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里に立って言えば千の口(短編集)  作者: 碧衣 奈美


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牛若丸 其の一

 千本の刀コレクションを目標にしていた弁慶は、今夜がその千本目ゲットとなるはずなので張り切っていました。

「さてと。今夜この橋を通る獲物は誰だ」

 千本目の刀を持つ獲物を、弁慶は今か今かと待っていました。

 そんな弁慶の耳に、笛の音が聞こえて来ました。見れば、暗がりの向こうに人影があります。


「この橋を通りたければ、その刀を置いて行け」

 弁慶が言うと、笛の音がやみました。現われたのは、まだ少年のようです。

「あたしの名は、牛若丸。あなたが京の都を騒がせている、ジャックザリッパーね」

「違うっ。あいつが騒がせているのは、ロンドンだっ」

「あ、あれ?」

「だいたい、あれは十九世紀末の話だろ。まだずっと先だ」

「ジャックさん、細かいですね」

「お前がおかしなことを言うからだろ! それから、俺は弁慶っ。どこをどうやったら、弁慶とジャックを間違えるんだ! 一文字も入ってないし」

「し、失礼しましたっ」

「失礼にも程があるぞ」

 記念となる夜のはずなのに、弁慶はすっかり気分を害してしまいました。


「おいっ。とにかく、お前が腰に差してる刀を置いて行け。そうしたら、命は助けてやる」

「ふふ、あたしから刀が取れますか?」

「ほう……ずいぶん自信がありそうだな」

「鞍馬の山で、カラス天狗を相手に修行しましたから」

「では、お手並み拝見といこうか」

 弁慶は長刀(なぎなた)を振りかざし、牛若丸に襲いかかりました。

「……消えた?」

 長刀の先に、牛若丸の姿はありません。

 まるで気配を感じさせない牛若丸に、弁慶は久々に骨のある奴とバトルができる、と心の中で喜びました。


「いた~い」

「え……?」

 自分のすぐ後ろでそんな声が聞こえ、弁慶が振り返ると牛若丸が転んでいました。

「な……何やってんだ、お前」

「転んじゃったぁ」

 半泣きになりながら、牛若丸は起きあがりました。

 弁慶の攻撃を避けるべく飛び上がろうとして失敗し、なぜかスライディングした状態で弁慶の後ろに転がっていたのでした。

「お前、さっきカラス天狗を相手に修行したって言わなかったか?」

「だ、だって……山で修行する時は足袋(たび)草履(ぞうり)だったんだもん。こんな高い下駄なんかはいてたら、ネンザしちゃう」

 牛若丸ははき慣れない下駄をはいていたため、動きが自由にならないようでした。

 こんな奴を俺は「骨がある」と思ってしまったのか……。

「あ、ペンギンさん。どこ行くの?」

 すっかり気が抜けてしまって歩き出した弁慶に、牛若丸が声をかけました。

「弁慶だっ。変な間違え方するなっ。ガキはとっとと家に帰れ」

 自分はまだまだだと思い知らされた弁慶は、一からやり直そうと決心しました。

 別の意味で、記念となった夜でした。

 めでたしめでたし。

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