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陰流呪剣行  作者: 佐藤遼空
一、飛蝗
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飛蝗の男たち

 夜陰の森では、獣の気配を近くに感じる。枝葉のざわめき、土を踏む足摺、風を刺す夜鳥の鳴き声。姿は見えねど、感じる息づき。命がすぐ傍にいる。それは不安ではあるが不気味ではない。伯耆国へと抜ける夜の山奥で若者は、自らも獣であるかのように耳をそばだてた。

 夜目がきくのか、星もない暗夜の山道を、若者は迷う様子もなく歩いていく。不意に若者は、闇の奥から漂ってくる匂いに気がついて足を止めた。肉の焼ける匂いである。若者は微笑を洩らし、足を早めた。


 やがて山道の先に灯りが見えた。若者がさらに足を進めると、少し開けた場に火の粉を舞い上がらせる焚き火があり、その傍に修験者が一人座っていた。

「行者様でしたか」

 若者は人なつっこい笑みを浮かべて火に近づいた。炎に照らされた顔は高貴な女性のように端正な造りで、年もまだ二十歳前後と思われる肌艶をしていた。

「一人森に入ったが少し迷うてしまいまして。すっかり暗くなってしまい、一人心細く思っていたところです。助かった」

 若者はそう微笑むと、焚き火の傍らに自らも腰を下ろした。修験者はじろりと若者を一瞥したが、口を開こうとはしなかった。


 修験者は彫りの深い顔立ちで、長い睫をした大きな眼と太い眉をもち、高い鼻梁としっかりとした顎を持っていた。若々しい外観をしていたが、本当のところはどうか判らない不思議な雰囲気を漂わせていた。

「この美作から伯耆に抜ける道は、三十年前に山名教清が、播磨坂本城に籠もる赤松満祐を攻める時に使ったとか。ところが今じゃ、盗賊の飛丸の一味が山道を仕切ってるという。どうしようかと思案してたわけです」

 若者は一人でべらべらと話していた。行者の方は聞いてか聞かずか、何も答えようとはしない。だが、若者は構わず喋り続けた。 

「ーーその飛丸の一味が、驚いたことに美作の根城で全滅したというじゃありませんか。二十人あまりの一味が、一人残らず斬られていた。しかも見た者の話によると、斬ったのはどうやら、たった一人だという。私も大分世間で色んな話を聞きますが、これには驚きましてね。一味の根城というところへ赴いてみました。いや、根城なんて言っても、二、三件の掘ったて小屋を簡単な塀で囲っただけのものですがね。そこの一面に、死体が転がってましたよ。まあこの頃では死体なんて、京の鴨川辺りじゃ珍しくもありませんが、あれほど見事に斬られてるのは珍しい。あれを本当に一人がやったのかどうか……」

 若者は水を向けるように行者をちらりと見やった。行者は焚き火を見つめたまま、口を開こうとはしない。その横顔が焚火に照らされる様を見て、若者は行者に男の色気があるのを見て取った。


「……その一味の死体ですがね、それが少し妙なところがありまして。どういうわけか全員、右腕が無くなっているんですよ。腕を落とされて殺されたのか、殺してから右腕だけ持っていったのか  どっちかは判りませんが、まあ奇妙な話です。

……ところで行者様、何を焼いてらっしゃるんですか?」

 若者は笑顔のまま、行者を見つめた。

 行者がようやく視線を若者に向けた。

「どうやらお主、逃げたほうがよさそうだ」

 行者はそう言うと、僅かに口許を崩した。行者の視線は既に若者にはなかった。その先の闇を見ている。若者はそれに気づき、背後の森を振り返った。


 三体の影が近づいてきている。ゆらゆらと揺れながら近づいた影は、ようやく焚き火の灯りが照らす場所までやってきた。男が三人。半端な甲冑をつけた男が前に二人、後ろに一人である。前の二人は長い鉈を持ち、後ろの一人は抜き身を持っている。

「ーー俺の腕を返せ」

 後ろにいる男が憎々しげに口を開いた。ざんばら髪を結わえ、獰猛な顔つきをしたその男は、確かに右腕が肘の先から無くなっていた。

「さて、お前の腕が残っているかのう」

 行者はのんびりとした口調で微笑を浮かべると、木の枝で焚き火をかき回した。煙がたなびき、炎の中身が現れる。その火の中にあったのは、焼け焦げた匂いをたてる何本もの人間の腕であった。若者は目を見開いた。

「行者様、それはーー」

 闇の向こうで、男が低い声で呻いた。

「貴様、殺してやる」

「殺生はいかんぞ、飛丸。お前のような悪党に今更言っても詮無いことだがな」

 飛丸、という名を聞いて、若者は片腕の男を見た。この男が盗賊の首領だとすると、その一味を全滅させたのはーー  


 若者が行者を振り返った。

「お主は下がれ」

 行者の言葉に、若者は近づいてくる気配を感じた。前にいた男二人が、鉈を手に駆け寄ってきている。若者は慌ててその場から駆け出した。しかし行者は、座したまま動かない。

 焚き火の左右から男たちが鉈で切りつけた。行者は最初の一振りを、座ったまま身体を傾けてかわす。そこを狙った次の一撃は、避けることのできない一撃であった。

 が、行者の手にした刀が、その一撃を防いでいた。

(何だ? いつ抜いたというのだ)

 木陰に隠れて様子を伺っていた若者は息を呑んだ。若者の目には、行者が刀を抜いた瞬間がまったく見えていなかった。


 ゆっくりと立ち上がる行者に向かって男たちが、鉈で切りかかる。しかし行者は簡単な動作で攻撃のすべてを、かわし受けていた。

彼奴(きゃつ)らの攻撃も鋭い。だがあの行者の動きはーー)

 若者は鋭く眼を細めた。

「もういい、遊びは終わりだ!」

 後ろに控えていた飛丸が声をあげた。部下とおぼしき男二人は顔を見合わせ、頷いた。

 その瞬間、若者は正体の判らぬ気配に身体の震えを感じた。

(なんだ? いったいーー)

 焚き火の灯りのなか、男たちの顔がみるみる内に変化し始めた。眼が緑色に光り出したかと思うと、顔からはみ出るほどに巨大化していく。そして眉間からは二本の角ーー否、触覚が生えてきた。

(へ、変化(へんげ)した! こ奴らは、鬼か?)

 だがそれは鬼の姿ではなかった。その顔は、若者もよく知る虫に似ていた。

「ほう、飛蝗(ばった)か。既に暗鬼と化していたとはの」

 行者は面白そうに呟いた。


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