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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
四、兜虫
22/46

亜夜女と羅車

「小倉宮め、我らが庇護の恩を忘れ、宗全の口車に乗り『西陣南帝』などと奉られている様子。許し難きことである」

 剛基が僅かに語気を強めて言う。それに続けて、幻奘が口を開いた。

「我らは『まつろわぬ民』じゃ」

 幻奘は三人だけでなく、そこにいる全ての者に再確認させるように話し始めた。


「古来より朝廷の支配に抗う民は常に存在した。朝廷の圧政、権力の暴虐に対して屈従を選ばず、抵抗を選んだ者。それが『まつろわぬ民』じゃ。北朝の一方的な専制に対し南朝が現れた時、南朝は『まつろわぬ民』を導く旗印となったのじゃ。吉野、高野山、熊野。自立を重んじる我らは結束し、南朝をたてた。南朝の再興は我らの悲願である。

 今や幕府は日野富子をはじめとした私財を蓄えることしか頭にない守銭奴か、ひたすら不毛な戦に明け暮れる守護たちばかりである。その力を振るう者の下で、民たちは税の重さに苦しみ戦の被害に喘いでおる。この不毛な支配と戦を長引かせておるのが、不神実を使っている化怪鬼どもじゃ。我らはこ奴らから、不神実を取り戻さなければならぬ」

 幻奘の言葉の後に、剛基が続けた。


「なかでも最も許し難きは山名宗全。我らに無断で南朝後胤をたて、勝手に新たな支配を生み出そうとしておる。何よりあ奴は、自ら不神実を使ってこの大乱を長引かせておる張本人じゃ。お前たちに頼むは、西軍の諸将より不神実を奪還することじゃ」

「それでは、今度は山名宗全の命を奪うことが命ですか?」

 羅車が低い声を出す。幻奘は首を振った。

「いや、宗全を倒すのにはまだ力が足らぬじゃろう」

「われらの力では無理だということですか?」

 亜夜女の言葉に、幻奘は頷いた。

「宗全は恐らく、強力な不神実を持っており、自身も化怪鬼に変化する。迂闊に仕掛ければこちらがやられるだけじゃ。相手の正体と力を見極め、こちらも十分な力を得てから叩くのじゃ。そのためには相手方の力を削ぐーーつまり、西軍側にある不神実を回収する。それがお前たちの役目じゃ」

 幻奘の言葉を受け、は、と短く答えて三人は頭を下げた。


 移香は一人、蓮堂に呼ばれその部屋に赴いた。

「失礼いたします」

 移香が部屋に入ると、なんとも言えない香りが漂ってきた。それは甘やかでなおかつ気分を落ち着かせる匂いであった。

「こっちに来なさい」

 それほど広くはない部屋の奥で机に向かっていた蓮堂が、長い髪を揺らしながら振り返る。傍には香を炊く香炉が置いてあり、横の壁には巻物や閉じた書物が沢山積まれている。逆の壁には引き出しが沢山ついた薬箱があり、その前の棚には木の根や実などの素材が無造作に置かれていた。


「お呼びでしょうか」

「そなたが二種類の実を使ったと聞いたからね。詳しく聞いておこうと思ったのだよ。さっきも訊いたが、その後身体に変化はないかね?」

「はい、特にありません」

「魂命果やーーあるいは人そのもの、を喰いたくなるなどの気持ちの変化は?」

「ありません」

 そう答えた移香に対し、蓮堂は急に顔を覗きこむようにして顔を寄せて来た。

「本当にないのかね? 仮にそういう欲望が起きたとしても、隠す必要はないんだよ。仮に隠していて、取り返しのつかない事になる方が危険なことだからね」

「いえ、ありません。大丈夫です」

「そうかね」


 蓮堂は納得したように、しかし何処か残念そうに引き下がった。逆に移香は蓮堂に問うてみた。

「蓮堂様は、そういう事もあるとお考えですか?」

 その問いを聞いて、蓮堂は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「無論そうだ。そもそも我らが直接不神実を食べないのは、食べた後に魂命果を欲するようになると同時に、残忍性、攻撃性、衝動性が強くなるからだ。私はそれを見てきた」

「今までに我らのなかで、そうなった者がいると?」

「まあ、そういう事だね」

「その者は、どうなったのです?」

 蓮堂は答える代わりに、にこりと微笑してみせた。移香はそれで全てを悟った。


「曲がりなりにも我々は仏に仕える身だ。そういう事になっては不味いだろう? だから早めの報告が必要なんだよ」

 涼しい顔で微笑する蓮堂に、移香は苦笑いをしてみせた。すると蓮堂は微笑したまま、移香の瞳をじっと見つめた。

「移香、そなたは賢いな」

「……何がです?」

「そなた達に渡した半化丸、あれを使ったのはそなただけだ」

「それが?」

 移香は首を傾げた。


「他の二人は半化丸を使わなかった。何故か? 任務に必要なかったからだ。化怪貌士になれば十分だと判断したのだな。だがそなたは任務を遂行するだけでなく、好奇心と探究心があって与えられた半化丸を使ってみた。違うかね?」

