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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
三、鶴
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蟹の復活

 蜘蛛が柄を持ったまま横凪に襲う剣を、鶴は槍を捨ててかろうじてかわす。そのまま鶴は背中を向けて庭の一角へと走っていった。 

 蜘蛛はゆっくりとした足取りでそれを追う。

「おい、起きろ! 起きろと言うに!」

 鶴は血を吐いて倒れていた大垣の身体を無理矢理に引き起こしていた。

「おい貴様! わしに忠誠を尽くすと言ったな。それが嘘でなければ助けてやろう、わしに力を貸せ!」


 もう死んだかに見える大垣が、僅かに頷いたように見えた。鶴は手に不神実を取り出すと、無理矢理大垣の口にねじ込んだ。

 最初は入らないかに見えた不神実が、不意に全て吸収される。と、大垣の姿が大蟹へと変化した。

「お、おお……これはーー」

「気づいたか大垣、わしと共同してあ奴を倒すのじゃ」

 蟹が近づいてくる蜘蛛に一瞥をくれる。

「あれは」

「陰野衆の者らしい。あ奴は全ての不神実を手に入れようとしておる。わしらの敵じゃ」

 豊之の言い分に、蟹はじっと蜘蛛を見据えた。

「御意」

 蟹は抜刀すると蜘蛛に向かっていった。


 剣で切り結ぶ。と、蜘蛛は振りかぶるようにするりと剣を回転させながら蟹の剣を流す。すかさず蜘蛛は返す刀で、蟹の右腕に一太刀くれた。しかし蟹の腕は切り落とされない。

「そんなもので、わしの身体が斬れるか!」

 蟹はそう言うと、背中から延びる巨大な鋏を振った。

 蜘蛛は刀でそれを受け止めるが、移香が威力に吹っ飛ばされる。

「ちっ」

 舌打ちをして起きあがった蜘蛛に向けて、蟹が鋏から泡を噴射する。その泡を浴びた蜘蛛の動きが鈍くなった。


 そこを狙って鶴が、片翼で冷気混じりの羽を放射する。蜘蛛は剣で羽を防いでいたが、身体はみるみるうちに凍りついていった。

「覚悟!」

 動けない蜘蛛をめがけ、蟹が突進し剣を振りおろす。蜘蛛がそれを受けた刹那、巨大な鋏が蜘蛛の身体を挟みこんだ。

「グ……む…」

 蜘蛛が小さく唸る。

 瞬間、蜘蛛の胸から黒い槍の穂先が身体を突き破って現れた。

「移香どの!」

 新九郎は思わず声をあげた。


「ぐ……はっ」

 蜘蛛が口から血を吐き出した その血は赤い。

「ほう、虫じゃから青い血かと思ったがのう」

 背後から移香を刺した豊之が、愉快そうな声をあげた。ずるり、と槍を引き抜くと鶴は近づき、蜘蛛の背中に掌打を打ち込んだ。

「くっ」

 蜘蛛が僅かに声を洩らすと、その左胸から紫の実を刺した三鈷杵が現れた。そして同時に、蜘蛛の姿から移香の姿へと戻る。その実と三鈷杵を拾いながら、鶴が言った。

「少し締め上げてやれ」

 豊之の命に、蟹の大垣が移香を持ち上げるようにして挟んでいる鋏に力をい入れる。ピキピキという骨が軋む音とともに、耐えきれぬように移香が呻き声をあげた。


 蟹が鋏の戒めを解くと、移香は地面に落ち、ふらつきながら後ろを向く。その目の前には鶴の豊之がいた。

「よくもわしの羽を斬りおったの。礼をしてやるぞ」

 豊之は大きな翼を自分の前に出すと、その端で斬り上げるように翼を広げた。

 移香の身体に、斜めに大きな血の線が疾る。

 新九郎が息を呑むと同時に、移香は飛ばされながら力なく地面に倒れた。

「忌々しい蜘蛛めが、思い知ったであろう」

 鶴は笑いながら、倒れ込んだ移香の方へと近づいていった。

 しかし、その足取りの途中で身体がふわりと持ち上がる。


