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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
五、鶏
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鼫鼠(ムササビ)

 不神実には格がある、と移香たちは聞いていた。格が低いのは、移香たちが持っているような虫の実である。それより四足の動物や鳥などの方が格が高く、化怪鬼になった時も能力が高い、とされている。

 しかし暗鬼を数多く作り出せる、つまり擬身の種を沢山出せるのは格下の方である。格上の実では、自らに従わせられる暗鬼はせいぜい三、四体と言われていた。

「恐いのか、移香?」

「そうだな」

 不意に黙り込んだ移香を探るように、まばたきを忘れたような仙来の眼がギョロギョロと動いて移香を覗き込む。移香がそれに、軽い調子で答えてみせた時、移香は別の事を考えていた。


 移香が秘密裏に持っている鶴の実は、間違いなく『格上』の実であった。それより暗鬼を多く作れた蟹の実は、格下のはずである。

 しかし実際に戦った際には、蟹の方がむしろ強敵だったという印象を移香は持っていた。

(不神実も、使う者の技量に能力が左右されると見るべき事か……)

 移香の思惑をよそに、仙来が訝しむように口をすぼめた。

「お前は何を考えてるのか判らん、移香」

「お前もだよ、仙来」

 移香がうそぶいてみせると、仙来は口をすぼめたまま、笑い、のようなものを見せた。と、すっと闇にその姿が消えて、たちまち見えなくなる。

「消身の術…ね」

 移香は苦笑した。


 空堀を巡らせ堅牢な砦と化している山名宗全の邸宅から、一台の牛車が出る。それに侍る供の者は五人ばかりで、腰に剣は差しているものの、皆、直垂に烏帽子という普段着の姿だった。

 山名宗全の屋敷を出て西に向かう。京に西外れにある小高い山、船岡山の麓に一同は行く。船岡山には新たに設営された新御所があり、その目と鼻の先まで来た時だった。

 不意に横道から、百姓のような身なりの女が現れる。

「御前である。控えよ」

 先導していた供の者が、女に向かって呼びかける。しかし女は退く気配はない。

 供の者たちが一気に警戒を高め、剣に手をかけて牛車を背に円陣を組んだ。

「……たったこれだけ? 随分、不用心ね」

 女がそう呟くと、不意にその姿が消えた。


「う、上だ!」

 供の一人が叫ぶ。

 女は既に牛車の上に、脚を揃えて立っていた。

「それだけ余裕という事か……あるいは偽物か」

 女はそこから跳躍すると、身体をくるりと回転させながら手鉤を放った。

 手鉤が牛車に引っかかり、女は着地ざまにそれを引く。

「う、うわぁっ!」

 牛車が横倒しになり、供の者たちが慌ててそれを避けた。牛車の横倒しに巻き込まれた牛が、悲しげな声をあげる。牛車は音を立てて、横に倒れた。


 しかし、そうなっても牛車のなかからは誰も出てこない。牛車を倒した女ーー亜夜女は、それを訝しみながら見ていた。

「帝! ご無事ですか!」

 供の者が牛車に呼びかける。しかしその返事はない。

「帝、いかがなされましたか?」

 供の者は異変に気づき、牛車の御簾を開けた。

 しかし、中には誰も乗っていない。その席は空っぽであった。

「み、帝! いったい、何処へおわしなされた?」

 供の者たちは、本気で狼狽の色を見せて慌て始めた。

「ほ、ほ、ほ、朕は此処じゃ」

 不意に響いた声に、その場にいた全員が注目した。


 声の主は意外なほど遠くの屋根の上に、優雅な物腰で立っていた。細やかな柄を織り込み艶やかな色で染めた豪奢な着物。口元を覆った扇子を含め身に着けたものの全てが最上級の品であることを示していたが、屋根の上というおよそ不釣り合いな場所にいつつ、その男は何故かそこに馴染んでいた その男ーー西陣南帝は薄く笑った。

「さて、その方ら。朕を楽しませてくりゃれ」

「……いつの間に、あんな遠くに」

 呟いた亜夜女は右手に三鈷杵、左手に不神実を持って腕を交差させた。

挿魔(ソーマ)

