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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
四、兜虫
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化怪狼

 がちゃ、という音がして、兜虫が背中の黒い殻を開く。その下から透明で茶色の羽が開き、兜虫は宙へ飛んだ。

「死ねぃっ」

 上空から叩き潰そうと、兜虫が槌を振り上げて急降下してくる。蜘蛛の頭上まで迫った時、飛び出してきた影が兜虫と交差した。急に姿勢を崩した兜虫が、きりきりと舞いながら地面へ落ちてくる。

 移香は立ち上がると自ら跳躍し、落ちてくる兜虫の胴体を横一文字に斬りあげた。

 兜虫が転がり、蜘蛛が地面に降りる。


 その指に兜虫の片羽を切り取った黒い影が、移香の隣に降り立った。

 その黒い影は、腕に薄い膜状の羽を持ち、その先端に尖った鋭利な爪を持っている。顔も真っ黒な薄毛に覆われていたが、大きな耳と尖った鼻と口を持つその顔は鼠によく似ていた。眼を金色に光らせるその姿は、人の形をした蝙蝠(こうもり)であった。

「やったか?」

「いや、浅い。殻の堅さのせいで両断できなかった」

 移香は女の声で話しかける蝙蝠ーー亜夜女に答えた。


「ぬおぉぉぉっ、ふざけおってっ!」

 腹を切られてなお、兜虫が立ち上がる。傷は少しずつ回復を始めていた。

「あいつはどうした?」

「もう起きる頃だ」

 亜夜女の答えに違わず、百足の羅車が傷を回復させながら立ち上がろうとしていた。

「ーー今が好機じゃ、あ奴を討ち取れ!」

 何処からか声が上がると同時に、兜虫の大将に矢の雨が降ってきた。東軍の残存勢力が、まだ戦おうとしていた。

 兜虫の大将は背中を向けて身を守ると、上空に向けて口笛を吹いた。

 ピーッ、という甲高い音が夜陰に響く。

「なんだ、何をした?」

「何かが来る」

 寄ってきた羅車の問いに、亜夜女が答えた。


 その気配は移香にも判った。何か大勢のものが地面を駆けてくる音がする。

「ギャーッッ!」

 突然、兵の一人が絶叫をあげる。

 その喉笛に犬が噛みついていた。明らかに大きな身体をした犬である。と、見る間に、沢山の犬の群れが東軍の兵士に襲い掛かっていく。

「なんだあれは? 普通の犬じゃない」

 亜夜女の言葉通り、それは普通の犬ではなかった。全身が真っ黒な殻に覆われ、顔の横から二本の大きな牙が突き出している。犬の眼は小さな点になっていた。

「あれは鍬形ーー鍬形(くわがた)(むし)の暗鬼なのか?」

「その通り」

 兜虫の大将が、移香たちに向かって言った。


「あれは擬身の種を植え付けた暗鬼の犬。わしらはあれを『(ろう)()』と呼んでいるがな」

 狼鬼の群れに襲われた兵士たちの悲鳴が、あちこちからあがる。

「そして、あ奴らの鬼家が、この黒嵐(こくらん)よ!」

 空から羽音とともに、巨大な生き物が降ってきた。

 鍬形のような大きな顎を持ち、全身に尖った装甲のような殻を持つ巨大な犬が、兜虫の大将の傍に降り立った。馬のように巨大な身体の犬は、全身を黒光りさせてぶるると震えた。

「この黒嵐は元々、わしの飼い犬でな。不神実を与え、『()()(ろう)』となった。どうじゃ、わしよりも変化が激しかろう」

 兜虫の大将は愉快そうに言うと、化怪狼の背に乗った。

「お前がおれば百人力じゃ。陰野衆など、恐るるに足らんわ」

 兜虫を乗せた鍬形の狼が宙に飛ぶ。


 化怪狼は上空で急激に反転し、凄まじい速さで鍬形の顎が移香たちを襲った。鍬形の牙は足元を狙い、兜虫の槌が上半身に襲いかかる。蝙蝠は上空へ飛来して離脱したが、百足は足を傷つけられ、蜘蛛は槌に打ち込まれて吹っ飛んだ。

 突如、キーンという音のようなものが辺りに響いた。

 蝙蝠が空中で、口から音の攻撃を発している。より音に敏感らしい狼鬼たちが苦しみだし、化怪狼が兜虫もろとも地面に落ちた。

「おのれ、蝙蝠め!」

 立ち上がった兜虫が、槌を上空に向かって投げた。自らの攻撃に気を取られていた蝙蝠がまともにくらい、地面に落ちて行く。その堕ちた蝙蝠に、狼鬼の群れが一斉に襲いかかった。

