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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
六、猿
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新九郎との再会

 鶴の姿で空を飛んでいると、その横を風を巻き起こしながら追い抜いていった影がいる。その影は目の前の空中で停止した。燕の化怪貌士であった。

「逃げられると思ってるのか、移香」

 詞遠の言葉に、移香は苦笑した。

「なるほど、燕の飛ぶ速さは大したもんだ」

「軽口も大概にしろ」

 後ろから牙峰の声がする。蜂も背後から移香の傍まで迫ってきていた。


「やれやれ、真面目なこったぜ」

「今戻れば許される。移香、我らと戻れ」

「悪いが……乗れない話だな」

「ならばーー仕方なし!」

 燕が鉄球を飛ばしてくる。移香はそれを躱すが、直後に背中に衝撃を受けた。

「くっ」

 振り返ると、蜂が弓を構えている。牙峰は言った。

「俺たち先発組は、調べと報告がお役目で、お前たちのように戦闘に特化してはいない。特に移香、お前相手に近接戦闘をする愚は俺でも判る。だがな、俺たち二人の狩りから逃れられると思うな!」

 蜂が矢を放つ。鶴はそれを翼ではたき落とすが、不意に足を引っ張られ、鶴は地面に落ちた。


 見ると足に鉄球の紐が巻き付いている。地面に落ちたところを、上空から再び蜂の矢が降って来た。

 移香は抜刀してそれを斬り払う。しかし何本かは防ぎきれず、身体の端をかすめたり刺さったりした。移香は自分の動きに違和感を感じた。

「毒……か」

「そうだ。できれば生きて連れ戻せとのご命令だから、弱めてはいるがな。身体に痺れが出てきたろう?」

「むっーー」

 手足が痺れ、目が霞んできた。移香は翼を広げ、冷気弾のめたら撃ちを始めた。

「何処を狙っている」

 斜め後方から鉄球の一撃をくらい、移香は前にのめって膝を着いた。


「移香、おとなしく俺たちと一緒に来い」

 近づいてくる蜂の足が見えた。もう、移香の眼は開いているのがやっとだった。

 その視界に突然、爆炎が上がった。

「なに! 何だ? 誰だ!」

 土埃が巻き上がる中で移香が顔を上げると、そこには美しい童子人形ーー風切丸の姿がった。

「新九郎……」

「その人はいただいていきます」

 秀麗な顔立ちをした人形は、口を閉じたままそう言った。


「な……人形だと? 何だこれは?」

「ーーお前は誰だ?」

 動揺する牙峰をよそに、詞遠が人形に尋ねる。風切丸は答えた。

「幕府申次衆、伊勢盛時。あるいはーー傀儡衆の新九郎と申します」

「傀儡衆だと? 何故、お前が移香をさらう?」

「何というかーー昔のよしみです」

 人形は笑いはしなかったが、その声には苦笑がこもっていた。


 詞遠は戦いに備えた緊張した構えで考えていたが、やがてそれを解くと移香に向かって言った。

「移香、お前には沙倶利を助けられた借りがある。お前のことはーー傀儡衆にさらわれた、と報告しておく」

「詞遠!」

 牙峰が詞遠の近くに寄り、その真意を測るように見つめた。詞遠は軽く頷くと、牙峰の肩を持ってくるりと背を向けさせた。自分も立ち去る素振りを見せながら、詞遠は去り際に振り返って言った。

「移香、お前はこの十五年間、里の者を信用したことはないと言った。だが俺は……沙倶利を助けてくれた、お前を信じる」

 詞遠はそれだけ言うと、燕の翼を広げ飛んで行った。牙峰は去り際にちらとだけ振り返ると、その後を追った。


「いい人たちじゃないですか」

 背後の木の陰から、伊勢新九郎が笑みを洩らしながら姿を現した。

 鶴の変化が解け、移香はがくりと力が抜ける。新九郎は地面に手を着いた移香に近寄ると、肩を貸すようにして移香を抱え上げた。

「……俺を、どうするつもりだ…」

「細川様に会っていただきます」

「なんだそりゃ  」

 軽口をたたいてみせたものの、薄れていく意識を移香は止めることはできなかった。


    *


 移香は母に手を引かれて走っていた。

 身体がまだ小さい。五歳である。母のかなえに連れられ、移香は十二月の夜の冬山を小さな足で懸命に登っていた。

「あっ」

 疲れた足が岩を踏み外す。移香は足がもつれてよろける。身体が倒れる寸前で、母が握っていた手を引いて転倒を避けた。しかしつないでいなかった右手を地面につけたため、右掌に擦り傷ができた。

「母上、疲れました」

 座り込んで移香は母に向かって言った。母のかなえは普段は優しく美しい母親であったが、時に厳しい一面を見せる時もあった。この時もそうだった。


「太郎、立ちなさい。追手がそこまで来ているのです。見つかれば、母も貴方も殺されるのですよ」

「……」

 夜中に起こされ、移香は訳も判らず母と山道を走ってきたのだった。何の事情も判らぬ移香には、ただ眠りを妨げられた理不尽だけが腹立たしかった。

 かなえはしゃがみこんで移香の肩を掴み、その瞳をじっと見つめた。

「太郎左衛門、父上が亡くなった以上、愛洲家を継ぐのは貴方です。貴方が幼いがために母の元で育てましたが、貴方は愛洲家の本領、五ヶ所に帰らなければいけません。わたしには貴方と、そしてお預かりしたこの大切なものを、五ヶ所まで届けるお役目があるのです。

 ーー立ちなさい、太郎左衛門。貴方は侍の子。ここで死んではいけません」

 母は静かに、しかし強く移香にそう話した。その言葉の終わりには、かなえの瞳から涙が一筋こぼれた。移香は無言で立ち上がった。

「……いい子ね、太郎」

 かなえは立ち上がると、小さな移香の身体をぐっと抱きしめた。柔かな母の身体からは、何かの花の香りがした。

 移香と母親はそれからまた、夜の逃避行を続けた。


 何の気配もせず、明かりも見えない、暗闇だけが支配する道ならぬ道が二人の先に続いていた。

「母上、もう追手も来ないのではーー」

 移香がそう口にした瞬間だった。

 突然、二人の前の森から火の手が上がった。

 かなえが移香の手をとり、元来た道を引き返そうとする。しかしその行く手に、火の弾が降り落ち、行く手は炎に包まれた。

 ばさっ、という羽音をたて、二人の前に空から何かが降り立つ。

「ひっーー」

 移香は思わず声をあげた。それは人ではなく、また鳥というには大きすぎる化け物だった。白い身体は二本足で立ち、手があるにも関わらず羽が背中から生えている。その顔は鶏に似て、頭部には炎のようなとさか(●●●)が逆立っていた。

「鳥……て、天狗?」

 移香の声に応えることもなく、鳥人は近づきながら刀を抜いた。

 話す気も逃がす気もまったくなく、ただ二人を殺すだけのつもりであることが、幼い移香にも判った。


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