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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
四、兜虫
23/46

百足

 深夜、丑の刻。

 月明かりが京の街を照らしている。

 この時期、京に点在する守護の邸宅は地方から呼び寄せた兵隊の陣営を兼ね、その長期滞在のため堅牢な砦と化していた。

 周囲には空堀が掘られ、その内側に土塁が築かれる。さらにぐるりと高い柵が全体を囲み、四隅には柵をはるかに越えた高さの(やぐら)が組まれていた。そういう守りを固めた陣営が隣接しており、それが一体となって東軍、西軍の大陣営を築いていた。


 東西両陣営はあちこちで激突したが、形勢が不利になると軍は陣営に逃げ込む。そうすると追手が来ても隣の陣から矢の雨が降り、追手は深追いを諦める。そんな事を繰り返して戦いは長期化し、泥沼のように人々を引きずり込んでいった。

 月明かりの下を、二十人ほどの一軍が歩いていく。全員が甲冑を来ているため、歩くたびに、がちゃがちゃという金属音が闇夜に響く。しかし兵たちは気にする様子もなく、のろのろと行軍を続け、やがて一つの堅牢な砦の前に止まった。


「敵襲!」

 すぐに物見櫓から、見張りの兵の声が上がる。柵の中の本陣が、にわかに騒がしくなってきた。

空堀に囲まれた砦への侵入口はただ一つ、正面門である。兵たちはその前に止まっていたが、すぐに脇の高井楼から矢が降ってきた。

 瞬間、兵たちの顔が変化した。

 肌は真っ黒で硬質な輝きを放ち、白目がないため目が何処にあるのか判らなくなっていた。いや、顔の両端についている、やはり黒の丸い膨らみが恐らく眼であった。

 異様なのは、その額から先端が二又に分かれる一本の角が聳えていることである。それは兜虫(かぶとむし)のような姿の、奇怪な変化であった。


 兜虫(かぶとむし)の兵たちは背中を向けると、飛んでくる矢を弾き返した。その黒光りする背中は、異様な堅さを持っているようだった。

(つち)を持てい」

 大将らしき人物が兵に命じる。兵たちは引いてきた荷車を前に押し出した。荷台には酒樽ほどの大きさをもった巨大な槌が二つ置かれている。どう見ても人間が持てる重量のものではなかった。

 不意に、大将の姿が変化する。大将は二又の先がさらに二又に分かれた角を持ち、よりがっしりとした装甲を持つ兜虫となった。兜虫の大将は無造作に両手に一本ずつ槌を掴むと、軽々とそれを持ち上げた。


 兜虫の大将が、正面門を巨大な槌で叩く。

 その音、震動で、その力が尋常のものでないことは誰にも判るほど明らかだった。

 三度目の打撃でぐらついた門が、四度目の一撃で遂に破壊された。

「かかれぃっ!」

 兜虫の大将が兵に命じる。兜虫の兵たちは、手に三又の槍を手にして、敵陣に突っ込んでいった。陣の中では応戦が始まった。

 真っ黒で異様な姿の敵兵に襲われた兵士たちは、恐れ慄いて反撃の勢いも弱腰だった。兜虫の兵は正面からの攻撃を間合いの遠い槍で防ぎ、背中への攻撃は鉄のような硬さの外殻で跳ね返してしまっていた。


 そして異常な力強さで槍で串刺しにした兵を、そのまま敵陣へ投げつけたりと猛威を振るっていた。襲われた東軍の陣営は、恐怖と混乱のなかで悲鳴をあげた。

「死に急ぐ奴らは何処じゃ!」

 兜虫の大将が、両手に槌を手にして敵陣へと突っ込む。そのまま槌で三人まとめて横殴りにすると、兵士たちが軽々と吹っ飛んだ。

「兜虫の暗鬼ね……」

 不意に兜虫の大将の背後から声がする。大将は振り返った。

「何奴?」

 ふらりと姿を現したのは、修験道の行者の身なりをした男だった。


「遊佐国助ーー西軍の将だな。しかし夜襲をかけるにしちゃあ、兵が少なすぎないか?」

 行者の格好をした男ーー移香は、訝しむように大将の遊佐国助を見た。確かに兵は、二十人ほどしかいない。

「ふん、東軍などこれくらいの兵がおれば十分よ。それよりうぬ(●●)は、最近聞く陰野衆とかいう奴らじゃな」

「知っているなら話は早い。不神実をくれたなら、おとなしく引き下がるぜ」

「たわけ者が!」

 大将が手を上げると、周りの兜虫の暗鬼が移香ににじり寄る。その内の数人が槍で突き込んだ。

「ま、そらそうだわな」

 抜刀して槍を受け流すと、移香は苦笑気味に呟いた。すぐさま身を翻し跳躍する。着地すると同時に移香は、懐から三鈷杵と不神実を取り出して突き刺した。


挿魔(ソーマ)

