恐怖将軍
勝元は重苦しい口調で、話しを始めた。
「すべての発端は、『万人恐怖』と呼ばれた六代将軍、足利義教公から始まったのだ」
六代将軍足利義教の残忍さ、その狡猾はよく知られた話であった。
義教は数奇な運命を持った将軍であった。三代将軍足利義満の五男として生まれた義教は、青蓮院に預けられ、天台宗の僧・義圓となった。五代将軍足利義量は実権を持たず、実権はその父義持が持っていた。その義量が急死した後も実権は義持にあったが、義持は後継者指名をせぬまま死去した。困った宿老たちが出した結論は、驚いたことに候補者のなかから籤引きで決める、というものだった。つまり神託に任せた、のである。
そして選ばれたのは、天台座主という最高位にまで上り詰めた義圓であった。そして義圓は六代将軍義教となり、周囲を恐怖に陥れる暴政を始める。
元々、天台座主であったにも関わらず、将軍就任後に延暦寺が意に従わなかったと義教は自ら兵を率いて延暦寺を包囲した。いったんは延暦寺の降伏で事が収まるも、その後再び義教は延暦寺に兵を送り込む。管領細川持之ら宿老五人が義教に嘆願し、ようやく義教は延暦寺を赦免した。が、義教は本心ではこれを許しておらず、後に延暦寺の代表四人を京に招いたところで、捕らえて首をはねた。
また義教は京の勢力と対等の力関係に近かった鎌倉公方の足利持氏を攻めた。攻め込まれた持氏は剃髪し恭順の意を示したが、これを捉えて一族を殺害した。その後、この持氏の遺児である春王丸・安王丸の兄弟が担がれて反乱を起こしたが、これも捉えて殺害した。
そして義教の異母弟にあたる義昭が反乱を起こすと、守護の一色義貫らを派遣してこれを討った。しかしそれほどに重用したと思われた一色義貫も、その後意に反したということで暗殺した。
義教は気に入らない人物を暗殺することで有名であり、側室の日野重子の兄・日野義資も何者かによって暗殺された。これを「義教によるもの」と噂を流した人物も処罰した。
その他、身の回りにいた庭師や料理人、商人などが些細なことで大勢処罰され、命を奪われる者も少なくなかった。人はこの将軍を『悪御所』と呼んで恐れていた。
「ーー義教公は将軍に就く前は、天台宗の僧、義圓として比叡山にいた。そして天台座主という最高位に上り詰めるほどの知性の持ち主であった。
恐らくは天台座主に就いた時に知ったのだろう。義教公は比叡山に、古代陰土から伝わる『不神の種』と呼ばれる法具が極秘に保管されているのを知った。しかし天台座主の力をもってしても、その禁断の法具を手に入れることは叶わなかった。義教公はそれをずっと不満に思っていたのだ。
それで義教公は将軍になってから、比叡山に『不神の種』を差し出すように命じた。しかし比叡山はこれを拒んだ。従わぬ比叡山に義教公は軍隊を送り込み、比叡山を焼き討ちにしようとした。この暴挙を、父の持之ら宿老五人は、「そのような事がなされた場合は自分たちが自邸を焼いて抗議する」、とまで言って、やっとその意を思いとどまらせたのだ。そこで義教公は、比叡山の代表者が不神の種を持って一目閲覧させることで許す、と焼き討ちを取りやめにした。その後、比叡山の代表四人が不神の種を持って京へ出向いたところ、義教公はこれを捉え種を奪い、その四人を斬首したのだ」
「だまし討ちですね……」
新九郎が思わず声を洩らした。勝元は軽く頷くと、さらに話を続けた。
「そうして不神の種を手に入れた義教公だったが、その使用法は判らなかった。不神の種を芽吹かせる『不神の芽吹き』の儀が記された秘伝経典『化怪経』は、比叡山にはなかったからだ。この『化怪経』は龍樹(密教名では龍猛)が記したものであり、龍樹の名は化怪之樹を暗示したものと言われている。この『化怪経』は空海が陰土から持ち帰って高野山にはあり、話によれば最澄が、この閲覧を空海に頼んだところ、空海はそれを断ったと言われている。
義教公は座主の立場から、そういうすべての裏事情に通じており、今度は高野山に『化怪経』を差し出すように命じた。最初は迷っていた高野山だったが、比叡山に行った仕打ちを恐れ、この化怪経を義教公に差し出した。
そうして義教公は『不神の種』と『化怪経』を手に入れ、『不神の芽吹き』の儀を行ったのだ」
「それは……どのようなものだったのですか?」
新九郎の問いに、勝元は重々しい表情で答えた。
「不神の種を地に埋め、そこに四百四十四人分の血を流し込む。量ではなく、それだけ異なる者の血が必要なのだということだ。そうすると四日で芽吹き、成長して化怪之樹が育つ。やがて四十四日で化怪之樹に実がなり、それが不神実、というわけだ」
「それを使って、将軍様は好き放題にしたわけかい」
不機嫌を声をにじませて、移香が言った。
「幕府には元々、直属の兵士が少なく、直轄地も少ない。幕府の権力は守護職を任じる権限という、脆弱な基盤の上にあるのだ。だから義満公の時代から幕府は、各地方の内側に相続問題を起こして介入し、対立を作ることで地方の力を弱め、中央の影響力を強めてきた。一部の者に利権をちらつかせ、地域や一族間の信頼を分断し不和を持ち込む。それが幕府のやり方だった。
