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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
五、鶏
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山名宗全

「ほっほう! これは驚いた! そちは三つも不神実を持っておったのか?」

 真っ白な鶴の化怪貌士となった移香は、ゆっくりと西陣南帝の方へ向き直った。純白の翼を広げ、緑色の瞳を向けたその先には、やはり白い身体の鶏の化怪鬼がいる。移香は静かに口を開いた。

「……十五年前、俺はお前の姿、お前の力をこの目で見た。そして母を殺した鳥に、いつか復讐することを誓って化怪流之秘儀を身につけたのだ。この鶴の化怪鬼を見た時、お前の力に対抗できるのではないかと思い、密かに自分のものにした。これが俺のーー最後の切り札だ!」

 移香はそう言うと、剣を払った。その刀身が黒くなり、長く伸びる。刃渡り五尺はあろうかという真っ黒な刀身の長刀が現れた。


「十五年前のことなぞ、朕は知らんわ」

 西陣南帝は嘲るようにそう言うと、掌から火炎弾を連続で放った。

 移香はその全てを、同じように掌から冷氷弾を放って防ぐ。空中で火炎弾と冷氷弾がぶつかりあい、炸裂しては消えた。

「……生意気な」

 西陣南帝の声に、苛立ちが加わった。

 鶏が火炎剣で斬りかかる。鶴はそれを飛び退りながら、長黒刀で受け躱す。

 逃げながら攻撃を避ける鶴に、一瞬隙ができた。鶏はそこを狙い踏み込んでくる。

「もらったぁっ!」

 鶴の首筋めがけて、鶏が火炎剣を斬り下ろす。しかしそれは、移香の誘いだった。


 相手に大きく踏み込ませつつ、自らはその攻撃線を躱しながら、小さな踏み込みで逆に相手より早く斬り込む。

 火炎剣が鶴の顔の横の空を斬ると同時に、長黒刀は鶏の頭部を斜めに斬り込んでいた。

「ぎゃあぁっ!」

 飛びのいた鶏が、斬られた右目を抑えて叫ぶ。

「な、何故じゃ? 今は朕の方が先に斬り込んだはず!」

(確かに……)

 表面には出さなかったが、内心では移香も驚きを感じていた。

(先に動いたのは奴だが、それは俺の『誘い』に乗ったからだ。今まではその攻撃を躱した後に攻撃を加えていたが、今は相手の『動く瞬間』を捉え、かつ先に斬ることができたーー)

 移香は新たな手応えを感じていた。

(この剣技をもっと深めていけば……)


「おのれ、そんなまぐれ当たりで朕を倒せるなどと思うまいぞ!」

 鶏が火炎剣をがむしゃらに振ってくる。移香はそれを間合いをとって躱していたが、相手がその愚を悟り攻撃を休めようとした瞬間、逆に小さく歩を進めた。鶏は釣られたようにその詰まった間合いに対して、大きく踏み込んで攻撃してくる。

 その瞬間、移香は相手が踏み込んでくる予測位置に対して斬り込むように、小さな踏み込みで鋭い斬撃を加えた。

「ひいぃぃっ!」

 頭を割られた鶏が、額を抑えて後ろに飛び退く。

「ま、またじゃ! またしても朕より後から出たのに、朕より先に斬っておる! それは何じゃ? それが鶴の実の力なのか?」


(まだ浅い……。思ったより踏み込みが遅いのか。そうか、蜘蛛の時の感覚に慣れてるせいだな)

 移香は独り納得すると、長黒刀を脇に構えた。次の一撃で決めるつもりであった。

 しかしその刹那、移香は背後に異様な気配を感じて飛び退いた。

 元いた場所を、巨大な炎の塊が襲う。しかし、目の前の西陣南帝は何もしていない。

(また火を操る奴か?)

 移香は炎のやってきた方を見た。

 そこには一匹の猿がいた。

 いや、それは炎のように赤い毛を逆立てた、猿の化怪鬼であった。

「困りますな、帝。このような処で万一のことがあれば、我らの計画は台無しになりますぞ」

「おお、宗全! 来てくれたのか!」

(宗全……?)

 移香は驚きの声を洩らさずにはいられなかった。


「宗全? まさかーー山名宗全か!」

 この目の前にいる赤毛の猿が、西軍の総大将、山名宗全だというのか。

 山名宗全こと山名持豊は、長い京暮らしですっかり貴族化した守護たちのなかにあって、猛将でその名を知られた生粋の武人であった。六代将軍足利義教を殺した赤松一味の討伐、応仁の乱の緒戦となった御霊合戦など、数々の戦いで山名宗全の武名は高まる一方であった。その山名宗全が化怪鬼となっていることは予想済みであったとはいえ、よもや単騎で、このような場所に現れてくるなど、移香もさすがに予期していなかった事であった。

