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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
三、鶴
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蜘蛛の行者現る

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 突如、鶴が右掌を蟹の胴体部に向けて打ち込む。槍から胴が抜けながら、大垣はよろけて下がった。

「うっ! ごっ、ごぉっっ!!」

 掌打を喰らった蟹が呻き声をあげながら泡を吹き出す。するとその口から、大きな紫の実が出てくると同時に、蟹が家老大垣の姿へと戻った。

「こ、これは……」

 姿の戻った大垣が、我に返り驚きの声をあげる。その腹部からの出血はなく、どうやら蟹の時に受けた傷が若干修復されているようだった。


「ある程度弱ったところで多量の霊気の一撃を加える。そうするとその本体が耐えられなければ、化怪鬼は不神実を吐き出して元の姿に戻るそうじゃ」

「そ、そんな事が……」

「さて、こうなっては、お前になす術はあるまい。どうしてくれようかの」

 鶴が嗜虐的な笑いを洩らした。

「お、お許し下さい、豊之様! もしお許しいただけたらば、この大垣、一命を賭して忠義に励みまする」

 大垣は豊之の足下に這いつくばると、地面に頭をこすりつけ許しをこうた。なりふり構わぬ家老の姿に、豊之は元の姿に戻って笑いかけた。


「もうよい大垣、顔を上げろ」

「は、はぁっ」

 上体を起こした大垣の顔の傍に、豊之は笑顔を近づける。

「そちは父上から我が家に仕える腹心の家臣。そうではないか、なあ大垣?」

「は、はい! 御意にございます」

 大垣の顔にひきつった笑いが浮かぶ。しかし次の瞬間、大垣は目を飛び出さんばかりに大きく開いた。そして自分の腹部を見下ろす。

 その腹には豊之の手に持った槍先が、深々と突き刺さっていた。

「せっかく父上がお前を信用して不神実まで与えたものを。恩を仇で返しおって、どの口で忠義などと言えたものか。顔が蟹のようじゃと、面の皮まで厚いようじゃの」

「お……お助けを…」

「見苦しいぞ、大垣」

 豊之は鼻で笑うと、槍を大垣の腹から引き抜いた。


 大垣は口から血を吐き出し、そのまま顔から地面に倒れた。

「さて、次は大垣をそそのかした奴じゃ 申次衆伊勢盛時、出て参れ!」

 新九郎は木の陰でそのまま身を堅くした。すると豊之はさらに口を開いた。

「その辺にいたのは判っておるわ。出てこぬなら、凍えさせてやるわ」

 豊之は再び鶴の姿に変化すると、羽ばたきで冷気を含んだ風を送り込んできた。


 真冬の吹雪よりも凍てつく風が、新九郎を襲う。周囲の植え込み、地面、樹木が白く凍りつき始める。その冷たさに、新九郎は、寒さよりも肌の表面に痛みを感じ始めた。

(いかん、このままでは凍らされてしまう)

 凍りつき始める睫毛の重さを感じながら目を閉じた瞬間、その身体が浮かび上がる感触に新九郎は目を開いた。 

 自分の身体が誰かに抱えられ宙を舞っている。

(何者か)

 その疑念と同時に、その答えを新九郎は悟っていた。


「よう、涼しそうだな」

 顔のすぐ傍で移香が微笑を浮かべた。

「貴方はーー」 

(またこの人に助けられた)

 絶句する新九郎をよそに、移香は新九郎とともに屋敷を巡る回廊へと着地した。見ると移香は手に、白い糸のようなものを握っている。その糸は高い庭木の先の方へと続いていた。

(この糸で、宙を舞ったのか)

