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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
七、狗
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重装輪

「さあ、貴殿も変化したまえ」

 狗化怪鬼となった勝元に促され、移香は鶴の姿に変化した。

「ほう、とても美しい姿だ。ーーでは、参る」

 勝元がそう言った瞬間、その姿が見えなくなった。と、思う間もなく、横から木刀が襲いかかってくる。

 移香は寸前でその木刀を受け止め、間合いを取ろうと後退した。が、その後退を許さず狗化怪鬼が追い打ちをかけてくる。それは信じられないような速さだった。

「くっーー」

 休みなくかけてくる連続攻撃に、遂に移香の側頭部を木刀がかすめた。移香は羽を使って空へと舞い上がった。

「変化するってことは、その力を使っていいってことだろうな」

「無論だ」


 勝元が答えるのを見て、移香は冷気の羽矢を空中から浴びせた。しかしそこにいたはずの狗の姿がなかった。

「何処へーー」

 気づくと屋根から駆けてきた狗が跳躍し、その勢いのまま鶴を打ちにくる。

 移香が受けの木刀を出す。が、狗は敢えて拍子を遅らせ、まだ木刀を振り切ってなかった。

(しまった)

 瞬時に斬りの軌道を変化させた狗は、切っ先を返して鶴の脇腹を斬り上げた。

「むぅ……」

 かろうじて鶴がその木刀を受け止める。が、その間合いが詰まったところで狗は、横蹴りを鶴のみぞおちにぶち込んだ。蹴り飛ばされた鶴が、地面に落ちる。

「ふむ……あまりよろしくないな。盛時殿からの聞いた話では、貴殿は蜘蛛の実を使うと聞いていたのだが」

「へっ、じゃあ見せてやるよ」


 移香は鶴の変化を解くと、今度は蜘蛛の姿に変化してみせた。

「なるほど。化怪流之秘儀では実を使い分けられるのだな」

 勝元はそう言うと、蜘蛛の周囲を高速で周り始めた。

(この狗の実の力は、速さを増すことか)

 蜘蛛は姿勢を立て直すと、木刀を脇に構えた。その刀身が黒く伸びる。

(どんなに素早くとも、相手が攻撃してくる時は無防備になる)

 移香ははやる気持ちを抑え、静かな心持で精神を研ぎ澄ませた。

 狗が斬りかかってくる。移香はそれを見極め、半歩だけ踏み込む。

 後にも関わらず先を取る移香の太刀を察し、狗が信じられない俊敏さで軌道を変えて横に回り込む。しかし蜘蛛も最初の攻撃への返し技を、まだ出し切ってはいない。

 狗が遂に本打を仕掛けてくる。移香はそれを受け流し、返す刀で狗の右手に木刀を撃ち込んだ。瞬きもできないほどの、一瞬の攻防であった。


「ぐっーーむ…」

 打たれた狗がよろけて後退する。その姿が細川勝元に戻った。

「大丈夫かい? 加減はしたつもりだが」

 移香の言葉に、勝元は微笑で返した。

「大丈夫だ。しかし貴殿は、鶴の実よりも蜘蛛の時の方がご自身に合ってるようだな。剣技の冴えは素晴らしかった」

 勝元の言葉に、移香も少し思うところがあった。

(確かに……俺は鶴の時よりも蜘蛛の時の方がより戦える。実の格より、相性の方が重要ということか)

 勝元はさらに続けた。

「貴殿の力なら、宗全を倒せるかもしれぬ」

「いや、それはないぜ。既に一回やって負けてるからな」

「なんと、戦ったことがあったのか。その蜘蛛の力をもってかね?」

「いや、あの時は鶴だったかな。しかし蜘蛛を使ってると、奴の炎を防ぐ手立てがない。蜘蛛だったら勝てたとは思えんがな」

「そうか……なるほど」


 勝元はそう言うと、再び青い狗の姿に変化してみせた。

「不神実による変化がそもそもどういうものか、貴殿はご存知かな?」

「いや、まったく判らない。奇怪でしかない」

 移香の即答を聞いて、勝元は笑みを洩らした。

「実を喰らって変化するーーとは言っても、本当に肉体が変化しているわけではない。もしそうならば、膨張した肉体が着物を破ってしまうだろう。不神実は肉体を変化させているのではなく、実は霊気の塊でできた衣のようなもので、身体全体を覆い尽くすのに近いのだ」

「なるほどね……言われてみれば」

 移香は納得して頷いた。勝元はさらに言葉を続ける。


「同様に、化怪鬼の出す炎や冷気は、そうと見えても実は霊気の起こした現象でしかない。つまりだ。炎や冷気だからと言って、特別にその対応策が必要なのではなく、霊気の防御層の厚みさえあれば、どういう風に見える攻撃も防げるはずなのだ」

「なるほど……それでつまり、蜘蛛の糸でも霊気が高ければ炎から身を守れる、と。理屈はそうかもしれねえが、逆に相手の霊気が高ければやられるって事だろ? ーーで、宗全の奴は、とてつもない霊気の高さだったぜ」