 移香の顔が、赤い三つ目の髑髏のように変わり、背中から八本の黒い脚が生えてくる。

「蜘蛛か!」

 兜虫の大将が怒気を発した。

「東軍はいい、こ奴から仕留めてやれ!」

 兜虫の暗鬼が一斉に、移香に向かってくる。突き出される槍衾を、移香は体捌きと剣でかわしていく。一つの槍を流しざま、移香は返す刀で兜虫の腕を切りつけた。しかしその腕は鉄製の小手を着けてるように刀を弾く。

「普通の武器では無理か。……前に戦った、蟹にちと似てるな」

 移香が呟いた時、別の声が上がった。

「なら、俺の武器ではどうだ!」


 編み笠を脱ぎ捨てて、羅車が立っている。羅車は三鈷杵を口に咥えると、右手に持っていた不神実を突き刺した。

挿魔(ソーマ)

 羅車は実の方を持つと、おもむろに三鈷杵を腹に突き刺した。

 二筋垂れた前髪が次第に変形し、大きな虫の顎になる。頭部全体が赤くなり長い触覚が生える。身体は紺色に変色し、脇腹には沢山の黄色く短い足がついていた。

 それは百足(むかで)の姿だった。

 百足に変化した羅車は、武器を取り出す。それは荒縄で作った鞭であった。と、それが黄色く変色し、先が二つに分かれ二条の鞭となった。それは百足の尾を思わせる形状だった。


「兜虫と言っても、腹は柔らかいだろう」

 羅車は嘲るように口にすると、鞭をふるった。

 しなった二本の鞭が兜虫の暗鬼を襲う。暗鬼は槍で、鞭を叩き落としたはずだった。

 が、鞭は空中で動きを変え、生き物のようにうねってその先端部を兜虫の腹に突き刺した。

「ぐぅっ」

 兜虫が低く呻く。と同時に、すぐにその兜虫は倒れた。

「俺の毒を喰らって立っていられるわけはない。移香、貴様には荷が重かろう。俺に任せろ」

「じゃあ、そうさせてもらうかな」

「ククク、俺の勝ちだな。ーーそれ、俺の鞭をくらいな!」

 羅車は鞭をふるうと、次々に黄色の先端を兜虫の腹に突き刺していった。刺された兜虫は毒のために一撃で倒れ、地面で痙攣を起こしながら元の姿に戻っていく。


「うぬっ、小癪な奴めが!」

 兜虫の大将が両手に槌を持って、猛然と百足に襲いかかった。

 突っ込んでくる兜虫に、百足が鞭を走らせる。しかし兜虫は両手の槌で鞭を弾くと、そのまま百足の身体を横殴りにした。

「がはぁっ!」

 百足が凄まじい勢いで吹っ飛ばされ、二、三人の兵を巻き込んで倒れる。明らかに身体がおかしな形に潰れていた。


「やれやれ、毒は強いが動きはいまいちか」

 移香はそう口にしながら、手から見えない何かを放った。

 倒れた百足にとどめを刺そうと、槌を大きく振り上げた兜虫の大将の動きが止まる。

「これは? 蜘蛛の糸か」

 兜虫の大将は気づくと、鼻で笑ってグイと腕を引いた。蜘蛛の糸が持っていかれ、移香の身体が逆に引き寄せられる。が、移香はその力を利用して跳躍し、一気に懐に飛び込むと兜虫の腹に刀を刺した。

 移香の貫いた刀が、背中から突き出る。だが兜虫の大将は刺されたまま、巨大な槌で移香を殴りつけた。

「ーーぐっ」

 蜘蛛が吹っ飛ぶ。


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