どうやら力が目覚めたようです【7】
私たちの目の前に現れたのは風牙さんだった。しかしその姿は先日見た姿と異なり、全身が黒い靄に覆われ、瞳は暗く濁った色をしている。まるで操り人形のようにフラリフラリと歩いて来る。本人の意思を全く感じないのだ。
そして私たちの姿を捉えると、にったりと笑みを作る。
私はその笑みにゾッとした。間違いなくあれは風牙さんの体である。しかしその中にいるものは違う「何か」なのだと私の心が告げている。
それは隣にいる颯さんも同じのようで、驚愕に目を見開いている。しかしはっとしたように頭を振る。
「優希様ここは私が引き止めます。どうかお逃げください。若は本日、里の西側に調査に出ていたはずです。ですからあちらに向かって走ってください」
「でも……颯さんも一緒に智風くんを呼びに行きましょう!」
「いいえ、それではお館様をお止めするものがいなくなります。お館様のお力は絶大です。この里などひとたまりもない……少しでも私が足止めします。私ではそんなに時間を稼ぐことはできませんが、若なら……若ならきっとお館様を止めていただけます」
颯さんの決意に満ちた表情に私も覚悟を決めて頷いた。きっと何を言っても颯さんはここを動かないだろう。
私と二郎くんは顔を見合わせると、相手を刺激しないよう一歩ずつゆっくり後ろに後退する。しかしその様子を風牙さんが捉えた瞬間、まるで逃げるなとでも言うように怒りに満ちた咆哮をあげる。
「ゔぁ″ぁ″ぁ″ーーーーーー」
そのあまりの声の大きさに驚き、耳を塞ぐと、次の瞬間突風が私たちを襲った。そしてあの巨体では考えもつかない速さでこちらに距離を詰める。
風牙さんは以前見た智風くんと同じように突然右手に錫杖を持つと私たちに向かって振り下ろした。それと同時に颯さんも錫杖を出しそれを受け止める。しかし風牙さんが横なぎに降りまわした錫杖を受け止めきれず、体ごと吹き飛ばされ、屋敷の外壁に激突する。ドンッと大きな音と共にもくもくと土埃が上がる。
「颯さん!!!」
「優希さん下がって!!」
咄嗟のことに私は反応出来ず、二郎くんが私を抱えて後ろに飛び退くと、今まで私たちがいた場所に錫杖が振り下ろされていた。そしてその地面がぼっかりと凹んだ。私は血の気のひいた顔で、穴の空いた地面を見つめる。あの錫杖をまともに受けていたら今頃どうなっていたことか……
「優希さんとにかく今は逃げよう!」
「うん……二郎くん……あ、ありがとう……」
すぐに逃げなければと思うが、恐怖で足が震え、力が入らない。思うように前に進めない。
その時二郎くんの切羽詰まった声が響く。
「優希さん、危ない!!」
二郎くんは私に覆い被さり私の体を包み込む。
次の瞬間体中に衝撃が走る。
私は一瞬何が起こっているのかわからなかった。
二郎くんが私に覆い被さったあと、体ごと持っていかれるような突風に吹き飛ばされ、ゴロゴロと地面を転がったようだ。
「うっ…………」
「二郎くん……?」
私が体を起こそうと顔をあげると、全身が傷だらけなりつつも二郎くんが私をぎゅっと抱き込む。
「二郎くん!! 二郎くん!! 大丈夫!?」
私がそう叫び、二郎くんの体をそっとゆするとゆっくりと二郎くんが目を開ける。
「優希さん……怪我はない……?」
二郎くんが庇ってくれたおかげで私に大きな怪我はなかった。私を庇い地面を転がり回ったせいで、二郎くんの体には至る所に切り傷や打ち身ができている。そして先程の突風がカマイタチのように襲ってきたせいで二郎くんの横腹のあたりに大きめの切り傷ができていた。
「私は大丈夫! でも二郎くんひどい怪我だよ……」
今にも泣きそうな私に二郎くんがにっこり笑う。
「よかった……」
その力のない掠れた声についに私は涙が溢れてくる。
(私のせいだ……私がすぐに立ち上がって動けなかったから……)
しかしそんな私たちを待ってくれることはなくドスドスと近づく音がする。私が恐怖心を抑えながら顔を上げると楽しそうにニタっと笑いかけ、距離を縮めてくる。その後ろには側近の天狗たちが付き従うように並んでいた。
その側近の天狗たちも明らかに普通の様子ではない。みんな黒い靄に覆われ、正気を失っているのがわかる。黒い靄の糸が風牙さんから伸び、それが巻き付いているようだ。
先ほど私たちが飛ばされたのはきっと、後ろの側近の天狗が突風を巻き起こし、私たちに当てたのだろう。そしてそれに気づいた二郎くんが咄嗟に庇ってくれた。きっと風牙さんの力であったなら私たちは生きてはいないはずだ。
私一人で一体何ができるだろうか。
私の浄化の力では今ここにいる人たちを浄化し尽くせないだろう。特に風牙さんに纏わりついている穢れが酷すぎる。それに私は相手に触れなければ浄化できないのだ。あんな俊敏な相手に触れ、浄化するなど到底できない。
智風くんたちを呼びに行こうにも、私のせいで傷つきぐったりと横たわっている二郎くんを置いてはいけない。浄化の力はあっても私一人では打つ手がない……