だが義教公は不神実を手にすることで、その脆弱な権力基盤を強固な支配関係に変えることに成功した。父の細川持之、畠山持国、山名宗全、赤松満祐などの有力守護を自らの暗鬼とすることで、自分に絶対服従の家臣団を作ることができたのだ」
「そういえば、義教の実ってのは何だったんだ?」
「龍だ」
思いもかけぬ答えに、移香は問い返した。
「龍ってあの……昔話とかに出てくるやつか?」
「不神実の最初期に生まれた実は、十二支果といって十二支の獣を司どっている。その中でも最強の実が、龍の実だ」
「じゃあ、宗全の猿やあんたの狗、それから南帝の鶏(酉)も十二支果ということだな」
「ーーけど、義教公は暗殺されましたよね。一体、どうやって?」
新九郎の疑問に、勝元は答えた。
「暗鬼がどれくらい支配されるかは、鬼家の加減に依る。義教公は自分に直接歯向かえない、という程度に支配していたようだ。
しかし支配されてるからといって安心はできず、赤松満祐は今度は自分が殺されるのではないかと恐れていた。そこで一計を案じた満祐は、義教を宴会に招き、自分の腹心の部下安積行秀に殺害させた。満祐は義教の首を掲げ、悠々と京を引き上げたと言われている」
「その満祐は、結局、山名宗全を主体とした幕府の討伐軍に討たれたわけだな。で、龍の実は何処へいったんだい?」
「判らない」
勝元の答えに、移香も新九郎も訝し気な顔を隠しきれなかった。
「義教公暗殺の際に、満祐が持って行ったのか。それとも他の誰かが持ち去ったのか、あるいは満祐が放った火によって屋敷ごと焼けてしまったのか……。いずれにせよ、将軍が死に、龍の実の支配が解けた有力守護たちは、競って実を回収し己が勢力拡大のための道具とするようになっていった」
「そして世は戦の絶えぬ乱世となったーーという事か」
「残念ながらな。ところで高野山は秘伝経典を渡す際に、実った不神実の半分を受け取ることを密約していた、という話がある」
「何だって……」
移香が思わず声をあげた。
「じゃあ、陰野衆は将軍が四百四十四人もの命を殺害するのを承知で経典を渡し、あまつさえその対価を受け取った、という事か?」
「そういう事になる」
移香はむっつりと黙り込んだが、やがて勝元を見ると口を開いた。
「ところであんたに聞きたいことがある。十五年前に吉野の里が赤松家の遺臣たちに襲われた。遺臣たちは神璽を奪還した功で、赤松家の再興を幕府に認められた。その承認に、あんたも一役買ってると聞いている。そもそも事を仕組んだのは、あんたなのかい?」
移香の問いに勝元は首を振った。
「いや、私は赤松家の遺臣たちが、よもや神璽の奪還に成功するとは思っていなかったのだ。まさか一年もかけて潜伏し目的を果たすとは、思いもよらなかった。私としては赤松家の再興を認めれば、山名宗全の領地を減らせる。こちらに利があったため、それに乗ったまでだよ」
「奪ったのは神璽だけでなく、不神実もあったはずだ」
移香の言葉を聞くと、勝元は眼を細めた。
「いや……石見太郎が献上したのは神璽だけで、そこには不神実はなかった。どうして、そう思うのだ?」
「俺と母を殺した鶏野郎は、神璽とともに不神実を奪っていった」
移香の脳裏に、袋の中を確かめて飛び去る鶏化怪鬼の姿が浮かんだ。
「では赤松家の遺臣たちが、奪った不神実を持っていたのか……。しかしその後、首領格だった石見太郎は山名宗全に辻斬り同然の体で殺されてしまった。あるいは宗全は、石見太郎が持っていた不神実を狙ったのかもしれん」
新九郎がそこで口を挟んだ。
「山名宗全が鶏の不神実を石見太郎から奪い、それを西陣南帝に渡した、と。それならば話は合いますが…移香殿の仇は、宗全が殺したことになりますが」
「ーー何にしろ、どうやら南帝に直接話を聞かなきゃいけないようだな」
移香が軽く息をつくと、勝元が改まった口調で声をあげた。
「我々は明朝、西陣南帝が鎮座する新御所に襲撃をかける」
移香と新九郎ははっとした顔で、勝元を見た。
新御所は船岡山全体を利用した造りになっており、山城と化していた。この船岡山は応仁の乱の最初期に、山名教之や一色義貫が船岡山城を造り籠った場所であった。西軍の立てこもったこの一帯がその後「西陣」と呼ばれるのであり、南帝は此処に造られた新御所に迎えられたのであった。
「新御所は天然の山城な上、周囲には空堀が掘られ柵と高櫓が作られており、平地から攻めるのは困難を極める。移香殿、貴殿が空から西陣の本拠に一気に乗り込むというのなら、我らは軍を正面からぶつけ陽動しよう」
「それはーー助かるぜ」
移香の軽口に、勝元は神妙な顔で言った。
「残念ながら東軍には、空を飛べる化怪鬼がいないのだ。貴殿を直接助成できぬのが心苦しいが 」
「私が供に参りましょう」
新九郎がそこに口を挟んだ。
「と言っても、厳密には私ではありませんが」
新九郎は意味ありげに微笑んだ。




