細川勝元
「細川勝元と申す」
勝元は座すると、丁寧に移香に向かって一礼した。移香は姿勢を正すと、同様に深々とした礼を返した。
「命を助けていただき恐悦至極に存じます。それがしは移香と申します」
「起きられたと聞いて様子を見に参ったのだが、お加減はいかがかな?」
「どうやら、すっかり治った様子。かたじけない」
「ふ、む……」
細川勝元は移香を眺めていたが、やがて口を開いた。
「貴殿は名のある家の生まれと見たが……いかがかな?」
移香は表情を硬くしたが、やがて思い定めたように勝元に言った。
「南伊勢は五ヶ所の一族、愛洲家に生まれた太郎左衛門久忠と申します」
「そうだったのですか、移香どの!」
横から新九郎が驚きの声をあげる。
「私にくらい話してくれても良いものを」
「お前だって、身分を隠してたろう」
「まあ、そりゃそうですけど……」
口ごもる新九郎を見て、勝元は笑みを浮かべた。
「盛時殿とは旧知の仲のようですな」
「旧知というか、窮地というかねーー」
移香は苦笑して見せると、勝元も相好を崩した。
「ま、ともあれ回復したのは良かった。しばらく我が家におられるとよい。何かあったら娘や下働きに何でも申し付けて下され」
「かたじけない」
移香が礼をすると、勝元は立ち上がった。
「また折を見てゆっくり話しなぞいたそう、久忠殿」
「いや、移香で結構です」
「それはいかがなものかな」
勝元は真面目な顔をして移香を見つめた。
「その名は陰野衆としての名。しかし貴殿はもう陰野衆を抜けたのではないかな? もう、本来の名を名乗られては」
「しかし……慣れておらんからなあ」
「ならば、移香斎と名乗られてはどうかな。愛洲移香斎久忠、どうであろう」
移香は少し考えていたが、やがて笑みを浮かべた。
「うむ、悪くないようです。これからは移香斎とお呼び下され」
「では移香斎殿、後程」
勝元が姿を消すと、移香はふう、とため息をついた。
「やれやれ。どうも疲れる御仁だ」
「失敬な。勝元どのは教養品格申し分ないお方ですよ」
「それが疲れる、つぅんだよ」
移香は渋い顔で答えた。
二人はそれから部屋を出ると、屋敷の広い中庭を巡り歩いた。
「ーーお前、どうして勝元の処に来たんだ?」
移香の問いに、新九郎は庭木に背でもたれながら言った。
「私は……あれから戻って、父に化怪鬼や不神実のことを問いただしました。父は伊勢貞親様から話を聞いており、ある程度の事を知っていたことを明かしました。その上で今度は私に、不神実を入手するように申し付けたのです」
移香は黙って新九郎の話に耳を傾けていた。新九郎は寂しげな表情で、樹上を見上げた。
「その時、はっきりと判ったのです。父は私を全くの道具としてしか見ていない、と」
新九郎は自嘲気味に笑って見せた。
「可笑しいかもしれませんが、私はずっと父に認められることだけを目的に、今まで生きてきたのです。しかし父には、私など眼に入ってないのです。ばかりか、父の頭には戦いに傷つき苦しむ民の姿もまったくない。己が権勢のためーーそれだけがやっと判りました。しかしだとしたら、私は一体何を頼りに生きていけばいいのか……そう思い悩みました」
「で、そこに細川勝元がいたわけかい」
移香は軽口をたたくように口を挟んだ。新九郎はそれに気分を害する風でもなく、話しを続けた。
「ある時、父は勝元様への使いに私をたてたのです。そこで私は勝元様と話す機会を得て、そのままこちらにお世話になっております。色々とーー勝元様のご本人の事も聞くことができました。
