どうやら昔話のようです【4】
あれからまた数年が経ち、男は変わらず、ずっとここに通っている。そして何故か子供が生まれるとその子供を連れてきて紹介までしてくるようになっていた。
「見てくれ! 可愛いだろう? 俺にそっくりだ! 長女のユウだ! 今まで男ばかりだったが、やっと娘ができたんだ!」
「お前にそっくりかはわからんが、こんな山の中まで赤子を連れてくるなと何度も言っているだろう。何かあったらどうする?」
「大丈夫だ! あんただって見たいだろ?」
「誰が見たいと言った? 早く連れて帰れ」
私はシッシと手を振るとすっと顔を背ける。
子供は敏感だ。恐らく私の気配が近くにあるだけで泣き出してしまう。この男の息子たちもそうだった。
しかし男はそんな私のことなど気にせず、こちらに近づくと私に娘の顔が見えるように差し出してくる。
「しっかり見てみろよ! 可愛いだろう?」
私は自分の身を引き避けようとするが、赤子にじっとこちらを見つめられてしまう。きっと大きな声で泣き出してしまうだろう。私は身を固くし、微動だにせず、赤子を見つめ返す。しかしその赤子は何が嬉しいのか声を出して笑い出した。
「ほら! ユウもあんたが好きだって! 撫でてやってくれ!」
男は突然私の手を取ると赤子の前に持ってくる。
「お、おい!!」
すぐに手を引こうとしたが、赤子は小さな手を伸ばし、私の人差し指を掴むと嬉しそうに笑う。その行動に驚き見つめていると男が笑い出す。
「なんだ?」
私がむっとして見つめると、男が「すまん。すまん」と何とか笑いを収める。
「あんたがえらく嬉しそうな顔をしていたからな」
まさかと思い自分の顔に触れてみるとだいぶ緩んだ顔をしていたことに気づく。私はそっと赤子から手を引くと、そっぽを向く。
「そろそろ帰れ。あまり日差しが強い中に赤子を連れ出すものではないだろう」
男はまた連れてくるからと嬉しそうに笑い帰って行った。
そして男はそれからも度々娘を連れてきた。
人間の成長は早いもので、歩けるようになると私の元にきて膝に座ってきたり、私の角が気になるのか鷲掴みにしてきたりと、なかなか活発な子に育っていった。
走れるようになる頃には遊びに付き合えといきなり飛び掛かられたり、無理やりおままごとに付き合わされたりと私が眉間に皺を寄せても恐がることもなく、いつも楽しそうに笑っていた。
私も人間の子供だと思うと少し力を入れると壊れてしまいそうで、されるがままになっていると男がいつも笑い転げていた。
そしてその娘も十を超える頃、その頃から娘はぱったりと来なくなった。男の顔は沈みがちになり、話を聞くと、どうやら娘は病を患ってしまったらしい。治せる見込みはないと言う。
私自身もその言葉に胸が苦しくなるのを感じた。こんな気持ちになったのは初めてだ。
「おい」
私の言葉に男がゆっくりとこちらを向く。
「お前に私の祝福を与えてやってもいい。その結果どういう力が発現するかはわからんし、お前自身の体がどういう反応をするかもわからない。だが何か不思議な力に目覚めることもあるかもしれない」
「祝福? それは病を治したりできる力を得られるかもしれないということか?」
「わからん。私の力はいろいろあるが、どの力が発現するかもわからんし、私に傷を治す力はあっても病を治す力はない。しかし誰かに祝福を与えることで癒す力が何か違う形で発現することもあり得るかもしれん。今まで誰かに加護を与えたことはないから、与えた相手がどうなるかもわからないが……どうする?」
私の言葉に迷うまでもないと男は頭を下げた。
「俺にあんたの力を貸してくれ! たのむ!」
しかし結論から言うと、男の力は発現したが、それは病を治せるものではなく、私と同じ傷を治せる力だった。
それでも男はずっと沈んではおらず、この力を使い金を稼げればもっと良い食事を娘に与えられると私に「ありがとう」と何度も頭を下げた。
結局私は娘を救う力を与えてやることはできなかった。
「これほど長生きして、他の妖を圧倒する力はあるのに……娘一人助けられんとは不甲斐ないな……」
男が帰ったあと、夜の闇に向かって呟く。しかし現状どうすることもできない。私は所詮どれほど力が強かろうと一介の妖に過ぎないのだから。
それから数年経ったある日、目を腫らし、ひどく落ち込んだ様子の男がやって来た。
「昨日の夜ユウが亡くなった……」
男はそれだけ口にすると涙をぼろぼろとこぼし、その場に泣き崩れた。
私自身も言葉が出ず、黙りこくる。
やはり人間は弱い生き物だ。私とは生きる時間がまるで違う。心にポッカリ穴が空いたような、これも今まで感じたことのない感覚だった。
男がしばらくして顔を上げると私のほうを向きびっくりしたように目を見開いた。
「あんたが泣いているとこ初めて見た……」
男に言われ自分自身でも驚いて頬に手を当てると確かに目から涙が流れていた。
