転生して失ったもの
得たものがある。富、名声、愛。人生に……いや幸福に、必要とされている全てのものを私は得た。
失ったものがある。汚れた人形、頬に触れるしわだらけの手、遠くから私を呼ぶ声。手にしていたことすら忘れていた小さなものを私は失くしていた。
帰りたい。初めて思ったかもしれない。心の底から帰りたい。もう充分だ。充分すぎるくらい楽しませてもらった。
明日は隣国の王に謁見した後、東部のイースト森林に居る眠れる竜の様子を見て、午後は自国の王室で食事会が開かれる予定だ。
食べ物は美味しい。森は美しい。人は優しい。
でもやっぱり違うのだ。全くもって違うのだ。私は気付いたのだ。こんな世界、私にとってはゲームに過ぎないのだ。
富を得たのも、名声を得たのも、愛を得たのも私自身かと言われたら違った。
この世界のキャラだ。私ではない。イムランという名のキャラクターなのだ。顔も背丈も声も身体も、何もかもが自分ではない、自分が演じるキャラクターなのだ。
私はもっと卑屈なのだ。小さい頃から1人でいるのが好きで、押し入れの中とか蔵とかそんな狭くて暗い場所が好きなのだ。
私だけの場所で、卑屈な思いに沈みたかった。イムランでは無い。イムランに憧れ演じる自分が今は恋しかった。
しかしそんな私はどう足掻いても取り戻せなかった。なぜなら私はこの世界に存在しないのだから。居もしない人間を見ることのできる人は居なかった。
戻りたい。戻りたい。戻りたい。戻りたい……
声にならない声が、自分のものとも知れぬ声が、夜の黒洞洞たら暗闇に消えていった。
「お父さま絵本読んで!」
背後からかけてくるのは私の娘だ。いいや私のでは無い、イムランの娘。
「いいよ、今日はなにを読もうか」
イムランならこう答えるのだ。
「これ! これ読んで」
「良いだろう。じゃあほらベッドに入って」
にこやかに笑って迷いなく真っ直ぐな眼でそう言うのだ。
いつだって不変でいつだって絶対的なのだ。
だってイムランは私の理想のキャラクターなのだから。私が作り上げた最も美しい自分なのだから。
ただそれがこんなにも空疎なものだとは知りもしなかった。こんなにも無意味なものだとは思いもしなかった。
失ったものがある。それは理想を追い求める自分。自分らしい自分を考える自分だ。