次に錫杖が振り上げられれば、私はきっともう助からない。
距離を縮めていた風牙さんが私の目の前で立ち止まる。そして心底楽しそうにニヤッと笑うとゆっくり錫杖を振り上げた。
(ああ……真人さんにもう一度会いたいな……こんなことならやっぱり告白だけはしておけばよかった……)
せめてもの足掻きで、私は力無く倒れ込んでいる二郎くんの頭を庇うように抱きしめる。
そして次の衝撃に備えて目を閉じた。
びゅっと風を切る音が聞こえる。
ガキン
金属同士がぶつかり大きな音が響き渡る。
「たくっ!! ふざけんじゃねーぞ! くそ親父!! さっさと目を覚ませ!! お前も諦めてんじゃねーよ!!」
その大きな声にびっくりしてぱっと目を開ける。
「智風…くん……?」
そしてそっと肩に触れる温もりに顔を向けると安堵したように息をつき、荒い呼吸で肩を上下させる真人さんの姿があった。
真人さんはじっと私の頬を見ると心配気にそっと頬に触れる。チリっとした頬の痛みに眉を寄せると、真人さんが申し訳なさそうに謝る。どうやら先程の吹き飛ばされた時に少し頬が切れてしまっていたようだ。
「優希さん、遅くなって申し訳ありません。もう大丈夫です。よく頑張りましたね」
その優しい微笑みに、安堵の涙がこぼれる。真人さんはそっと涙を手で拭うと、すっと立ち上がった。
そして風牙さんを見つめるとニコッと笑顔を見せる。
「全く。優希さんや二郎くんに怪我をさせた罪は重いですよ」
笑顔で発された声はその表情とは全く似合わないほどに重くて硬い。私はゾッとしたものが背中を駆け上がる。これは相当怒っている。
「おい、真人。イライラしてるとこ悪いが先にこの靄と側近の奴らをどうにかしてくれ! その間、親父は俺がなんとか抑えるから!」
「は……仕方ありませんね。わかりました。側近の方達は風牙さんの靄に繋がれて正気を失っているようです。とりあえず側近の方との黒い靄の糸を断ち切っていきます。その後に風牙さんのことを考えましょう」
「わかった、頼む! おい!! 颯! いつまで休んでいるつもりだとっとと立て!! 真人を手伝え!!」
智風くんの声ではっとしたように目覚めた颯さんがガラリと壁が崩れ落ちる音と共にゆっくりと立ち上がる。
「わ、若……! 申し訳ありません……」
よかった。どうやら無事だったようだ。あれだけぼろぼろで無事と言いきれるのかはわからないが、立ち上がれるのであれば大丈夫だろう。しかし智風くんもあんなボロボロになっている相手に容赦がない。
智風くんは錫杖で次々と振り下ろされる風牙さんの攻撃を受け流しながらこちらにちらりと視線を向ける。
「ここは危ない。端に隠れとけ! 二郎を動かせるか?」
私は頷くと二郎くんを引っ張って安全な場所に連れて行く。
智風くんは強いと聞いてはいたが、こうして目の前にすると実感する。颯さんが一振りで飛ばされた錫杖を何度も受け止め、周りを確認する余裕まであるのだ。今は操られたように単調に動いているとはいえ、パワー自体は大天狗の力があるのだ。その錫杖を容易く捌けるとはやはり智風くんも大天狗に次ぐか、それと同等の力があるのかもしれない。
真人さんに目を向けると一人一人の側近と風牙さんを繋ぐ黒い靄の糸を切っている。しかし糸が切れた後も体に残る靄の影響か、なんとか立ち上がり、動き出そうとするものがいる。黒い靄の糸を断ち切っても浄化されない限り、影響が出続けるのかもしれない。
(そうだ。真人さんが断ち切った後に私が浄化をすれば……)
私は黒い靄の糸を切られてもなお、立ちあがろうとする天狗に向かって駆け出した。
「優希さん!?」
私の動きに驚いたように目を開く真人さんに側近の一人が襲いかかる。真人さんはそれを断ち切りの刀で受け止め、焦ったように声を上げる。
「何をしているのです? 優希さんは二郎くんのところにいてください!」
私は倒れた人物に手を当てると穢れを浄化した。その瞬間動かなくなり、パタリと地面に倒れる。そして穏やかな寝息を立て始めた。それを確認し、私は真人さんの方に目を向ける。
「私は真人さんが黒い靄の糸を断ち切ってくださった方々を浄化していきます。きっとこのままだとまた黒い靄に包まれれば動き出して、同じことを繰り返すことになると思います!」
「優希さん後ろ!」
真人さんの声に後ろを振り返る前に、私の横に黒い靄が纏わりついた側近の一人が倒れ込んだ。
「優希様のことは私にお任せください。先ほどは無様な姿を見せてしまいましたが、側近のものが相手であれば引けを取るつもりはありません」
颯さんはそう宣言すると私の後ろに回り込み、守るように錫杖を構える。真人さんはその様子にため息をつくと側近の一人を押し返し、そのまま黒い靄の糸を切る。
「わかりました。ほんとうに大人しく守られてはくれないんですから……それでは浄化をお願いします」
私は頷くと、早速、横に倒れ込んできた天狗の体を浄化した。