勝元様は十三歳でお父上の持之様がお亡くなりになられ、家督を継がれました。しかし元来、勝元様は短歌や絵画を好む文人気質で、政はお好きではなかった。しかし幕府の退廃ぶりと民の苦しみを間近で知るにおいて、勝元様は幕府を内側から変えようとお考えになられた。そこで最初に衝突したのが、管領家の畠山持国。そして今が山名宗全、ということなのですーー」
室町幕府のなかで力を持つ守護家は『三管領四職』と呼びならわされていた。管領を務める斯波・細川・畠山家。そして侍所などの幕府の要職を務める山名・一色・赤松・京極の四氏である。この守護家たちは交代で幕府の要職に就き、その覇権を競い合っていた。
六代将軍足利義教の死後、幕府で力を持っていたのは畠山持国であった。細川勝元はその畠山持国に対抗するために、武人として名高い山名宗全に近づいていく。宗全の娘を嫁にとり、細川・山名の連合勢力が畠山持国と対抗していた。
しかし持国には嫡子がなく、弟の持富を嫡子として将軍に申し出、そして承認された。しかしその後に実子の義就が生まれ、持国は持富を廃嫡にしてしまう。ところが家臣団のなかにこの事を不満に思う一派がおり、持国はそれを知って義就を廃嫡にし、持富の子・弥三郎を嫡子にしようとした。この持国の優柔不断な決定が家臣団のなかに分裂を生み、義就派と弥三郎派を作ってしまった。この分裂を抱えたまま享徳四年(一四五五)、畠山持国は死去する。この畠山家の内紛が、細川勝元と山名宗全の間に亀裂を生じさせた。
将軍義政は義就の家督相続を認めたが、納得できない弥三郎は細川勝元に庇護を求める。義就と弥三郎の対立は河内での戦へと発展し、将軍義政は勝元の要請もあって弥三郎の相続を認め、事態を収拾しようとする。
その後、弥三郎が死去し、畠山家の家督は弟の政長が継いだ。が、義就はそれに納得しておらず、河内で兵を上げ政長の所領を簒奪していった。今度は政長が義就の討伐に向かうが、この戦のなかで義就は山名宗全に接近する。畠山持国がいなくなった中で、山名宗全は細川勝元と対等以上の力を持つために、義就と手を結んだのだった。
「ーー勝元様は民の苦しみを見て、それを少しでも減らそうと医書をお書きになるような方です。元々、戦や対立は好みません。しかし山名宗全は生粋の武人。戦うことに誇りを持ち、戦を好む人です。勝元様は戦好きの宗全が天下を取らぬよう、それに対抗しておいでなのです」
新九郎の言葉を聞いて黙っていた移香は、やがて横目で新九郎を見た。
「……お前、勝元に擬身の種を植え付けられてるんじゃないだろうな」
新九郎は苦笑した。
「私は大垣の擬身の種を、霊気で撥ね退けました。私は種で支配されてるわけじゃありませんよ」
「で、お前は望んで勝元の配下になったわけか。お前がそれでいいなら、そうすればいい。俺は俺のやりたい事をやるだけさ」
「移香どののーーやりたい事とは何ですか?」
移香は新九郎に背中を向けた。
「俺は鶏野郎から、十五年前に母を殺された。今の西陣南帝に、鶏の実を渡した奴がいる。それが誰かを聞き出す。そして……恐らくはまだ生きていると思うが、羅車と亜夜女の二人を助け出してやりたい」
新九郎はその背中を見て、深く息をついた。
「判りました。貴方には貴方の想いがあって動いていたのですね……。そしてその想いは、陰野衆を抜けるほどの強さだった」
二人は少し沈黙した。不意に、移香が振り向いて新九郎に尋ねる。
「そう言えば、お前は前に『陰野衆は間違っている』と言ったな。あれはどういう意味だ?」
「それはーー勝元様から聞くのがよいでしょう」