「あんたにも一緒に惜しんでもらえてあの子もきっと嬉しかっただろう……実はあの子からあんたに伝えてくれと言伝を預かったんだ」
男は涙を手でこすり、グスっと鼻を鳴らす。
「私にか?」
「ああ。『神様今まで私と遊んでくれてありがとう。私は神様が大好き。今度はもっと丈夫に生まれてくるから、そしたらまた一緒に遊んでね。最後にお話ししたかった』そう言っていたよ」
「神様? 私は神様ではないぞ」
「あの子はあんたのことをいつも家で神様と呼んでいたよ。確かに俺たちにとってあんたは神様だ。うちの里は他の里と比べてほとんど動物が侵入してくることがない。それはあんたに以前話してからだ。その後の暑さもあんたが何とかしてくれたんだろう? 以前に比べてこの周辺の妖も減ったし、俺のこの力だってあんたが与えてくれたものだ。全てあんたのおかげだ。だから俺たちにとってあんたは神様なんだ」
「私が……?」
私がもう一度問い返すと、男は涙に濡れた顔でにっと笑って頷いた。
すると体の内側から何か変わっていくような不思議な感覚が体中に広がっていく。私であって私でないような。まるで内側から綺麗なものに作り変えられているような。
その後男は「また少し落ち着いたら来るから」と言って帰って行った。
私は自分の体の不思議な感覚に戸惑いながら、ふと夜空を見上げる。そしてあの少女のことを思い出す。
小さな手足で私に縋りついて来る姿に心があたたかくなった。でもあの子はもういない……
(ユウ……どうかお前の魂が転生し、次の生を歩む時は健康で丈夫な体で生まれて来ることを祈っている……)
私にしては珍しく感傷的になり、夜の闇に輝く星にそう祈っていた。
そしてそれからまたしばらく経った頃、男が大きな荷物を抱えてやって来た。ふーっと息を吐くと男は額の汗を拭う。
「なんだそのでっかい荷物は?」
どうせろくなものではない気がして私がジト目で見つめると、男がニカっと笑う。
「いいもんだぞ! ちょっと待てよ……」
男は包まれている風呂敷を解いていくと、自らじゃーんと効果音を言って、私に見えるよう勢いよく風呂敷を取った。
そこには手作り感溢れる祠があった。
「里のみんなで作ったんだ! あんたへの礼だ! さぁ! ここに置けばいいか?」
男がその祠を持ち上げ、私がいつも昼寝をしている木の真下に置こうとする。
「ちょ! ちょっと待て!!」
私が制止するも、間に合わず、男は木の下に祠を置いてしまった。
それを見た私が盛大にため息を吐いたことで、男は何か自分がしでかしてしまったのかという困惑した表情になる。
そしてそれと同時に以前感じた内側から全てが変わっていくような不思議な感覚が体中を駆け巡る。それは以前感じたものよりずっと強く自分自身という全てが変わっていくような感じがした。
その感覚が収まると今度は光の束が足元から現れ、私の体中に巻きつき、しばらくすると私と一体化したように透明になり消えて行った。
男は驚いた様子でこちらを見つめ、恐る恐るというように私に尋ねる。
「……えっと? さっきのはいったい……? ここに置いたらダメだったのか?」
「はー……お前は祠を置くという意味をわかっていないだろう? お前がそこに祠を置いたせいで私は正式にこの土地の土地神になってしまったではないか……」
確かに弱い妖であればそうはならなかったかもしれない。しかし私の力はその辺にいる妖とはかけ離れた強さがある。それこそ神に通ずるような強さが。
さらにそこに人々からの信仰の証でもある祠を置かれたのだ。妖の中でも力の強い妖狐などは信仰があれば神になることもある。今私にも同じことが起こったわけだ。
私が頭を抱えてそう言うと、男はキョトンとした表情になる。
「土地神になったってのはめでたいことではないのか? 俺たちがあんたを神様のように思っているのは事実だし、あんたは土地神みたいなものだろ? 何か今までと違うことがあるのか?」
私はジト目で男を見つめると、もう一度ため息をついた。
「あのな! 土地神ということはこの地に縛られるということだ。これで私はフラリとどこかに出かけることも叶わなくなったんだぞ……」
「そうなのか? それは……すまなかった」
男は居心地が悪そうにこちらを見ると、苦笑いを浮かべる。男からすれば感謝の印に持ってきたのだから、まさかこうなるとは思っていなかったのだろう。
私は今更どうにもできないとその場に座り込む。
男はこちらを窺い、元気付けるように話しかけてきた。
「土地神になったんだからお供えもの持って来るし、もし他の土地で必要なものがあれば俺が取りに行くからさ!」
何と言われようがこの土地に縛られたことには変わらない。私がそっぽを向くと男はオドオドし、何度も平謝りをした。
結局私が折れてもういいと言うまで男はずっと謝り続けるのだった。