 新九郎の戸惑いを断ち切るようそに、豊之が苛ついた声をあげた。


「狼藉者め、貴様は何者じゃ!」

「蜘蛛だよ」

 移香はにやりと笑うと、懐から三鈷杵と実を取り出した。左手に持った三鈷杵に実を突き刺す。すぐにくるりと手を返して逆の先端部を胸へと突き刺した。

 三鈷杵が実ごと胸へと埋まっていく。

 すると移香の身体から、見えない力が放たれ、傍にいた新九郎は軽く飛ばされた。


 移香の姿が人型の蜘蛛へと変化する。

 頭部は髑髏のように白く、身体は黒を基調に赤や黄色の部分が混じっている。その背中からはうっすらと毛を生やした八本の黒い蜘蛛の脚が生えていた。

「ーーそうか、貴様が噂に聞く陰野衆じゃな。此処に何用か?」

「あんたの持ってるその不神実、それを渡してほしいのさ」

「お断りじゃな」

「だろうな」

 髑髏のような白面の蜘蛛の顔がにやりと笑う。姿は変わっているが、やはりあの移香だと新九郎は改めて思った。


 蜘蛛が太刀を抜き、中庭を飛び越すような跳躍を見せる。ほとんど宙を飛んだように見える蜘蛛は、その勢いのまま鶴へと切りつけた。

 鶴が軽やかに翼を広げ、ふわりと飛んでそれをかわす。そのまま鶴は上空へ浮遊すると、蜘蛛を見下ろした。

「虫など昔から鳥の餌と決まっておる。蜘蛛風情がわしに逆らうなどーー笑止!」

 羽ばたきをくれると、鶴の翼から氷の羽が発射される。蜘蛛はそれを剣さばきで防いでいた。が、到底防ぎきれるものではない。蜘蛛は素早い動きで移動しながら、羽をかわし始めた。


 逃げる蜘蛛を上空から撃とうとする鶴。化怪鬼と化怪貌士の戦いのなか、蟹から元の姿に戻った兵士たちや豊之の部下たちが騒ぎ始めた。

「い、いったい俺は今まで何を……」

「そんな事より、あの化け物どもはなんだよう!」

「お、御館様が…化け物にーー」

 上空から振ってくる氷の矢に、混乱した兵士たちはてんでに逃げまどい、やがて一人残らず姿を消した。その間も蜘蛛の移香はあちらこちらと素早く動いて矢をかわしていた。

「ちょこまかと逃げ回りおって小賢しい。その脚を止めてくれるわ!」

 鶴が今度は冷風に力を入れる。蜘蛛がその冷気を浴びて、脚を止めた。


 脚から白く凍てついてゆく。蜘蛛の動きが止まった。

「どれ、とどめを刺してやろう」

 鶴は手にした槍を黒い切っ先へと変える。そのまま槍を構え、一直線に急降下した。

「移香どの!」

 新九郎の口から、思わず叫びが洩れた。

 鋭い槍が蜘蛛の顔へと突き刺さる。と、思われた寸前、鶴が何故か空中に止まった。

「な、なんじゃこれは?」

「かかったな」

 蜘蛛がにやりと笑った。

 鶴が空中でじたばたともがく。しかしもがけばもがくほど、鶴が身体が拘束されていく。そういう目にあった虫を、新九郎は目にしたことがあった。

(蜘蛛の巣か!)


「な、なんじゃこれは! 蜘蛛の糸など見えておらぬに」

「虫たちだって、そこに巣がある判ってりゃ網にかからねえだろ? 虫たちには蜘蛛の巣は見えてない。同様に俺の蜘蛛の巣も、かなり霊気を研ぎ澄まさなければ見えないはずさ」

 鶴がはっと気づいたように、辺りに目を凝らす。新九郎も傀儡写魂之術を使う時のように霊気を高める。すると鶴の身体に絡まった蜘蛛の糸が見えてきた。

「さて、あちこち飛び回れないようにしてやるか」

 蜘蛛の背中から生えている八本の黒い脚が、ぐんと長くなる。その脚で凍り付いた地面から身体を引き剥がすと、蜘蛛は身動きのとれない鶴に近づき、剣を一閃した。


 鶴の片翼が、無惨に斬り落とされる。鶴は悲鳴を上げて空中から地面に落ちた。

「さあ、こうなりゃ地面の上で対等に戦えるってもんだ。どうだ、やるかい? それともおとなしく不神実を渡すかい」

 鶴は槍を支えにしてよろよろと立ち上がると、宝石のように美しい赤い眼で蜘蛛を睨んだ。

「貴様ごときに、わしが負けると思ってか!」

 槍を繰り出す。蜘蛛がそれを剣で受け流す。連続の突きに対して、蜘蛛は剣と体捌きでそれをかわしていたが、やがて槍の動きが止まった。蜘蛛がその柄を掴んで止めていたのである。

「ぬるいな」

 新九郎は息を呑んだ。

(移香どのは化怪鬼の力もあるが、それ以上に武技が凄い)


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