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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
三、鶴
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蟹と鶴

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 山名豊之の居城、由良島城は天然の小島に屋敷を設け、その周囲に柵を巡らせた平城である。外から攻めるのならば瀬を渡り柵を越える必要があり、それは容易なことではない。

 がしかし、家老の大垣はなんなく門を開けさせ、手勢とともに中庭に入り込んだ。

「山名豊之! 出て参れ!」

 大垣は大声で豊之を呼び捨てた。中庭に面した方丈の間に豊之がその姿を現す。豊之は厳しい目線を大垣に投げかけた。


「これは何のつもりぞ、大垣!」

「豊之様が臆して動きませぬ故、(それがし)が伊勢どのとの約束、代わりにいただこうと思う所存でございます」

「貴様、主君に逆らうか!」

「御意」

 大垣は短く笑うと、手を振った。手勢たちが刀や槍を構えて前に出る。その様子に豊之が、怒りの混じった半笑いを見せた。

「貴様、まさかそれだけの人数で我が首を取ろうなどと思うておるのか? 愚か者めが! 者ども、出会え!」

 豊之の声に呼応し、あちこちの襖が開き、武装した兵たちが姿を現した。その人数は大垣の手勢をはるかに越えている。


 弓矢を構える一群が、大垣を狙っている。豊之はその兵たちに命じた。

「あ奴を射て!」

 大垣に向けて一斉に矢が放たれる。しかし次の瞬間、大垣の身体が光りを放った。

 ばらばらと矢が地面に落ちる音がする。矢はすべて大垣の身体に弾かれて地面に落ちたのだった。そこに立っていたのは、蟹ような甲羅を身にまとい変化した大垣の姿であった。

(大垣は、蟹の実の化怪鬼であったか)

 新九郎は息を呑んだ。


 全身は赤味を帯びた甲羅に覆われ、その背中から巨大な鋏が二本生えている。頭部も兜をかぶったように変化しているが、その目は青い粒のように小さい。その頭部の眼とは別に両肩から触覚の先端についた眼が生えており、脇腹には短い蟹の足が八本生えていた。

「そんなものが、わしにきくと思うてか!」

 大垣の一声を聞くと、連れてきた手勢が暗鬼に変化し始める。大垣ほど大きな鋏ではないが、片方の腕が鋏に変化した奇怪な姿であった。

「これが……父上の言うておった化怪鬼か」

 豊之が呆然とした表情で声を洩らした。

「臆するな! 化け物どもを狩れ!」

 豊之の命令に、怯んだ兵士たちが戦闘態勢を整える。しかしその中の幾人かが逆に蟹の暗鬼に変化すると、傍にいる兵士を蟹の鋏で殴り倒し始めた。


 あちこちで悲鳴と呻き声があがる。その様子に蟹に変化した大垣は、薄笑いを浮かべた。

「わしが屋敷に手下を忍ばせてないとでもお思いでしたか、豊之様?」

「き、貴様……」

 歯ぎしりする豊之をよそに、屋敷の中では乱戦が始まっていた 豊之の兵士たちは槍で突き、刀で斬りかかるが、蟹の暗鬼と化した大垣の手下たちの堅い甲羅には通じない。傷一つつかぬ暗鬼たちは、その腕で兵士の首を挟んだり、鋏で殴ったりしてほしいままに怪異の力をふるっていた。暗鬼に変化しない豊之の兵士たちは総崩れになって倒れ始めた。

「何故だ? お前は父上の支配から逃れられぬはず」

「どうやらその支配が解かれたようでしてな。教之様は、京で既にお亡くなりになったのでは? わしに植え付けられた擬身の種が枯れましてな。そのおかげで服従から解き放たれたのですよ」

 勝ち誇ったような声色を出す大垣を前に、豊之は手で顔を覆った。


「さあ、おとなしくその首をいただきましょう。ーーそれでよろしいですな、伊勢どの」

 大垣は振り向いて新九郎を見やった。新九郎は黙って事態を見つめていた。

 と、小さな笑い声が聞こえてくる。それは、顔を覆った豊之の口から洩れてくるものだった。

「何がおかしいのです、豊之様?」

 大垣が訝しげな眼で豊之を見やる。豊之は手を顔から離し、声をあげて笑った。

「なるほど、父上の言っていたことが真であったと、それが判ったから笑っておるのじゃ」

「なんですと?」

「大垣は忠臣に見せかけることで自分を知恵者だと思うておる、本体はこざかしい下卑た性根の持ち主ゆえ、心して扱うがよいと仰せられたのじゃ。なるほど得心がいったわ」


 豊之の言葉を聞き、蟹の化身は怒りにぶるぶると震え始めた。

「豊之ッ!」

 大垣が蟹の甲羅を真っ赤にしながら、怒号をあげた。

 それを聞き豊之は、懐から何かを取り出した。

(あれはーー不神実!)