 蟹が背後から巨大な鋏で首を掴み、持ち上げているのだった。

「お、大垣、何をしておる 離せ、離さぬか!」

「某を甦らせてくれて礼を言いますぞ、豊之様」

「わ、判った。今後お前のことは重く用いる。いや、領国の半分を分けてもいい。どうじゃ、いい話であろうが?」

「御意……とは、言えませぬな」

 鈍い音とともに、鶴の頭が胴体から挟みちぎられた。頭と身体がともに地面に転がる。その二つはともに鶴の姿から山名豊之へのものへと戻っていった。

「この……恩知らずが…」

 首だけになった豊之が、憎々しげな目で大垣を睨んだ。


「某を甦らせた時に、擬身の種を植え付けておくんでしたな、殿。愚かな主君に仕えるというのは、本当に疲れるものですよ」

「貴様……」

 歯ぎしりする豊之が急にえづく。その口が大きく開いたかと思うと、中から紫の実が出てきた。実を吐き出すと、豊之の首は完全に沈黙した。

 薄笑いを洩らしながら、蟹が大垣の姿に戻る。大垣は鶴の不神実を拾いあげると、新九郎の方を振り返り歯を剥いて笑ってみせた。

「伊勢どの、約束通り山名豊之の首、献上いたしまするぞ。どうかこれでよしなに」

 新九郎は大垣の笑い顔に、何も言えなかった。

(これで、この男と手を組むのか?)

 新九郎の胸に、もやもやとした不快なものが沸き上がってきた。


”よいか、強欲で利に聡い者を選ぶのじゃ”

 父、伊勢盛定の言葉が脳裏に浮かんだ。

(この己が欲望のためには民を殺し、主を殺すこの男とーー私は手を組む?)

 大垣は倒れた豊之の方に向かって歩いていた。その目線の先には、移香から奪った三鈷杵と蜘蛛の実が落ちている。

「一つ……訊いてもよろしいか?」

「なんですかな」

 新九郎の問いかけに、大垣は上機嫌な表情を見せた。

「中根忠兵衛を襲ったのは、どういう訳だったのでしょう?」

「ああ、あの事」

 大垣はなんでもない、というように言った。


「戦というのは金がかかるものでしてな。わが国はあ奴に多額の借金をしておったのです。それをうるさく取り立てようとするので、己が立場をわきまえさせたまでのこと」

 大垣は愉快そうに笑い声をあげた。新九郎の胸中に、怒りが沸きあがった。

(このような男が世を乱し、人々が死ぬ元凶を作っているのではないか)

 大垣は歩みを進めて、実を拾おうとした。その時、その実と三鈷杵を、飛んできた紐が絡めて巻きとっていく。投げ紐で実を奪ったのは、新九郎であった。

 大垣は驚きの後に、うっすらと笑いを浮かべながら口を開いた。

「……その実は申次衆が回収する。ということですかな? まあ、それならそれで進呈いたしまするがーー」

 新九郎は素早く移香の方へ駆け寄ると、その胸に実を刺した三鈷杵を突き立てた。

「何をしておるのですか?」

 大垣の声に、新九郎は振り返って怒鳴った。

「私は、お前のような者を信用しない!」

 大垣の顔から笑いが消えた。新九郎は、無理にでも三鈷杵を突き刺そうとした。

「移香どの、起きてください!」


 しかし移香の身体からは完全に力が抜け、その顔には生気がまったくない。三鈷杵も先端が刺さるだけで、実まで吸収する気配はなかった。

「移香どの、起きるんです! 貴方は、こんなとこで終わってはいけない人だ!」

 新九郎は両手に力を込め、三鈷杵を押し込もうとした。しかし三鈷杵はそれ以上入ろうとはしない。

(移香どの、本当に死んでしまったのですか)

 垂れる汗にも構わず新九郎が力を込めたその時、肩と側頭部に凄まじい衝撃を受けて、新九郎は吹っ飛ばされた。


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