばな)
若者は笑顔の裏で、そんな思いを巡らせた。