長禄の変
気づくと移香は、自分が後ろ手に縛られ寝かされているのに気が付いた。口の中に後味が残っており、それが半化丸のものだという事はすぐに判った。どうやら移香を起こすために、口に含ませたようだった。
「気が付きましたか、移香?」
顔を上げると、蓮堂の微笑があった。
移香は広間の中央に寝かされている。上座には幻奘と剛基、そしてもう一人の長老、寛寧がいた。
「ここは陰野の里?」
「いいえ。此処は京の一角、我ら陰野衆の持つ寺院です」
「どうして長老たちが、わざわざ京に?」
移香は身体を起こしながら尋ねてみた。すると蓮堂が答えるより早く、剛基がその問いに答えた。
「近々、東西の軍で大掛かりな戦が起こりそうなのだ」
「なるほどねえ」
移香は軽く得心の笑みを洩らした。その緩んだ雰囲気を引き締めるように、幻奘が重い声を出した。
「移香、お前は鶴の実を持っていたのを黙っていたようじゃな。それは重大な掟破りじゃ、見過ごすことはできぬ。何故、そのような真似をした?」
幻奘の問いに、移香は目を伏せると微笑を洩らした。
「どうしても鶏の奴を……自分で倒したくてね」
「何故、鶏の化怪鬼にこだわる?」
剛基の問いに、移香は顔をあげた。その眼は挑むかのような、強い光を放っていた。
「十五年前、吉野の里が襲われた時、俺の母は奴に殺された。母は南帝の世話とともに、緊急時に神璽とーーそして不神実を持って逃げることを命じられていた。里が襲われ母は俺を連れ、神璽と不神実を持って里を出ようとした。しかしそこに、あの鶏が現れたのさ……」
移香はうつむくと、皮肉な笑みを浮かべた。
第六代将軍足利義教は、嘉吉元年(一四四一)に守護の赤松満祐の自宅に招かれ、その饗宴中に暗殺された。その際に同席していた山名持豊(宗全)、細川持之(勝元の父)などは逃げ延びたが、山名熙貴や細川持春のように襲われ命を落とした守護達もいた。赤松満祐は義教の首を掲げ、悠々と京を出て行った。世にいう嘉吉の乱である。
その後、有力守護達は幕府軍として赤松討伐隊を組み、播磨に籠る赤松満祐を攻めた。この討伐隊の中心となったのが山名持豊であった。山名勢の勢力は強く、赤松満祐は追いつめられて自害した。赤松家の家臣たちは散り散りになった。
この赤松家の遺臣たちが、吉野に居を構える南朝を頼ってきたことがあった。嘉吉の乱から十年以上も経ってのことである。この時、赤松家の遺臣である上月満吉・石見太郎・丹生谷帯刀左衛門らは、涙ながらに「嘉吉の乱以降、我々は何処にも士官先がない。こうなったら南朝再興に力を注ぎたい」と申し出た。南朝は三十人ほどもいた彼らを受け入れた。
赤松家の遺臣たちはすぐには行動を起こさなかった。神璽の在りかが判らなかったためである。彼らは時間をかけて吉野の里の人々に馴染み、溶け込み、信用を勝ち取りーーその上で裏切った。約一年後の長禄元年(一四五七)十二月二日。吉野の里で事件は起きた。
真冬の深夜、子の刻。赤松家の遺臣たちは南朝後胤である自天王・忠義王の兄弟を殺し、神璽を奪って逃げることに成功した。しかし後南朝を支持する吉野の里の民に襲われ、神璽を持っていた丹生谷兄弟が殺害されて神璽は一度は奪還される。しかし翌年、再びの赤松家遺臣軍の襲撃により、神璽は奪い去られてしまったのだった。
赤松家遺臣たちは神璽の奪還の功績を幕府及び北朝に認められ、悲願であった赤松家の再興がなる。しかしその首謀格であった石見太郎は、その後、京で山名持豊によって『辻斬りのようにして』討たれたという。
これが世にいう『長禄の変』の顛末であった。
「ーー移香、何が可笑しい?」
剛基が少し苛立ったように声を荒げた。移香は目を伏せたまま口を開いた。
「俺の母ーー愛洲家の娘かなえが神璽の管理をしているのは、一部の者しか知らなかった。しかも事件の後調べてみると、俺以外に襲撃して来た敵のなかに鶏化怪鬼の姿を見た者はいなかった。つまり奴は、内の者として潜んでいたのさ。……ま、もっともそんな事を考えるようになったのは、大分後になってからだ。俺は当時は五歳の餓鬼で、何も判りゃしなかったからな」
移香の口元から笑みが消え、その眼に強い光を宿して移香は顔を上げた。
「母を殺した鶏野郎は、ずっと里にいて身内のふりをしていた。そしてあの西陣南帝に鶏に不神実を渡したんだろう。そいつはこの十五年、ずっと身内のふりをして生きてきたのさ。いやーー今でもまだ吉野や陰野の里にいるのかもしれない。もしかすると……この中にいるのかもしれないぜ」
移香はゆっくりと、長老たちを右から左へと見つめていった。
「何をたわごとを! 移香、口が過ぎるぞ!」
剛基がいきりたって声をあげる。それを寛寧が制した。
「いやしかし、移香の言うことももっともな事。あの小倉宮を名乗る男が鶏の不神実を持ってるなどと、まったく慮外のことでしたからな」
「長禄の変以前、我らは幾つかの不神実を持っていた。が、赤松家の遺臣に神璽と供に不神実も奪われた。その中に鶏の実があった……と、わしは思っていたのじゃがーー」
幻奘が思惑ありげに頬髯を撫でる。
その時、ばたばたと駆けてくる音がして、一人の男が飛び込んで膝を着いた。
「申し上げます。沙倶利が倒れているのを見つけました」
「なに?」
「様子はどうじゃ?」
「それがーーもう死んでおります」
幻奘の問いに男はうつむき、肩を震わせた。
「此処に連れてきなさい」
蓮堂の言葉を聞くと男は引っ込み、やがて娘を抱えた男と一緒に戻ってきた。
筋骨逞しい男が、抱えていた娘を床に降ろす。娘は首があらぬ方向に曲がっており、白目を向いていた。
「沙倶利……」
移香がその変わり果てた娘の姿に思わず声を洩らすと、逞しい男が移香に怒鳴った。
「移香! お前のせいだ!」
男はいきなり近づくと、移香を拳で殴った。
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