「どれ、小僧。わしが相手になってやろう」

 赤毛の猿はブン、と頭上で一回転させると、手にした棒を脇に構えた。

「棒……?」

 その赤塗の棒が、およそ戦場の武器にふさわしくないと思えた移香に、戸惑いが生まれた。

「行くぞ!」

 戸惑う移香をよそに、猿は棒を叩き込んできた。移香はその呼吸を読んで返し技を出すが、その間合いが届かない。


()ッ」

 距離が近づいた処で、猿は口から火を吐いた。鶴の冷気でそれを防ぐが、猿はさらに棒を振り回してくる。

 近くの家の柱を叩き折り、壁を打ち抜く。屋根が崩れて瓦が流れ落ちてくるが、宗全は一向に構う様子がない。猿は棒を頭上で大きく回すと、その勢いのまま移香に打ち付けてきた。

 移香がぎりぎりの間合いでそれを躱す。そこを狙って逆に返し技をくわえるつもりで、移香が踏み込む。が、その瞬間、衝撃が移香の腹を襲った。

「ぐっ!」

 腹部に大きな衝撃を受け、移香が吹っ飛ぶ。ぶつかった家の壁を壊し、移香は瓦礫のなかに埋まった。

「馬鹿な……一体、何処から  」

 移香が身を起こすと、赤猿が笑みを浮かべて棒を短くするのが見えた。


「伸縮自在の棒だと……そいつぁ、ちょっと考えになかったな…」

 移香は苦笑しながら身を起こす。と、すぐさま棒の先端が移香の胸を突いてきた。

 斬りの線を見せない突きの攻撃は、相手から見ると点にしか見えず、そうでなくても判りづらい。ましてやその棒が自在に伸縮するとなると、さしもの移香もその攻撃を読むのは至難の業であった。

 再び胸に棒の突きを受けた移香は、家の壁を壊しながら後方に飛ばされる。瓦礫にまみれて倒れた鶴を見ながら、猿は思い切り棒を長く伸ばすと、天井を破壊するように棒を振り回した。

「どうれっ!」

 家の屋根が破壊され、瓦や梁などが粉々になって落ちてくる。鶴がその瓦礫に埋もれたところで、猿は口から火を吐いた。


 家の残骸の全てが火に焼かれ始めたところで、業火に包まれた鶴が瓦礫の中から飛び出した。しかしそこを狙って、猿の棒が横に薙ぐ。

「ーーぐはぁっ!」

 ごきごきごきという肋骨の砕ける音を聞きながら、移香は地面に転がった。その胸の部位はべこりと凹み、移香は口から血を吐いた。

「小僧、いい腕だったが残念だったな」

 赤猿は鶴を見下ろしながら勝ち誇ったように言うと、棒を上段に大きく振りかぶった。鶴の脳天を次の一撃で叩き潰す構えであった。

 その時不意に、辺りを黒い霧のようなものが覆った。

「なんだ? 何者だ!」


 闇以上に視界を覆う黒い霧が、たちまち辺りに充満する。宗全の怒号が響く中、移香は自分の身体を担ぐ気配を感じた。

「おい、逃げるぞ」

 移香にはその声が、仙来のものだと判った。視界の悪い霧のなかで目を凝らすと、そこにはつるつるとした頭部の下に、雨傘のように広がった襟を持つ化怪貌士を見出した。それは(たこ)の化怪貌士であった。

 蛸はもう一度、ひょっとこのように尖らせた口から黒い霧を吹き出すと、移香を抱えて駆け出した。逃げる間も蛸は、始終、黒い霧を吹き出している。

「なんだそりゃあ、蛸の墨のつもりか?」

「喋るな」

 ある程度走ったところで、蛸は移香とともに一件の縁の下に飛び込んだ。そこで蛸の足にあたる襟巻の部分を大きく広げると、蛸は自分と移香、二人をその中に包み込んだ。

(これが消身の術か、外からは見えないってわけだな)


「ーー小僧、何処へ逃げた!」

 遠くから宗全の声がする。

「まあ、よいではないか。それより朕は新御所に行きたいのじゃ」

「帝の移転が知られていたということは、我が陣営に敵の内通者がいるということ。……捨て置けませぬ」

「ほっほっほっ、宗全は周到じゃのうーー」

 西陣南帝の気の抜けた声を最後に、二人の気配は遠ざかって行った。


 やがてしばらくしてから、仙来は移香を連れて縁の下から這い出した。しかし移香はまともに立つことができないほどに負傷している。仙来はその移香を地面に放り出した。

「言っておくが、お前を助けたわけじゃない。お前が死んだら、さらに三個の不神実が奪われるのが、でかい損失と考えたまでよ」

 甲高い声でそう言う仙来に、移香は人の姿に戻りながら皮肉に笑ってみせた。

「それでも礼は言っておくぜ、ありがとうよ」


 仙来はずんぐりとした人の姿に戻りながら、しゃがみこんで移香の顔を覗き込んだ。その丸い眼で移香を見つめながら、仙来は口をすぼめて甲高い声を出した。

「礼を言うのは早いぜ。お前は鶴の実のことを長老たちに黙っていた。それは重大な掟破りだ。お前は今から戻って、その仕置きを受けることになる」

 仙来はそれだけ言うと、動けない移香を肩に担いだ。

「真面目な奴だね、お前は」

 薄れる意識のなかで、移香はそううそぶいてみせた。


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