 新九郎は息を呑んだ。豊之が手にしていたのは、紫の実であった。

「お前の支配が解けたは、この実を家督とともにわしに譲ったからじゃ。一端身体から出すと、擬身の種の支配が解けることは父上も知らなんだようじゃがな。だがもうよい。下賤な横這いの虫ではなく、品格ある化怪鬼の姿をお前に見せてつかわそう」

 豊之はそう言うと、その実を口にした。一口かじると、後は全て丸呑みにするように勝手に体内に吸い込まれていく。


 次の瞬間、ぞわりと奇怪な空気が周りを包み込んだ 豊之の頭部が白い羽毛に覆われだす。全身も同様に白く変化していき、その背中から生えた二枚の翼が大きく姿を現した。

 口らしきものがない白い顔は顎が細く尖り、目は朱色で頭部に黒い羽毛がたなびいている。それは人外のものであったが、異様な美しさをもった姿であった。

「鶴……か」

 新九郎は知らずのうちに呟いた。 

「や、やれ!」

 蟹となった大垣が怒鳴ると、手下の蟹どもがぞろぞろと移動し鶴に迫った。しかしその蟹の群の中から、白い翼がふわりと飛び立つ。

「なるほど、こうして見ると人や蟹などというのは、地面を這いつくばる生き物であるとよく判る」

 豊之は愉快そうに言いながら、そのまま羽ばたいて屋敷の屋根へと着地した。


「貴様、降りてこい!」

 大垣はそう怒鳴りながら、近くにあった弓を拾うと、矢をつがえ鶴に向けてひょうと放つ。その飛んできた矢を、鶴の化怪鬼はこともなげに羽のひとなぎで払い落とした。

「お前たちには仕置きが必要じゃの」

 鶴は大きくその翼を広げたかと思うと、風を送るように蟹の群へと羽ばたきを送る。しかしその中にきらきらと輝くものが混じっていた。

 声にならぬ呻きをあげながら、蟹たちがうずくまる。

 その身体には、白い羽が何本も刺さっていた。よく見るとそれは、白い、というより半透明である。やがてその羽は自然に消えた。

(氷の羽か)

 新九郎は驚愕した。


「どれ、蟹どもを冷やしてやろう」

 そう言って鶴が蟹の一群に羽ばたきをくれると、それは冷気を含んだ風となって蟹の兵士たちを襲った。

 五、六体もいた蟹の表面が、すべて白い霜をかぶっていき、やがて凍りついていく。その上で鶴がもう一つ大きく羽を振ると、白い羽が矢のように蟹たちに突き刺さった。蟹たちは力なく崩れ落ちた。

「は、は、やはり蟹は地面を這いつくばるのが似合いじゃな! どうじゃな大垣、格の違いが判ったであろう」

「お、おのれ、射よ、あ奴を射落とすのじゃ!」

 大垣の命に、蟹たちは弓矢をとって鶴に構える。大きな鋏だけに見える片手には、鋏の根本に人型の手があり、蟹たちはそこで弓を構えていた。

 一斉に矢が放たれる。鶴は翼をはためかせ空中に飛び上がり矢をかわした。鶴はそのまま蟹たちの頭上に飛来すると、氷の矢の雨を降らせた。


 崩れる蟹の一体に蹴りを入れながら、鶴が地面に降り立つ。鶴は倒れようとする蟹の手から、槍を奪った。

「豊之、尋常に勝負しろ!」

 刀を手にした大垣が、背中の巨大な鋏を振りながら駆け寄ってくる。十分に引きつけたところで、鶴は槍の一撃を蟹にくらわせた。

 蟹が吹っ飛んで倒れる。しかし何事もなかったかのように立ち上がると、大垣は鋏を鶴に向けた。

「フン、そんなものでこのわしが傷つくとでも思うたか。これでもくらえ!」

 その鋏の間から、泡状の液が噴射される。その白い泡液は鶴の羽を濡らし、脚にまとわりついた。

「どうじゃ。これで飛んで逃げることもできまい」

「はは、貴様相手に逃げる必要なぞあるか」

「強がりおって、もはやお前にはわしを傷つける術はない!」

 大蟹は鋏を構えると、鶴に向かって突進した。


(確かに大垣の言うとおりだ)

 戦いを木の陰から注視していた新九郎もそう思った。だが鶴に慌てる様子がない。

 鶴は槍を手にすると、そこに霊気を込める。すると槍の刃部が黒く鋭い形に変化していった。

(武器が変化した! あの化怪鬼には、そんな力もあるのか)

 新九郎は驚愕のなかで、その変化した黒い槍先が、鶴のくちばしのようであると気がついた。

「死ね! 豊之!」

 大垣が巨大な鋏で首を挟もうと突き出したその時、蟹の背中の甲羅から胴体を貫いた黒い槍先が現れた。


「うっ……ぐぉ…」

 動きを止めた蟹が呻く。鶴は槍を突き刺したまま口を開いた。

「どうじゃ、格の違いが判ったであろう」

「お…お見逃しくだされ、豊之様…」

「フフフ、さて…な」

 鶴は軽く笑うと、すっと蟹に歩み寄った。


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