 移香は黙したまま蓮堂を見た。

「命じられた事を必要最小限の方法でやり遂げる。それも大事なことだ。だが知性というのは必要という枠を越えて、物事の本質を知ろうという欲求だ。そなたには、それがあると、私は見ている」

「そうですか」

 不意にまた、蓮堂が顔を寄せてくる。その眼は移香の心を見透かすように、微かに笑っていた。

「移香、秘密を持つのはいいことだ。が、裏切り者として扱われないように気を付けることだよ。我らの敵にまわったならばーー命がなくなるからね」

「判りました」

 移香は平静な表情のまま、そう答えた。

 蓮堂は移香から離れると、意味ありげに笑ってみせた。


 山中、移香と亜夜女、そして羅車は連れ立って京への道を歩いていた。移香は修験者、羅車は編み笠を被った旅の僧、亜夜女は百姓の姿をしている。

「移香、貴様は二個しか不神実を持ち帰らなかったらしいな」

 羅車が挑発的に、嘲りを含んだ声で言った。しかし移香は特に憤る様子もなく、歩みを続けている。

「そうだ」

「フ、フ、どうやらここは俺の勝ちだな」

「任務に勝ちも負けもない」

 亜夜女が呆れた声を出したが、羅車は移香に勝ったことが嬉しいらしく、にやにや笑いを止めなかった。不意に移香が、口を開く。


「羅車、お前が持ち帰ったのは何の実だ?」

「フフ、教えてやろう。蝸牛(かたつむり)に蛙、烏賊(いか)だ」

「そうか。どういう奴が持っていたのだ?」

「盗賊の首領に足軽大将、そしてこの二人を操っていた西軍の将、笠井源十郎だ」

 移香は話を聞くと、黙って一人で考え始めた。

「おい! 人に聞くだけ聞いておいて、何か言うことはないのか?」

 声を荒げる羅車に、移香は面倒くさそうに訊いた。

「何を言ってほしいんだ?」

「それはお前、それぞれどんな敵だったとか、どうやって奴らを倒したとかだなーー」

「まあ、それはよかろう」

「よかろうってーー」


 憤慨する羅車をよそに、亜夜女は移香に尋ねた。

「移香、何を考えている?」

「いや……不神実がいやに『下の者』にまで拡散していると思ったまでだ」

「確かにーー。わたしの戦った蜻蛉(とんぼ)井守(いもり)は足軽大将程度の奴だ」

 亜夜女の言葉に、移香は感心してみせた

「ほう、お前は飛ぶ奴と戦ったのか」

「ああ、厄介な奴だった。しかし、こちらも飛べたので何とか片づけたのだ」

「そうか。俺は今回、便利だと思ったので飛蝗の実を貰ってきたんだ」

 移香の言葉に、羅車は血相を変えて移香に詰め寄った。


「なにぃっ! するとお前は不神実を二個持っているのか?」

「ああ、そうだ」

「くっっ、そんな事が許されるのか? くそ、そうと知っていれば俺ももう一ついただいていたものを!」

「安心しろ。蝸牛に蛙、烏賊ではどれも飛べん。ーーまあ、そういう訳だから夜半になったら、俺は飛んで山越えをするからな」

「なるほど、わたしもそうしよう」

 亜夜女がそう続けたのを聞くと、羅車は動揺した。

「なに! 俺はどうする?」

「お前は後から来い。ゆるり(●●●)とな」

 移香は羅車にそう言うと、亜夜女に軽く笑ってみせた。亜夜女は呆れたように、憮然とした顔を見せただけだった。


 羅車をおいて先に京に入った移香と亜夜女は、京の街を下見に歩いた。

 年が明け正月が来たばかりだというのに、京の街に華やぎはなかった。あちこちで焼け崩れたままの廃屋が放置され、黒々とした炭の塊がただっぴろい敷地にごろごろと転がっていたりした。

 まだ寒い京の風は凍てつくように吹き抜けていたが、街にはそれでも暖をとる屋根さえ持たぬ人々があちこちに座り込んでいた。鴨川にかけられた橋の下には雨露を凌ぐ人々が集まっていたが、河川敷には打ち捨てられた死体が山になって積まれていた。うずくまった人々は生気のない顔で、うつろな眼でぼんやりと空を見ていた。


 寒々とした救いようのない光景に、移香も亜夜女も言葉数が少なくなっていた。が、ふと移香は亜夜女に言葉をかけた。

「この有様を止めたり、変えたりすることができると思うか?」

 移香の問いに、亜夜女はむっつりとした表情を見せた。

「それはお役目にはない」

「では、命じられたらできると思うか?」

 亜夜女は移香から目を外し、前を向いた。

「わたし達に、そんな力があるとは思えん」

「ーーだが、俺たちにそんな力があると思ってる奴がいた」

 移香は呟いた。亜夜女が横目で移香を見る。

「誰だ?」

「ただのお人好しさ……まあいい。羅車も夜には着くだろう、根城に戻ろう」

 移香は苦笑すると、背を向けて歩き出した。


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