「あぁぁっっ!」

 亜夜女が悲鳴をあげた。狼鬼たちは蝙蝠の羽を喰いちぎり、腕に噛みつき、脇腹に牙を突き刺す。蝙蝠が爪で狼鬼を引き裂いても、すぐに別の狼鬼が蝙蝠に襲いかかった。


「この犬どもが!」

 羅車が足を引きずりながら、二条の鞭を振るう。その先端は二匹の狼鬼の腹を刺し貫き、高々と空中へ持ち上げた。その狼鬼を他の群れにぶつけながら、羅車は倒れた蝙蝠に群がる狼鬼を追い払った。

「この糞犬どもが、かかってきやがれ!」

 怒号をあげる羅車に、なおも執拗に狼鬼の群れは襲いかかった。

(鬼家の化怪狼を倒さねば)

 移香が見回すと、起き上がった化怪狼が羽を広げて飛び立つところだった。

 移香は突然、変化を解いた。

 懐からもう一つの不神実を取り出し、三鈷杵に刺す。それを胸に刺すと、移香は飛蝗の姿へと変化していった。


 刀を脇に構えると、飛蝗は羽を広げて上空へと飛び立つ。一直線に飛び上がりながら、移香はがら空きの鍬形の腹を斬り払った。

 ギャウ、と一鳴きすると、空中で化怪狼の身体が分断される。

「黒嵐!」

 兜虫の大将が叫ぶ。移香は地面に降り立つと変化を解き、再び蜘蛛の姿に変化した。

「おのれ、よくもわしの可愛い黒嵐を! 許さんぞ、貴様!」

「部下にもそれくらい、情をもってやれ」

 移香はそう言うと、剣を静かに正眼に構えた。

「む……」

 静かにして大きな威圧感を持つ移香の構えにひるんだか、兜虫の大将が勢いを止めた。


「……貴様、何故、蜘蛛に戻った?」

「こいつの方が静かに素早く動けるんでね」

 移香は迷いもせず手の内を明かす。兜虫の大将の顔が、奇妙に歪んだ。

「貴様、その素早さとかで、このわしに勝つつもりか? 小賢しいわ!」

 兜虫は一本になった槌を袈裟懸けに落としてくる。その凄まじい攻撃が蜘蛛に直撃したと思われた瞬間、槌が空を切った。

 兜虫は続けて槌を振り回す。しかしそのどれもが、僅かなところで蜘蛛に当たらずに空を切る。兜虫は動揺して、足を止めた。

「お前の攻撃は見切った」

 移香は言った。


「なんだと? 己惚(うぬぼ)れるな!」

 兜虫はさらに勢いを増して槌を振るった。しかし蜘蛛は剣を使う事もなく、ただ身のこなしだけで、僅かにその攻撃をかわしていく。

「見切るーーというのは、ただ(かわ)ことではない」

 攻撃をかわしながら、移香が静かな口調で言った。

「当たる、と相手に思わせ、その限界まで相手に攻撃をさせ、それを躱すことだ。つまりお前は攻撃しているのではなく、攻撃させられているのだ」

「ぬかせっ!」

 兜虫が大きく槌を横なぎに振る。それが空を切る音が虚しく響いた。

「それがどうしたというのだっ!」

「次の一撃で、お前を倒す、ということさ」

 移香は言った。兜虫は低く唸りながら、槌を大きく頭上に振りかぶった。


「わしを倒すだと? 貴様はわしを倒す術がなく、逃げ回っているだけだ。貴様には、わしを斬ることはできん!」

「そうかもな」

 移香は静かにそう言うと、切っ先を下にして剣を脇に構えた。

 がら空きの頭部を目がけ、兜虫が槌を落とす。移香は左半身から右半身に転身して攻撃を躱し、同時に兜虫首筋へ剣を斬りつけた。

 剣は兜虫の殻に当たるが、それ以上刃が入らない。

「馬鹿め! わしを斬ることなどできはせん! 死ね!」

 兜虫が地面を叩いた槌を戻して横に振り、蜘蛛を打とうとした瞬間、その動きが止まった。

「う? ぐ、げぇぇっーー」

 突如、兜虫の大将が、口から不神実を吐き出す。兜虫の姿から、人間の遊佐国助の姿に戻りながら、大将は地面に手をついた。


「な、なんだ、これは?」

「霊気の『当て』を剣で打ったのさ。お前らにできて、俺にできないわけがあるまい?」

 移香は地面に転がった不神実を拾い上げると、自らの身体も蜘蛛から人に戻した。

「移香!」

「移香、やったのか!」

 犬に戻った狼鬼から解放された蝙蝠と百足が、移香に駆け寄ってくる。

「ああ、なんとかな」

 移香は二人に微笑してみせた。

 その時、手に持った不神実が急に消えた。

「なにっ?」

 飛んできた矢じりに不神実は刺さり、その矢じりに結わえられた紐に引っ張られ宙を飛んでいた。その紐の先にいたのは、美しい童子姿の人形であった。

「風切丸ーー新九郎なのか?」

 移香は呆然として呟いた。


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