半化丸
「何を急にーーあなた一人の力で充分でしょう」
「これほど数が多くてはかなわん。飛丸をやれば手下どもは元に戻る。少し手下どもを足止めしてくれ」
「こんな化け物ども相手に、私に何かできるとでも?」
「これを飲め」
行者蜘蛛は、懐から何かを取り出すと新九郎に放ってよこした。新九郎が受け取ると、それは緑灰色の丸薬であった。
「これは?」
「半化丸だ。変化はしないが力が増す。見ていただろ?」
新九郎は人形峠で行者と初めて出会った時のことを思い出した。
(あの時、行者が飲んだものか。しかし何故、私に?)
新九郎は行者の真意を計りかねて肩越しに行者を見た。
「どうした? お前はこの村の者たちを救いたいんじゃなかったのか? ここで飛丸たちを潰さねば、この村は全滅だ」
そう言うと行者蜘蛛は石を一つ払い落とし、新九郎の方を振り返ってその赤く光る眼を細めてみせた。その変化の姿は依然として不気味ではあったが、間違いなくあの行者の顔を思い出させた。新九郎は意を決した。
(ままよーー)
新九郎は丸薬を飲み込んだ。
すぐに、身体全体が燃えるように熱くなり始めた。
「むっーーウ、ウゥ……」
心の臓が早鐘を打つように鳴り出し、手足の先に熱が宿りだす。その満ち溢れる力感に、新九郎の喉から咆哮が迸った。
月夜を見上げた。
(明るい)
僅かに月光を頼りにしていた夜目が、嘘のように辺りを見渡せる。ほとんど昼間と変わらないその視界に、新九郎は驚いた。
「これがーーこの薬の力か」
「おう、なら手下どもの足止めを頼むぞ」
行者蜘蛛はそう言い捨てると、新九郎の背中から飛び出した。それに追いすがるように、飛蝗どもが木陰から飛び出す。
「させるか」
新九郎は跳躍して、その追いすがる飛蝗の背を杖で打った。自分でも考えられないほどの跳躍力であり、怪力であった。
(これほどのものか)
内心の驚きとは別に、新九郎の神経は澄みきっていた。次々に飛んでくる飛蝗たちを、新九郎は打ち据え、紐で巻きとり地面に叩きつけた。
しかし数は多く、何体かは行者の後を追う。新九郎が目で追うと、鉈で切りつけようとした飛蝗を、行者蜘蛛が一刀両断にしていた。
「ーーもう一度言うぞ。お前に宿る不神実を吐き出し、お前にそれを渡した者を教えるなら、お前をここで殺さないでおいてやろう」
行者蜘蛛は刀についた血糊を振って落としながら、飛丸に向かって言い放った。飛丸が叫ぶ。
「ほざけ、蜘蛛ふぜいが!」
飛丸は跳躍すると、行者蜘蛛の頭上を飛び背後の樹を蹴る。その反動でさらに頭上を飛び、右斜め前の樹を蹴る。そうやって飛丸は行者の頭上を眼にも止まらぬ速さで飛び回った。
飛びながら枝を切り落とし、飛丸はそれを頭上から振りかける。山中の戦いの再現であった。
右斜め後ろから飛蝗が切りかかる。行者蜘蛛は身体を回転させてそれをかわすと、横を抜ける飛丸の身体を切り上げた。
どさり、と飛蝗が崩れ落ちる。その胴体は完全に二分されていた。
「ば…馬鹿な……この俺がやられるなんて…」
上半身だけになった飛蝗が、口から血を流しながら呻いた。飛蝗の顔がみるみるうちに人間のものになっていく。
飛丸は急に顔を歪ませると、大きく口を開いた。
その口から、開口部以上の大きさの紫の実が現れる。飛丸はその実を吐き出すと、眼を見開いたまま動きを止めた。
不意に、新九郎が相手をしていた飛蝗顔の手下がうめき声をあげた。地面に崩れると、その姿が人のものへと戻っていく。他の多くの手下たちも、同じように姿が戻っていった。
その中に玄太と八作の姿を見つけ、新九郎は駆け寄った。
「二人とも、大丈夫か?」
赤ら顔の八作とごま塩の玄太は、顔を見合わせてポカンとした。
「誰だ、おめぇ?」
「それに……此処は何処だ? 俺たち何してたんだ?」
(覚えておらぬのか。それと同時に、傀儡操心之術の効き目がきれたか)
新九郎は起きた事態を理解すると、二人に言った。
「二人とも、盗賊なんて真似はやめて真面目に働くんだ。そうでないとーーあそこにいる飛丸が慣れの果てだぞ」
新九郎はまっ二つになって地面に転がっている飛丸を指さした。玄太と八作は無惨な姿になった飛丸を見ると、震え上がって駆け出していった。
走り去る二人を見送っていると、横から行者蜘蛛が近づいてきた。歩きながらその姿が、蜘蛛から行者へと戻っていく。新九郎は相好を崩すと声をかけた。
「行者どの、危ないところで助けられたようーー」
その言葉の途中で、新九郎は突然の重い衝撃に息を詰まらせた。近づいてきた行者が、新九郎のみぞおちに拳を撃ち込んでいたのだった。
「う……」
突然のことに何の反応もできなかった新九郎は、そのまま意識を失った。