 交差を閉じるように実を三鈷杵に突き刺すと、亜夜女は首をのけぞらせて胸元に三鈷杵を打ち込んだ。


 その白い肌が短く黒い体毛に覆われ、口元からは牙が生えてくる。空に掲げた人差し指が巨大に膨らみ、その爪は鉤状に曲がった鋭い刃物のように伸びてくる。眼を金色に光らせたその姿は、まさに蝙蝠であった。

「この女、陰野衆か!」

 先導していた侍が変化を始める。しかし亜夜女はそれを待たずに西陣南帝のいる屋根の方へと飛んだ。

 が、少し飛行したところで、その足を掴まれる。

「なに?」

 振り向くと、腕と足の間にある薄い膜で空を飛行する化怪鬼に、足を掴まれていた。それは鼯鼠(むささび)であった。


「くっ、離せ!」

 亜夜女はもう一方の掴まれていない足で、掴んでいる手を蹴る。しかし鼯鼠はその牙が生えた口を歪ませてみせた。

「クヒヒ、そうはいくか」

 鼯鼠は突如、足を持ったまま身体を丸めた。飛んでいく浮力が消え、いきなり重さが亜夜女の足にかかってくる。蝙蝠は落下した。

 二人同体で地面に落ちると思われた瞬間、鼯鼠は着地寸前で手を広げて空へ舞い上がった。地面には蝙蝠だけが音をたてて落下した。


 間髪をいれず、別の供が鼯鼠の暗鬼に変化しながら亜夜女に襲いかかる。しかしその刹那、喉笛に飛んできた鞭の先端が突き刺さった。鼯鼠が呻き声をあげて崩れ落ちる。

「気安く近づくんじゃねえぜ」

 既に百足に変化した羅車が、忌々しそうに呟きながら現れた。なおも近づこうとする他の鼯鼠暗鬼に、羅車は鞭を飛ばす。しかし鼯鼠の暗鬼は上空に飛び上がりそれをかわす。と見るうちに、上空は何体かの鼯鼠がひっきりなしに飛び交い、羅車たちを威嚇していた。

「落ちやがれ!」

 羅車が鞭を飛ばす。しかし何体もの鼯鼠が飛び交う布陣に狙いが定まらず、鞭は虚しく空を切る。

 飛び交う鼯鼠が不意に頬を膨らませる。と、その口から何かが鋭い勢いで発射された。

「危ない!」

 蝙蝠が羅車を突き飛ばして、それを避けさせる。しかし別の鼯鼠が逆方向から飛んできていて、百足の背中にそれを撃ち込んでいく。


「ぐっ!」

 亜夜女は百足の背に当たって落ちたものを拾い上げた。それは胡桃のような、固い植物の種のようなものであった。

「種、だと?」

「気をつけろ、見た目より威力はある。余り貰うと危ない」

 少し苦しそうに、羅車は警戒する亜夜女にそう言った。

 蝙蝠が口を開け、音の攻撃を一体に向ける。しかしその間に百足の手に種が当たり、百足の手から鞭が零れた。そこを狙うように別の鼯鼠が、三枚の刃をつけた鎌のような奇妙な武器で百足に襲いかかった。

「くっ、爪のつもりかーー」

 百足が両手で相手の前腕を抑え、かろうじて三枚鎌の攻撃をくいとめる。しかし鼯鼠暗鬼の力は強く、じりじりとその刃を百足の首筋に寄せていく。


 が、次の瞬間、その鼯鼠が突如、後方に身体を引っ張られる。首筋を抑えながら後ろによろけた鼯鼠は、衝撃に打たれて足を止めた。

「うっ…ぐぁっ……」

 鼯鼠が呻くと、額から光の粒が飛び出して枯れた。そして鼯鼠の姿が消え、元の人の姿に戻った。

「こ、これは?」

 鼯鼠だった男が、我が身の変化に驚いて振り返る。その先には、太刀を振り下ろした蜘蛛の姿があった。


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