「まさしく貴殿の言われる通りだ。そして宗全殿は屈強の男で猛将だ。私もあの人とは何度も戦ったからよく判る。そこでだーー」

 勝元はそう言うと、懐から何かを取り出した。それは緑色の宝石を着けた指輪であった。


 その緑の石は単色の輝きではなく、その内部に青や赤の輝きを持つ、極めて複雑な色彩を持った石であった。勝元はその指輪を右手の中指に嵌めると、急激に霊気を高めた。

重装(じゅうそう)(へん)

 狗化怪鬼の胸全体が、大きく隆起してくる。それは巨大な犬の頭部であった。胸が大きな犬の顔となり、その三角に伸びた耳が肩周りとなる。胸に張りだした狗はかっと目を開くと、獰猛な吠え声をあげた。凄まじい霊気の圧力に、移香の身体が震えた。

「そりゃあ……なんだい?」

 驚く移香の前から、二重変化をした狗が姿を消す。と、狗は既に移香の背後にいた。移香は驚きのあまりに薄笑いを浮かべ、勝元を振り返った。


「これは対宗全用に私が開発した重装輪(りん)だ。(こう)(れい)(せき)を霊気で磨き上げて作ったこの指輪には、霊気を高める力がある。ただし、僅かな時間だがね」

 勝元はそう言うと、変化を解いて人の姿に戻った。

「あんたがそれを使って、宗全と戦ってみたのかい?」

「そのつもりだったが……これでも私では勝てぬかもしれぬ」

 移香は怪訝な顔をした。

「あんたの剣技とその指輪の力があるなら、一瞬でかたがつくと思うが」

「ところが、そうもいかぬのだよ。」

 勝元は少し呼吸を整えた。

「戦いというものには極がある」

「極?」


「そう、一つの極は一対一で戦うということ。これは普通、『仕合う』と呼ばれてるものだ。もう一方の極は大勢対大勢、つまり『乱戦』の状態だ。この『仕合(しあい)』と『乱戦』は、同じ戦いでも状況がまったく異なる。つまり両極なのだ。

 仕合においてはより冷静に、相手に攻撃の意図を気取られず、気配を消した精妙な技が繰り出せる側に分がある。これに対して乱戦の際は、気迫によって周囲の全体を威圧し、見る側を恐怖に陥れるような力強さで戦う側に分がある。

 また、仕合は一瞬で勝負が決まる。対して乱戦では、目の前の敵を倒しても、まだ別の敵が次から次に現れる。仕合では目の前の相手に全集中力を注いでいいのに対し、乱戦では集中力を分散的に使いながら長時間戦える体力が重要なのだ。つまり戦い方それ自体が根本的に異なっているのだ」

 勝元の話を聞いて、移香はにやりと笑ってみせた。


「なるほど話が見えてきたぜ。つまり山名宗全は乱戦向きの猛将で、あんたは仕合向きの剣術家、というわけだ。しかしその理屈なら、宗全と一対一で戦うなら、あんたに分があるんじゃないのかい?」

「ところが宗全は己のことを熟知していて、一対一の冷静な戦いの場を、混乱した乱戦の場にするのが得意だ。私は幾度も集中力を削がれて、痛い目を見ている。実のところ、私には東軍の総大将としての位置があり、これで動くためには必ず軍を動かさなければならない。軍同士の戦いで宗全に迫ったところで、既に状況は向うに有利ーーというわけだ」

 勝元はそう言うと指輪を外し、移香に差し出した。

「これを貴殿に渡そう」


 移香は眉をひそめて勝元に言った。

「それで、総大将の代わりに宗全を討てと?」

「貴殿は西陣南帝を標的にしているが、そこには必ず宗全が割って入る。つまり宗全は、貴殿にとっても倒さなければならない敵のはず。私の配下になれなどというつもりはない。貴殿は貴殿の目的で動いてくれればよいのだ」

 移香は軽く息をつくと、納得したように指輪を受け取った。

「しかし俺がこれを使って、宗全を倒せる保証はないぜ。どちらかといえば、俺も一対一の方が好きな方さ」

「承知の上だ。私にとっては、これは数ある打つべき手の一つにすぎぬ」


 勝元の言葉に、移香は皮肉そうに笑いを浮かべた。そこでふと、移香は口を開いた。

「そう言えば新九郎に、『陰野衆は間違っている』とか言われたぜ。その理由をあんたに聞けとよ」

「そうかね。それではーーそこにいる盛時殿も、一緒においで願おうか」

 勝元が庭の片隅を見ると、庭木の陰から新九郎が現れた。

「なんだ新九郎、いつからそこにいた?」

「貴方が素振りしてる時からです」

「じゃあ、最初からかよ」

 移香は苦笑すると、呆れ顔をして勝元の後に続いた。屋敷の中ではむしろ狭い一室で、移香と新九郎は勝元と向き合った。


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