新九郎が微笑した時、不意に庭の中に三人の子供が駆け込んできた。きゃっきゃっと笑いあいながら駆けてきた十歳くらいの子供たちは、新九郎の姿を見ると立ち止まった。
「新九郎、この人誰?」
「こちらは愛洲移香斎どのだよ」
「ふうん……強そう!」
「うん、強そうだ」
そう言って移香を見上げる三人の子供は、皆同じ顔をしている。三つ子であった。けらけらと笑いながら、三つ子は走り去っていった。
「この家にあんな子供がいるのかい」
「あの子たちは傀儡衆。あの子たちが、大傀儡の刃鋼丸を操っているのですよ」
「ーーなんだって?」
さすがの移香も、驚きを隠せずに目を見張った。
「一人で操る写魂術では、操れる人形に限界があります。あまり巨大なもの、重いものは操れません。とは言っても、普通は二人で一つの人形を操ることすらできません。写魂術は人形に魂を写す術ですから、魂の間にずれがあると、人形を上手く動かせないのです」
「それがーーあの三つ子ならできるってのか」
移香は渋い顔をしながら、息をついた。
勝元の屋敷で過ごして三日が経ち、移香は身体の調子を確認するために木刀を持って庭に出た。しばらく無心に素振りをしていたが、移香はふと一つの事に気が付いた。
(恐らく、剣を使うのなら鶴より蜘蛛の方が、俺には合っている)
移香の体感覚では、鶴は飛行や冷気といった特殊な力に優れているが、気配をたてず素早く剣を使うという事に関しては、蜘蛛の方が優位なのだった。
移香は独り考えながら素振りを続けた。
鶏化怪鬼であった西陣南帝を倒さねば、相手がその実を貰った相手を聞くことはできない。しかし西陣南帝と戦うとなれば、山名宗全が現れる。武技だけでも宗全の強さは別格のものだった。
(加えてあの炎の力。炎の力に対抗するためには鶴の冷気が向いているがーーそうすると剣技で奴に後れをとる)
迷いのなかにいる移香に、不意に声がかけられた。
「調子はどうかね?」
近づいてきた気配も感じさせずに傍にいたのは、細川勝元だった。
「おかげさんで。すっかり良いようです」
移香の言葉を聞くと、勝元は静かに微笑した。
「貴殿はかなりの剣術使いと盛時殿から聞いている。どうだろう、一つ手合わせ願いまいか?」
見ると勝元は既に木刀を手にしている。移香は呆れたように笑みを浮かべた。
「あんたは平和好きの文人だと聞いてたんだがな」
「争いは好まぬ。だが平和を好むことと、平和を守るための力すら持たないことは異なると思うが。いかがかな?」
「理屈じゃ、あんたや新九郎には勝てねえよ」
移香はそう軽口をたたくと、木刀を正眼に構えてみせた。合わせて、勝元が正眼に構える。
つ…と勝元が入る。移香は下がって間合いを切る。と、思わせた直後、逆に移香が間合いに入り返す。だが勝元は動じる様子もなく、動かない。
(こいつは……できるな)
移香がなおも切っ先で間合いを詰める。しかしまだ勝元は動かない。と、移香が振りかぶって斬りかかる。その起こり頭を狙って、勝元が斬りかかった。
(むーー)
瞬時に判断し、移香は斬りかかりの勢いを途中で戻し、踏みとどまって後退した。勝元の木刀が空を切る。ところを移香が踏み込み、その面の上で木刀を寸止めした。
「お見事」
勝元が少し悔しそうに微笑んだ。
「確かに、移香斎殿は素晴らしい剣術家のようだ」
「いや、あんたもやるよ」
移香がそう言いかけた時、ぞわりとした空気が勝元から漂ってきた。
「では、今度は私も本気を出そう」
そう言った勝元の鼻が長く伸び、顔には青い体毛が伸びてくる。身体も青い体毛に包まれ、耳が三角に伸びてピンと張った。
「狗……」
それは犬の化怪鬼の姿だった。




